第38話 拝啓、J.H.クラーク様

長い冬が終わり春の足音が聞こえて来た頃、ヘイワード・インはオープン以来初めて完全休業日を設けた。バイオレットとヒースの結婚式を執り行うためだ。従業員たちは式に参加する側でもあるので、朝から会場の準備に大わらわだった。


「いやー、黒の方を選んでよかったですよ。白は絶望的に似合わなかったもん」


トーマスは仕事に追われる身にも関わらず、ヒースのところに行って油を売っていた。


「うるさい。婚礼衣装なんかどうだっていいんだよ。俺はこんなの着たくないし」


自分が注目されるのを大の苦手としているヒースは朝から気持ちがフワフワして落ち着かなかった。ここに来たばかりの時より若干ではあるが、顔色が戻り不健康そうな感じが取れている。くせの強い髪もこの日ばかりは後ろに束ねて一つにまとめていた。


「でもお嬢様のウェディングドレス姿は見たいでしょう? それなら自分も付き合わないと」


「ウェディングドレスと言えば、カメラの準備は大丈夫だろうな!? バイオレットの晴れ姿を何枚も撮っておけよ! 俺の方はいいから!」


ヒースは自分のことよりもバイオレットのドレス姿の方が気になるようだ。結局バイオレットと一緒になっても彼女の姿を写真に残しておく情熱は色あせていないようだった。


「準備はばっちりですよ。ミデオンで最新式のカメラを用意しましたから。後は撮る者の腕次第です。責任重大だぞ、トーマス」


ウィルもミデオンからこの日のために駆け付けて来た。ヒースが去った後もビッグ・ロブの補佐としてエルドラドに残ったのだ。


「写真係はお前だぞ、ウィル。俺はパーティーの統括を任されてるんだから。下手な写真撮ったらボスの逆鱗に触れるからな。覚悟しとけよ」


「まだボスの方が優しかったよ……ビッグ・ロブの方が何倍も怖いんですけど!? あれでも枯れた方って、若い時どんだけだったの?」


「だから言っただろう、ボスはうちにはなくてはならない人材だったって。今からでもたまに来てくれませんかね?」


「何でジョーダンさんまで来てるんですか!? あんた反対してたんじゃ!」


ミデオンからはヒューゴ・ジョーダンも来ていた。普段カジノの裏方として働くいかつい男たちが白昼の結婚式会場に揃って並んでいる図は、ある意味壮観だった。


「そりゃ、ボスの選択なんだから腹心の部下として最後まで見届けないと。エルドラドを去ってもボスはボスであることに変わりはないんだし」


最後にはヒューゴもヒースの選択を認めてくれた。これも自分が信頼されてる証だと彼が知ったのは後になってからだった。


「結局ビッグ・ロブは来ないんですね。再就任して間もないから留守にはできないか」


トーマスはそう言ったが、ヒースにはビッグ・ロブの真意が分かるような気がした。若い者だけでのびのびさせてあげたかったのだ。それに、もう彼からは十分すぎるほどの恩を受けていた。


「いいんだ。ちゃんと分かってるから」


そこへ騒々しい音を立ててマーサがやって来た。姿が見えないトーマスに業を煮やして探しに来たのだ。


「ちょっと! トーマス! 何サボってるのよ! こっちはすっごく忙しいってのに!」


マーサは化粧とヘアメイクだけした状態でまだ従業員の服装のままだった。トーマスはマーサにこっぴどく叱られ、追い立てられるように去って行った。


「トーマスの野郎、すっかりマーサに尻に敷かれてるな。こちらもそろそろかな?」


ウィルが口の端を上げてにやりと笑いながら言った。バイオレットの不在中、二人が中心になってヘイワード・インを支えたとのことだった。その間に仲を深めたのだろう。


マーサがトーマスを引っ張って外に連れ出すと一人の紳士とぶつかった。


「久しぶり。もう何年も会ってなかったね、トーマスとマーサだっけ? ヒースに挨拶したいのだけどどこにいるのかな」


「こちらこそお久しぶりです、お兄様! 新郎は奥の部屋にいます、さあどうぞ」


軍人をしているバイオレットの兄が久しぶりに帰って来たのだ。ヒースとは子供の頃に会ったきりだ。まさか使用人の息子と妹が結婚するとは思わなかっただろうが、とても喜んでくれたとバイオレットから聞いていた。


