第331話 「クマちゃ……」ミステリアスな最高権力者。「めっちゃ気になる……」
クマちゃんは重々しくゆっくりと頷き、「クマちゃ……」と言った。
◇
湖面に浮かぶ真っ白な建物の上を、雲が通り過ぎ、影をつくる。
透き通る水の中。気持ちよさそうに泳ぐ、色鮮やかな魚たち。
純白の橋は水面を二つに分かち、まるで光の導きのように、幻想的な空間へと彼らをいざなう。
ゆるやかな風が吹き、水鏡に映る白亜の城が、波紋でゆらりと揺らめいた。
「クマちゃんあの魚綺麗だねー……いまの金色のやつめっちゃ光ってなかった?」
「クマちゃ、クマちゃ」
『お魚、めちゃ、ねー』
五人と一匹とお兄さんとゴリラちゃんは、小鳥のさえずりに耳を傾けつつ、まっすぐに城を目指していた。
ウィルが静かに景色を楽しみ、マスターがもこもこに貰った高価すぎる腕時計の針を眺め、魔王がもこもこを撫で、死神が欄干に隠れるもこもこ像に心臓をゆさぶられ、お兄さんがゆるりと瞬きをし、ゴリラちゃんがふよふよと最後尾に浮かぶ。
彼らは泡の天辺にツノが立ったような不思議な形の屋根をじっくりと見上げることもなく、異国情緒あふれる城へと足を踏み入れた。
「すげー……」
視界に飛び込む派手な布、噴水、ランプ、いたるところに置かれ、植えられた南国の植物。
あちこちから零れ落ちる細い滝。通路以外には澄んだ水がたたえられ、光る花が浮かんでいる。
なんというか――色々と凄い。
他の言葉が浮かんでこない。リオは森の街の人間らしく、繊細さに欠ける粗雑な感想をもらした。
王族の住まう城など入ったことはないが、一般の建物とはまったく違う豪華さがある。
「とても良いことを思いついたのだけれど――」
派手で美しい南国の鳥が、マスターに笑顔を見せる。
「酒場の中央にも大きな噴水を置いて、二階の手すりからは水が流れるようにしたらいいのではない? もちろん、改装は僕も手伝うよ」
「お前の言う『良いこと』が俺にとって良かったためしがないんだが」
マスターは心がざわつく水音を聞きながら答えた。「却下する」
大理石でも特別な石でもない内装でそんなことをやったら、激しい雨漏りか魔道具の故障を疑われるだろう。
彼は、おかしな『演出』のせいで頭から水を被る冒険者達を思い――
『マジやべー。滝つぼご飯』
『ワイングラスと滝ってカッコよくね?』
『天才か』
『俺ちょっと試してみるわ』
『手首ガクガクしすぎ』
『ぜんぜん目あいてないじゃん』
『カッコよさ三パーセント。……グラス落下! マイナス十パーセント!』
すぐに考えることを止めた。
気にしない馬鹿共のほうが多そうだ。
中央に噴水が設置された植物園のような広間。
視線の先。左右に取り付けられた階段が綺麗な曲線を描き、二階へ続いているのが見える。
「これって幻影だったりする?」
砂漠に現れた美しい宮殿。尽きることのない水が、しぶきを上げる。
リオは謁見の間に繋がるであろう青い絨毯の上を歩きながら、零れ落ちる水に手を出してみた。
「冷たっ! 普通に本物。あ、なんかスッとする。癒されたかも」
「彼の真似をしてはいけないよ」
ウィルは、魔王の腕のなかで短いお手々を伸ばしているクマちゃんを、優しく諭した。
「クマちゃ……」
少々残念そうなもこもこと共に城内を歩き、大きな扉の前に到着する。
「普通に開くっぽくね?」リオが扉にふれると、押してもいないのに、ゆっくりと開いてゆく。
「ん? 気配があるな……」
などと吞気なことを言っている間に、扉は全開だ。
マスターは眉間に皺を寄せた。
癒しの力が溢れる空間だからといって、気を緩めすぎではないのか。
だが、高位で高貴な存在がまるで警戒していないというのに、自分達だけ神経を尖らせるというのも――。
『高位なお兄さんの判断を疑うような態度は、果たして許されるのか』正解のない難問に挑みながら、広々とした謁見の間におわす何かに視線を合わせる。
もこもこ王であれば頭を下げることを厭わぬ彼らでも、赤ちゃんが精一杯頑張って造った城に勝手に住み始めた存在に平伏することはない。
清き水と植物で飾られた、白く心地好い空間。
遠くの玉座に腰掛けている何かは、仲間の金髪にも、まったくの他人にも見えた。
リオにそっくりな男は白いシャツ、黒いネクタイ、黒いズボン、スイカ柄サングラス、羽、縦笛、という若干イカれた服装と装備をしていた。
片手で笛を吹きながら、こちらを見ている。
「えぇ……」リオは自分に似た何かへ否定的な声を出した。
何故やつはあの格好で待とうと思ったのか。妙になめくさった態度も気になる。
「うーん。演奏の技量までそっくりだね」
「ああ」
色気のある声が、雑な相槌を打つ。
リオは思った。絶対に違いなど聴き分けていない。
魔王がリオの演奏を正確に覚えていたら、そちらのほうが仰天である。
もこもこは魔王の腕の中で、小さな黒い湿ったお鼻の上に皺を寄せ、肉球をかじっていた。
身だしなみを整えているらしい。
「めっちゃ待ってるんですけどー」ポヒー――。笛の音がやけに響く。
なめくさった態度のリオちゃん王が、彼らを呼んでいる。
「いかなくてよくね?」新米ママは我が子と同じように、鼻の上に皺を寄せた。
出来れば近付きたくない。
だが、仲間達はスタスタと玉座のほうへ歩いて行ってしまった。
残念ながら、放置は出来ないらしい。
「色々と話したいとこですけどー」リオちゃん王が話し出す。
「ちょっとマジで困ってるんで、先に調査お願いしまーす」
彼はそういって、優しい手つきでおねんねクマちゃん王人形を撫でた。
ひざの上で仰向けになっているもこもこの頭には、ちっちゃな王冠がのっている。
「調査というのは、そちらの可愛らしい人形のこと?」
森の街で一番大雑把なのは彼ではないか――と一部の金髪に噂されている男は、リオに激似の男に正体を訊かず、もこもこについて尋ねた。
「いやこれは普通に可愛い人形なんで調査もクソもないんですけど」
そう答えた彼から話を聞きだそうとしたが、「こっちもやることあるんで、又ね」と優しく微笑まれてしまった。
なんとも魅力的な笑みだ。サングラスで顔を隠していても、それが分かった。
リオちゃん王は愛らしい人形を抱えて立ち上がると、魔王の腕の中にいるもこもこへ向け、まるで貴族のような礼をしてみせた。
「では、後程」
◇
そうしてリオちゃん王は『真のクマちゃん王』に丁寧に挨拶をしたあと、そのまま謁見の間を出て行ってしまった。
仲間達が一瞬だけ本物のリオを見る。
が、それ以上何も言わず、別の話題へ移った。
「何いまの視線。めっちゃ気になる」
謎のリオちゃん王の正体よりも、仲間達の心の声が気になる。
しかし、ミステリアスなリオちゃん王の魅力など、彼らが語って聞かせるわけがない。
『真のリオちゃん王』が今より大きなもやもやを抱えることはなかった。
「クマちゃ……」
クマちゃん王はうむ、と頷いた。
調査――。いい響きである。
このお城の何かが、クマちゃんの肉球を必要としているようだ。
クマちゃんは仲間達を見ながら、スッとお手々を上げた。
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