第11話 ボスの差し金

「おい……なんだよそれ。そういうのは昨日のうちに報告しとけって」


「緊急じゃなけりゃぶん殴ると言ったのはお前だぞ」


「夕べは色々あったからしょうがねーんだよ……二日酔いだから大きな声で話さないでくれ……頭がガンガンする……」


バイオレットから見えないところで、トーマスとジョーイがこそこそ会話をしていた。トーマスは、今日は勤務日だが昨夜の疲れが大分残っているようだった。


「ボスが知ったら口から泡吐いてぶっ倒れるぞ。これは報告しないでおこう」


「あんたたち、なにこそこそ話してるのよ。給料下げてもらうように言うわよ」


マーサが洗濯かごを持ったまま彼らの脇を通り過ぎた。トーマスの横を通った時、すねを蹴飛ばすのも忘れなかった。


「いてっ! もう勘弁してくれよ! ほら、これあげるからさ」


トーマスはマーサの前に回り込んで進路を阻むと、リボンでラッピングした可愛らしい箱を渡した。


「何これ? どこの店よ?」


「ヘイワード・インの有名シェフ、ジムの手作りスイーツです! 急ぎでこんなのしか用意できなかったけど、味は保証付きだから、なっ」


「何言ってんのよ。ジムの手料理なんてまかないでいつも食べてるわよ。ふざけないで」


マーサは箱をトーマスにつき返そうとしたが、トーマスは押しとどめた。


「このおしゃれな箱とリボンは俺が用意したんだ。大の男がきれいに蝶々結びするのに四苦八苦したなんてかわいいだろう? だから許してくれよ」


女子心をくすぐるラッピングをトーマスが自分でしつらえたかと思うとさすがにおかしくなった。マーサは不承不承受け取り、その場で中に入っていた小型のマドレーヌをぽいと口に入れた。


「あら、おいしい」


「だろう? ジムはスイーツも得意なんだ。ボスがテストした時の課題もチェリーパイだったからな」


「確か、ここでお嬢様と一緒に食べた思い出のお菓子なんだっけ? 案外乙女なところあるよな、あの人」


ジョーイがマーサのお菓子をうらやましそうに眺めながら口をはさんだ。


「乙女も何も、お嬢様の前ではぐでぐでだよ。ミデオンの連中には絶対見せられないな」


「今度はボスはいつ来るの?」


「さあ、こっちにも連絡来るはずなんだけど。予想に反してあの坊ちゃまの滞在中には来なかったな」


トーマスはロナンの方を見ながら言った。そのロナンは今日が出立の日で、バイオレットに別れの挨拶をしているところだった。


「また近いうちに来ます。あなたのお仕事を邪魔する形になってしまいますが、大丈夫ですか?」


バイオレットの代わりに先にエレンが答えた。


「もちろんよ! ねえ、バイオレット! 二人も打ち解けたようだし、私はそろそろお邪魔かしら?」


「あら、また来てよ、エレン。ロナンさんもお願いします。今回はお恥ずかしいところをお見せしてしまったので、名誉挽回の機会をいただけると嬉しいわ」


「私も、あなたにアプローチする資格を持ってもよろしいでしょうか?」


ロナンがいきなり妙なことを言い出したので、バイオレットもそばにいたエレンもえっと固まった。


「私はあなたとは出会ったばかりで、それまでのあなたを知りません。心の中に既に誰かがいるのだとしても……それでも私もレースに途中参加してもよろしいでしょうか?」


エレンは両手で口を押さえてそのまま動けなかった。バイオレットも頭が混乱してどう返したらいいのか分からない。


「レースもなにも……そんなものは最初からありませんわ。ただ私はゆっくり考えたい……そんなことを言っていられる年ではないのは分かっているんですけど、慌ててもいいことがないと思うんです。まだお互い知り合ったばかりですし……ご理解いただけるでしょうか?」


「もちろんです。私も同意見です」


「よかった。では今後とも変わらぬお付き合いを、ということでよろしいでしょうか?」


「ええ。決して急かせることはしませんから。あなたにも私のことをよく理解した上で決めていただきたい。これからもよろしくお願いいたします」


バイオレットはほっとする自分に気付いてしまった。結局言い訳を取り繕って結論を先延ばしにしているだけのような気がする。ロナンの真面目な心をもてあそぶ形になってはいないかと思うと胸がちくりと痛んだ。


