第3話 幼馴染との再会

あなたがバイオレットさんですか?


急な宿泊を求める客はいるが、従業員の名前を確認する者など普通はいない。みな、ベッドと食事の用意があればそれで満足なのだから。


バイオレットは驚いて相手をじっと見つめた。年は20代後半くらいだろうか。背は高いがひどくやせている。顔色も悪く栄養が足りてないのではと思えるほどだった。黒い髪は癖がひどくてよく整えておらず、前髪で灰色の目が半分隠れている。髪の間から垣間見える目元は落ちくぼみ、隈も目立っていた。そんな顔を、彼は中折れ帽を目深にかぶることで隠そうとしていた。お世辞にも美男子とは言い難いこの男性が、なぜかバイオレットを気づかわしげに見ている。バイオレットも見覚えがあるようなないような、記憶を総動員して頭を働かせたが、もう少しのところで思い出せず気持ちがざわざわした。


「あ、あの……宿泊の方ですか? 申し訳ありませんが、うちも被災して物資が不足してて……」


相手の気迫に押されて、バイオレットはうまく言葉が出てこなかった。


「別に何もしていただかなくていいんです……僕が勝手に来ただけですから……」


相手の男性も口をもごもごさせて言いにくそうにしていた。何もしなくていいのならなぜ来たのか? そこへ偶然通りかかったトーマスがその客を見てぎょっとした。何か言おうとして二人のところへ近づこうとしたその時。


「すいませーん。救援物資を届けに来ました。ヘイワード・インはこちらでよかったですか?」


玄関が急に慌ただしくなった。外へ出てみると、大きな箱を抱えた者たちがたくさん来ていた。箱の中身は小麦粉や日持ちのする食料、燃料にタオル、医療品や石鹸など正にバイオレットたちが欲しがっていた消耗品の数々だった。


「こんなにたくさん! 誰が届けてくれたの?」


「さあ? 俺たちは運ぶように言われただけですから。橋が壊れてて、山道を通って来たので遅くなってしまいました」


バイオレットと従業員たちは顔を見合わせた。この地域の窮状を知った役所が近隣住民に配っているのだろうか? 分からないことだらけだったが、本当に困っていたのでありがたく受け取った。


「これで貯蔵庫も余裕ができます。急な宿泊客にも対応できそうです」


「リネンや燃料も補充できて助かりました。新しいものを買うお金もないから」


確かに、本来の収容人数より多い宿泊客を受け入れ、避難所と化していたこともあり、大赤字になっていた。トーマスからは「一律で同じ宿泊代を取れ」と言われていたが、ロビーに雑魚寝させた人たちにそれを要求することはバイオレットにはできなかった。甘いと言われればそれまでだ。だから商売が下手なのだろう。


救援物資を中に運び入れていると、先ほどの青年がおずおずと話しかけてきた。


「あの……僕はそろそろ帰りますので……」


「あっ! 忘れていたわ! 誠に申し訳ありません、ちょうど一部屋空いたところだから何とか大丈夫だと思います。いま救援物資も来たので」


バイオレットはうっかりして新しい客のことを忘れていた。


「いいんです……僕もこんな大変な時に来てしまったので……こちらこそ申し訳ありません」


バイオレットが青年と目を合わせようとすると、青年は逃れるように目をそらした。背は高いのに体を折り曲げるほど身を小さくして落ち着きがない。ここまでの難所を越えてきたにしては軽装で、余り旅慣れているようには見えなかった。


それにしてもどこかで会った気がする。ここ何年かのホテルの客ではない、それよりもっと前だ。バイオレットはだんだんそわそわしてきた。忘れてはいけない大事な人のように思えるのにどうしても思い出せない。向こうから言い出してくれれば一番いいのだが、その気配はなさそうだ。バイオレットは心のモヤモヤが我慢できず、思い切って口を開いた。


「あの、どこかで——」


「あれ、もしかしてヒースじゃないか? すっかり大人になったね。久しぶり」


バイオレットが言い終わる前に、ちょうど通りかかった父が気さくな口調で声をかけてきた。


「えっ……? ヒース?」


バイオレットは目の前の青年を改めて見て絶句した。幼いころの記憶が一気によみがえる。なんで今まで忘れていたのだろう。忘れるはずなんてないのに。


**********


バイオレットの家は爵位持ちということもあり、ここ一帯の土地では名家として扱われていた。実際は当時から家計は火の車だったが、他に貴族の家もないので、ヘイワード家と言えば一目置かれていた。


人家がまばらな地域なので、子供の数も少なかった。年が離れた兄も寄宿舎に入っていたので、バイオレットは平民の子供たちと遊ぶことが多かった。その中の一人がヒースだった。


ヒースはバイオレットの家で働く使用人の息子だった。上に兄や姉がいたが、いつも彼らに虐げられている印象だった。年齢はヒースの方が上のはずなのに栄養が足りず、出会ったばかりの頃は彼女と同い年くらいに見えた。着ている服もお下がりなのかいつも体型に合わずだぶだぶしていた。なぜ兄や姉と待遇が違うのか彼に尋ねたことがある。そしたら「自分は母の連れ子だから」と言っていた。そこで初めて連れ子という言葉の意味を知った。


ヒースはバイオレットの知らない知識をたくさん持っていた。特別な教育は受けてないはずなのに物知りで、特に遠い外国の話をたくさん聞かせてくれた。彼の母が今の父と結婚する前に外国に住んでいたらしい。バイオレットは自分の知らない世界の話を聞くのが好きだったが、他の同年代の子供はそうではないらしく、ヒースの言うことをほら話扱いして、仲間外れにすることが多かった。だから、ヒースは他の子供と遊ぶことはあまりなかった。そんな彼の心情を察して、バイオレットもヒースと二人で過ごす時間が増えてきた。


ヒースは家でおなか一杯食べさせてもらってないようだった。彼はそのことをひた隠しにしていたが、兄や姉と比べてやせこけているので、子供のバイオレットにも分かってしまう。しかし、彼はプライドが高いのか馬鹿正直に食料をあげると断られてしまった。そこで、勉強を教えてもらう時に一緒に食べることにした。


「おいしいね。このチェリーパイ。たくさん食べてね。お代わりもあるよ」


甘いお菓子だけだと栄養が偏る気がして、メニューを工夫してもらうよう当時働いていたコックにお願いしたりもした。3食あるうち1食だけでも食べられれば何とか命をつなぐことはできた。


バイオレットの母は、初等教育しか受けていないヒースが実は賢い子供であることを見抜いた。そこで、お転婆なバイオレットのお目付け役という名目で一緒に家庭教師から勉強を学ぶ機会を与えた。そんなことは知らないバイオレットは仲良しのヒースと一緒にいる時間が増えると知って喜び、度々勉強をサボっては家を抜け出して、彼が代わりに怒られることが多かった。今思えば、ヒースの母親でも防ぎきれない義父や兄妹からの虐待から彼を守る目的もあったのかもしれない。


それからしばらく平和な日々が続くと思われたのに、ある日突然別れがやって来た。ヒースの母と父が離婚して、母と一緒にどこかへ引っ越すとのことだった。当時は分からなかったが、ヒースの母は、夫から度重なる暴力を受けていたらしい。ヒースもたまに顔が腫れていることがあった。結局、彼と一緒にいたのは、バイオレットが10歳になるまでの3、4年の間だけだった。

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