第20話 王子様との邂逅

外で花壇の手入れをしていたジョーイは、ぱたぱたと走って来たマーサとぶつかりそうになった。


「ごめん! ねえ、ジョーイ、トーマスどこに行ったか知らない? 建物の中にはいないのよ」


「トーマスなら町へ買い出しに行ったけど? 何かあったの?」


「緊急作戦会議を招集しなきゃ。ああ、どうしよう!」


マーサの焦燥ぶりから何やらただならぬことが起きたのだけは分かった。とりあえず厨房で仕込みの作業をしていたジムのところへ行って今いる3人だけで話し合いを行うことにした。


「ええ……? ロナンが来てるって!? なんでこんな時に? ボスが知ったら卒倒しかねないぞ」


「ボスはまだ部屋から出てきてないのよ。でもこうなったらずっと部屋にいてもらうしかないわ」


「そんなの現実的じゃないだろう。病気にでもなったのかと心配してお嬢様の方から会いに行くぞ」


「気を使ってくれなくていいからそっとしてほしいんだけど。トーマスなら何て言うかしら?」


こういう時にトーマスがいないので、話は一向にまとまらず、結局3人全員でヒースの部屋を訪ねることになった。


ヒースはくたくたのシャツにズボン姿というラフな恰好をしていた。普段からまとまらない髪は更にぐしゃぐしゃになって前髪で顔が見えにくいほどだった。そんなところへ、普段表に姿を現さないコックまでやって来て、ヒースは何事かと思わず身構えたが、事の詳細を聞いて愕然とした。


「なぜ……つい先日会ったばかりだからしばらくは来ないと思っていたのに……なぜ出張の帰りに寄ったりしたんだ……」


「ボス……お気持ちは分かりますが、ここは自ら本人を観察するチャンスだと思って会ってみたらどうでしょうか。ウィルの調査より多くの情報が得られると思いますが」


ジョーイが意を決したように言ったが、ヒースは目を宙に泳がせたまま考えあぐねていた。そしてやっと結論を出したのだが。


「帰る」


3人は思わずずっこけそうになった。ジムが慌てて遮る。


「ボス、このままモヤモヤした気持ちでミデオンに戻るよりも、何らかの決着をつけておいた方がいいですよ。逃げ続けるなんてボスらしくもない。こんな姿ミデオンの連中に見せられますか?」


マーサとジョーイはジムが思い切ったことを言ったのに驚いた。ボス相手にこんな口が聞けるのはジムが一番の年長者だからだろうが、だからと言って、普段はおいそれと言えないことだった。


「……そんなの分かってる。でも、人前に出ても恥ずかしくない、俺より遥かに立派な人物なら調べるまでもないんじゃないか?」


「大事なのは立派な人物かどうかじゃなくて、お嬢様を幸せにできることじゃないんですか!?」


「それを言ったら、ロナンしかいないだろう! 俺は裏社会しか知らないんだから、日の当たる道を歩かせられるのは——」


「そうじゃなくて、お嬢様が幸せと感じられるのは誰と一緒にいる時か、という意味です! どんなにいい男でも、お嬢様が嬉しく思わなければただの押し付けです! どうか冷静になってください!」


部下にここまで言われたら、普段のヒースならプライドがズタズタになっていただろうが、ことバイオレットの話題になるとぐうの音も出なかった。一言一句ジムの言う通りである。マーサとジョーイは、心の中でジムに拍手を送った。しかし、ヒースにはどうしようもできなかった。実に無様で滑稽だと自分でも思うが、どうしたらいいか分からなかった。


しばらく重苦しい沈黙が続いた。その沈黙を破ったのは、ドアのノック音だった。トーマスかと思いドアを開けると、意外な人物が立っていた。


「あら、皆さんヒースの部屋でどうしたの? 何か困りごとでも?」


入って来たのはヘレナだった。すっかり油断していた彼らは、一緒にいるところを見られて慌てふためいてしまった。


「あ、ちょっとルームサービスに不都合があって従業員が謝りに来たとこです……それより奥様、どんなご用事ですか?」


ヒースは目を白黒させながら咄嗟に嘘の理由を言いつくろった。


「もう奥様じゃないって言ってるでしょ。そういえばいつ帰るかまだ聞いてなかったと思って」


「それなら急用を思い出したので私はこれから出立しようかと……」


「あら、駄目よ。私一人で帰るの心細いから一緒に付き合って。行く前に念押ししたらしばらく大丈夫と言ってたでしょ。お願いね」


ヘレナは、ヒースの答えも聞かず勝手に決めて部屋を出て行ってしまった。後には呆気にとられたヒースと従業員たちが取り残された。


「奥様、おそらく先回りして止めに来たんですよ。だって随分強引だったもの」


「まさか。奥様はどこまで知っているのかしら」


従業員たちがひそひそと囁き合う中、ヒースは「もう出て行ってくれ!」と叫ぶのが精いっぱいだった。


**********


ヒースは疲れていた。自分の部下たちに、ヘレナに散々翻弄され、もうどうにでもなれという気持ちが働いていたのかもしれない。髪を申し訳程度に整えて、ようやく部屋から出てきた。


彼自身自己嫌悪に陥っていた。ジムの言う通りだ。ミデオンにいる部下たちにこんな無様な姿を晒したらあっというまに人心が離れてしまう。早く望み薄い恋に見切りを付けて気持ちを切り替えるべきだ。そのために、ロナンに直接会って彼の人となりを直接確認すれば諦められるかもしれない。そう思ってロビーをふらふらしたり、庭がよく見える応接室に足を運んだ。


