第14話 王子様の義憤

先日エレンの家に行った時もそうだったが、バイオレットは貴族同士の付き合いがご無沙汰すぎて、却って場違い感を覚えるようになってしまった。すっかり平民の生活が板についてしまっている。相手の顔色をうかがいながら腹の探り合いをするより、心から笑ったり怒ったりする生活の方が気楽だから、楽な方へと流れるのは必然だった。礼儀作法は一通り覚えているが、普段は使う機会がないのでこれで合っているか自信が持てずにいた。


ロナンの家は車で1時間程度かかり、バイオレットもたまに買い出しに来る東の大きな町の郊外にあった。閑静な住宅地の一角にある白い外壁の家がその屋敷だ。建物は古くはなさそうだが、近代的な設備が整っていて住みやすそうだ。古い屋敷の方が資産価値は高いが、時代に合わせて改修しなければならないので、実際は新しい方が住み心地がいいのだ。家の中は今流行りのモダンなデザインの内装で、それがバイオレットの目を楽しませた。


敷地と道路を隔てる柵にはつるばらが咲き誇り、庭にはコスモスが花開いている。そのコスモスを眺めながら、ロナンと初めて会ったのはまだ夏だったなと、時の経過を感じずにはいられなかった。


「お母様、紹介します。先日お話した友人のバイオレット・ヘイワード嬢です」


家族との顔合わせは、庭がよく見える日当たりのいいリビングで行われた。ロナンの母親は、黒っぽいドレスに身を包んだ上品そうな婦人で、籐細工のソファに座っていた。父は既に他界しているらしい。ロナンの家は、爵位はないものの由緒正しい貴族の傍系で、ロナンも長男として跡継ぎを作ることは期待されているはずだ。その相手としてバイオレットは値踏みされている自覚があったが、母親の方はそんな態度はおくびにも出さず丁重な挨拶を返した。


(きちんとした方だけあって、露骨な態度に出ることはないわね……問題は……こっち)


ロナンはわざわざ車でバイオレットを迎えに来て、車の中で家族について説明した。彼女に心の準備をしてもらうためだろう。いい話ばかりではなかったが、ロナンは「僕がいるから大丈夫」とバイオレットを励ました。


「バイオレット、こちらは姉のキンバリーだ」


そう、彼の話ではキンバリーが曲者らしい。ロナンより2つ年上の姉のキンバリーは、ロナンとは違ったタイプの華やかな見た目の女性だった。同い年の夫と少し離れたところに住んでいる。キンバリーは、バイオレットの境遇を聞いて借金がかさんで没落したことや、両親が別居していることを問題視しているらしいというのは、ロナンから聞いていた。


(まあ、確かに心配するのも無理はないけどね……)


バイオレットは内心そう思いながらも、にこやかに挨拶をした。キンバリーはあけすけにバイオレットをじろじろと見まわしながら、組んでいる足を戻そうともせず「よろしく」と言っただけだった。


予想通りだった。事前に話を聞いていたから特に驚きはなかった。没落した令嬢と裕福な紳士。財産目当てと思われても仕方がない。仕事をしているといいことばかりではないから、そういうものかと落ち着いて受け止められた。こういうことがあるから、苦労するのも悪いことばかりではない。


「バイオレットさんのお宅はアップルシード村の近くにあるのよね? いつからお住まいになっているの?」


口を開いたのはロナンの母だった。ティーカップを両手で持ち、紅茶を口に含んでからゆっくり尋ねた。


「500年くらい前から今の土地に定住したようです。先祖は軍人でしたが、戦で王を護衛した功績が認められ男爵位を賜ったと聞いています」


「まあ、うちより由緒正しい家柄なのね。ヘイワード男爵にもどこかのパーティーでお会いしたことがあるかもしれないわね」


母はふっくらした体を揺らしながら笑い、バイオレットも釣られて笑みを浮かべた。それを見ていたキンバリーが質問を挟んできた。


「領地の殆どを売却したと聞いてますけど、どの程度残ってますの?」


ロナンが間に入ろうとしたが、その前にバイオレットが口を開いた。


「借金の返済のためあらかた売却して、自宅と狭い庭だけが残っている状態です」


こんなことは嘘をついても仕方ないので正直に答えた。キンバリーはフンと鼻を鳴らしながらなおも質問をかぶせてきた。


「ホテルの経営状況は?」


これではまるで尋問ではないか。ロナンはたまらずキンバリーを止めようとしたが、バイオレットは「いいの。包み隠さずお話します」と彼を制した。


「最初は何も分からなかったので赤字続きでしたが、優秀なスタッフに囲まれようやく一定の利益が出るようになりました。しかし借金を返済しなくてはならないのでそれを差し引くと何とかギリギリやっている状況です。ただ、幸い利子が高くないので焦らず返済していこうと思っています。ですから、今のところは大きな問題はないかと」


