歌の花にカノンを乗せて(1)

『今更なんだが。あんた、ハニトラされた経験はあるか?』


 いきなり何を言い出すんだ、この上司。


「卵通信」に対する卓渡たくとの返答は、低音C3のシンコペーション、最終音はフェルマータであった。


「ないっス〜〜……」


 何それ、甘いトラのこと?

 ハニトラという単語自体に、金輪際こんりんざいご縁がないっス。ご縁があれば、狩猟罠トラバサミに足を挟まれ奇襲成功トラトラトラ。触らぬトラにたたりなし。


『今回の回収対象は、なんとピッチピチのJKだ! 気をつけろよー、いまどきのJKは相手がモテないおっさんと見ると手練手管ハニトラ駆使してグイグイ押してくるからな。派手な服できれいに着飾ったお嬢ちゃんにキャッキャウフフと操られ、気がついたら回収どころかブランドバッグの一つや二つ買い与えていたなんてことのないようになー!』


「いつなんどき俺が『モテないおっさん』認定されたんスか! しかも、また回収条件ちゃんと言わないんでしょ? 俺が顧客の悪意の集中砲火を浴びるのがそんなに楽しいんスか?」


『言っただろー、反応のデータだよ、デ・エ・タ。嫌がらせなんかじゃなく、れっきとした職務の一環だっての。モテないおっさんがJKに回収に行ったらどんな反応するか、しっかりデータ集めんとなあ』


 ピッチピチのJK・お嬢ちゃんなんて言い出すあたり、上司もまごうことなき「モテないおっさん」属性確定だと思うのだが、今更何を言ったところで卓渡ひとりが顧客に攻撃対象確定ロックオンされる事実は揺るがない。


「へ~へ~。で、顧客のデータは……『そらやま うたき』さん?」


『カノンだよ。空山そらやま歌希かのん。いかにも音楽好きそうなキラキラネームだろ。んじゃ、健闘を祈る』


 通信が切れた。これが愛する黒玉ちゃん経由の「卵通信」でなければ、毎回端末を壁に投げつけているところだ。


「カノン、カノンといえば、パッヘルベルのカノン!」


 心を落ち着けるべく、「♬ランララランララ ララリララリララ♬」と、パッヘルベルのカノンの旋律を歌いながら歩く、燕尾服のモテないおっさん・卓渡であった。


「さて、今度はどんな卵ちゃんと、どんなJKトラが飛び出すのかな?」



 * * *



 賑やかな演奏、行き交う人々。

 音を楽しむ人、足早に通り過ぎる人、耳を傾けながら足の向きを変える人。

 その場所にはすでに、活気ある音と音楽があふれていた。


「まーたストリートバンドかー」


 ここは前回とは別の、人通りの多い駅前広場。


 前回は、おっさんだらけのスティール・バンドだった。

 今回は、おっさんだらけのフォルクローレ・バンドだ。


 否、ひとりだけ、おっさんではないメンバーがいた。

 南米の先住民系に見える浅黒い肌の黒髪男性たちの中に、ひとり、小柄な女性と思しきメンバーが。てっぺんに房をいくつも付けたもっさりとした帽子を深くかぶっていて、顔はよく見えない。



Llegando esta el carnaval Quebradeno, mi cholitay.

Llegando esta el carnaval Quebradeno, mi cholitay.

(もうすぐ谷にカーニバルがやってくるよ、僕のチョリータ)



「『花祭り』かー。この曲ヤバいんだよねー」


 赤を基調とした、鮮やかな柄のポンチョ。

 ケーナ、チャランゴ、アルパなどの、アンデスのフォルクローレ特有の楽器の数々。

 メンバーの演奏技術も高い。多くの通行人が足を止め、心浮き立つ音楽を目で楽しみ、耳で楽しんでいる。


「なんで『花祭り』がヤバいのかって? 知りたい? 黒玉ちゃん」


 肩の上のおたまじゃくしこと黒玉ちゃんに、ちらちらと斜め上から目線を送る卓渡。話したくてたまらないくせに、いちいちもったいぶるなと言いたい。

「うちのあるじが毎日うざくてつらいです」などとSNSでグチることもできないのが、卵の悲しいところだ。


「この、ほどよく弾むリズム。どこか懐かしさを感じさせるメロディ。単純明快な曲ほど耳に残りやすい。一度聴いちゃうと、当分頭から離れなくなっちゃうの。一度消えても、何年も経ってからまたふっと浮かんで、それからずーっと回り続けるの。だからこれから、俺ん中で『脳内花祭り』開催決定ってことなんだよー(※個人の感想です)」


