第27話 人助けと人探し

ミデオンの病院に来たのはもちろん初めてだったが、ご多分に漏れず、バイオレットがこれまで見たことのあるどの病院よりも大きかった。人がひっきりなしに出入りし、救急車の数も見たことのない多さだ。彼女は、老紳士が治療室の中へ搬送されるのを見送り、待合室の椅子に腰をかけた。


(赤の他人だと説明しそびれてしまった……でもこのまま帰るわけにもいかないし……)


奪われた鞄に財布も入っていたため、タクシーを使って帰ることもできなかった。とはいえ、ヘイワード・インを出る時自分の全財産を持ちだしたが、大部分は母のアパートに置いて財布には一部分だけ入れたのが救いだった。それより、ヒースに貰ったラベンダーのハンドクリームを失ったことが心残りだった。


(泥棒にとってはハンドクリームなんてどうでもいいんだろうけど、むしろあれだけでも返してほしい……)


旅をする間もハンドクリームは肌身離さず持っていた。しかし、実際に中身を開けると爽やかな香りと共に胸が締め付けられる思い出が蘇るため、使うのはなかなかためらわれた。それでも、余りに心細くなった時に少量手に取って塗り込むと、手だけでなく心のささくれも和らぐ気がした。いつの間にかお守りのようなものになっており、喪失感は相当なものだった。


(財布以外は無事で戻って来るとか……ないよね)


田舎者丸出しの娘が無造作に地面に置いた鞄など、まるで取って下さいと言っているようなものだ。己の未熟さを突きつけられるようなことばかり起きて自己嫌悪に陥ってしまう。


「シュミット氏のご家族の方ですか? こちらで受付をしてください」


受付から病院職員が声をかけた。あの老紳士はシュミット氏というのか。他人だと言うなら今しかない。


「あ、あの、私は家族ではないんです。偶然そばにいただけでここまで付き添って来たんです」


「え!? そうなんですか? 全く知らない方なんですか?」


相手の職員は驚いた声を上げた。本当の家族でもないのにここまで着いて来るとは普通思わないから確かに驚くだろう。バイオレットとしては、見知らぬ他人でも一人にしておけないという気持ちだったが、確かにおかしなことではあるので、申し訳ないやら恥ずかしいやらだった。


「ええ、偶然隣の席になって世間話をしていただけなんです。その方のことは何にも」


それを聞いた職員は困った顔をしたが、仕方ないのでまた治療室の中に入って行った。そして少し経ってから、またバイオレットのもとに来た。


「ご家族の方と連絡が取れました。今、その方がこちらに来るそうなのであなたはもう大丈夫です」


どうやら丸く収まったようでほっとした。しかし、バイオレットには帰るだけの持ち合わせがなかった。歩いて帰るにもずいぶん遠くまで来てしまったし、道も分からない。


老紳士の家族に事情を話して少しお金貸してもらうか。それを言うのもためらわれ、考えあぐねているうちに一人の男性がやって来て受付に寄ってから、治療室のドアの向こうへ入って行った。あの人だろうか。そう思っているとしばらくした後にまた出てきて、バイオレットの方に来た。


「あなたがシュミット氏に付き添って下さったんですか?」


中年くらいの年代に見えるので息子だと思ったが、家族の割にはシュミット氏という言い方が気になる。もしかしたら彼の従者かもしれない。バイオレットがそうですと答えると、相手の男性は表情を和らげた。


「ご主人様に付き添ってくださってありがとうございました。わたくし、従者のジェイミー・コーエンと言います。幸い一時的な狭心症発作ということで、数日入院しますが大事には至らないようです。ご主人様があなたの顔を見たいと言うので会って頂けないでしょうか?」


シュミット氏の無事を知ってバイオレットもほっとした。もちろん彼の元気な顔が見たかったので快諾した。


コーエンに着いて病室まで行くと、シュミット氏がベッドに横になっていた。現在は痛みも引いたらしく意識もはっきりしている。バイオレットはベッドに駆け寄った。


「ご無事でよかったです。大事には至らなかったようで安心しました」


シュミット氏はベッドに寝た状態ではあるが、顔色もよくカフェで会った時の様子に戻っていた。


「お言葉ですが、ご主人様。煙草はあれほどいけないと医者に注意されたはずでしょう。また葉巻を吸いましたね」


コーエンがやんわりと主人を咎めたので、シュミット氏は苦笑した。


「久しぶりに煙草が吸いたくなって我慢ができなかった。そのお陰で通りすがりのお嬢さんまで迷惑をかけてしまい面目ない。近所を散歩するだけだからと、発作時の薬を持たず出たのもよくなかった。あなたの貴重な時間を潰してしまったので、どこかで埋め合わせをさせてほしい」