ここにはいくつかのテーブルとソファのセットが置いてあり、食事をしたり、思い思いの席に座って庭の景色を楽しむことができる。ホテルに改装する時に、元々は一つの部屋だったのを壁をぶち抜いて一つの部屋にした。


ヒースが初めてこの屋敷に来た頃は簡単に入れる部屋ではなかった。それが、バイオレットと遊ぶようになってからかくれんぼをしたり、探検をしたりしてどこへでも行けるようになった。使用人の息子が自由に振舞うのをよしとしない者もいたが、何より主人が許可しているのだから表立って小言を言われることはなかった。だから柱の一つ一つやカーテンにすら思い出が詰まっていた。


この部屋には今、ヒース以外誰もいない。静まりかえった部屋に一人足を踏み入れた彼は、窓に近いところにあるソファに腰を下ろした。そろそろ冬が訪れる花壇は花盛りの季節に比べると少々寂しかったが、四季を通して何らかの花が咲くようにできており、冬に開花する植物が準備を始めていた。


ぼんやり外を眺めていると、ロナンが庭を歩いていた。写真でしか見たことがなかったが、明らかに彼だと分かった。ヒースは思わず逃げようとしたが却って目立つと悟り、動けなくなった。向こうがこちらに気付かないのを祈るしかない。しかし、こういう時は必ず気付かれるものだ。ロナンはヒースを認めると、軽く会釈しただけでなく、フランス窓を開けてこちらへ入って来た。


「どうも、隣いいですか?」


ヒースは平静を装ってどうぞとだけ言った。彼が人と接するのは金を返す、返さないと言った切羽詰まった場面が多かった。そんな生活をしていたら絶対に触れ合うことのない真面目で品行方正な紳士と普通の日常会話をする社交術は学んでこなかったのだ。


二人はしばらく庭の話をしていた。もっともロナンが話を振るだけで、ヒースの方は「ええ」とか「そうなんですか」としか答えられず、内心冷や汗を流していた。


「そういや、さっきバイオレットのお母様と話をされていたようですが、お知り合いなんですか?」


やっとロナンが自分に声をかけてきた理由が分かった。ぶしつけに尋ねてこない辺りがロナンの育ちの良さを物語っている気がした。


「ああ、昔母がこの屋敷に勤めていたんです。その頃からの知り合いで」


ヒースはやっと生返事以外の言葉を言うことができた。これならこちらからも質問しても問題なさそうだと彼は判断した。


「あなたも、バイオレットのお知り合いで?」


ヒースは、既にロナンの素性は知っているが、聞いておかないと不自然になると思った。洗いざらい調べられていると気づいていないロナンは、ざっくばらんに答えた。


「ええ、友人としてお付き合いをさせてもらってます」


その「友人」がいつ「婚約者」そして「夫」へと変わるのか、ヒースが本当に知りたいのはそこなのだが、もちろん聞けるはずもない。


「ご紹介が遅れました。私、ロナン・ヒューズと申します。バイオレットの知人の方とは知らず失礼しました」


相手に先に自己紹介されたら自分も名乗らないといけなくなってしまった。


「ヒース、ヒース・クロックフォードです」


ヒースは目を泳がせながら名前を名乗った。クロックフォードというのは顔も知らない実の父の苗字である。あちこちの家を渡り歩いて何度も苗字が変わったヒースにとっては、特に愛着のない名前だった。


「ヒース? ああ、あなただったのですね」


ロナンが驚いたように目を見開いて意外な反応をしたので、ヒースもびっくりして相手を見つめた。


「……と、言いますと?」


「いや、失礼。実は先日バイオレットとアップルシード村に行った時、昔の友人のことで彼女がひどく怒ったんです。その時に聞いた名前と同じだったのでつい」


初耳だ。一体何のことか分からず、ヒースは感情を抑えきれず「どういうことなんでしょうか!」と声が大きくなってしまった。


「ボブ……って言ったかな、彼女の昔馴染みという人があなたの話題を出したんですが、正直好意的な感じではありませんでした。そこでバイオレットが侮辱するなと怒って、珍しく感情的になったんです」


何ということだ、部下からの報告でも聞かされてなかった。ボブが何を言ったかなんてどうでもいい。バイオレットの反応が意外過ぎたのだ。


「あのバイオレットがここまで泣いて取り乱す相手とは誰なのだろうと正直羨ましい気持ちでした……ハハハ、すいません。変な話をしてしまって。どうかご気分を害さないでください。こうしてお話できてよかったです。これも何かのご縁かもしれません。以後お見知りおきを」


ロナンに握手を求められ、ヒースは上の空で返した。そしてロナンがその場を去ろうと腰を浮かせた時、突然声を上げた。


「あ、あのっ!」


急に呼び止められ、ロナンは肩をびくっとさせてヒースを見つめた。


「あ……あの……あなたはバイオレットを幸せにできますか?」


我ながら突拍子もない質問だと思う。初対面の人間に何を聞いているのだ。頭がおかしいと思われても仕方ないと思い、ヒースは下を向いてしまった。


「……できると思います。いや、幸せにしてみせます」


こんな質問でもロナンは真意を汲んでくれたようだった。静かな声だったが確かな自信があった。


「そうですか……」


ヒースは心の中で何かがストンと落ちた気がした。それが何かは分からない。安堵、諦め、失望。どんな言葉を当てはめてもしっくり来るものはなかった。


「あの……バイオレットを……どうかお願いします……」


ヒースは急に立ちあがって礼をしながらそう言うと、くるっと背を向けて部屋を飛び出した。ロナンはキツネにつままれたようにしばらくその場に立ち尽くしていた。

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