 フォルクローレの定番曲、『花祭り(ウマワケーニョ)』。ケーナ(縦笛)が軽快にメロディーを奏で、チャランゴ(マンドリンに似た弦楽器)をかき鳴らしながら男性おっさんが歌う。

 メンバーおっさんたちと同じリズムに体を揺らしながら、たったひとりの女性メンバーが、サンポーニャを吹き始めた。


「うまい……」


 卓渡が低く唸る。

 サンポーニャは、長さが違ういくつもの管をつなげた管楽器。ルーマニアのパンフルートに似ている。

 演奏の難しい楽器を、リズムや音程の乱れもなく、歌のような抑揚よくようやブレスまで駆使しながら楽しそうに吹くうたう。素朴で味わい深い笛の音が、聴く人の吸う空気の奥にまで溶け込んでいく。

 日本人の少女とは思えぬ演奏力、小柄な全身からかもし出す貫禄かんろく。完全に、南米のメンバーおっさんたちと肩を並べている。


 演奏が終わり、「どうもどうもー」と観客に向かって元気に挨拶した彼女は、かぶっていた帽子チューヨを脱いだ。


 肩の上にふぁさっと降りる茶髪。あどけない少女の顔。

 彼女が、今回の債務者、空山そらやま歌希かのんだ。



 * * *



「素晴らしい演奏でした!」


 卓渡が惜しみない拍手を送ると、歌希はにこぉっと満面の笑みを見せた。


「ありがとー! お兄さんもその服イカしてんね!」


 黒い燕尾服の男性に、鮮やかな赤のショールに身を包んだ少女。まるで違う世界同士がミックスされた、不思議な光景だ。


「あ、黒い卵! 服とおそろだ! あたしの卵ちゃんもおそろなんだー、見て見て」


 少女の卵は、なんと全身が赤くペイントされていた。細かい花模様までセンスよくちりばめられて、まさに今の歌希とおそろいの可愛らしさ。卓渡が衝撃に打ちのめされていると、歌希は「言っとくけどこれ、卵ちゃんがやりたがったんだからね? 卵虐待じゃないからねー」と、あっけらかんと言い放った。


「なるほど。こんなにも萌え……愛らしい卵、初めて見ました」


 卓渡は、「お兄さん」が「おっさん」に変わらないことを祈りながら、うやうやしく要件を切り出した。


「私、『卵貸付業エッグ・レンタルサービス』から参りました、音廻おとめぐり卓渡たくとと申します」


 歌希はダッシュで逃げ出した。



 * * *



「さすがに追いかけないか」


 卓渡に声をかけたのは、バンドでチャランゴを鳴らしていた男性だ。


「ここで彼女を追いかけたら、僕の方が通報されちゃいますから」


 決して、年のせいで追いつけないからではない。決して。


「彼女、すっかりこのバンドになじんでるんですね。いつから?」


「それがな、まだたったの二週間足らずなんだ。サンポーニャなんて吹いたこともなかったのに、あっという間にマスターしちまって、末恐ろしい子だよ」


 ルシオと名乗る男性は、「今日はこれでしまいだな」と他のメンバーに声をかけ、楽器の片づけを始めた。


「卵の話は、カノンから一度聞いたことがある。カノンは、卵のおかげでつらい現実を乗り越えられたと言っていた。あんた、仕事とはいえ、本当にあの子から卵を取り上げるのか」


「ルシオさん、日本語お上手なんですね」


「そりゃ、もう二十年は日本にいるからな。このあと時間あるなら、少し話していかないか。近くに知り合いのペルー料理の店がある」


「ふむ」


 ふと、卓渡は行き交う通行人の中に、自分たちにじっと注がれる視線を感じた。

 卓渡が目を向けると、視線の主は慌ててきびすを返し、人の波に隠れながら消えていった。

 後ろ姿に、一房ひとふさの長いおさげを揺らして。


「今のは、歌希さんが通う高校の制服、ですね。お友達かな?」


「ああ、さっきの子、よく演奏聴きに来るよ」


 ルシオも気づいていたらしい。


「たぶん、カノンの友達だと思うんだが。カノンに気づかれないように、遠くから黙って見てるだけなんだ」


 歌希が経験した「つらい現実」とは、学校の友人関係なのだろうか。



 ルシオの卵は、あるじとおそろいの小さなポンチョを凛々りりしく羽織っていた。

 それだけで、卓渡はルシオの誘いに乗ることに決めた。

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