浪人と妖刀とお客人

 江戸八百八町。天下は泰平、なべてこの世は事もなし。

 そんな平和な町で、浪人と妖刀は座長宅で素振りをしていた。


 未来から帰ってきてからは、さほどこれといって厄介事もなく、平和そのものであった。おかげで久々の稽古にも身が入るというものである。


 ある程度終わらせたところで、休憩を取るために手ぬぐいで汗を拭きながら座長宅へ入ると、いつもたまり場にしている客間に、粋な着物を着た身なりの良い老人が座ってお茶を飲んでいた。


 禿げ上がっており、頭部が後ろに長い異様な風貌だが、嫌悪感だとか醜悪さ、などといったものは微塵も感じられない。むしろ温和で穏やかな雰囲気すら感じられる。


「おう、お客人かい。すまねぇな、どたどたと暑苦しくしちまって」

「なに。構わんさ。お前さん、座長のところの子かい。腰に面白いものを差しているね」


 客人はにこにこと話しかけてくる。

 元より人懐っこい浪人はもちろん、妖刀すらも毒気を抜かれて客人との話に花を咲かす。そこへ座長が戻ってきた。


「ああ。浪人さん、妖刀さん。お疲れ様です」


 そう挨拶をした座長が、客人の顔を見て硬直した。その表情は敵意を剥き出しにしている。


「貴方…。なぜここにいるのですか?」

「いや。近くに寄ったから、久しぶりにお茶でもと思ってね。はいお土産」


 有名店の羊羹を座長の膝下に出す。しかし、座長は姿勢と表情を崩さない。よっぽどの因縁があるのだろうか。


「浪人さん。この御仁はぬらりひょんさんといって、悪の妖怪組織『百鬼夜行』の総大将なのです」

「あ、あくのようかいそしきのそうだいしょう?」


 浪人と妖刀は信じられないという顔つきでぬらりひょんを見る。彼は頭をかきながら苦笑いをしている。そこへ骸骨と鎧が様子を伺いにやってきた。


「座長殿、何やら不穏な空気を感じて参上いたしました。何か御座いましたか」

「すみません。しかし、私の眼の前のこの御仁が…」

「おお、ぬらりひょん殿ではございませぬか! ご無沙汰しております。いかがなされた」

「いやいや。近くに寄ったから挨拶に伺っただけさ。羊羹、みんなで食べておくれ」


 なんと、普段無口な骸骨まで客人に懐いている。浪人が恐る恐る、座長の様子を見る。座長の表情が鬼と変わっていた。


 人間に、いや、生きとし生けるものに、恐らく種族の例外なく存在する『間の悪い』個体。まさに今、この座長宅にも『それ』がおり、その間の悪さを遺憾なく発揮した。


「あれっ。ぬらりひょんさんじゃないですか! お久しぶりです。お元気でしたか?」


 陰陽師である。部屋に入ってくるなり、ぬらりひょんにくっついてはしゃぎ出した。


 しかしながら、ぬらりひょんの人気は目を見張るものがある。やはり人望の為せる業かな? のんきにそう考えていたら、座長が爆発した。


「ああ、もう! ぬらりひょんさんは悪者なんですよ!」


 ついに座長が泣き出した。呆気にとられる浪人や妖刀を含めた周囲。浪人が客人に聞く。


「なぁ。『百鬼夜行』ってのは悪の組織なのかい」

「いや、毎年行う妖怪のお祭りみたいなもので、街を練り歩いて、土地と、そこに住まう者達の無病息災を祈る。まぁご祈願というところだな。儂はそれの取り纏めをしておる」

「なんでぇ。組織の名前ですら、ねぇじゃねぇか」


 ふと、浪人が客人に質問をする。


「人間には見えないのか? 見られたら事じゃねぇのかい」

「妖怪が集まることで霊力も高まるからな。人間にも見えるよ。ただ、驚かれはすれども、嫌がったり怖がったりする人間はいない。みんな歓迎してくれるのさ。ここはおおらかな街で、儂も気に入っとるよ」


 では何故、座長はここまで頑なにぬらりひょんを嫌うのか。浪人が恐る恐る聞いてみると…。


「だってこの前、百鬼夜行に入れてくれるって言ってたのに音沙汰無しで、結局、私、出れてないもん! そりゃ怒ります! ええ、怒りますとも!」


 これには浪人も妖刀も、陰陽師も骸骨も鎧も悪い意味で驚いた。何よりも、そこまで取り乱した座長に驚いた。『もん』て。


「まぁ。聞いておくれや座長。あれはちょっとした手違いがあって、連絡も取れなかったんだ。近いうちにまた次をやるから、その時に出てほしい。それで許しちゃくれないかね」


 ぬらりひょんが温和な笑顔で座長の頭をなでる。


「全く、あんなに小さかった子狐が、ここまで立派になったもんだ。まるで昨日のように思い出せる」


 何百年も前のことなのだが。


「次は出してくれるんだね? 絶対だね? 約束だよ?」

「おうとも。約束するさ。この老体だけども、約束を忘れるほど耄碌はしてないつもりさ」


 座長はやっと落ち着きを取り戻し、お土産にもらった羊羹を切り分け、お茶を入れて、浪人には酒を用意し、少しばかりの宴席と相成った。


 その帰りの道すがら。


「さて、どうするか。座長もあれで大妖怪だからな。霊力が強すぎて、他の参加者や見物人が萎縮してしまうかもしれない。まぁ、並び順をなんとかすれば良いかな…」


 ぬらりひょんは、みんなが楽しむためにはどうすれば良いか、頭を悩ませながら帰路につくのであった。


ちなみに、この後しばらく、座長は周囲から『ちょっと残念な子』扱いされた。

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