第326話 穏やかで美しい時間。仲間と語らうひととき。何でも知っているクマちゃん。「クマちゃ……」「あのさぁ……」

 現在クマちゃんは、美しい時間を過ごしている。



「見たよね」


 瞳孔の開いた男は瞬きをせずに、派手な男へ視線を送った。

 ただ見は許さない 。

『大変なことになったね……』や『羽が生えてしまったね……』くらいの驚きは表現すべきである。


「……意識して見たつもりはないのだけれど。でも、君は褒めて欲しいみたいだから……」


 難癖をつけられたウィルは、悲しいのか困っているのか分からない不思議な、魅力的な表情で、首を傾げてみせた。

 

「素敵な格好だね、リオ……、呼び方も変えたほうがいいのかな。エンジェル……」


 涼やかな声が、何かを言いかけ途切れる。

 ウィルは長いまつ毛を伏せ、片翼のエンジェルから視線を逸らした。


「絶対思ってないやつ。まさか今『エンジェルリオ』って言おうとしたわけじゃないよね」


 ルークに甘えていたもこもこは、ハッとしたように、もこもこのお口を押さえた。


「クマちゃ……」

『エンジェルリオちゃん……』


 愛らしい声が、神秘的な二つ名を繰り返す。

 かっこいいちゃん……、と。


 ウィルは益々困った、という雰囲気で斜め下へ視線を向けつつ眉を寄せた――

ように見えたが、一瞬のうちに色気を滲ませた悪い男の顔へと変わり、ク――と喉を鳴らした。


「いま馬鹿にしたでしょ!」


 細かい男のセンサーが、微かな『ク――』にピピピピピと反応した。

 嗤った。間違いない。

 嘲笑……否、もしかしたら爆笑かもしれない。まさかそちらが本性なのでは――。


 仲間を信じぬエンジェルが「ちょっとこれ『カチ』ってしてみて」エンジェル仲間を増やそうと目論む。


 派手な男は心に闇を飼う天使の誘いに乗らなかった。


 もこもこが作ってくれた魔道具を使うことには何の問題もない。

 少しのあいだ天使の姿を楽しむのも、悪くはないだろう。


 だが、聖獣の魔力を飲み込んだのはリオだけだ。彼がそれを押しても、神聖な羽が生えることはない。

 きっとリオの片翼も、魔力が尽きれば消える。


 羽が欲しいと願ってみようか。強く望めば、魔道具が力を貸してくれるはずだ。


 ウィルは少しだけ想像し――それよりも、と考えた。

 一時の遊びに使うなら、己を飾るよりも、空から美しい花びらを降らせたほうが、幼いもこもこを喜ばせることが出来るだろう。


「……馬鹿にしたわけではないのだけれど」ウィルは穏やかな表情で、心の潤いが足りないエンジェルに答えた。


「羽は似合っているよ。でも、君を『天使みたいだ』と思ったことがなかったから、少し驚いてしまって……」


「思われても困るけど『天使みたいだと思ったことがなかった』って言われると『え、どういう意味だろ……』ってなるよね。つーかそういう感じの『ク――』じゃなかった気がする……」


「細けぇな」


 魅惑的な低い声が、繊細なエンジェルを斬り捨てる。


「クマちゃ……」

『こまちゃ……』


 もこもこした赤ちゃんは大好きな彼の言葉を繰り返した。


「まぁ、そうだな。似合ってるかもしれんな」優しいマスターは心を負傷した天使に無難な言葉を掛け、話を続けた。


「……この起爆装置――いや、『良い感じになるスイッチ』だったか? ――効果は数分で切れるんだろ。さっきの光も、もう消えかけてるしな」


「まさか、天使と呼ばれたいのか――」


 意外と仲間想いなクライヴが、氷をぶつけるような眼差しで確認する。

 呼ばれたいなら呼んでやろう――。

 天使、否……エンジェル――。


 だが羽のかすれた天使が『ありがとう。氷の人めっちゃ優しい……』と感動することはなかった。



 もこもこ製の素敵な魔道具に大人達が感心しているあいだに、クマちゃんはつぶらな瞳でお兄ちゃんを探していた。

「クマちゃ……」お手々の先をくわえたもこもこが、ルークの腕の中で頷く。


 居ないちゃん……、と。


 何でも探してくれるアヒルさんの出番だろうか。


 姿を隠していた彼が、ゆるりとまつ毛を持ち上げる。

 過保護なお兄さんは闇色の球体を、魔王の前、もこもこした赤子の手元付近に浮かせた。

 

