第4話 ぎこちない対面

「そうか~君も苦労したんだな~。ほらほら、お茶のお代わりはどうかね?」


ロビーにあるソファにヒースを座らせ、チャーリーが昔話に花を咲かせていた。しかしヒースの方は、横でせわしく働いているバイオレットに目が釘付けで上の空だった。


「ええ……ええ……あの、バイオレット、掃除手伝うよ。こんな大変な時に押しかけてきたし」


「何を言ってるの、ヒースはお客様よ。お客様にそんなことさせられません。私自らお相手できなくて申し訳ないけど、手が空いたらそっちに行くからもうちょっと待ってて」


「そう……じゃなくて! これじゃ何のために来たのか分からないし、ぜひお手伝いさせてください!」


ヒースはそう言って立ち上がると、モップで床を磨き始めたが、ほんの数十秒でバケツに引っ掛け水をこぼしてしまった。


「お客様、慣れない仕事をするのは大変ですから私たちにお任せください。お気持ちだけありがたく受け取ります」


トーマスが駆け付けて、ヒースからモップを取って後始末をした。却って足手まといになってしまったヒースはますます背を丸め、小さくなった。


「本当にいいのよ。来てくれただけでもありがたいわ。こんな時じゃなければちゃんと相手できたのにごめんなさいね」


「違っ……! いやほんと、迷惑かけに来たわけじゃないから……! こっちこそごめん、こんな時に来て……」


ヒースの声はだんだん小さくなった。久しぶりの再会ならもっと喜んでくれてもいいのに、なぜもじもじして落ち着かないんだろう。ヒースは無理やり雑巾を持つと、既に掃除を終えたあとの床をまた拭き始めた。何かしていないと気が済まないといった様子だ。


「ヒース、もう昔とは違うんだからここで働かなくていいんだよ。我々も今では貴族と言っても名ばかりなんだから」


父が苦笑しながらヒースをなだめた。それを聞いたバイオレットははっとした。もしかしたら憐れまれたのかもしれない。確かに昔と今とでは立場が逆転している。昔は使用人がたくさんいてかしずかれていたのが、今はホテルを経営していると言っても、実態は使用人の仕事でもなんでもしている立場だ。みるみるうちに顔色が変わったバイオレットを見て、ヒースは慌てて彼女の手を取って外に飛び出した。


「違う! 違う……んだ。本当は君が気になって」


大きな木に囲まれホテルからは死角になる場所までバイオレットを連れて行くと、ヒースは言いにくそうに、つっかえながら言葉を選んだ。


「ニュースでこの辺が大変な災害に遭ってると聞いて……死者も出てるっていうからもう気になって……電話も通じないし……それで……あ、いや、そうじゃなかった、偶然この辺を通りかかって……」


バイオレットは目をぱちぱちさせた。彼女のことが心配だったのか偶然ここを通りかかっただけなのか話が見えてこない。よく分からないが、少なくとも彼女を気遣ってくれたことは把握できた。


「とにかく……心配してくれてありがとう。10年以上も音沙汰なかったから突然でびっくり——」


「15年だよ」


ヒースはそこだけ早口で食い気味に言った。


「久しぶりに来たらホテルになってるのを見てびっくりしたでしょう? 私も昔のバイオレットお嬢様じゃないのよ。みんなはまだそう呼んでくれるけど、身分なんて関係なく働いてるの。楽しいことも大変なこともあるけど、もう5年続いているわ。すごいでしょう?」


バイオレットは少し恥ずかしそうに言った。


「うん……すごい……すごいよ……バイオレットじゃなきゃできないよ」


ヒースの声には実感がこもっていたが、どうしても彼女と目を合わせることはできなかった。


「ヒースは何をしていたの?」


「うん、まあ……お金持ちや観光客相手の遊技場みたいな……」


要領を得ないが、お金持ちを相手にしているということはそれなりに羽振りがいいのだろうと、世間知らずのバイオレットは判断した。その割に相変わらず栄養状態が悪そうなのが気になるが。


「そうなんだ……すごいね。子供の頃の夢を叶えたんだね」


「夢?」


「覚えてない? お金持ちになってお母さんに楽させたいって言ってなかった? そう言えばジャンナは元気? 彼女にも会いたいな」


「母は……病気で亡くなったんだ……」


バイオレットははっと息をのんだ。触れてはいけない部分に触れてしまった気がして申し訳ない気持ちになった。「それはお気の毒に……」と目を伏せるバイオレットにヒースは「もう5年前の話だから」と慌てて言った。


