第10話 アップルシード村

エレンに伝えたら案の定「それデートのお誘いじゃない! 行ってきなさいよ! 邪魔者は着いて行かないから大丈夫! 楽しんできてね!」と興奮ぎみに言われてしまった。いや、エレンが一緒の方が心強いのだが到底許してくれないだろう……バイオレットは途方に暮れたが仕方がなかった。


そんな訳で、仕事が空いた時間帯にロナンと一緒にアップルシード村まで歩くことになった。行く途中で何人かとすれ違って挨拶をした。落ちぶれたとはいえ、バイオレットは今でもこの辺一帯では貴族のお嬢様である。従業員としてホテルに通いで来ている村人もいるので、彼女の顔を知らない者は殆どいなかった。見慣れない紳士がバイオレットと一緒に歩くのを見て、村人たちは何かを察したのか、含み笑いをしていた。


(もうっ! そんなんじゃないのに……)


反論したくても直接言われたわけではないので、バイオレットは一人赤面したまま何も言えなかった。あっという間に噂が広がって「バイオレットに恋人ができた」と言いふらされるまでに、時間はかからないだろう。


アップルシード村は、10分もあれば端から端まで行きついてしまうほどの小さな集落で特に見るところもないのだが、都会育ちのロナンには田舎の景色が新鮮に映るようだった。家々は明るい茶色の外壁で統一され、色とりどりの花が窓の周りを飾っている。子供の頃絵本で見た田舎の風景とそっくりだとロナンは感心したように言った。そこでバイオレットはガイド役として、村の歴史や旧跡などを説明してやった。


「村の広場に井戸がありますね。大分昔に作られたようだ」


「400年は優に経ってますね。ここにヘイワード卿建立って書いてあるでしょう。うちの先祖が作ったんです。でも100年くらい前異常気象で農作物が取れなかったことがあって、その時の領主が私財をなげうって村を飢饉から救ったんです。それ以来すっかり貧乏になって、とうとううちの代で破産しました」


バイオレットは自嘲交じりに笑いながら説明した。


「今は各家庭に水道が引かれているけど、昔はここで生活用水を汲んだようです。今でもおばあさんたちが野菜を洗ったりします」


「面白い場所ですね。私は都会育ちなので色々目新しく感じます」


「そうですか? 私は都会に行ってみたいなあ。首都のミデオンも数時間で行けるのは知ってますが、まだ一度も行ったことがないんです。母がそこに住んでるんですけどね」


「ほう、お母様が?」


「ええ、悪い人じゃないんだけど自由奔放というか、自宅をホテルにするときも『平民のように働けない』と言って家を出て行ったんですよ。それだけだとひどい話だけど、借金の返済のためあちこち奔走したり、陰では色々してくれたみたいです、父の話では。全然違うタイプなのになぜか離婚しないんですよね。たまに二人で会ってるみたい。よく分からない夫婦です」


今朝ロナンが胸の内を明かしてくれたことで、バイオレットも自分の話をしやすくなった。両親が別居しているのは好材料ではないが、どの道知られてしまうことだ、それなら今話したって同じだろう。


「あとお兄様がいらっしゃるんですよね?」


「ええ、32歳で軍隊に入ってます。とても優しい兄です。なかなか帰ってこれないんですけど、家を手放したくないと思った理由には、兄が帰って来る場所がなくなってしまうというのもあって。その話を本人にしたら気にしなくていいと言われましたけど。兄はお給料の殆どを仕送りと借金の返済に充ててるみたいで、まだ独身なのはそのせいなんじゃないかと思うんです。やめてと言ってもやめてくれません。だからそのためにも早く借金は返済したいんです」


バイオレットは包み隠さず話した。ロナンが正直に話してくれたのだから、自分も同じようにするのが礼儀だと思ったのである。本当は両親の別居や借金の話は避けたいところだが、結婚を前提として付き合うのなら説明する必要がある。しかし、そこまで考えたところで「結婚? この人と? ちょっと待って心の準備ががが」と頭がパニックになってしまった。


「あの……これは仮定の話でまだ何にも決まってませんが、もし話がまとまったら私がその借金を……いえ、今のは失言でした。忘れてください。こんなことであなたの心を縛ってはいけない。そんなことは関係なくあなたは自由に選ぶ権利がある」


ロナンは言いかけたことを慌てて打ち消した。バイオレットには分かっていた、もしロナンと結婚すれば借金をロナンが肩代わりしてくれるという意味だと。しかし、そんな理由で結婚を決めるつもりはなかったし、ロナンもそれは分かってくれるようだ。「ありがとうございます。お気持ちだけで嬉しいです」とだけ返しておいた。


それから二人は沈黙したまま村の大通りを歩いていた。すると、向こう側からバイオレットを知っている人物が声をかけてきた。


「バイオレットお嬢様じゃないですか! お久しぶりです! 覚えてませんか、ボブですよ。昔一緒に遊んだでしょう。お家で母のジャンナが働いていました」


顔を見ただけでは誰か分からなかったが、説明で思い出した。ヒースの義理の兄だった。確かに一緒に遊んだことは覚えているが、この兄はヒースを仲間外れにしてよくいじめていた。バイオレットはヒースと仲良くなったため、だんだん疎遠になっていったのだった。