「数えるほどしか会ったことないけど、素敵なお兄様ね。こっちにすればよかったかしら? そしたら未来の男爵夫人よ?」


「あーあーどうぞ。お前みたいのが男爵夫人なんて務まらないと思うけど」


トーマスとマーサが痴話喧嘩をしている頃、厨房ではジムが料理の準備の総仕上げをしているところだった。隣でジョーイが声をかける。


「一番大変なのはあんたかもな。披露パーティーの間中座ることもできないし」


ジョーイもこの日ばかりは特別にジムの補佐として厨房で手伝いをしていた。会場の飾りつけは前の日に終えていたので、忙しい現場に回って便利屋のようにちょこまかと動いていた。


「俺はいいんだよ。おいしい料理を提供することがボスとお嬢様への最大の恩返しになるし。デザートはチェリーパイだ。二人とも喜んでくれるかな」


「お嬢様は分かりやすく喜んでくれると思うけど、ボスは感情のリミッターが振り切れてフリーズするかも。まあ気にすることないよ」


主役のバイオレットも着々と準備を進めているところだった。


「バイオレット、すごくきれいよ! さすが、オーダーメイドドレスは違うわね!」


自分のことのように喜んでいるのはエレンだった。お腹がそろそろ目立ち始める頃だったが、無二の親友の晴れ姿を見たくてわざわざ来てくれたのだ。親身になって相談に乗っていた分彼女のことをとても心配していた。だからバイオレットが一番大好きな人と結婚すると知った時は飛び上がらんばかりに喜んだ。


「そりゃあそうよ。ミデオンでも最高級のサロンでしつらえたドレスよ。一番の晴れの日なんだから最高のものを揃えなくちゃ」


アネッサがバイオレットに化粧を施しながら誇らしげに言った。このサロンももちろんアネッサが紹介したところだった。


「何から何までありがとうございます。こんな素敵なの私にはもったいないくらいです」


バイオレットは、鏡に映った、高級レースをふんだんに使った自分のウェディングドレス姿を見て言った。まるで自分が自分じゃないみたいだ。


「何言ってるのよ。あなたがどうでもよくてもヒースが黙っちゃいないわよ。オーダーする時目が血走っていたもの、あの人」


そこへマーサが顔を出した。


「お嬢様、お兄様が到着しました、って、お姉ちゃん、何その派手な格好! 新婦より目立ってどうするのよ!」


「何言ってるの! めでたい日なんだから派手な方がいいでしょ! それに今日のバイオレットより美しい人は他にいないから大丈夫よ!」


「ここはカジノじゃなくて結婚式場なのよ! もっとTPOってもんを考えてよ! これだからお姉ちゃんは嫌なのよ……」


ふくれっ面でぶつぶつ言うマーサを見ていると、普段お姉さんらしくしているが、アネッサの前だと妹らしくなることに気が付いた。彼女の新たな一面が見られてバイオレットは嬉しくなった。


少しして父母と一緒に兄がやって来た。久しぶりの再会を果たした兄妹は熱い抱擁を交わして喜びを分かち合った。


「久しぶり、バイオレット。しばらく見ないうちにきれいになったね」


「お兄様こそすごく凛々しくなったわ。ヒースにはもう会った?」


「さっき挨拶して来たよ。昔、長期休暇で家に戻って来た時会ったきりだけど、彼も随分立派になっていたね。家が没落した時はがっかりしたけど、本当に好きな人と一緒になれたのだから何が幸いするか分からないね」


本当にその通りだ。バイオレットが名実ともに男爵令嬢のままだったら二人の人生はすれ違いもしなかっただろう。バイオレットが感慨深げに考えていると、母のヘレナが急き立てるように言った。


「そろそろ式の時間だからみんな用意なさい。マーサも早く着替えて。バイオレット、あなたのドレス姿見たらヒースひっくり返っちゃうかもよ。彼まだ見てないんでしょう?」


「ええ、今日のためにとっておいたんだけど、すごくじれったそうにしてた」


「母さんの時を思い出すね。あの時も世界で一番美しかった。バイオレットは母さん似なのかもね」


父のチャーリーがいつもののんびりした口調で言うと、ヘレナは柄にもなく頬を染めた。確かにミデオンに来てからのバイオレットの大胆な行動は、母親に似たのかもしれない。


「会場は準備できました。バイオレットさんお願いします」


とうとう結婚式が始まるのだ。バイオレットは椅子から立ち上がって控室を出た。そこの机の上には一通の手紙が置いてあった。式が終わったら読んでもらうつもりだ。封筒の宛名欄には「J.H.クラーク様」と書かれていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

没落令嬢の細腕繁盛記~こじらせ幼馴染が仲間になりたそうにこちらを見ています~ 雑食ハラミ @harami_z

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