浪人と妖刀と草刈り
江戸八百八町。天下は泰平、なべてこの世は事もなし。
そんな平和な町で、浪人と妖刀は座長から呼び出されていた。
「周辺の庭や藪が手入れされているだって? そりゃ良いことじゃねぇか。なんでも散らかしっぱなしはいけねぇやな」
「いえ、それがですね」
なんでも、夜な夜などこかの誰かが、雑草が伸び放題になった庭や、鬱蒼として虫の住処になっていた藪や野原などを、綺麗に刈り込んでくれているらしいのだ。
「放りっぱなしだったものを片付けてくれるのは、嬉しい。その反面、一晩で行われていることが薄気味悪いらしいのです。二日はみないと出来ないだろうところまでも、そんな短時間でやられているそうで」
「へぇ、そんなもんかねぇ。寝ているときに誰かが部屋を掃除してくれてたら、嬉しいもんだけどなぁ俺は。掛け軸女みてぇに」
「まぁ、近隣住民が怖がってますので、調査をお願いします。そしていつものことですが、もしそれが悪い悪鬼の類なら、懲らしめてほしいのです」
「町掃除ってぇ善いことをする、悪いヤツがいるとも思えねぇがね。ま、承知した。夜に見回りでもしてみらぁ」
浪人と妖刀は立ち上がる。
「あ、どなたかお供のものでも…」
「いらねぇ、いらねぇ。俺と妖刀だけで十分さ」
浪人は手を振りながら、座長宅を後にした。
そして夜。浪人と妖刀は、町民の寝静まった江戸の町を歩く。
「浪人。お前はこの件をどう見る?」
「どうせ悪いことにはならねぇよ」
突然、横の原っぱから小気味よい音が聞こえてくる。見ると、雑草が尋常でない速度で切られて舞い上がっている。
「来たぜ、妖刀。なんかいるな」
「ああ。雑草でよく見えないが…クチバシがあって両手がハサミ。あの外見は、妖怪『髪切り』ではないかな。なぜ雑草を刈っているのだ」
「ま、本人に話を聞いてみようぜ」
浪人は大声で髪切りを呼んだ。
「おおい、髪切り。ちょっと話をしないか」
髪切りは一瞬ビクッとなったが、大人しく浪人のところに来た。
「姿を隠していたのに…。あんた、人間だろ? なんで俺が見えたのさ?」
「まぁ、こいつがいるからな。申し遅れた。俺は浪人で、こっちは妖刀だ。お前さんが何故、雑草を刈り取って道々を綺麗にしてるのか、それが知りたくてね。教えてくれるかい」
髪切りはうつむきながら言った。
「髪切りってのは、本当は歩いている人間の髪の毛を無理やり切っていく妖怪なんだ。俺の親父がそう言ってたし、俺もそう育てられた。でも…」
「でも?」
「せっかく綺麗に結い上げてる髪を、わざわざ無理やりほどいて切ることになんの意味があるのかわからないんだ。相手も嫌がるし、こっちも嫌だし。なら草でも刈ってたほうがマシでしょう」
「確かになぁ…」と浪人が頷いているところに、妖刀が口を開く。
「ちょっと前までは湯屋や長屋などに忍び込んで切っていた、とも聞いたことがあるが…」
「そういうのが嫌なんだ。なんの意味があるのさ、その行動に」
この髪切りは、自己の存在意義が揺らいでいるのだろう。浪人は考えた末に、ひとつ提案をした。
「よし髪切り。一度、人間の髪を切ってみようぜ」
…
連れてこられたのは、座長宅で働く、数少ない人間の女中。歌舞伎一座の中枢で働くだけあって、美的感覚は随一である。しかも若く美しく、江戸女らしく気が強い。
「で、私はここで立っていれば良いんですね? 旦那」
「ああ。髪切りが、例えば人間の髪を切るなら、どうなるかが見たいんだ。協力ありがとよ」
「いいんですよ。髪は伸びてくるし、下手くそならお仕置きいたしますから」
浪人と妖刀は、早まったことをしたと怯えたが、後には退けない。
「髪切り、いいぞ。始めてくれ」
それは一瞬だった。
女中の結い上がった髪がぱっと舞い上がったかと思うや、またもとの髪型に戻った。だが。
「凄い…! 襟足のムダ毛も枝毛も、傷んだ髪の毛も全て処理されているうえに、きちっと同じに結い直されている…! いえ、今のほうが断然しっくりくる!」
「えっ? 髪切りって、髪を切るだけじゃないのか?」
これには妖刀も驚いた。
「草を刈るだけじゃつまらないから、いつか人間の髪を切るときのために流行の髪型やその結い方を勉強していたんだよ。もちろん男の髪型もね」
…
それから髪切りは、お奉行の命令で、人間と妖怪、幽霊を相手にする髪結床を開設した。忙しすぎて、他の髪切りも雇い入れることになっているらしい。もちろん近所の草刈りも手伝っている。
その話を、未だに座長宅に居座っている陰陽師に話した。
「へぇぇ。私も髪が伸びているから、切ってくれないかな…」
「お前さん、それは陰陽師のなんかこう、儀式のために伸ばしてるんだろ?」
「いえ、き、切りに行くのが面倒だって放っておいたら、こうなったんです…」
「髪の毛全部抜けお前は」
「ひどい」
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