「クマちゃ……」


 クマちゃんは深く頷いた。

 色々入っている玉である。よろず屋お兄ちゃんの無人販売所だろうか。

 この中にハートちゃんを入れ、欲しい物と交換すればよいのだろう。  


 クマちゃんは子猫のようなお手々を、そっと、闇の中へ突っ込んだ。



 爽やかな風、止むことの無い光の雨。

 ハラリ、ハラリと舞い落ちる、輝く花びら。


 すべてを受け止めるオアシスが、光を弾き、美しい音を奏でる。


 緑の香りに包まれながら過ごす、穏やかな時間。


 シャララ――、シャララ――。

 パチャ……パチャ……。


 美し過ぎる景色のなか。片翼の天使と、羽はないがもこもこしている天使は、水辺で水を汲んでいた。


「あのさぁクマちゃん。俺だいぶ魔力減ったし、もうスイッチとか押さなくていいかなって思うんだよね……」 


「クマちゃ……」

『ちゅいっち……』


 パチャ……パチャン……。

 小さなジョウロが、何処かへ流れてゆく――。


「めっちゃ流れてる……」


 シャラ――。聞き覚えのある音だ。

 両手でもこもこを支えるリオの横で、派手な男が身をかがめる。


 魔法の風が吹き、水の流れが変わった。

 さざ波が、薄桃色の花びらと、赤いジョウロを運ぶ。


 クマちゃんの大事なものはすぐに戻って来た。


「リオ。作業の途中で声を掛けてはいけないよ」


 そう話しながら、拾い上げたジョウロに水を汲み、彼はシャラ、と立ち上がった。

 おもむろに、淡い光を放つ翼を掴む。


「うーん。本物みたいな感触だね。広げることはできる?」


「いままで言ったことなかったけど、実は俺羽とか広げたことないんだよね」

 

「クマちゃ……」



「白いの、今からあいつらを帰すが、もう一回挨拶するか?」


 彼らがのんびりと話していると、マスターがもこもこの学友達を連れて戻って来た。

 生徒会役員達の話し声が、離れた場所から聞こえる。


「凄い……。これが私の可愛いクマちゃんの故郷――私の可愛いクマちゃんが、見知らぬ堕天使に……!」


「さすが天界。降るもんがちげぇ。雨の代わりっすかね。――三つ子……!」


「美クマちゃんの被毛くらい綺麗ですね。――顔が似てる……、と思いましたが、こちらの方のほうが目つきが鋭いような」


 

「クマちゃ……」

『鋭いちゃん……』


 ええ、今日のクマちゃんのお目目は鋭いちゃんですね……。

 そう呟きながら、クマちゃんは考え事をしていた。


「いやめっちゃまん丸だけど」


 風がささやく。めっちゃ丸いと。豆の話だろう。


 うむ。しかし豆は丸いだけではないのである。

 クマちゃんは知っていた。



 豆は、金の生る巨木になる――。 


 

「クマちゃ……」

『クマちゃ、ざくざくちゃん……』


 クマちゃん、ざくざくだね……。

 物欲に支配されたもこもこが、愛らしい声で欲望を垂れ流す。   


「何言ってんの?」


 風もささやいている。

 クマちゃん、教えてください、と。  


 心の広いクマちゃんは、彼に持ち上げられたまま、ゆっくりと頷いた。



 天界よりも煌びやかな、癒しの空間――。


 光と花びらがあたりを覆いつくし、真っ白な砂の中で、宝石のように氷が輝く。

 ときを忘れ、魅入ってしまうほど美しい、オアシスのほとり。


 もこもこ達の前には、植木鉢が三つ、並べられていた。


「なんだろ、この見覚えある感じ……」

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