Sinkー3

 宇宙に誕生があったのなら、死は生より自然であると思う。

 自然にのみ、ほかの自然を内包することが許される。

 逃げなければ、お前たちは明日全員死ぬ。


 風に流れて聞こえてくる音に、呆れた。昨日、祭壇に張り付けておいた警告の紙は勿体ないほどの慈悲だったが、能なしどもは弓と盾を装備して、甦翠殿そすいでん中央から少し西に離れたところに陣を組み立てている。八〇名あまりの戦士たちの先頭に立って、前族長の老人はいう。

曾爾族そにぞくは、榾世族こっせいぞく及び星樹人せいじゅじんに対して宣戦を布告する。祖たるキングフィッシャーの名のもと、貴様等を撃滅し、村に平穏を取り戻す!」

 愚かな話だ。村を存続させるだけの食物も建材も、すべて星系樹せいけいじゅ星樹人せいじゅじんが蘇らせたものだ。樹を廃絶すれば蟲を避けることができるが、繁栄もそこまでになる。時の忘却によって民族のままごとをやっているのは私たちを含めて限られた地域の人間だけ。ガンマ線バースト後の不毛の大地で、祖先たちは命を懸け、枯れた木が蘇るような世界の再興を願って、星系樹せいけいじゅを作った。いまとなってはどうでもいいことだが、正しく民族の話をするなら、私たちはかつてみな榾世族こっせいぞくだった。

「ねえ、マリア。もう一つだけ、教えてあげるよ」

 莢海さやうみから、銃を奪う。星系樹せいけいじゅの量子コンピュータプログラム。そのソースコードは、開発者たちが持っていて、システムの誤作動等、非常時のためにアナログな方法で代々継承されてきたという。逃げながら曾爾族そにぞくの村で拾った榾世族こっせいぞく首飾りペンダントの中身――昨日、莢海さやうみの権限の多くを乗っ取るために彼女の灰に混ぜて末端枝まったんしに侵入させた――は、書き換えたコードを元にしたウイルスだった。

 使用可能なシステムは莢海さやうみにリンクを敷いたままなので、私が代わりに握っても撃てる。励起。銃把じゅうはだけだったそれの上に、銃身や撃鉄が重なり、超圧縮された地下の紡錘水槽ぼうすいすいそうの一つが薬莢として装填される。右手に握り替えて、前方へ。無理な接続によって威力はいくらか減衰されるが、それでも十分だ。

「死は恐ろしい」

 かくして、一撃は放たれた。真横に立っていた星樹人せいじゅじんは灰になって散り、地鳴りと爆風がそれらを高く舞い上げた。風に乱れた髪のまま、細めた目を向ける。一五テラジュールの輝線スペクトル直射による空気の歪みが落ち着いたころ、眼前に現れたのは予想通りの破滅だった。複素数平面ふくそすうへいめん表記で原点わたしから『-4』キロメートル地点。彼方の西の崖が深く穿たれ、甦翠殿そすいでんの内部に崩れる。その上に築かれていた村も同じだ。割れる巨大な岩盤に乗ったまま滑り落ちていく。祭壇も、家も、遊技場も、学び舎も、大通りも、牢も、バラバラになって降り注ぐ。

 D‐BlockWeaponの余波で甲層こうそうに空いた穴から、一二〇〇メートル下へ、真っ逆さま。これで、前線の戦士八〇人以外、皆殺しだ。一分も必要とせず、時速五五〇キロメートルで底辺に叩きつけられるたくさんの身体は、原形のない肉塊となるだろう。曾爾族そにぞくの村は、私の右手の人差し指で滅んだ。

 時間を数える間、莢海さやうみとの日々が脳裏を過ってなんかいない。取り返しのつかないことをした後悔に、後退っても、目を見開いてもいない。銃は呆然と取り落としたのではなくて、不必要になったから投げ捨てた。誰の死もどうでもいいと思うと決めたはずだ。左手で心臓を押さえつけるまでもなく、拍動は安定している。息も落ち着いている。口角を吊り上げろ。一三秒、一四秒、一五秒、ぐしゃっ。さぁ、笑え。

「あっ、あぐっ、あ、っ、あっつははは、ざまあっ、みろ、ざまあみろっ!!」

 私のあざけりと戦士たちの絶叫が、戦争の開始を告げた。私はまだ笑い続けなければならない。彼らがまだ何か守るものがあるつもりでいて、甦翠殿そすいでんを統べる私に向かってくるのは、きっと愚かで滑稽なことだから。

 陣の裏に築かれた木製の投擲台が回り、油瓶が放り投げられる。続いて後衛の弓隊ゆみたいが左右に火矢を撃ち分けた。中央にいる私の逃げ場を無くすように熱の壁が押し寄せ、もっとも火勢の薄い方面から、水瓶によって延焼を免れた帯剣隊たいけんたいが駆け込んでくる。

