第28話 彼に会いたい

バイオレットはホテルの部屋で、ガイドブックを広げてミデオンのカジノについて調べていた。大規模なカジノはあらかた当たってみたが、どれも該当するものはなかった。とはいえ、単身で来た若い女がうさん臭く見えたのか、門前払いされたところも多いので今まで行った店のどれかなのかもしれない。


若い女性の場合は男性にエスコートされて遊びに行くのが普通のようだ。バイオレットの服装は明らかにカジノのドレスコードからは外れているし、単身で行くのもおかしいし、オーナーに用事があるというのも不審がられるだろう。警戒されるのが当然だ。


新しい店を当たってみるか、それとも今まで行ったところに再チャレンジするか? やはり、女学生と言われたこの服装を着替えた方がいいのか? カジノに遊びに来たわけじゃないしと思ったが、周囲の繁華街の中でも彼女の姿は浮いて見えた。


悩みぬいた挙句、一度行って門前払いされた店を再チャレンジすることにした。トーマスが言った「最大級」という言葉が引っかかっていたのだ。ガイドブックに一番大きく扱われていた店、そしてバイオレットが行った中で最も大規模の店がここ「エルドラド」だった。店を象徴する派手なネオンサインがでかでかと掲げられている。もっともまだ午前中のため、これらが光り出すまでには大分時間があった。


一度けんもほろろな対応をされたので、バイオレットの方も相当警戒していた。だが、恐る恐る近づく素振りが却って向こうからも怪しく見えたらしい。入り口を警備している男に早くも目を付けられた。


「あ、あの、ここのオーナーの方は——」


「あんた、最近この辺を嗅ぎまわっているらしいが、一体何の用なんだ?」


警備の男にぎょろっと睨まれバイオレットは委縮したが、ここでひるむわけにはいかなかった。


「あの、ヒース・クロックフォードという人に用があって——」


「ここはションベンくさい小娘が来る場所じゃない。帰った帰った」


これでは最初の時と全く同じである。二度目は何とか役立つ情報を得たい。バイオレットはなおも食い下がった。


「お願いします。ここのオーナーの方がどなたか分かればいいんです。昔からの友人かもしれないんです。どうか教えてください」


「これ以上しつこくすると人を呼ぶぞ——」


バイオレットと警備員がやりあっていると、突然派手な身なりをした女性が割り込んできた。


「どうしたの、店先で揉めていたらお客さん逃げちゃうじゃない。まあ! しかもこんなかわいらしいお嬢さんと!」


バイオレットは相手の女性を見た。女性は30歳くらいだろうか、ボブカットに帽子を被り、ウエストがくびれていないひざ丈のワンピースの上にコートを羽織っていた。


スパンコールが縫い付けられたワインレッドのワンピースと黒のコートのコントラストが鮮やかだ。ミデオンに来てから散々見た今どきの女性の流行のファッションだった。目の周りを黒く縁取った化粧は印象的で、都会の洗練された女性そのものだ。しかし、彼女の顔を見て、どこかで会ったことがあるような不思議な印象をバイオレットは受けた。


「あの、ヒース・クロックフォードという人を探しているんですが、ご存じですか?」


「やだ! ボスってばこんなかわいい女の子を泣かせたわけ!? あの朴念仁も隅に置けないわね!」


「ではここにいるんですね!」


バイオレットは歓喜の声を上げた。やっと居場所がつかめた。今までの苦労がやっと報われたのだ。喜びと安堵感でここ数日取れなかった疲れが一気に吹き飛んだ気持ちがした。


「あいにくまだ出勤してないけどね。奥の部屋で待つ? 大丈夫、取って食いやしないから」


「ちょっと待ってくださいよ。素性の分からない人間を中に入れたらまずいですよ」


先ほどの警備員が慌てて中に入った。それを聞いて、バイオレットはまだ自己紹介をしていなかったことに気付いた。


「バイオレット・ヘイワードと言います。ヒースの古い友人です。ヘイワード・インという小さなホテルを経営しています」


警備員はこんな小娘がホテル経営だと? とでも言いたげに目を剝いたが、女性の方はびっくりして声を上げた。


「ヘイワード・インって聞いたことがあるわ! もしかしてマーサがいるところ?」


「マーサをご存じなんですか!?」


バイオレットも驚いて声が大きくなった。女性を見たとき誰かに似ていると思ったのは、間違いではなかったのだ。


「マーサは妹よ! やだぁー、あなたがバイオレットなのね! 色々噂は聞いてるわ。あの子は元気? 手紙も碌に寄越さないから分からないのよ」


「はい! マーサにはいつも助けられています。お姉さんのような存在です!」


バイオレットは、ヘイワード・インに間接的にでもつながる人物に出会えて、途端に元気が出た。今まで見知らぬものに囲まれて心細くなっていたのだ。


「私はアネッサよ。こんなところで立ち話してないで中に案内するわ。どうぞ」


アネッサはウインクしながらそう言うと、気さくな態度でバイオレットを奥の控室へと案内した。今まで会いたい一心でここまで来たバイオレットだが、ここに来て急に怖くなってきた。前回の別れ方が散々だったので、どんな顔をして会えばいいのか考えると頭が真っ白になってしまった。


アネッサはある部屋のドアを開けた。正面に大きな机があり書類が乱雑に積まれている。傍らには立派な革張りの椅子があり、これがヒースの執務室なのだろう。支配人室という割には殺風景な風景だった。隆盛ぶりを示すような高価な調度品や美術品が並んでいるかと思いきや、他にはチェストとソファとテーブルがあるくらいである。純粋に仕事をするだけの部屋といった感じだった。でもこの質素さこそが彼らしいとも思った。


