第7話 幼馴染の秘密

「ひ……久しぶり、でもないか……」


再びヘイワード・インにやって来たヒースはおどおどした態度のままだった。先日会ったばかりだから少しは慣れただろうと思っていたが甘かった。昔から知っている場所なのだからここまで挙動不審にならなくてもいいのに。


「お客様、お荷物をお部屋まで運びます」


トーマスがヒースの荷物を持とうとすると「いや、いい。自分で持っていくから」と手で制した。それを受けてトーマスは何か言いたげな視線をヒースに投げかけた。


「また来てくれて嬉しいわ。あなたが来るのを楽しみにしていたの」


バイオレットはにこにこしながら言ったが、ヒースはまっすぐ彼女の顔を見られず、背を丸めて顔を伏せているようだった。


「ごめん……やっぱ迷惑だった、かも……あれからホテルはどうなった?」


「無事に元通りになったわ。橋も直ったし、通いの従業員も戻ってランチも再開できたし、この辺りも大分落ち着いたと思う」


「そうか……よかった……」


「ねえ、私の手が空いたら村を歩いてみない? 大きく変わってはいないけど15年ぶりだし」


「村には……元の家族がいるから……ちょっと……」


ヒースは言いにくそうに言った。彼が前の家族から虐待を受けていたことを思い出して、バイオレットは不用意な発言をしたと反省した。


「ごめんなさい。私も配慮が足りなかったわ」


バイオレットがしゅんとなったのを見てヒースは慌てて言いつくろった。


「いや……気にすることはないんだ……こっちこそごめん……」


トーマスは仕事をする振りをしながら二人のやり取りを聞いていたが、とうとう我慢できなくなって「お客様、お部屋へご案内します」とヒースの荷物を無理やり取って階段を上って行った。


「あっ、トーマス! まだ話し中なのに!」


バイオレットが咎めるのも聞かず、トーマスはヒースの鞄を持ったまま無言で階段を上って行った。慌ててヒースが追いかける。部屋に荷物を置き、ヒースも中に入ってドアを閉めたのを確認したのち、彼に向き合い口を開いた。


「一体どういうことなんですか、ボス!」


ボスと呼ばれたヒースは黙って目を伏せるだけだった。


**********


「こないだは黙って見てたけど、もう我慢の限界です。あれから間もないのに今度は何で来たんですか? 自分は遠くから見守っていればいいってずっと言ってたじゃないですか」


「だって……バイオレットを直接見たら我慢できなくて……あんなにきれいになってるとは思わないじゃないか! 写真よりずっとよかった……すみれ色の瞳も昔のままで……都会の着飾った女よりも遥かに美しくて、可憐で、清楚で……ああ、信じられない……」


ヒースは耳まで真っ赤になりながら、両手で顔を覆った。そして傍らにあった椅子に崩れ落ちるように腰を下ろした。


「だったらとっとと告白すればいいでしょう。お嬢様のこと好きなんでしょう?」


「そんなことできるわけないだろ! 俺のこと何だと思ってるんだよ……どこに行っても爪弾きされる存在だぞ。彼女とは住む世界が違いすぎる……」


「だったらずっと陰に徹してください。これじゃ何がしたいのか分かりません」


トーマスは、しょんぼり肩を落とすヒースを無情に見下ろしながら言った。


「そうだよな……俺はどうかしてる……嵐の時から変だ……」


「救援物資送ったのもあなたでしょう? お嬢様は役所からだとずっと信じてますよ」


「それならいいんだ……俺の存在を悟らせたら駄目だ……なのに自分からのこのこ出てくるなんて我ながら何がしたいんだろう?」


ヒースは苦しそうにうめいて心臓の辺りをぎゅっと押さえた。息も絶え絶えなヒースを見て、トーマスは大きなため息をつくしかなかった。


「とにかく、不審者みたいな態度はやめてください。彼女の前に出るならもっと堂々としてください。どっちつかずが一番悪いです」


ヒースはがっくりうなだれたまま頷いた。トーマスは、自分のボスがこんな体たらくになったことが情けなくて仕方なかった。年齢は下だが、本来はもっと凄みのある人物のはずだった。だからこそ自分も彼の下で働こうと思ったのに。それがひどく情けない姿を晒すなんて、人をここまで狂わす何かがバイオレットにあるのだろうか。


「元はと言えばあなたの指示でここに来ましたが、5年も一緒にいると情も湧くので今回はお嬢様の味方をします。いくらあなたでも彼女の害になると判断したら、敵対も辞さない」