「私ももう5年も働いてるけど、未だに一進一退だわ。頑張ってるだけが取り柄で、もっと要領よく生きられる道があると思うんだけど、全然分からない」


バイオレットは自嘲するように苦笑したが、ヒースは早口で遮った。


「そんなことないよ! バイオレットはすごいよ! 普通辛くて長続きしないもの……それなのに笑っていられるバイオレットは強い、こんな人……他に……」


勢いよく切り出したもののだんだん恥ずかしくなってきて、最後まで言い終えることができなかった。


「ありがとう。そこまで言われると照れちゃうな」


バイオレットは半ば圧倒されて照れ笑いした。


「ねえ、お仕事さえ都合がつけば、何日かここに滞在できない? 久しぶりに周りを散歩しましょうよ。15年も経てば変わったところもあるわよ」


バイオレットの突然の申し出に、ヒースはひどく驚き苦しそうに胸を押さえた。しばらく逡巡していたが、眉根を寄せてうめくように言った。


「申し出はありがたい……けど、仕事もたまっているから明日には帰らないと……」


「あっ、そうよね。急に来てくれたんですものね」


「でっ! でも……またここに来るからその時に何日か滞在というのは……どう……だろう……」


「ええ、もちろんそれで結構だわ。却ってその方がいいかも。嵐の影響も治まってゆっくりおもてなしできると思う」


別に何のことはないやり取りなのに、ヒースは息も絶え絶えになりながら顔を伏せた。外は暗くてただでさえ視界が悪いのに必死で顔を見られないようにうつむいている。別に問い詰めているわけではないのに、なぜか申し訳ない気持ちになってきた。二人とも黙りこくってしまい、微妙な間が空いてしまった。


「あのっ、こんな時間まで申し訳ない……バイオレットも疲れてるよね……もう邪魔はさせないから……本当にごめん……ではおやすみなさい……」


ヒースはばっと顔を上げてそう言うと、バイオレットを置き去りにしたまま、逃げるように建物の中に入って行った。


**********


翌朝朝食もそこそこにヒースは出立の準備をしていた。ロビーにまだ避難民が残っているなか、慌ただしくチェックアウトの手続きをしていた。バイオレットとしては、あっけない再会で残念だったが、また来るという彼の言葉を信じるしかなかった。


ヒースは、来る時に着ていたコートが見当たらなかったので探していると、バイオレットがきれいに畳まれたそれを持って来た。


「はいこれ。泥が付いていたから拭き取ってからアイロンかけておいたわ。また来るときは連絡ちょうだいね。その時はちゃんと準備して待ってるから」


ヒースは、よれよれだったコートがきれいになっているのを見て、信じられないという顔をした。


「これバイオレットが……? 僕のためにやってくれたの?」


「昔は使用人にやらせていたことも自分でするようになったのよ。最初は下手だったけど、これでもうまくなった方なの」


バイオレットは少し恥ずかしそうにもじもじしながら答えた。昔の自分を知っている人物に没落した今の姿を見られるのは恥ずかしかったが、十分なおもてなしができない現状でもやれるだけのことはしてやりたかった。


「そうじゃなくて……今それどころじゃないのに」


「だからよ。いつもは普通にしているサービスだから気にしないで。こんな状態で大したおもてなしもできないからせめてもの気持ちよ」


ヒースは言葉を失ったまま立ち尽くしていたが、やがてコートをそのまま鞄に詰め込んだ。


「ちょっと待って。着て行かないの?」


「バイオレットがきれいにしてくれた服をまた汚すなんてできるわけないじゃないか。そのままの形で持って帰る」


バイオレットがいくら説得しても、ヒースは頑として聞かなかった。


「バイオレットだって疲れてるはずなのに……僕なんかのためにしてくれなくていいんだ。ちゃんと休むべきだ……」


「ああもう! また『僕なんか』って言ってる! はい、罰としてデコピン一回ね」


バイオレットは悪戯っぽく言うと、ヒースの額をぱちんと弾いた。子供の頃ヒースが「僕なんか」と口癖のように言っていたので、それを言ったら罰としてデコピンをするという約束を交わしていたのだ。ヒースの方はすっかり忘れていたが、バイオレットはまだ覚えていた。ヒースは、一瞬何のことか分からずきょとんとしていたが、思い出すと同時にかーっと顔が熱くになった。そしてふふっと笑った。一瞬ではあったが、屈託のないリラックスした笑みが見られた。


「あれ、まだブーツ受け取ってないんだけれど、もしかしたらそれも……」


ヒースはまだ室内履き状態だったことに気が付いた。


「ああ、ブーツも中まで濡れていたから汚れを落として乾かしといたわ、って、まさか靴まで履かないなんて言うんじゃないでしょうね!? それだけはやめてね!?」


危うく言い出しそうになっていたが、先にバイオレットに止められてしまった。仕方なく、ヒースはブーツに足を通した。


「ねえ、また来てくれるよね?」


忘れ物がないか最終チェックをしているヒースに、バイオレットが小声になって問いかけた。


「……えっ? も、もちろん……どうしてそんなことを聞くの?」


ヒースは自分の心が見透かされたような気がして、またもバイオレットの顔をまともに見ることができなくなってしまった。


「だってまたしばらくいなくなっちゃう気がして。昔、最後に別れた時も『またすぐ会えるよ』って言ったくせに全然来てくれなかったもの」


そんな前のことをどうして覚えているのか。ヒースはすっかり忘れていた。覚えているのは、彼がここを去ることを知った彼女が珍しくかんしゃくを起こして大人を困らせたことぐらいだ。なかなか会えない兄を自分に重ね合わせているのだろうと、その時は思っていた。




「大丈夫だよ、今度は必ず連絡してから来る。そんな顔しないで、約束するから。あと、最後になってしまったけど……ありがとう」




ヒースはぎごちない笑みでそう言い残して、玄関の扉を開けて出て行った。バイオレットは一応安心したが、それでもまだ名残惜しい気持ちが残っていた。何かに急き立てられるように足早に去って行ったのを見て、やはりもうここに戻っては来ないような予感を拭えないでいた。


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