第9話 王子様の秘密

ヒースが去ったと思ったら今度はロナンだ。バイオレットは慌ただしい生活が続いた。でも入れ代わり立ち代わり旧友が会いに来てくれるなんて、今までなかったことだ。ただせわしく働くだけだった毎日が彩りのあるものに変わったのもまた事実である。


「やっほー! また来ちゃった! 我が家に帰ったみたいにここは居心地がいいわ」


エレンは女学生に戻ったようにはしゃぎながら入って来た。その後から夫のマットとロナンが苦笑しながら着いて来る。


「こらこらエレン、今回はロナンに僕たちが着いて来ただけだからな。いくらバイオレットが好きだからって独り占めしたら駄目だぞ」


「分かってるわよ! そんな野暮なことはしないって! でもロナンだけじゃ何にも進展しなそうじゃない? 紳士なのはいいけど紳士すぎるのも考えものだわ」


マットがエレンを軽くたしなめると、エレンはすねるように反抗した。その様子がかわいらしくて、バイオレットは二人の仲の良さを微笑ましく思った。


「こんにちは。また会えて嬉しいです。数日間ですがよろしく」


ロナンは礼儀よく挨拶した。先日よりは軽装だが、やはり質のいいものを身に着け、趣味のよさが垣間見える。初めて会った時より硬さも抜けてリラックスしている様子だ。


その日の夕食は、バイオレットも一緒に皆で食卓を囲んだ。従業員たちが気を利かせて仕事を空けてくれたのだ。昔は絵を飾っていた部屋を改装した、ちょっとしたパーティーや会議に使える部屋でささやかな夕げの場を設けた。通常の業務だけでも忙しいのに、ジムが特別なディナーを用意してくれてバイオレットは感謝した。落ち着いて会話を楽しみながら夕食を摂るなんて久しぶりだ。


「バイオレット、このパイ包みおいしい! 派手じゃないけどこのホテルの雰囲気にはぴったりだわ」


「でしょでしょ? ジムはミデオンの高級ホテルで働いていた優秀なコックだけど、あえて家庭料理に近いものを作っているの。その方がお客様も喜ぶって。確かにその通りだったわ」


「スタッフも一流の方を集めているようですね。先ほど庭を散歩していたら、外仕事をしている従業員に会って、この辺に植わっている木のことを聞いたらとても親切に詳しく教えてくれました」


「それはきっとジョーイだわ。庭師を雇うほどの余裕はないから自然に任せてるところもあるけど、ジョーイには外構全般を任せているんです。庭仕事は元々専門じゃなかったけど、あっという間に知識を吸収して改良を重ねてくれて、本当に頼りになります」


ロナンは3人の会話をにこにこして聞いていた。押しの強いタイプではなく、エレンの言う通り「二人だけじゃ何も進展しない」というのはあながち嘘ではないのだろう。そういうタイプの方がバイオレットに合っていると言えた。


「館内を回ったけど、本当に居心地のいい邸宅で僕も気に入った。ここを大事に思う気持ちがよく分かりました。それに従業員をとても大事にしている」


それまで聞き役に徹していたロナンが口を開いた。見た目も素敵だが、声まで耳に心地よくて相手を魅了する。なんでこんな完璧な紳士が私と話をしているんだろうとバイオレットは思った。


「ええ、そうなんです。何があっても私はここを離れられないんです。従業員も家族みたいなものだし。だから私は結婚相手には向かないと思って……ごめんなさい! でも最初に言っておきたいから……もし結婚してくれる人がいたらここに一緒に住んでくださらないと……もちろん無理なお願いとは分かっているけど……」


バイオレットは言うなら今だと思い、気がかりだったことを口にした。バイオレットがホテルを離れられないのを理解してくれる人でないと進展は望めない。


「分かりますよ」


バイオレットは答えを聞くのが怖かったが、ロナンは事もなげに言った。


「あなたにとってこのホテルは命に代えても守りたいのでしょう。それだけ大事な物があるのは素晴らしいことです。それは結婚したからと言って変わるものではありません。夫婦は運命共同体だとしても、譲れない一線があるのは自然なことと思います」


「ではご理解いただけますか……!」


バイオレットはぱっと顔を輝かせた。


「理解もなにも、私はあなたのそういうところに惹かれたのです。あなたがそれだけ大事にしているこのホテルを見たくて来たのですから」


二人のやり取りをそばで聞いていたエレンは、バイオレットの発言に最初は冷や冷やしたが、ロナンの完璧な返しを聞いてほっとした。ということは、ロナンもここに一緒に来て同居してくれるという話でいいのだろうか。いやいや、それはまだ話が早い。こういうのはちゃんと手順を踏んでからじゃないと。


