第6話 私にも王子様が

やっぱり場違いだったかしら……水色のワンピースに身を包んだバイオレットはエレンの邸宅に着いたはいいが、部屋の端っこでもじもじしていた。マーサが選んでくれた、たくさんの小花が散らしてある水色のワンピースは彼女によく似合っていた。水仕事で手が荒れているからと同色の手袋も用意した。マーサは「バイオレット様素敵です!! こんな素敵な令嬢他にいません!!」と懸命に褒めてくれたが、自分に自信が持てないため、お世辞以上には受け取れなかった。そんな卑屈な自分に嫌気が差しながらも、エレンと約束した以上出席するしかなかった。


「ごめんなさい、バイオレット! 放ったらかしにしてしまって! お義母さんの相手してて手が離せなかったの」


エレンがぱたぱたと走って来てバイオレットのもとにやって来た。お昼にやるミニパーティーとは言えそう広くない家に人がごった返していて、エレンとは最初の挨拶をしたきりだった。エレンはホステス役とあって、あちこちに目を配らなければならず多忙を極めていた。


「いいのよ。ちょうど庭を見ていたところなの。素敵なお庭ね」


「ありがとう。ロナンがまだ来ないのよ。ちゃんと時間は伝えたはずなんだけど」


相手の男性は気が進まなくて来ないかもしれない。まだ妻を忘れられないのであろう。その方がバイオレットも安心だった。どうせバイオレットを見たらがっかりするに違いない。彼女を見て失望されても辛いだけなので、却ってほっとした。


ロナンが来たのはそれから10分ほど経ってからだった。マットが二人のところにやって来て後から着いて来た紳士の紹介を始めた。彼がロナン・ヒューズだった。バイオレットはにわかに緊張して、背筋をピンと伸ばした。


「はじめまして。ロナン・ヒューズと申します。エレンさん、この度はご招待ありがとうございます。あなたがバイオレットさんですね。お話は伺ってます」


ロナン・ヒューズは29歳と言うが見た目より若く見えた。見た目は若いのに、声が低くて物腰も静かなので落ち着いた印象を与える。栗色の髪はすっきりと整えられ仕立てのいいスーツを上品に着こなす、どこに出ても恥ずかしくない立派な紳士だった。妻と死別して3年も独り身だったのが本当に不思議だ。これだけハンサムなら今までも引く手あまただったに違いない。それがなぜ今回バイオレットに会う気になったのか。エレンとマットがよほど話を盛ったとしか思えない。バイオレットはすっかり恐縮してしまった。


「バ、バイオレット・ヘイワードです。こちらこそ、よ、よろしくお願いします」


バイオレットはどもりながら答えた。一通りの挨拶が終わると、エレンとマットは「ではこの後は若いお二人で」と言い残して去って行った。バイオレットはロナンと二人きりにされてしまい、気まずい沈黙が流れた。このまま突っ立っていても仕方ないので、二人は庭に出ることにした。


夏も終わりに近づき日差しは柔らかくなっており、心地のいい風が髪をなびかせていた。庭には色とりどりのマリーゴールドが咲き誇り、バイオレットはそちらに意識をとばしていた。


「バイオレットさんはホテルを経営していると聞きました。お若いのにすごいですね」


沈黙を破ってくれたのはロナンだった。花を見ていただけのバイオレットは、相手に気を使わせてしまったと少し申し訳なく思ったが、密かにほっとしたのも事実だった。


「いいえ、家を手放したくないという私のわがままを父と優秀なスタッフが聞いてくれて、何とか維持できているというのが実態です。私自身は微力でむしろ足を引っ張っているくらい。商売のイロハも知らなかったものですから」


ロナンが話の糸口を引き出してくれたお陰で、バイオレットも話しやすい雰囲気になった。しかも、自分のしやすい話題だったのが更によかった。


「確かに上流階級が商売を始めてもうまくいかないことの方が多いです。知らない分野を開拓するのは危険が付きまとう。それでも成功するには運の要素も大きいです。あなたはチャンスを見極める目をお持ちだったんでしょうね」


「運というならその通りかもしれません。今まで何度もピンチに遭ってきましたが、なぜかそのたびに幸運が舞い込んで切り抜けられましたの。神様が味方してくださったとしか思えません」


「ほう、それは興味深いですね。詳しく聞かせてください」


ロナンはバイオレットの話に興味を持ったようだった。


「自分でも不思議なんですが奇跡が何度も起きたんです。例えば、邸宅から強制退去させられそうになった時、相手の業者にトラブルがあってうやむやになったり、改装費が必要になった時に運よく良心的な低金利の業者が見つかったり、人手が足りない時に絶妙なタイミングで優秀な従業員をスカウトできたり……この幸運は神様が『何があってもホテルを守り抜け』と告げているとしか思えないのです。だからどんなに辛いことがあってもやめられないんです」