 だが、その程度だった。私は左手のUIを操作して、甦翠殿そすいでん。半径四キロメートルの逆円錐台ぎゃくえんすいだいが轟音を立てながら慣性を乱す。巨木の幹を駆けていた男たちが次々に体勢を崩し、甲層こうそうから姿を消した。投擲台は角運動量と自重に負けてひしゃげ、敷かれていた陣と弓隊を薙ぎ払いながら奈落へと没する。

 私はあっという間に一人になった。黙り込んだ世界で、唇を噛みしめる。どうして逃げなかったのだろうか。こうしてあまりに容易く決着はつくというのに。

 しかし次の瞬間、多くの息遣いを失って炎上する樹の水平に、風切り音が足された。正面から火を割って撃ち放たれた第一射を、乙層おつそうから伸び上げさせた銀の幹で弾く。心臓が早鐘を打った。結局のところ、この二年間、私を裏切った村も、お人好しの星樹人せいじゅじんも、私の視界の中央にはいなかった。マリアだけだ。誰もが落伍した樹皮を、降り始めた雨が濡らす。矢筒を背負って弓を手にした彼女を、左手を上げて出迎える。麗しい花弁のような金の仮面に声をかける。

「マリア、みんな死んだね」

「……」

「あなたのお母さんや、お父さんも、きっと居なくなったね」

「……」

「大切な村も滅んだね」

「……」

「何とか言えよ、ブス」

「は、ブスじゃないが?」

 直後、金属音が五回した。心臓を目掛けて投げつけられたナイフを、ワイヤー移動による背後からの二射目を、一射目に結び付けられて足元に転がっていた木箱の爆発を、舞い上がった礫片に紛れた投石を、一拍遅らせて広く放射線状に噴き出された毒針を、銀の枝は空を編む糸のように全て防いだ。

「ブスだろ、ダッサイ仮面叩き割ってやる」

 左手のUIをさらに操作し、甲層こうそうを組み替える。エンジンバースト。甦翠殿そすいでんの全ての駅からの路線を捻じ曲げ、小型列車数十台を、疾駆する女目掛けて掃射した。四方から撃ちあがって、雨天を貫くミサイル群。おぞましいほどの空振を伴って放たれた鉄の砲弾は、標的の数歩後ろの幹に次々突き刺さって爆炎を撒き散らす。

 しかし、遅れて拡がる塵埃じんあいはマリアのドレスのようだった。走り、伏せ、駆け下りて、跳びあがる。金の仮面の軌跡を引いて、しなやかな筋肉が動く。縦横無尽に甦翠殿そすいでんを駆ける彼女によって、斜線は三回重ねられた。響き始める雷鳴。土砂降りに悪くなった視界のなか、躱された列車がまっすぐこちらに飛んでくるのを、私は舌打ちしながら弾き返す。

「逃げんな! 次は――」

 そして、悪態を吐いてUIを開いた瞬間、緊急表示で気付く。度重なる攻撃で空いた穴から、私の立つ幹に入り込まれている。マリアは真下だ。目と鼻の先に、巻かれた推進器により超加速した金属矢の切っ先が伸び上がる。奇襲。まさに間一髪飛び退いた私は、心臓を抑えながら標的を探す。

 仮面の女は、二つ向こうの幹の上に立ち止まっていた。流石に息を切らしている様子を確認して、私は少しの間忘れていた笑みを取り戻す。いくら何でもあの運動量を維持するには限界がある。死ね。触手にも似た末端枝まったんしを伸ばしてマリアを串刺しにする直前、私は気づいた。眼前に細い糸が張られている。それは、いままさに音を鳴らす分厚い雲のなかに飛び込んでいった、奇襲の矢から伸びた、ワイヤー。

 喉が干上がった直後、瞬き。導電路どうでんろを摂氏二万度に熱しながら、五億ボルトの白が直撃する。咄嗟に入力した電磁アーク防壁が、私が最後に自由にできたシステムだった。UIは消え、甦翠殿そすいでんのアクセス権はもう得られない。黒焦げにならなかった代わりに、時間切れだ。星系樹せいけいじゅは私のウイルスプログラムを、ほんの一〇分ほどで克服した。

 ほとんど崩壊した甲層こうそうの上。雨と汗と煤煙に汚されて、私は再び彼女と対峙した。矢筒から最後の一本をつがえる腕の動きを、獣染みた動体視力で逃さない。マリアの胸倉に掴みかかる。腹に強烈な蹴りを受けながらも、弓の弦を嚙み千切ると、体勢を崩し、二人して泥だまりに倒れ込む。まだほとんど体力が残っていたおかげで、なんとか馬乗りの姿勢になれた。左手を伸ばし、彼女の仮面を剝ぎ取って、投げ捨てる。

「……クソがよ」

「ね」

 雨が止み、雲間から日が差し込む。彼女は、美しいままだった。その青い双眸も、灰色の髪も、何も劣化していなかった。甦翠殿そすいでんを手にしてもまだ遠く及ばない。この戦いで負った傷や汚れさえ、すぐに洗い落とされてしまいそうな品格が、変わらず彼女には満ちていた。

