第326話 穏やかで美しい時間。仲間と語らうひととき。何でも知っているクマちゃん。「クマちゃ……」「あのさぁ……」
現在クマちゃんは、美しい時間を過ごしている。
◇
「見たよね」
瞳孔の開いた男は瞬きをせずに、派手な男へ視線を送った。
ただ見は許さない 。
『大変なことになったね……』や『羽が生えてしまったね……』くらいの驚きは表現すべきである。
「……意識して見たつもりはないのだけれど。でも、君は褒めて欲しいみたいだから……」
難癖をつけられたウィルは、悲しいのか困っているのか分からない不思議な、魅力的な表情で、首を傾げてみせた。
「素敵な格好だね、リオ……、呼び方も変えたほうがいいのかな。エンジェル……」
涼やかな声が、何かを言いかけ途切れる。
ウィルは長いまつ毛を伏せ、片翼のエンジェルから視線を逸らした。
「絶対思ってないやつ。まさか今『エンジェルリオ』って言おうとしたわけじゃないよね」
ルークに甘えていたもこもこは、ハッとしたように、もこもこのお口を押さえた。
「クマちゃ……」
『エンジェルリオちゃん……』
愛らしい声が、神秘的な二つ名を繰り返す。
かっこいいちゃん……、と。
ウィルは益々困った、という雰囲気で斜め下へ視線を向けつつ眉を寄せた――
ように見えたが、一瞬のうちに色気を滲ませた悪い男の顔へと変わり、ク――と喉を鳴らした。
「いま馬鹿にしたでしょ!」
細かい男のセンサーが、微かな『ク――』にピピピピピと反応した。
嗤った。間違いない。
嘲笑……否、もしかしたら爆笑かもしれない。まさかそちらが本性なのでは――。
仲間を信じぬエンジェルが「ちょっとこれ『カチ』ってしてみて」エンジェル仲間を増やそうと目論む。
派手な男は心に闇を飼う天使の誘いに乗らなかった。
もこもこが作ってくれた魔道具を使うことには何の問題もない。
少しのあいだ天使の姿を楽しむのも、悪くはないだろう。
だが、聖獣の魔力を飲み込んだのはリオだけだ。彼がそれを押しても、神聖な羽が生えることはない。
きっとリオの片翼も、魔力が尽きれば消える。
羽が欲しいと願ってみようか。強く望めば、魔道具が力を貸してくれるはずだ。
ウィルは少しだけ想像し――それよりも、と考えた。
一時の遊びに使うなら、己を飾るよりも、空から美しい花びらを降らせたほうが、幼いもこもこを喜ばせることが出来るだろう。
「……馬鹿にしたわけではないのだけれど」ウィルは穏やかな表情で、心の潤いが足りないエンジェルに答えた。
「羽は似合っているよ。でも、君を『天使みたいだ』と思ったことがなかったから、少し驚いてしまって……」
「思われても困るけど『天使みたいだと思ったことがなかった』って言われると『え、どういう意味だろ……』ってなるよね。つーかそういう感じの『ク――』じゃなかった気がする……」
「細けぇな」
魅惑的な低い声が、繊細なエンジェルを斬り捨てる。
「クマちゃ……」
『こまちゃ……』
もこもこした赤ちゃんは大好きな彼の言葉を繰り返した。
「まぁ、そうだな。似合ってるかもしれんな」優しいマスターは心を負傷した天使に無難な言葉を掛け、話を続けた。
「……この起爆装置――いや、『良い感じになるスイッチ』だったか? ――効果は数分で切れるんだろ。さっきの光も、もう消えかけてるしな」
「まさか、天使と呼ばれたいのか――」
意外と仲間想いなクライヴが、氷をぶつけるような眼差しで確認する。
呼ばれたいなら呼んでやろう――。
天使、否……エンジェル――。
だが羽のかすれた天使が『ありがとう。氷の人めっちゃ優しい……』と感動することはなかった。
◇
もこもこ製の素敵な魔道具に大人達が感心しているあいだに、クマちゃんはつぶらな瞳でお兄ちゃんを探していた。
