第330話 ゆったりまったりと映画鑑賞をする彼ら。「クマちゃ……」「いやマジで……」
現在クマちゃんは、仲良しな彼らと感動を分かち合っている。
うむ。とても喜んでくれたようだ。
酒場の皆ちゃまにも是非観に来てもらおう。
◇
そこは、非常に落ち着いた雰囲気の空間だった。
高級感の漂う複数の織物が、天井からゆったりと広がり、室内を覆っている。
深い青と南国を思わせる水色が、まるで時間によって移り変わる海の色を表しているかのようだ。
ふわふわの敷物には大きめのクッションがいくつも置かれ、どこでも自由に寛げるようになっているらしい。
さすが、赤ちゃん用の施設である。
リオは鮮やかな布と刺繡で飾られたソファに座り、感想を述べた。
「めちゃくちゃ豪華なテントっぽい」
彼の知っているものとは雲泥の差である。酒場のやつらが見たら住みたがるに違いない。
「外にも飾られていたけれど、森の街のものとは違って、とても装飾が凝っているね」
美しいものが好きな男が興味深そうに、テーブルの中央や、布と共に吊るされている明かりを観察する。
「ああ」
「絶対適当に頷いてるやつ。間違いない」リオは確信していた。無神経な彼が装飾の違いなど気にするわけがない。
『リーダーこれとこれどっちがいい?』『同じだろ』
想像の中のルークが、ランプとたいまつを掲げるリオを残酷に斬り捨てる。
同じではない。片方は燃え盛っている。だが只人とは着眼点の違う男には何を聞いても無駄なのだ。
思い思いに腰を落ち着けると、それぞれの手元に、冷えたグラスに入った、氷と白い花の浮かぶ飲み物が用意された。
カラン――。氷がガラスにぶつかり、涼し気な音を立てる。
騒々しさとは無縁の、静かな空間。
テーブルにゆらめくランプの光が、色ガラス越しに模様を描く様子を眺めながら、喉を潤す。
――チャ、チャ、チャ――。
猫が水を飲むような音も響いている。
すっきりとした柑橘類の香りが、鼻腔をくすぐる。「クマちゃ」可愛らしいくしゃみが、彼らを和ませ、苦しめた。
「クマちゃんこのジュース美味しいねー」「クマちゃ」
穏やかに流れるとき――。誰かの机に溜まった書類のことなど、誰も気にしない。
ルークがもこもこの口元を高級な布で優しく拭い、「クマちゃ……」副園長のお手々が何かを示す。
緞帳に似た幕の中、丸みを帯びた長方形と、もこもこの丸すぎる手先に、視線が集まる。
「……――」「見過ぎじゃね?」
真っ暗な映像。
右側からヨチヨチ、ヨチヨチ、と現れた白い生き物は、もこもこした頭に帽子を被り、お手々に拡声器らしきものを持っている。
「サングラスが気になる……」舞台のような幕から対極の位置、大きなソファに座っている男が、早速余計な口を挟む。
「クマちゃ……!」
『リオちゃ……!』
彼の隣、ルークの腕の中でお行儀よく前を向いていたもこもこが、禁を破ってしまった彼を『ダメですよ!』と叱った。
「…………」
切れ長の美しい瞳が、うるさい男に一度だけ向けられる。が、興味を失ったように、すぐに離れていった。
魔王の威圧だろうか。危険だ。リオは口を閉じた。
ヨチヨチ、ヨチヨチ、と歩き続けるもこもこの映像が、そのまま左端のほうへ消えていく。
『あ……何も言わないんだ……』少しだけ残念に思った彼の心に答えるかのように、サングラスを外したもこもこがちょっとだけお顔を見せてくれた。
不安そうにお目目を潤ませ、もこもこのお口をそっと開く。
『クマちゃ……』クマちゃ、監督です。ご来場、ありがとうございまちゅ……。
クマちゃん監督は来場者が途中退席できなくなるような挨拶を残し、去って行った。
死神が金縛りにあう中、『こまーちゃる』と書かれた映像が流れる。
猫の手型鍋掴みをはめたもこもこが、ケーキをぽふん、と焼き上げ『にゃー』をすると、赤地にスイカの種柄の服を着た男が笛を吹く映像へ切り替わった。
二人の観客に効率よくダメージを与えた『クマちゃんリオちゃんレストラン』の宣伝は数秒で終わり、映画会社の名前が『クマちゃーん』と飛び出す。
――クマちゃん映画ちゃ――。
『右下でお絵描きしてるクマちゃんめっちゃ気になる……』園長は心の中で思いつつ、謎の映像を見つめ続けた。
いやそもそも『映画』って何、と。
しかし、そんなことを気にしている場合ではなかった。
映像の左側に現れた『主演』の文字。
『リオちゃん』『クマちゃん』が美しく煌めき、儚く消えてゆく。
「主演?!」なんと不吉な響きか。リオは目を剝いた。
『映画』と関係があるらしい言葉が、星屑のようにキラキラと光る。
――仲良しの彼の秘密――。
ザァ――。風が草木を揺らし、森に佇むもこもこが、枯れ木を見つめ、悲し気に呟く。
『クマちゃ……』お引越しちゃん……。
もこもこした生き物は、登場して早々にお引越しをするらしい。
リュックを抱えたもこもこが、ヨチヨチ、ヨチヨチ、と歩き出す。
大変だ。我が子が自分で荷物を持ち、可愛いあんよでどこかへ行こうとしている。
新米ママは余計な発言をしないよう、自身の口を押さえた。
だというのに、渋い声の男が独り言をいう。
「おい、誰か側にいないのか……」せめて荷物を持ってやれ――。
リオはこらえた。『マスターめっちゃ喋ってんじゃん!』などと言えば集中攻撃にあうだろう。