その後もバイオレットはキンバリーの尋問によく耐えて答えた。ロナンが脇でハラハラしながら見ていたが、バイオレットは彼の立ち入る隙を与えなかった。一通りのやり取りが終わった後で、母は悪戯っぽい笑みを浮かべながら愉快そうな口調で言った。


「黙って見ていたけど、なかなか骨のあるお嬢さんね。ロナンが助けなくても一人で受けて立って見事だったわ。しっかりした方で安心した。ロナンは少し弱いところがあるから」


ロナンははっとした。もしかして、母と姉で示し合わせてバイオレットを試したのだろうか? 恐る恐る母に尋ねると「今頃気付いたの?」というような顔をされた。


「バイオレットの前でこんなことを言うのは悪いけど、不安材料がないかと言うと嘘になるでしょ。こういうのは最初に明らかにしておきたいから聞いておきたかったの。失礼な言い方になってしまって申し訳なかったけど、あなたは怒ったり、逆に卑屈になったりすることもなく冷静に答えてくれたわ。試すようなことをしてごめんなさいね。でも私も母もロナンには幸せになってほしいの」


キンバリーは先ほどまでの尊大な態度を和らげてにこやかな笑顔で言った。これにはバイオレットもびっくりしたが、確かに彼女らの心配はもっともと言えた。貴族の結婚というものは大抵が知人からの紹介だったりするが、突然ロナンが知らない女性を連れてきたら不安になるのも仕方がない。しかもそれが訳あり令嬢とあっては。バイオレットは、姉の態度は作り物だったと知って安心したが、ロナンはまだ腑に落ちないようだった。


「それなら普通に聞けばよかっただろう。彼女をわざと怒らせるようなことをして、テストするなんてフェアじゃない。本当に怒ったら『やっぱりこの娘は駄目だ』と言うつもりだったのか? 彼女を一段低く見ているからこそできる発想だ。それを言うなら、本当は彼女の方が爵位持ちで上の立場のはず。破産したとか、借金があるとか関係ない。彼女は彼女だ」


ロナンは誰に対しても優しくて常に穏やかな性格をしていた。だからこんな風に機嫌を損ねるのを見たのは初めてだった。これには、バイオレットだけでなく母と姉も固まってしまった。


「そこまでムキにならないでよ。こっちも本気でバイオレットのことを敵視したわけじゃないんだから」


キンバリーが言い訳をするように言ったが、ロナンは聞く耳を持たなかった。そのまま「行こう」とバイオレットの手を取って部屋を出て行った。


「ちょっと待って! お母様とお姉様に申し訳ないわ! こんな形で別れるなんて」


「これくらいやった方がいいんです、二人ともバイオレットのことを何だと思ってるんだ?」


ロナンは硬い表情のまま答えた。元々自己主張の激しくない彼がこんなにはっきり物を言う人だったなんて。バイオレットは自分でも何がどうなっているのか分からなくなってきた。ロナンは、「気分を変えるためにドライブでもしましょう」と誘って二人で車に乗った。


数十分の間、車はすいすいと郊外の田園風景を走り、やがて小さな湖畔で止まった。湖の周りには小さな遊歩道があり、二人は車から降りて歩くことにした。しばらく歩いていると、ロナンが「さっきはすいませんでした」と小さな声で謝った。


「あなたは何にも悪くありません。お母様とお姉様だって悪気はなかったはずだわ」


「でもあなたを試すようなことはしてほしくなかった。僕を本当に信用していればこんなことはしなかったはずだ。あなたももっと怒っていいんですよ。」


「怒るだなんてそんな……私に不安材料があるのは本当のことだし」


「それなら僕だって一度結婚してるし、相手の女性からすれば不安材料を持っています。でもあなたのお父様は僕を試すようなことはしなかった。それが本来あるべき形なんです。あなた自身、自分を低く見積もっている気がします。もっと自信を持ってほしい。今の世の中で女性が起業するのは大変なことだ。僕はそんなあなたを尊敬しています」


ロナンは、バイオレットをじっと見つめたまま真剣な表情で訴えた。バイオレットは思ってもみなかったことを言われ、何も言い返せず頬を紅潮させた。いつのまにか自分は卑屈になっていたのだろうか? そんなはずはない、ホテルで働くのを誇りに思っている。ロナンに反論しようと思ったが、なぜか言葉が出てこなかった。確かにロナンが言うまでバイオレット自身母と姉が正しいと思い込んでいた。でも今はロナンの言うことも理解できる。彼女はどうしたらいいか分からず、うつむいて唇をかんだ。


「正直よく分かりません。もし私が卑屈になっていたとしたら、今まで無理をしていたことになります。でもそんな自分を認めたくないんです。だって私には幸運の神様がついているから」


「いいんですよ、ゆっくり考えてください。時間はたっぷりあるのだから。すぐに分かる必要はありません」


戸惑うバイオレットに、ロナンは優しく声をかけた。その優しさが身に染みる。辺りは既に暗くなりかけていた。その日はロナンがホテルを取っておいてくれて、そこに一人で泊まることになった。明日の朝また迎えに来ますと彼は言い、車に乗って去って行った。


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