「ああ、久しぶり! すっかり大人になったので分からなかったわ。ごめんなさい!」


「お連れの方はどなたですか?」


本来身分が上の者にそのように尋ねるのはご法度なのだが、今は自分も落ちぶれ令嬢であり気にしてられないと思い直し、そ知らぬ振りをしてロナンを紹介した。


「お嬢様が殿方を連れて歩くなんて初めてだからびっくりしましたよ。でもお嬢様も身を固めるみたいでよかった。こないだヒースの野郎が久しぶりに現れたという話を聞いて嫌な予感がしたので」


「その話どこで聞いたの?」


バイオレットはヒースの名前を聞いてぎょっとした。


「働きに行っている者から聞きました」


そうだ。別に隠し立てしていたわけではないから噂が広まるのは仕方ないことだった。


「久しぶりに会ったけど元気そうだったわ。すっかり立派な紳士になっていたわよ」


バイオレットはヒースの名誉を守ろうとしたが、ボブはせせら笑っただけだった。


「まあ所詮は……ですから。とにかく余り会わない方がいいですよ。変な噂しか聞きませんからね」


「変な噂って?」


バイオレットがいきなり声を上げたので周りにいた者までびっくりした。


「ヒースは昔も今も同じよ。付き合う人間ぐらい自分で決めるから口出ししないで!」


バイオレットはぴしゃりと言うと、ずんずんと大股でその場を去って行った。ロナンはびっくりして慌てて後を追いかけた。残された者たちは呆気にとられたままだった。


「あ、あの、バイオレット?」


ロナンはバイオレットに追いついて声をかけた。


「ヒースというのは一体……もしかして泣いてる?」


バイオレットは歩きながらいつの間にか悔し涙を流していた。自分でもなぜこんなに感情が高ぶるのか分からない。


「ごめんなさい……取り乱してしまって。ヒースというのは私の幼馴染なんです。うちで働いてた使用人の息子で。今会ったボブはヒースの義理の兄なんだけど彼をいじめていたの。それだけなら昔の話で済むけど、今になっても侮辱するから腹が立って」


ロナンはバイオレットの話を黙って聞き、自分のハンカチを差し出した。バイオレットは顔を赤くしながら礼を言い、ハンカチで涙を拭いて何度か深呼吸した。


「ヒースという人を大事に思ってるんですね。そこまで泣けるということは」


しばらくしてロナンがぽつりと言った。


「え? ええ。大事な友人だから悔しかったんです。いくらなんでもひどいと思って」


バイオレットにはそれ以上の気持ちはなかった、少なくとも彼女はそう思っていた。しかし、帰り道ロナンは口数が少なかった。その理由は彼女には分からなかった。


**********


「おかえり~! 二人ともデートはどうだった? って……あらら?」


二人の帰宅を楽しみにしていたエレンだったが、二人の様子が予想と違っていたので戸惑ってしまった。


「何かあったの……? バイオレット、あなた目が腫れているじゃない!? 泣いたの? どうして?」


「エレン、バイオレットをそっとしてやってくれ。途中まではよかったんだが、昔の知り合いに会って少しトラブルになったんだ」


「トラブル!?」


エレンはびっくりして声を上げた。


「幼馴染を悪く言われてバイオレットが傷ついてしまった。古くからの友人らしいんだ」


横で仕事をしながら会話を聞いていたジョーイはぎょっとした。まさかその幼馴染とはヒースのことではないか!? ジョーイもまた、ヒースに見いだされてこのホテルに派遣された一人である。復員兵のジョーイは足を悪くして再就職先が見つからずミデオンでホームレスをしていた。そこでヒースと知り合ったのだ。


すぐにトーマスに知らせなければ。しかしトーマスは、マーサと一緒にパーティーに行くと言っていた。あと数時間しなければ戻ってこない。どうしようかと迷っていた時、予定よりかなり早く二人が帰って来た。


「もうっ! せっかく楽しみにしていたパーティーなのに、あんたのお陰で台無しよ!」


マーサはいつもよりかなり派手な格好をしていた。今流行りの露出多めなひざ丈のワンピースにアクセサリーをじゃらじゃら着けていた。当然、化粧もかなり濃いめだった。


「しょうがねーだろ! まさか昔の女が来てるとは思わなかったんだから!」


トーマスもいつもの従業員の姿とはがらっと変わって、ヒースの下で働いていた頃を彷彿とさせる姿だった。髪をオールバックにし、スーツも最新の流行を取り入れたものを着ている。しかし、少し服装が乱れ、かなり酒臭かった。


「過去の女関係くらいきちんと清算しなさいよ! あそこで痴話喧嘩が再燃するとは思わなかったわ!」


「こっちは清算したつもりだったんだよ! 5年以上も経っているのに蒸し返すほうが異常だろ!?」


二人の会話で何があったかは大体察することができた。しかしそんな下らないことで喧嘩をしている場合ではない。


「なあ、トーマス、聞いてくれよ」


「うるせーよ! 俺は今話を聞く気分じゃねーんだよ。明日にしてくれ」


「頼むよ。ボスの話なんだよ」


ボス、という単語を聞いてトーマスはぴくりと止まり、不機嫌な顔をジョーイに向けた。


「それは緊急の用事か、明日でも問題ない話か? 後者と判断したらお前をぶん殴るがいいか?」


そこまで言われたらジョーイも「明日で……いいです」と答えるしかなかった。


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