「ねえ、すごいじゃないの、いつの間にそんなに進展してたのよ? この分だと私の出る幕は本当になさそうね。でも、他に誰か気になっている人でもいるの?」


ロナンが先に外に出た隙を見計らって、エレンがこっそり囁いた。


「別にいないわよ。幼馴染を侮辱されて切れたことを言ってるのかしら」


ヒースのことを話題に出されると、バイオレットはどうしても気持ちが落ち着かなかった。確かにただの幼馴染なのに、こんなに心がざわつくのはなぜなのだろう。


バイオレットは、エレンとロナンを見送ってほっと一息ついた。朝からすごくぐったりした気がする。まだそんなに働いてないのに。少し時間が空いたので、自室で休もうかと思ったら大事なことに気が付いた。


(そういえば、まだ今月クラーク氏から手紙が届いてないわ)


クラーク氏からはきっちり1カ月に1回のペースで手紙が届いていた。それが今月はまだ届いていない。2カ月近く期間が空いていることに今更気付いて驚いた。そういうバイオレットも、あんなに手紙を心待ちにしていたのになんで今まで気が付かなかったのだろう?


「バイオレット、手紙が来てるよ。いつものクラークさんからだ」


彼女がそう考えていると、まるで頃合いを見計らったかのように、父が手紙を持って来た。バイオレットは心の中を見透かされたように感じてびっくりしてしまった。何というタイミングだろうか。


いつもの筆跡。いつもの封筒。やはり手紙を見ると落ち着く。バイオレットは、自分の部屋に入り一人になったところで封を切った。透かし模様の入った便箋にラベンダーの香りも変わってなかった。


「返事が遅れてすいません。今回はひどい嵐に見舞われて大変でしたね。私もハラハラしながらニュースを聞いていました。大きな損傷もなく、皆さんが無事だったと聞いて安心しました。何か困ったことがあったら私も力になりたいのでぜひお知らせください。嵐の影響でリンゴが沢山落ちてしまったと聞き、残念な気持ちになりました」


あれ? リンゴが落ちた話は手紙に書いたっけ? バイオレットは自分の記憶に自信がなくなってきた。もしかしたら、ニュースで嵐の被害を聞いてクラーク氏が連想したのかもしれない。手紙が遅れるくらい忙しかったようだし、記憶の混乱はよくあることだ。


今回はバイオレットもすぐに返信を書くことにした。前回は嵐の後始末と重なり遅れてしまったのだった。こういうことは思い立ったらすぐに取り掛かるに限る。彼女は机の引き出しから便箋を取り出した。


「ご心配いただきありがとうございます。こちらは平常運転に戻りましたのでご安心ください。最近昔の友人が立て続けにこのホテルに来てくれて楽しい日々を送っています。もう会うこともないと思っていた幼馴染や学生時代の友人が、変わらぬ友情を示してくれてとても嬉しいです。その一方で、こんな行き遅れの私とお付き合いしたいという方が出てきて、びっくりしております。お相手の方は申し分ないくらい立派な方で、正直私にはもったいないと思えるくらいです。それなのに、私は人生に変化が起きるのを恐れています。こんな私の背中を押してください、なんて言ったら不躾に聞こえますよね、ごめんなさい。でも、あなたから人生の先輩としてアドバイスをいただけたらなんて甘えたい気持ちになっています」


会ったことすら覚えていない人物ではあったが、バイオレットは手紙の文体からクラーク氏を自分より年長者の紳士と考えていた。これまでにも私的な相談をしたことがあったが、簡潔で的を射た返事が必ず返って来た。その内容からもクラーク氏は聡明で落ち着いた大人だと思われた。だから今回も軽い気持ちで書いたのだ。


バイオレットが手紙を出してから1週間くらい経った日のことだった。この宿は、近くの街道を行き来する旅人か、一定期間静養する観光客が殆どだった。ビジネスマン風のぱりっとした、しかし少しあだっぽいスーツを着こなしその上からトレンチコートを羽織った人物はあまり見かけなかった。


「失礼ですが、ヘイワード・インはこちらですか?」


髪を後ろにまとめ、金の細い丸縁の眼鏡をかけた神経質そうな青年は、今しがた高層ビルから出てきましたというようないで立ちで現れ、バイオレットに尋ねた。


「え? ええ。そうですが」


「しばらくここに滞在したいので一部屋借りたいのですが、部屋は空いてますか?」


「日当たりのいい南側の部屋が空いてますわ。きっと過ごしやすいと思います」


バイオレットはこの異質な客に戸惑いながらも、淡々と対応した。そこへ、トーマスがやってきて「お部屋へ案内いたします。お荷物をお持ちします」と言い、宿泊客の荷物を持ち上げた。


客室まで来たところで、荷物を部屋に入れたら普通はそのまま退室するはずだが、トーマスは部屋に入り込みドアを閉め、客に対し鋭い視線を投げかけた。


「それで用事は何だよ、ウィル? ボスの差し金か?」

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