映像の中のもこもこは、ヨチヨチ、ヨチヨチ、とどこかの町へ到着したようだ。
きゅ――。曲がってしまった赤いリボンを、肉球で整える。
「逆に曲がってるし……」もどかしさで黙っていられない。
新居から出てきたもこもこが、お隣さんのドアを引っかいている。
カリカリカリカリカリ――。
心配したマスターは、映像のもこもこに声を掛けた。「大丈夫か?」悪人が住んでいたらどうする。
開けてくれないお隣さんに、もこもこが湿ったお鼻を鳴らす。
キュオー……、キュオー……。
もこもこが鳴いている。隣人は、赤子に居留守を使う悪党か。
「……――」クライヴが立ち上がりかけたとき。
『もこもこ事件じゃん』
ドアの向こうから、かすれ声が響いた。
主役の登場である。「いやマジで出てこなくていいから」役者も村長も店長も園長もこなす男が野次を飛ばす。
もこもこしたお手々でドアをカリカリしてしまった犯人は、ハッとしたようにお口を押さえた。
犯行現場から、ヨチヨチ、ヨチヨチ、と逃げ出す。
その姿は、壁で爪とぎをして怒られた猫ちゃんに、よく似ていた。
だがドアからは誰も出てこない。猫似のもこもこが、現場に戻る。
『クマちゃ……』鞄をごそごそと探り、ドアの前にそっと木の実を置いた。
お隣さんへのご挨拶なのだろう。いじらしいもこもこに、観客の胸が締め付けられる。
もこもこが二つ、三つ、四つ、五つ――と木の実を並べていた、その時。
『連続もこもこ事件じゃん』
『クマちゃ……!』連続して木の実を置いてしまった犯人は、ハッとしたようにお口を押さえると、瞳を潤ませドアの前から離れた。
ヨチヨチ、ヨチヨチ、と駆ける背中に声が掛かる。『待って待って』
素直なもこもこが不安げな表情で隣人を待っていると、ドアが開き、一人の男が姿を現した。
「めっちゃ俺じゃん……」まさか、あれは『クマちゃのげーむ』の人形か。
隣人リオの頭には、布が巻かれていた。そして、その上に妙な膨らみが二つある。
怪しい。怪し過ぎる。アレが秘密か。だがもこもこはまったく気付いていないようだ。
『……分かんないことあったら呼んで』
『クマちゃ……』
もこもこは抱っこをねだるようにお手々を伸ばしたが、隣人はそっけなく家の中に戻ってしまった。
寂しそうにお手々の先をくわえ、ふたたび木の実を並べ始める。
健気すぎるもこもこを見た観客の目に涙が浮かび、一部の人間は小声で告げた。――許さん――、と。
ご挨拶用の贈り物が、尽きてしまった。
疲れてしまった赤ちゃんが、もこもこもこもこと丸くなる。
キィ――。ドアが開き、隣人リオが顔をのぞかせた。
彼の家の前には大量の木の実が散乱し、白い何かがふわふわの尻尾を向けて、丸くなっている。
『いまんとこ変なのはいないっぽいけど』
「いや家の前大変なことになってるからね」
こいつは冒険者にはなれまい。節穴すぎる。
場面が切り替わり、どこかの学園に似た、教室らしき映像が浮かぶ。
もこもこが転校生として挨拶をすると、一人の男と目が合った。
頭に被った布が妙な形にふくらんだ、愛想のない金髪のお隣さんである。
だが真っ赤な頭巾でお耳を隠しているクマちゃんの正体に、隣人リオは気付かない。
授業中、もこもこが机いっぱいにご挨拶の品を並べていると、端の方から転がり、木の実をニ十個落としてしまった。
「いや落ちるに決まってるよね」
起こるべくして起こった事故である。園長は己の見解を述べた。
映像の中の隣人リオが、床を転がる木の実を拾い、もこもこの肉球に手渡す。
そして気付く。この猫のようなお手々は、昨日彼の家のドアをカリカリしていたもこもこのそれではないかと。
見つめ合い、急激に仲良くなる二人。
同じ机で授業を受け、もこもこを撫でまわし、共にお昼寝をし、金脈を掘りつくし、温泉も掘りつくし、航海をし、さまよい無意味に穴を掘り、気球に乗り、大冒険をした。
そのあとさらに隣人リオが伝説の剣を振るい巨大な山を切り刻むシーンが十三分間続く。
映像を止めろという村長の歎願が、山の爆発音にかき消される。
ある日、彼はついに自身の秘密をもこもこに明かした。『実は俺――』
『――エンジェルなんだよね』
『クマちゃ……!』エンジェルちゃん……!
『完』の文字が現れ、愛らしい歌声――エンディングテーマが流れる。
『クマちゃーん』――エンジェルちゃーん――。
仲間達が感動の涙を流し、あつい拍手を贈る。クマちゃん監督も肉球を一生懸命テチテチしている。
「いやおかしいでしょ。あの頭なんだったの。めちゃくちゃ膨らんでたじゃん。変な布被ってたでしょ。耳じゃないなら逆になんだったんだって話になるじゃん」
ピピピピピ――。琴線ではない場所に何かが触れた男が、俳優リオちゃんのファッションセンスを『布を膨らませすぎではないか』と否定した。
クマちゃん監督の素晴らしい作品『自然破壊』に、早速クレームが入ってしまった。
だが魔王に抱えられた監督と、もこもこを褒めたたえる観客達はすでに席を立ち、映画館を出ている。
「…………」
苦情を叩きつける相手を見失ったリオは、次の遊び場へと向かう彼らを、静かに追いかけた。
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