一方、バイオレットはロナンが彼女を肯定してくれて安心した一方で、「惹かれた」という発言が引っかかって仕方なかった。興味を持った、の言い間違いだよね、うん、うん! と慌てて思い直した。


夕食会はとても楽しかった。デザートのプディングが終わってしばらく紅茶を片手に雑談をした後、予定を大幅に超えてやっとお開きになった。他の者たちは客室へと戻り、バイオレットが食器の片づけをしていると、マーサが手伝いにやって来た。


「どうでした、ロナン様は?」


「どうかって聞かれても……穏やかで優しい方に見えたわ。私が結婚してここに残るのも反対しないって」


「そうなんですか! 心の広い方ですね!」


どうも従業員たちはロナンのことが気になるようだった。確かに気になってもおかしくないが、探りを入れに来るのが少ししつこい気がする。しかし、これらもヒースの指示によるものだとは、バイオレットは気付くはずがなかった。


翌日、箒で庭を掃いているとロナンが一人で歩いていた。おはようございます、昨日はよく眠れました、という一通りの挨拶が終わった後、ロナンはバイオレットに話を切り出した。


「私は、あなたの話ばかり一方的に聞いて、自分の話をしてないことに気が付きました。そのことが申し訳なくて」


「あら、私の方こそ、仕事の話をここまで熱心に聞いて下さる方なんて初めてだったから、つい調子に乗ってしまいました。あなたが申し訳なく思う必要なんてありませんわ」


バイオレットは気にも留めなかったが、ロナンの方は一人で考えていたようだった。


「エレンから、私が初婚でないことは聞いているでしょう。23歳の時に前の妻と結婚したんです。ジェーンと言って私より3つ年下でした。結婚はするものだと漠然と思ってたし、親戚からの紹介で何となく。ジェーンは自己主張しないタイプでおとなしい女性でした。夫婦仲は悪くなかったけど、特別よかったという訳でもありません。死因は病気です。珍しい変性疾患を発症したのです。彼女の死後私がいつまでも再婚しないのは妻のことが忘れられないからだと言われましたが、正直そこまでではありませんでした。確かに悲しかったけどどこか遠くの出来事にように見ている自分もいました。若くして死んだ妻はさぞかし無念だっただろうに、なんで自分は身を切られる程悲しくならないんだろう。親や友人の方が嘆き悲しんでいるのを見て、自分という人間が信じられなくなったのです。それで自分は結婚には向いてない人間なのだと思うようになりました。周囲の勧めがあっても気乗りしなかったのはそのせいです」


ロナンの突然の告白にバイオレットはすぐに言葉が出なかった。何も言えずに彼を見つめていると、その視線に気づいたロナンは、恥ずかしそうに視線を落とした。


「朝から重い話をしてすいません。あなたには話しておかなくてはと思ったら、待っていられませんでした。なんでこんなことを打ち明けたかというと、あなたには隠し立てをしたくなかったからです。みな私のことを『妻に先立たれた哀れな男』と同情してくれますが、そんな資格はないのだと。それでも一歩を踏み出してもいいのかとずっと迷っていました。こんなことを打ち明けるのはあなたが初めてです……」


バイオレットはどう返したらいいか分からなかった。ただ、彼女を見込んで打ち明けてくれたことだけは理解できた。しばらく考えたのち、やっと口を開いた。


「そんなことをお話しするのは勇気が要ったでしょう。あなたは自分のことを冷たい人間だと思ってらっしゃるようですが、本当に冷たい人は自分に結婚する資格はないなんて考えませんわ。悲しみを表出するといっても、激しく感情を出す人もいれば、じっと耐え忍ぶ人もいます。あなたの場合は心が麻痺して何も感じられなくなったのではないでしょうか。それもまた悲しみの表現の一つの形で、どれがいいか悪いかという問題ではないと思います。だから、ご自分を責めないで。奥様は分かってらっしゃると思います」


今度はロナンが言葉を失う番だった。彼は、目を丸くして彼女をじっと見つめた。


「嫌われても仕方ないと思っていたのに……逆に励ましてくれるなんて……心が救われました。あなたは努力家なだけでなく優しくて聡明な方だ。正直自分にはもったいないと思います…………あの……午後時間が空いた時、村を案内してくれませんか?この辺の様子を知っておきたくて」


えっ、とバイオレットは一瞬びっくりしてしまった。これは、デートのお誘いということなのだろうか。ロナンも案外世慣れてないのか顔を赤くして視線をそらしてしまった。結構もてそうな人なのに、と思ったらなぜか彼がかわいく思えて「ええ、いいですよ」と答えてしまった。


返事を聞いたロナンはほっとした表情で去って行った。全てが終わったあとでバイオレットはどうしよう! と我に返って一気に顔が真っ赤になったが、既に時遅しだった。エレンが知ったら何て言われるだろう? 今日は朝から波乱含みのスタートとなりそうだ。

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