アネッサはバイオレットに、机の前にあるソファに座るよう促し、自分も向かいに腰かけ、ワンピースの裾から露わになった足を組んだ。ストッキングに覆われた脚線美に女性のバイオレットでも目が釘付けになった。


「さてと、マーサの話も聞きたいし、ホテルの方も興味あるんだけど、まずは、バイオレットがどうしてここに来たのか理由を聞かなきゃね。私何の事情も知らないのよ」


アネッサは運ばれてきた紅茶に口を付けながら言った。バイオレットは床に視線を落としながらこれまでの経緯を説明した。アネッサは焼き菓子を口に放りながら熱心に聞いていた。その様子が姉妹そっくりに見えた。


「すると、婚約するはずだった真面目な人を捨ててボスを選んだってわけ? やだ~素敵じゃない! しかも子供の頃から好きだったってことよね? そういうの憧れちゃう!」


アネッサは少女のようにきゃぴきゃぴとはしゃいだ。バイオレットは恥ずかしくなって耳まで真っ赤になった。


「私は彼がしてくれたことについ最近まで気付かなかったんです。彼がいなかったらとっくの昔に潰れていたのに、まるで自分の力で大きくなったつもりになって。真実を知った時、感謝すると同時に腹立たしい気持ちも正直ありました。私の努力なんて意味がないと言われたような気がしたんです。思い上がりも甚だしいですよね」


「うんうん分かるよ。心が折れたってやつよね~。今まで無理してたんだもんね~。自分を追い詰めることで成り立っていたものが一気に崩れたらそりゃショックよね~」


アネッサは適当に聞いている様子だったが、アドバイスは適格だった。マーサは、姉の話をすることは殆どなかったが、バイオレットはアネッサに好感を持った。


その時、執務室のドアが開いて見覚えのある人物が姿を現した。前に宿泊したことのあるウィルだった。


「姐さんが誰かを連れ込んだっていうから来てみたらバイオレットさんじゃないですか!? どうしてここに?」


ウィルはひどく驚いたようだった。驚いただけでなく何かに怯えている様子だ。もう彼らの正体は分かっているから動揺する必要はないのに、何をそんなに恐れているのかバイオレットには分からなかった。


「ああ! あの時のお客様ですね! ヒースの秘書の方だと伺いました」


ウィルはしどろもどろになりながら認めた。ヒースが来たらどんな騒ぎになるだろうと怯えつつも、バイオレットが自分のことを覚えてくれたのを知って嬉しくなったりもした。


「ウィルはバイオレットのこと知ってたの? やーね、知らないのは私だけ?」


ウィルは極秘任務でロナンの素性を調べていたので、誰にもこのことを伝えていない。しかし、アネッサは、自分だけ損をした気分になったようだ。


「マーサも全然顔見せてくれないし、ホテルに泊まりたいと言っても駄目と言われているの。ねえ、ヘイワード・インってどんなところ?」


バイオレットがヘイワード・インのことを思い出すのは久しぶりだった。家を飛び出してから努めて思い出さないようにしていた。でも、アネッサに説明しても別に嫌な気分にはならなず、反対に無性に懐かしい気持ちがよみがえった。


「そういえば、マーサは余りミデオンにいた頃の話をしてくれないんですが、何かあったんですか?」


マーサが姉の話をすることは殆どなかったが、アネッサはマーサに会いたがっている素振りを見せているのが気になった。ヒースも「マーサは姉の生き方を嫌っている」と言っていたような気がして、思い切って尋ねてみることにした。


「マーサとは性格が違ってね~、私は冒険家タイプであちこちの男を渡り歩いているけど、あの子は一人の男と添い遂げて家庭を築くのが夢なんですって。ここにいてもヤクザな男との出会いしかないからね。だからボスがあなたのところで働いてみないかって提案したのよ」


バイオレットは、アネッサとマーサが姉妹で顔も似ているのに全く性格が違うということに驚いた。彼らの素性を知らされていなかったのだから当然と言えば当然だが。


「こないだ見た限りだと、そんな出会いもないみたいだけどな。トーマスは火遊びが過ぎてここにいられなくなった口だし、ジョーイは確か、別れた奥さんがいるんじゃなかったかな?」


「え!? そうなの? みんなそんな話全然してくれなかった!」


ウィルの暴露話にバイオレットはびっくりした。


「みんなそれなりに訳ありですからね。でも一つだけ言えるのは、ボスはとりわけ優秀な人材を選んでヘイワード・インに送り込んだんですよ。真面目で優秀で、絶対に裏切らない誠実な人材を厳選してあなたをサポートするように仕向けたんです。ボスの人を見る目は確実ですから。そういった鋭さと機転でこのカジノは持っているんです」


ウィルは皮肉屋な一面はあるが、ヒースに対する忠誠心は本物のようだった。「それなりに訳あり」というのはおそらくウィル自身にも当てはまるのかもしれない。


3人がそんな話をしているうちに、ドアの外が騒がしくなった。バイオレットが反射的に身構えると同時に、ウィルが緊張で体をこわばらせた。ヒースだ。ヒースが到着したのだ。ウィルは慌てて部屋を出て行った。バイオレットのことを伝えに行ったのだろう。するとガタガタッと音がした。内容までは分からないが、何やら言い合う声も聞こえる。ドアの向こうで何が起きているのだろう。バイオレットは、動くこともできずにじっとするしかできなかった。


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