第8話 幼馴染はこじらせ中

「はっはっはっ。コレクションの話を聞いてくれるのは君だけだよ。みんな忙しくてそんな暇ないし、バイオレットにはお金使いすぎだって怒られるんだから」


ヒースはこちらへ来てからというもの、父チャーリーの話し相手になることが多かった。ランチが終わった後の比較的ゆっくりした時間に、チャーリーは食堂室のテーブルにコレクションのティーカップをずらり並べ、一つ一つ解説をしていた。


優美な花柄模様、金箔でデコレーションされたもの、最近流行のモダンな幾何学模様などなど様々なデザインのティーカップがテーブルを占めていた。父は趣味の話を聞いてくれる友人がいないといつも嘆いていたから、バイオレットにとっては渡りに船だった。この収集癖は家が破産する前から始まっていた。


もうそんな贅沢な趣味ができる身分ではないと何度も言い聞かせているのに、この趣味だけは手放してくれなかった。自宅を改装してホテルにしたいと突拍子もない願いを聞いてくれたこともあり、バイオレットは強く出ることができなかった。このお金のかかる趣味以外はホテルの仕事も手伝ってくれるし、元の部屋を追われて狭い部屋に押し込められても文句を言わない優しい父なのだが。


「ごめんなさいね。私たちが相手する暇ないからってあなたに押し付けてしまって。もっとゆっくりしててもいいのよ」


「お父さんの話は面白いよ。僕も仕事で骨とう品を見ること多いから色々興味深かった」


「そうだったのか! ヒースは今どんな仕事をしてるんだい?」


「ええと……金持ち相手の仕事してるんで……目利き……みたいなこともするんです……」


ヒースが目を泳がせながら答えるのを、廊下からマーサとトーマスがはらはらしながら覗いていた。


「お父さんの相手も程ほどにね。はい、これ」


バイオレットはそう言って、ヒースの前に大きめのマグカップを置いた。


「あれ、これもしかして?」


「もち麦や豆を甘く煮てドロドロに溶かした栄養ドリンクよ。背だけ高くなっても不健康そうだからちゃんと食べてるか心配なの。ここにいる間だけでも栄養摂って元気になってね」


そんなことをしたら容量オーバーになってしまうとトーマスたちが危惧した通り、ヒースは一瞬魂が抜けたように動かなくなった。バイオレットが「あれ? どうしたの?」とびっくりして尋ねるとはっと我に返り、「ちょっとごめん」と突然食堂室を飛び出した。


変なことしたかしら? とバイオレットがおろおろしていると、しばらく経ってから「ごめん」と言いながらヒースは戻って来た。その間1,2分だったが、よくこんな短時間で気持ちを整えられたなとトーマスは呆れつつも感心した。


「本当に大丈夫?」


「う、うん。さっきはごめん」


「こういう時はありがとうでしょ。あなた謝ってばかりなんだから」


バイオレットが呆れたように言うと、ヒースは顔を赤らめた。そうだ、昔ここにいた時もそうだった。バイオレットの前では卑屈な自分がよみがえってしまうのだ。もごもごしながらお礼を言ってからドロドロした液体を飲んだ。はちみつで甘さを加えたそれは飲みやすく、具合悪くて栄養が取れない時にも重宝しそうだった。生姜も入っているため身体がポカポカしてきた。


「……おいしい。思い出した、これ前にもいただいたことある」


子供の頃、バイオレットの母親がこれを飲ませてくれたことを思い出した。ヒースは義父からしばしば食べ物を与えられず、バイオレットの家に行って食べさせてもらうことで命を繋いだことがあった。そんなことが度々あったせいか、今でも胃腸が弱く食が細い。


「でしょ、でしょ! ヘイワード家直伝の味よ! おかわりする?」


「もしかしてこれジムじゃなくてバイオレットが作ってくれたの!?」


「そうだけど……なぜあなたがうちのコックの名前知ってるの?」


バイオレットがきょとんとした顔で尋ねると、ヒースはしまったと言うように口を押さえた。


「そのっ……! 昨日の夕食がおいしかったから、もしかしたら一流店で修業した人かなと思って、従業員に名前を聞いてみたんだ……」


普段なら絶対しないであろうミスにトーマスたちも肝を冷やしたが、バイオレットはそのまま信じたようだ。


「よく分かったわね! ジムはミデオンの5つ星ホテルで働いていた人なのよ! そんなすごい人がこんな田舎のホテルに来てくれるなんて夢みたいでしょう? 幸運の神様が私を導いてくださったとしか思えないわ」


「こ、幸運の神様!?」


ヒースはぎょっとして思わず聞き返した。


「笑わないでよ。本当にいるんだから。だから私絶対にここを離れたくないの。だって神様を裏切るようなものでしょう?」


バイオレットはちょっと拗ねるように頬をぷくっと膨らませながら答えた。駄目だ。かわいい。かわいすぎる。ヒースは真っ赤になったのを見られないように顔を伏せた。まずい、すっかりバイオレットのペースに翻弄されている。これでは心臓が持たない。何か話題を変えないと。ああそうだ、あの話があった。ヒースは気持ちを切り替えるためにコホンと一回咳ばらいをしてから、顔を上げた。


