第327話 「クマちゃ……」哲学的なクマちゃん。消えたアレ。「えぇ……」

 現在クマちゃんは、世界平和について考えている。



 リオはもこもこの小さな鞄から出てきたそれらを、じっと見つめた。


 鉢植え。

 その言葉を聞くだけで、横倒し土こぼし事件が思い浮かぶ。


 しかし、今のクマちゃんは体が小さい。

 おかしなことにはならないだろう。


 子猫のいたずらを心配する人間のようなことを考えながら、先の丸いそれが示す方へ、抱えているもこもこを移動させる。


「クマちゃ……」もこもこが土を引っかく。

 そして、猫がぐいーと伸びをしてお手々を開くときのように、手の平をパッと広げた。


 ――ぽとり――。


 何故か、土の上に豆が落ちる。


「…………」リオは無言で可愛いお手々を見た。


 なんだ今のは。何もないところから出てこなかったか。

 怪しい。非常に気になる。


 細かい男が細かいことを気にしている間に、もこもこの作業は終わっていた。

 ふわふわのお手々が、神聖な力を蓄えたそれに、そっと土をかぶせる。


「クマちゃんには少し重たいかもしれないね。僕が代わりにお水をあげてもいい?」


「クマちゃ」


「おい、それは聖獣がくれたもんだろ。土に埋めていいのか……?」


「…………」


 警戒心の強い男は彼らの会話に参加せず、目を糸のように細くしていた。

 もこもこが水をかけるよりはマシだろうか。

 いや、癒しの水であればすぐにニョキっと何かが生えるだろう。

 

 ジョウロを持っていたウィルが、白い砂地に置かれた三つのそれに、サァ――と水を振りまく。


 リオは奇跡の瞬間を目撃した人間らしくない、低い声で言った。

 

「やっぱり……」 



 準備を終えたクマちゃんは、お手々をもこもこした口元に当て、金銀財宝の実る木について考えていた。


 お宝がざくざくちゃんの木――ということは、水だけでなく魔力もたくさん注げば、もっと凄い木になるかもしれない。


 凄い物が実る素敵な木を想像してみる。


 天まで伸びる、太くて長い幹――。

 お空を覆いつくすように広がる、枝と葉っぱ――。

 遮られる太陽光――。

 永遠なる木陰――。 


 うむ。村が暗くなりそうである。

 植える場所はあとで決めよう。

 

 ごそごそと杖を取り出し、小さな黒い湿ったお鼻にキュ、と力を入れる。


 たくさんの木の実。たくさんの葉っぱ――。

 美味しそうな果物――。


 皆と一緒に仲良くお花見をするクマちゃん――。

 おしゃれなグラスに注がれた、甘い牛乳――。


 幸せな情景を思い描き、猫のようなお手々で杖を振る。


 とにかく凄い感じちゃん――。 


 考えごとで忙しいクマちゃんの思考が、少しずつ逸れてゆく。


 皆ちゃん幸せちゃ……――。


『幸福とは――』哲学の道へ肉球を踏み入れてしまった赤ちゃんクマちゃんは、その格好のまま、魔力を注ぎ続けた。



 リオはもこもこを両手に抱え、鉢植えの前で魔法を使い始めたクマちゃんの後頭部を見ていた。


「めっちゃ丸い……」


 赤ちゃん帽が最高に似合っている。

 中でお耳を伏せているのだろうか。

 

 いつまでも眺めていたくなる丸さだ――。

 そう思っていた彼の視界に、妙なものが飛び込む。


 鉢植えの周りの景色が、陽炎のように歪んで見える。


「めっちゃやばそう……」


 リオはもこもこを腕の中に抱き込み、立ち上がった。

 ふわふわなお手々から、素早く杖を抜き取る。


「僕が見張っているから、君は――」


 力を注ぎ過ぎたのかもしれない。

 ウィルはいつもと変わらぬ穏やかな口調で、もこもこを遠ざけようとした。


『全員下がれ』マスターが命令を下す直前。

 魔王の魔力が彼らを覆い、そこにあったものは、ふっと姿を消していた。



 神聖な力と癒しの力をこれでもかというほどため込んだ鉢植えが、行方不明になった。


「…………えぇ……」


 赤ちゃんをしっかりと見ていなかった自分の責任である。

 放っておくのはまずいだろう。探さねば。

 しかし何処を。


 意外と真面目なリオは可愛いもこもこの起こした珍妙な事件について考え、その途中で、腕の中に隠していた我が子をルークに奪われた。

 

 結界を張ってくれたのはありがたいが、もこもこを誘拐するのはやめていただきたい。

 聖獣の見張りはいいのか。


「リーダー何かした?」


『彼が何かをする』つまり、魔法でぐしゃっとすることである。


 ルークはリオを一瞥し、もこもこを連れ、家に戻って行った。 

 何もしていないらしい。



「なんと愛くるしい赤子だ……。これもお前にやろう」


「クマちゃ……」


「うちの子に変なもん渡さないで欲しいんだけど」


 ドレス姿よりも赤子の姿のほうがお好みらしい聖獣が、至高の赤ん坊に怪しげな木の実を渡す。

 貰えるものはなんでも貰うタイプのもこもこは、両手の肉球できゅむ、とそれを掴んだ。



「私の可愛いクマちゃん……、すぐに帰ってくるからね……三十分ほど待っていて――」


 儚げな美形生徒会長が、もこもこを見つめ、ひと粒の涙を零す。


「その格好クソやべぇな……。頭に哺乳瓶が浮かんでくるぜ……」


 副会長は野性的な口調で独り言を呟きつつ、胸元にぐっと拳を当てた。


「赤ちゃん用の帽子……顔の周りのレース……つぶらな瞳……これが、天界一の美クマちゃんの、真の普段着……」


 瞬きをしない会計は、もこもこの可愛らしい姿を目に焼き付けるように、しつこく、とにかくしつこく見つめ続けた。

 

 別れの挨拶を終えた彼らは、闇色の球体に身を包まれ、瞬く間に帰って行った。



「あ~、俺はオアシスを見てくる。ウィルとクライヴも来てくれ」


 マスターとウィルが、何故か死にかけのクライヴと、外へ出て行く。


 残されたリオは、ルークへ視線を投げた。


 魔王はいつも通り、何を考えているのか分からぬ無表情で、もこもこをあやしている。


 鉢植えがどこかで爆発したり、悪党に盗まれたり、という心配はしなくてもいいらしい。


 だが、もこもこのいる前でそれを訊くわけにはいかない。

 そんなことをすれば、不安になった赤ちゃんクマちゃんがキュオーとお鼻を鳴らし、鉢植えを探す旅に出てしまう。


 おそらく、もこもこはアレが消えたとき、視線を鉢から逸らしていた。

『鉢植えどっか行ったよね』的な話題は避けるべきである。


『は』や『はち』から始まる言葉も止めた方がいいだろう。


 悩み多き男が、もこもこに声を掛ける。


「クマちゃん、何かして遊ぶ? それとも寝る?」


 可愛い我が子はずっと働いてばかりだ。

 休んだ方が良い。


「クマちゃ……」

『遊びちゃん……』


 哲学的な赤ちゃんクマちゃんが、『遊びとは何か』について考える。


 素敵な遊びちゃん――。おままごとのことだろうか。

 それとも、皆で仲良く街へ遊びに行くことだろうか。


 街ちゃん――の様子を思い浮かべている途中で、ハッと気が付く。


 クマちゃんとリオちゃんの村に、遊べる場所を作ればよいのではないだろうか。

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