ロナンはバイオレットの話を相槌を打ちながら真剣に聞いていた。その熱心な態度にバイオレットもほだされて、つい長々と話してしまった。


「本当にあなたの話は面白い。起業している女性自体珍しいですが、正直ここまで楽しい話が聞けるとは思いませんでした。あなたは本当に仕事を愛しておられるのですね」


「ええ。女性が仕事をするのに眉をひそめる人がいらっしゃるのは知ってます。貴族が使用人みたいな仕事をするなんてと言う人もいました。でも、仲間に恵まれていることもあって、毎日が楽しいです。辛いこともたくさんありますが、時間が経つと不思議と楽しい思い出だけが残るんです」


生き生きと話すバイオレットを、ロナンはにこやかな表情で見ていた。


「あっ……私の話ばかりごめんなさい。パーティーに出るのは久しぶりなので、少しはしゃぎすぎてしまいました。こんな話を聞いて下さる方も珍しいので」


「いいんですよ。私もにぎやかな場所に出てくるのは久しぶりだし、とても楽しい時間が過ごせました。あなたがそこまで大事にしているヘイワード・インに行ってみたくなったのですが、伺ってもよろしいですか?」


ロナンの突然の申し出に、バイオレットは慎みも忘れて声を上げてしまった。


「えっ! 本当ですか!? あっ、大きな声を出して申し訳ありません……もちろんです。心の限りおもてなしさせていただきますわ」


ここまでの話になるとは、バイオレットも予想していなかった。彼女の話を引かずに聞いてくれただけでも御の字なのに、直接見に行きたいだなんて。何より彼女を肯定してくれたのが一番嬉しかった。エレンが太鼓判を押したように、ロナンは確かにいい人に違いない。彼と一旦離れたバイオレットは、すぐにエレンのところに報告しに行った。


「どうだった? ロナンは? 遠くから見る限り話がはずんでいたけど?」


エレンは興奮気味にバイオレットに尋ねた。


「今度私のホテルに来てくれるんですって! 嬉しいわ!」


「えっ? それあなたのこと気に入ったってことじゃないの!? すごいじゃない、今まで彼をその気にさせる女性なんていなかったのよ?」


「そうなの? そういう意味だったの?」


「何言ってんのよ! 当たり前じゃないの! そんなことも分からないの?」


エレンは思わずバイオレットの肩を叩いた。全くこの友人は、働き過ぎのあまりそんな簡単なことも分からなくなってしまったのか。バイオレットはそれでもまだ信じられないというように目をぱちくりさせた。


「とにかく、ロナンはあなたに興味を持ったのよ。私の目は確かだったわね。相性がぴったりと思ったのよ。彼が来るときは他の客の世話なんてしなくていいから、精いっぱいおもてなししてね」


「ええ……他のお客様をないがしろになんてできないわ……」


「何言ってるのよ? 一世一代の大勝負なのよ。こんないい人もう現れないわよ? いい? 絶対よ?」


エレンに固く約束されてしまった。確かに望むべくもないいい人だろう。これ以上の人はもう現れないというのも本当だと思う。でも、いきなり言われても……というのがバイオレットの正直な気持ちだった。今回のことは喜んでいいのだろうが、まだ心の準備ができていなかった。


辺りが暗くなった頃、バイオレットは家に帰って来た。父が彼女を待ち構え「相手の男性はどんな方だった?」「失礼なことは言われなかった?」と質問攻めにした。


「そんな一度に聞かないでよ。とてもいい印象だったわ。仕事の話も興味深く聞いてくれて。今度ここに来てくれるんですって」


それを聞いた父は喜んでくれた。落ちぶれた貴族のバイオレットが嫌な目に遭ってないか不安だったのだろう。そんな父の配慮と温かさが嬉しかった。そこへトーマスがある報告をしに来た。


「お嬢様の留守中に予約が1件入りました。先日もいらしたヒース・クロックフォード様が来週4日間滞在されるそうです」


前回別れた時しばらく会えないかもしれないと予想していたが、時を待たずしてまたヒースが来てくれるのだ。バイオレットは喜びの声を上げた。


「お父様、またヒースが来てくれるのよ! やった!」


こんなに早く来てくれるとは思わなかった。今日はいいことがあった日だったが、一日の最後にとびきり最高のプレゼントが待っていた。こんな日は滅多にあるものではない。バイオレットは早くその日が来ますようにと天に祈った。

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