「クマちゃ……」お手々の先をくわえたもこもこが、ルークの腕の中で頷く。
居ないちゃん……、と。
何でも探してくれるアヒルさんの出番だろうか。
姿を隠していた彼が、ゆるりとまつ毛を持ち上げる。
過保護なお兄さんは闇色の球体を、魔王の前、もこもこした赤子の手元付近に浮かせた。
「クマちゃ……」
クマちゃんは深く頷いた。
色々入っている玉である。よろず屋お兄ちゃんの無人販売所だろうか。
この中にハートちゃんを入れ、欲しい物と交換すればよいのだろう。
クマちゃんは子猫のようなお手々を、そっと、闇の中へ突っ込んだ。
◇
爽やかな風、止むことの無い光の雨。
ハラリ、ハラリと舞い落ちる、輝く花びら。
すべてを受け止めるオアシスが、光を弾き、美しい音を奏でる。
緑の香りに包まれながら過ごす、穏やかな時間。
シャララ――、シャララ――。
パチャ……パチャ……。
美し過ぎる景色のなか。片翼の天使と、羽はないがもこもこしている天使は、水辺で水を汲んでいた。
「あのさぁクマちゃん。俺だいぶ魔力減ったし、もうスイッチとか押さなくていいかなって思うんだよね……」
「クマちゃ……」
『ちゅいっち……』
パチャ……パチャン……。
小さなジョウロが、何処かへ流れてゆく――。
「めっちゃ流れてる……」
シャラ――。聞き覚えのある音だ。
両手でもこもこを支えるリオの横で、派手な男が身をかがめる。
魔法の風が吹き、水の流れが変わった。
さざ波が、薄桃色の花びらと、赤いジョウロを運ぶ。
クマちゃんの大事なものはすぐに戻って来た。
「リオ。作業の途中で声を掛けてはいけないよ」
そう話しながら、拾い上げたジョウロに水を汲み、彼はシャラ、と立ち上がった。
おもむろに、淡い光を放つ翼を掴む。
「うーん。本物みたいな感触だね。広げることはできる?」
「いままで言ったことなかったけど、実は俺羽とか広げたことないんだよね」
「クマちゃ……」
「白いの、今からあいつらを帰すが、もう一回挨拶するか?」
彼らがのんびりと話していると、マスターがもこもこの学友達を連れて戻って来た。
生徒会役員達の話し声が、離れた場所から聞こえる。
「凄い……。これが私の可愛いクマちゃんの故郷――私の可愛いクマちゃんが、見知らぬ堕天使に……!」
「さすが天界。降るもんがちげぇ。雨の代わりっすかね。――三つ子……!」
「美クマちゃんの被毛くらい綺麗ですね。――顔が似てる……、と思いましたが、こちらの方のほうが目つきが鋭いような」
「クマちゃ……」
『鋭いちゃん……』
ええ、今日のクマちゃんのお目目は鋭いちゃんですね……。
そう呟きながら、クマちゃんは考え事をしていた。
「いやめっちゃまん丸だけど」
風がささやく。めっちゃ丸いと。豆の話だろう。
うむ。しかし豆は丸いだけではないのである。
クマちゃんは知っていた。
豆は、金の生る巨木になる――。
「クマちゃ……」
『クマちゃ、ざくざくちゃん……』
クマちゃん、ざくざくだね……。
物欲に支配されたもこもこが、愛らしい声で欲望を垂れ流す。
「何言ってんの?」
風もささやいている。
クマちゃん、教えてください、と。
心の広いクマちゃんは、彼に持ち上げられたまま、ゆっくりと頷いた。
◇
天界よりも煌びやかな、癒しの空間――。
光と花びらがあたりを覆いつくし、真っ白な砂の中で、宝石のように氷が輝く。
ときを忘れ、魅入ってしまうほど美しい、オアシスのほとり。
もこもこ達の前には、植木鉢が三つ、並べられていた。
「なんだろ、この見覚えある感じ……」
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