 族長の印の金の仮面を受け継いでおきながら、マリアの表情には、指導者の重圧と、守るべきものを全て失った悲しみが、全く見て取れなかった。目が合った一瞬で、彼女は使えなくなった弓をゴミのように放り捨て、代わりに別の金属を私の胸に押し当てる。撃鉄を上げる音とともに悟る。それは、矢筒の底に布を敷いて隠されていた、拳銃だった。

「どうして、あんたは――」

「村ではたくさんのことを教えてくれてありがとう。わたしも、伝えることがあるんだ」

 マリアがそのあと語ったことに、私は怒りも嘆きもしなかった。あらゆる感情が混濁して、どうしていいか分からなかったからだ。彼女は言う。

「嘘を吐いていてごめんね。わたしは榾世族こっせいぞくで、あの村には家族すらいないの。小さいころ、村人に知られることなく、族長の一人娘と入れ変わって、いまの立場を手にしただけ。思い出して、曾爾族そにぞくのマリア」

 無理やり、触れようとも思わなかった過去が鮮明になる。一〇歳のときだ。牢のなかに少女がいた。その子に魅了された私は、たくさん自分のことを伝え、代わりに古代の文献の読み方などを教えてもらった。目と髪と肌の色。私と彼女の容姿が似ていたことも、張り詰めた弓の弦のように私たちを結び付ける一助となった。しかし、まだ小さかった私にはどうしようもない別れが訪れる。榾世族こっせいぞくの親友が印を押されて処理される前日、私は学んだ旧い言い回しを引用し、せめてもの慰めのために言った。

『私は、死って、そんなに恐ろしいことじゃないと思う』

 名もない彼女は、疲れ果てた笑みで答えた。

『マリアは隠し事が下手だね。最期に、抱きしめさせてよ』

 鍵なら手のなかにあった。扉を開けた途端、足音が弾ける。隣に立っていた牢番ろうばんの顔面を、投擲された松明の柄が抉り、頬に血が降りかかる。続けて視界端に踊った赤の軌跡と、首元に奔る熱の痛み。どんな凶星より速く、テーブルの上に置いてあった焼き印を炙って私に押し付けた彼女の両眼は、深海の闇に染まっていた。外に繋がる通路は一つではない。服まで脱がせて奪い、助けて、助けて! とよく似せた声音で叫びながら走り去る影とは、別方向に逃げ出す。その日から、彼女はマリアになった。おぞましい記憶と共に沈み込んで、私は何者でもなくなった。

 彼女の言うことが本当なら、こうだ。ほんの一〇分前、私は私の村を滅ぼした。本当の父も母も、この手で殺した。マリアは拳銃をこちらに向けたまま腰を浮かせる。私も立ち上がる。いまになって気づけば、女の首には私と同じペンダントがかけられていた。

「ガンマ線バーストが襲う前、この世界は幸せだったと思う?」

 答える気のない私をおいて、悪魔のような女は口を開く。

 正解はね、と区切った彼女の両眼は深海の闇に染まっている。

「幸せではなかった。きみやわたしのような不幸なひとがたくさんいた。犯されて、餓死して、もっとひどい有様になった子も少なくなかった。みんな忘れているんだ。せっかく滅んだ世界の常識を引き吊って、いまならいくらでも是正できる悪や不条理を受け入れようとしている」

 悪魔のような私は、自分が殺してしまった人々を思い返す。

 きっと、私の眼も同じ色に満ちている。

榾世族そせんの仕組んだプログラムの通りに世界を復興したら、過去の焼き回しになってしまう。わたしは、地球ここを何処にも負けないような素晴らしい場所にしたい。そのために、星系樹せいけいじゅのシステムがほしい。――奴隷生活のなかで、わたしの与えた知識を失わずにいてくれてありがとう。戻ってきてくれてありがとう。ペンダントを使ってくれてありがとう。テストは今日上手くいった」

  ――ねえ、きみ、一緒に幸せを作ろう。その言葉を受け取って、私は深く息を吐いた。雲が再び敷かれた空。死に果て、何もかも終わったあとの焦げ跡と煙に染められた白黒の天地で、一人想う。マリア、お前が何を考えようが、私たちは最悪だ。

 怒号を上げて、私は突進した。二発の銃声。身体を揺らして振り上げた右手の甲に穴が開いて五指が千切れ、肘も皮一枚で繋がるほどに抉り飛ばされる。踏みつけた足元に肉片と鮮血が注ぐ。だが、私は止まらない。あいにくと右半身そちらの肩から先はあの星樹人せいじゅじんの兵器を使ってから全く感覚がない。

 初めてマリアの冷や汗を見た気がした。細い腰に左の爪を立てて組み付き、汗と血と涙を流しながら、力の限り、押す。情念が形を持っていたら、ここには嵐があったに違いない。カス野郎。期待外れ。化け物。他人のこといえる? 消えろ。馬鹿。全部お前のせいだ。元からクソみたいな人生でしょ。ぶっ殺してやる。ふざけんな一人で死ね。お互いに凄まじい数の暴言を吐き散らしながら、一二〇〇メートル直下、他の誰しもの命を奪ったのと同じやり方で、私たちは甲層こうそうから墜落した。


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