「そうだ、お父さんの話を聞いてちょっと思いついたことがあるんだけどいい?」


ヒースは、バイオレットにある提案をした。


「コレクションのティーカップは骨董的価値はバラバラだけど、どれもセンスがいいものだった。ただ置いてあるだけじゃもったいないからお客さんに提供したらどうかなって。自分で選んでもらって。そうすればティータイムの収益が上がるかもしれない。飲み物の客単価は高いから利益も上がる。特に女性はこういうの刺さると思うから。この屋敷の雰囲気にぴったりのサービスだし、イメージアップにもつながる。お父さんも自分のコレクションが役に立ったら嬉しいんじゃないかな」


バイオレットは目を丸くした。ヒースはいつの間にそこまで深く観察したのだろう。現在生活に困ってないのは何となく感じられたが、一流ホテルの味も知っていたし、類まれなる機知と行動力で社会をのし上がったのが会話の端々からうかがえた。彼の成功がバイオレットは嬉しかった。


「すごいわ。経営者目線の意見で参考になるわ。今まで苦労もしただろうけど社会で成功することができたのね。あなたをちゃんと認めてくれる人がいてよかった。前より堂々として格好良くなったし」


バイオレットは軽い気持ちで言ったのだが、ヒースはすっかり慌てふためいてしまった。「えっと……その……」とポンコツに戻った姿を見て、トーマスは肩を落とした。彼を認めてくれたのはバイオレットの予想もしない世界なのだが、絶対に知られてはいけないことだった。


それにしても、バイオレットが紹介された男性の存在が気になる。これからどうなるか全く分からないが、もしいい仲になったとして、本当にヒースは黙って身を引くことができるのか。ろくでもない男だった場合、一切証拠を残さず男の存在を消せるのか、課題が山積みだった。トーマスはここまで考えたところで、(なんで俺が代わりに悩まなきゃいけないんだ。自分でどうにかしろよ!)と理不尽さで腹が立った。


「バイオレット、手紙が届いているよ。こないだ来てくれたエレンからだ」


チャーリーがバイオレットに一通の手紙を渡した。バイオレットは中身を開けて手紙を読んで歓声をあげた。


「またエレンが来てくれるんですって!……って、ロナンも!?」


手紙には「あなたたちだけじゃ仲が進展するか心配だから私も行くわね。大丈夫、二人の邪魔はしないから」と書いてあった。エレンだけで全然構わないのに……確かにロナンがホテルを訪問するとは聞いていたので覚悟はしていたが、こんなにすぐに来るとは思わなかった。まだ心の準備ができていない。どうしよう「期待外れだった」なんて言われてしまったら。


「あら、それじゃ精いっぱいおもてなししないといけませんね、お嬢様!」


マーサがバイオレットに声をかけながら、心配そうにちらとヒースの様子をうかがった。しかし、ヒースは聞こえないふりをして背を向けていた。


「いいんですか? 放っといて」


トーマスはヒースのところに行って、彼にしか聞こえない声で囁いた。


「俺に何ができる?」


「指示してくだされば言われたように動きますが。奴の部屋にポルノ雑誌でも置いてイメージダウンでも図りましょうか?」


「バカ言え! よく考えてから指示を出すから何もするな。いつも通りでいろ!」


ヒースはそう言うとぷいと席を立った。トーマスは肩をすくめて自分の上司を見送った。


**********


「ねえ、ボスはロナンをどうする気なの?」


それからしばらくしてトーマスが倉庫の整理をしていると、マーサがやって来た。ここで働いている従業員はヒース自身が選んでここに送り込んだ人材だった。それをバイオレットが自分で選択したように思わせるのがトーマスの仕事でもあった。


「さあな。ロナンって奴がボスのお眼鏡にかなわなかったとしても、スマートにやるだろ。お嬢様に迷惑がかかる形には絶対しないよ。前だってそうだっただろう?」


「確かに……物理的に殺さなくても社会的に再起不能にする方法だってあるわけだしね。前にもそんなことあったわよね?」


「ああ、お嬢様はなんも知らないが、商売する上での障害物があんなに都合よく消えてくれるなんていくら何でもおかしいと思わんのかね? 幸運の神様なんて本当はいないのにな?」


「お嬢様は人を疑うことを知らないから。根からの性善説なのよ」


「ああ、だからボスが恋焦がれるんだろう。自分にはないものだから」


トーマスはそう言ってため息をついた。全く、最近ため息をついてばかりである。他人のことなんて本当はどうでもいいはずなのに。本当に手間のかかるボスだ。


「ねえ、それより今度の休み、一緒にパーティーに行かない? パートナーがいないのよ」


急にマーサが話題を変えたので、トーマスは彼女の方を見た。一緒に働いて数年経っているが、このような誘いは初めてだった。


「いきなり何を言い出すんだ。付き合ってる恋人がいたんじゃなかったのか?」


「最近別れたのよ。奥さんがいたのに隠していたのよ、信じらんないわ。これでも私はカタギの娘なのに。その点あなたなら独身だって分かってるから安心だわ。それとも他に相手がいるの?」


トーマスはここに来てからというもの、恋愛面はとんとご無沙汰だった。前に派手にやらかしたこともあり、しばらくおとなしくしていたのだ。マーサに対しても仕事上の同僚としてずっと接していたが、まあパーティーのパートナー程度なら問題ないだろう。


「いいよ。付き合ってやるよ」


トーマスはにやっと笑って了承した。八重歯がちらりと見え、かつてのやんちゃぶりが一瞬だけ顔を覗かせた。

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