浪人と妖刀と掛け軸

江戸八百八町。天下は泰平、なべてこの世は事もなし。

そんな平和な町で、浪人は同じ長屋の古い友人と酒を酌み交わしていた。


「浪人、お前もついに侍か。俺はいつかお前はやる男だと思っていた」

「なんでぇ改まって。まぁでも、ありがとうよ」


ある程度呑んだところで、友人が神妙な顔をして浪人にこう言った。


「侍であるお前に相談事があるんだ。聞いてくれないか」

「おう、聞くくらいはするが…なんかあったのかい」

「実は…」


女の描かれた掛け軸を買ってから、夜寝ているときに、かた、こと、と音がするようになった。友人は怖い話が駄目なたちで、物音がすると怖くて布団を頭から被りなんとかやり過ごすのだが、朝起きて見ると部屋の中がすっかり片付いている。


そんなことがもう、ここ一週間ほど続いているという。


「なんでぇ。いいことじゃねぇか」

「いいことではないよ。俺はとにかく恐ろしいんだ。なんとか一度ここに泊まって、原因を探ってくれないか。報酬は出世払いで」

「何言ってんだ。友人のよしみだ。報酬なんざ要らねぇよ。そうとなったら寝ろ。俺ぁここで一晩、見張りについてみるからよ」

「ありがたい、恩に着る」


浪人は一晩、この件の掛け軸の前で待っていたが、酒も入っていたので、つい座りながらうとうととしてしまった。


夜中にこと、と音がなる。

瞬間、浪人は妖刀を掴み取り居合抜きをする、が。


そこにいたのは女であった。

艶のある黒髪を下に下ろし、目元に泣きぼくろのある、美しい女がそこにいた。


驚いた浪人は妖刀をすぐに外し、謝罪した。

「すまねぇ、曲者かと思った。許してくれ」


すると女はくすりと笑う。


妖刀が言う。

「この女、人間ではないな。ただ悪い存在でもないらしい。お前の友人に一目惚れをし、なにか出来ないかと夜な夜なこの家の掃除片付けをしていたようだ」


女は頷いた。


とりあえず悪い存在ではないようなので、次の日、友人に一部始終を話した。

「そんな美人が俺を?これは一度挨拶しなければ…。ありがとう、浪人」

「いやでも、人間じゃねぇんだぜ。もしかしたらなにか危ないかもしれねぇ」

「まぁその時は、またお前に助けを乞うさ」


しばらく様子を見ることした。


掛け軸女と友人は急速に仲睦まじくなっていった。

それはそうだ。片や独身の男盛り。片やその男にべた惚れの女と来たら、仲良くならない道理がない。

幸せそうな友人と女に、浪人も様子を見ることをやめ、一ヶ月が過ぎた。


ある日、座長との茶飲み話にふとその話をしたら、彼の顔が曇った。


「それは、大丈夫でしょうか」


聞くと、人間に惚れた幽霊などが、その対象を自分の世界に連れ去ることが稀にあるそうで、そうなると大半の場合は二度とこちらに帰ってこられなくなる、と。


浪人はその話を聞くと、妖刀を引っ掴み友人の家に走った。


もぬけの殻であった。その代わり、風景の中に女、という構図の掛け軸に、友人の姿が足されていた。二人の表情の楽しそうなこと。浪人は崩れ落ちた。


「あの時、俺がもっとあいつに注意していれば良かった」


さすがの妖刀も、声をかけるのを憚られた。

それほどの苦悩、落胆であった。

あれだけ好きだった酒も呑めなくなってしまった。


それから二日後、浪人の家に来客があった。

出てみると、友人と掛け軸女であった。


「いやあ、ご無沙汰。俺たち結婚したんだ。そしたら掛け軸の絵の世界に自由に出入り出来るって言うんで、旅行がてらこいつの親御さんにも挨拶してきた。良いところだったぜ掛け軸の世界。あ、これお土産。美味しいからご近所で食ってくれ」


「てめぇ。俺の落胆を返しやがれ、ばかやろうめ」

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