「いいんです。とにかくあなたが元気なのが何よりです。これで気持ちよく帰れます」


バイオレットは安心して柔らかく微笑みながら言った。この分だと大事はなさそうだ。


「ありがとう。本当にありがとう。こんな優しいお嬢さんに会えるなんて思いもしなかった。そうだ、コーエン、うちの住所をメモに書いて渡してくれ」


コーエンは、手帳に何やら書いてバイオレットに渡した。


「これがうちの住所です。何日かしたら家に戻っていると思うのでどうか訪ねてきて下さい。今回のお礼もしたい。従者のコーエンと二人暮らしなんで、あなたのような方が来てくれると心まで華やかになるんだ」


お礼なんて結構ですが折を見てまた伺いますとバイオレットは答えた。コーエンが病院の玄関まで送ってくれて、バイオレットが何も言わずともタクシーを手配して運賃も渡してくれた。


母のアパートに戻った頃は既に辺りが暗くなっていた。半日を病院でつぶしたことになる。戻って来たバイオレットは、ヘレナに今日あった出来事を話した。そして渡されたメモを見せると、母の顔色が一瞬変わった。


「やだこれ。高級住宅街じゃないの。シュミット氏って言ったっけ? かなりの大物かもよ?」


そう言われてもバイオレットにはピンと来なかった。シュミット氏について知っていることと言えば従者と二人暮らしということくらいだ。暮らしに困っている風ではなかったが、特別金持ちそうな印象も受けなかったので曖昧な返事をしておいた。


「ああそうだ。言っておかなくちゃいけないんだけど、明日から私ここを留守にするからあなたも出て行ってくれない? そのまま放り出すのもかわいそうだから、ホテルだけは予約しておいたわ。下手に安ホテル泊まって危ない目に遭うのは嫌だから。ただし宿泊代はあなた持ちね。それくらいあるでしょ」


バイオレットは、ヘレナの自由気まますぎる行動にぽかんとしてしまった。いや、連絡もせず押しかけたのは自分なのだから母を責める筋合いはないのだが。それにしても、何事も突然すぎて着いていけない、と考えたところでそれもまた自分に跳ね返ってしまうことに気付いた。実際は似た者親子なのかもしれない。


結局、翌日バイオレットはヘレナのアパートを出て、指定されたホテルへと移った。女性の一人旅でも安全なように、信頼のおけるところを選んでくれたらしい。高級というわけではないが、清潔さと安全性を重視してくれたことは感謝した。


しかし、相談できる相手がいなくなってしまったのは残念だった。母の手前、寂しい素振りは見せなかったが、実はかなり心細かった。都会というのは人が沢山いるはずなのに、なぜ孤独を強く感じるのだろう。


そういえば、昨日鞄を取られた時も、周りに大勢の人がいたのにバイオレットの代わりに動いてくれる人はいなかった。見ず知らずの他人を気遣う筋合いはないと言えばないが、何だか不思議な心持ちがした。


(ヒースはこういうところで生きているのね……寂しくなったりしないのかしら)


ヒースは、バイオレットに会う時は自分の背景を一切消していた。だから彼がどんな思いで普段生きているか全く想像が付かなかった。会ったらあれもこれも話したい。一刻も早く会いたい気持ちが募った。


その思いとは裏腹に、ヒースの捜索は難航した。簡単に目星が付けられるだろうと思ったバイオレットが甘かったのだ。ミデオンは余りにも広大で複雑に入り組んでおり、人で溢れかえっていた。ガイドブックを買い直し、あるカジノの前まで行ったが、バイオレットの姿を見るとすぐに追い払いにかかった。


「あの、すいません。ここのカジノのオーナーの方はヒース……クロックフォードという名前ですか?」


バイオレットは、ヒースの下の名前は馴染みがなかった。子供の頃は義理の父がいたので別の苗字だったのだ。


「1カ月前に雇われたばかりだからオーナーが誰かなんて知らないよ。あんたみたいな学生さんが来るところじゃない。行った行った」


相手はバイオレットの格好を見て女学生と思ったようだった。確かにカジノにはドレスコードがあるらしく、出入りする人は男も女もドレスアップしていた。またもやバイオレットはガラスに映った自分の姿を見て惨めな思いをする羽目になった。


(やはり服を買い直してカジノに入れるようにしないと駄目かしら……)


今のバイオレットには洋品店も敷居が高かった。孤独感が募って弱気になっていたのだろう、どこへ行っても田舎者と馬鹿にされる気がして外へ出るのもおっくうになってきた。


こんな時シュミット氏なら何て言うだろう。彼を訪ねたい気持ちはあったが、まだ退院したかも分からないし、家にいるとしてももう少し落ち着いてからの方がいいだろうと判断した。そうこうしているうちに、ヒースの居場所が見つからないまま2日が経過していた。

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