「ああ。そうしてくれ。今の俺は正常な判断能力があるか自信ない。俺のことはどうでもいいから、どんな時もバイオレットを最優先に考えて動いてほしい。お前ならできると信じている」


気持ちを奮い立たせるためにわざときつい表現を使ったが、部下に何を言われても肩をがっくり落としたままのヒースに、トーマスはとうとう堪忍袋の緒が切れた。


「いい加減にしてくれ! あんたにとってバイオレット・ヘイワードはなんなんだよ!」


「バイオレットは……俺の……太陽だ」


ヒースはふいに顔を上げた。


「本当は、この土地に二度と戻ってきたくなかった。義理の親父も兄妹も碌な人間じゃなかった。でもバイオレットがいた。バイオレットとこの家で過ごした数年間が今の俺を支えている。そうでなければ、今よりもっと堕ちていたと思う。いや、とっくに死んでいたかもしれない。そんな存在はバイオレットだけだ。だから俺は彼女のためなら何だってする。手を汚すようなことだって厭わない」


ヒースは胸の内を正直に打ち明けた。それは感動的な場面のはずだった。しかし、トーマスは現実的な人間だった。感傷に浸るヒースを見て一緒に感極まるタイプではなかったのだ。


(太陽ってなんだよ!! こんな臭いセリフ吐く人だったのかよ! 裏社会に睨みを効かせるボスがとんでもない乙女だったなんて俺の5年間を返してくれ!!)


トーマスは、天を仰いで嘆きたい気持ちになったが、良識を兼ね備えた人間でもあった。彼から見てもバイオレットはいい娘だ。ボスのヒースにはちょっとがっかりしたけど、それでも力になりたいという思いは変わらない。現実には難しいかもしれないが、二人を応援してやりたい気持ちは持っていた


「……分かりました。ボスにとってもお嬢様は大事な存在というのは理解したので、俺もできる限りのことはします。しかし、このタイミングで言うのは非常に辛いのですが、残念なお知らせがあります。お嬢様は旧友の紹介である男性と知り合ったそうです。相手は身元のしっかりした紳士らしいです。その男性が今度このホテルにやって来るそうです。今後交際に発展するかもしれません」


悪いニュースは先延ばししても余計言いづらくなるだけだ。トーマスは一息で言い切った。それを聞いたヒースは愕然としてしばらく口が聞けなかったが、やっとのことで口を開いた。


「それは……その男はどんな人間なんだ?」


「直接会ったことはないのでなんとも。しかし、お嬢様の印象では優しくて穏やかな男性だそうです。どうしますか、ボス?」


トーマスが言った「どうしますか?」とは、「生かしておきますか、消しますか?」という意味だったが、ヒースは力なくつぶやいた。


「バイオレットに害をなす野郎なら容赦なく消す。しかし、彼女を幸せにしてくれるなら……何もするな」


トーマスは何度目かのため息をついた。ヒースが「俺が幸せにする」と言えない理由はトーマスにも分かっていた。でもトーマスの知っているヒースは不可能を可能にする男だった。バイオレットを大事に思うあまり、自分は彼女にふさわしくないという思い込みがここまで強いとは想像してなかった。ヒースにとってバイオレットは唯一の特別な人間であり、泣きどころでもあるということを、トーマスは痛感した。


**********


「さっきはごめんね。うちのトーマスが失礼したわ」


再びロビーに降りて来たヒースを見て、バイオレットは気づかわしげに尋ねた。ヒースは、さっきよりおどおどした様子は減ったが、元気はないままだった。


「別に何とも思ってないよ。別に失礼なこともなかったし」


ヒースは無理やり笑顔を作ってバイオレットを安心させようとした。


「あの……さっきはごめんなさい。村に行こうなんて不用意にも程があったわ。思い出したくなかったよね。当時の私はまだ小さかったからよく分からなかったけど、あなたがどれだけ辛い思いをしたか——」


「ここにいられればいいよ」


ヒースの一言に、バイオレットははっとした。


「この家にバイオレットがいることが一番うれしい。優しかったお父さんもいる。それだけで僕は満足だから……この屋敷の思い出はみんないいものだからここから出たくない」


ヒースは寂しそうに笑った。バイオレットはそれを聞いて嬉しくなったが、なぜか胸の奥がキュッと痛んだ。微笑んでいるはずの彼がなぜか泣いているように見えたからだ。


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