第324話 可愛さだけで解決した事件。「クマちゃ……」「クマちゃん可愛いねー」

 現在クマちゃんは大好きなルークの手でお着替えをさせてもらっている。


 うむ。お部屋の中であそぶなら部屋着のほうがいいということだろう。



 もこもこソファセットで会議をしていた彼らは、三分と経たずに結論をだした。

 

『放っておいてもどうにかなる男は、もこもこのアレを見るだけですべてを思い出すだろう』と。



 銀髪の美麗な男がふらりと席を立ち、リオの腹の上でもこもこしているクマちゃんを、優しく抱き上げる。


「え、どしたのリーダー」


 リオは寝転がったまま、彼を見上げた。「俺のクマちゃん返して欲しいんだけど」

 それは『俺のもこもこ』である。きっとクマちゃんも『リオちゃんのお腹の上にいたい』というだろう。


「…………」


「無言で見下ろしてくるのもやめて欲しい感じ」


 美麗な男の腕のなか、もこもこが子猫に似たお手々を一生懸命振る。


 ――さようならちゃ、リオちゃん……。クマちゃんは大好きな彼と共に行きます……――。



 ルークは興味を失ったように男から目を離すと、可愛いもこもこを連れたまま、徒歩三秒ほどの地へ、スタスタと戻って行った。


 いやクマちゃんは置いてって欲しいんだけど……――。

 苦情は魔王に届かず、ふわふわな敷物に吸収された。



「これは……危険かもしれないね……」


 ウィルは真剣な表情で、もこもこした生き物を見た。

 連れ去ってしまいたい。

 だが、どこに隠してもすぐに見つかってしまうだろう。


 派手な男は長いまつ毛を伏せ、もこもこの誘拐を諦めた。

 赤ちゃんを逃亡生活に巻き込むわけにはいかない。誰にも解けぬ結界を創るのが先だ。


「おいクライヴ……、大丈夫か……」


 優しいマスターは、一人掛けソファを凍らせ呼吸を止めた男から雪を払った。

 

 魔力を制御できなくなるのも仕方がない。

 見なければいいだろう、と目を背けることも出来ぬほど愛らしいのだ。

 

 もこもこを着替えさせるだけで死神を斃した男は、愛くるしさの化身もふ、と抱き上げると、手に何かを掴み、バーカウンターへ向かった。

 


 我が子を奪われた男は、増えた魔力を減らす方法ではなく、頭から離れぬもこもこのことを考えていた。


 自分はもこもこを撫でていないと落ち着かない体にでもなったのだろうか。

 手のひらがすべらかな被毛を求めている。

 

 クマなのか子猫なのか分からぬ獣の声が聞きたい。

 可愛らしい声で、名前を呼ばれたい。

 濡れた鼻にピチョ、とふれ、可愛いと言いたい。


 とにかくクマちゃんを抱っこしたい。


 彼は決意した。我が子を取り戻そう。


 魔王に戦いを挑むか――。


 無謀な策を実行するため、もふもふの敷物から上体を起こす。


 だが彼が立ち上がる前に、犯人は戻って来た。


「あ、俺のクマちゃん」返してくれんの――。

 言いかけた言葉を止め、リオが叫ぶ。


「何その究極の赤ちゃんみたいな格好!」


 男は激しく高鳴る胸を押さえた。「ヤバすぎる。すげー可愛い。心臓痛い。死ぬかも……!」


 もこもこした赤ちゃんは、真っ白なレース付きの水色赤ちゃん帽を被り、胸元に小さな哺乳瓶を抱えていた。


 そして、もふ、と渡されたもこもこの身体を見たリオの脳を、衝撃的なズボンが揺らす。


『完全にオムツじゃん!!』


 口に出せば死神と魔王に殺される禁断の呪文を放つ前に、『クマちゃ……』――彼の記憶にもこもこがハマった。


 思い出の中で何かがひっくり返される。

 あやしい水音、花瓶を横向きに抱える白いもこ影、濡れた誰かのズボン、無言で着替える男。


 そうだ――、あの時のもこもこは大人猫よりも少し大きかった。


 めっちゃ水こぼしてたじゃん――。


 倒れた木、湿度の高い部屋、湿った服。


 もやもやしていた映像のあちこちに潜む、白い何かが鮮明になり、もこもこしてゆく。


「クマちゃ……」

『リオちゃ……』


 聞きたかった声が、彼を呼んだ。


 自分は何故、こんなに愛くるしい存在を忘れかけていたのか。

 否、理由など判っている。聖獣の豆のせいだ。

 一瞬だけ頭を過る、『雷光をまといしクソ迷惑な豆の効果』


 己の足は本当に速くなったのか。


 だがそんなことはどうでもいい。


 彼はもこもこにしか見せない優しい笑みを浮かべ、最愛の我が子へ、言いたかった言葉を告げた


「……――クマちゃん可愛いねー」


 

 ひとつめの問題は、もこもこの愛くるしさだけで解決した。


 もこもこが秀でた肉球を使うまでもなかった。

 森の街で起こる事件の大半は、同じ方法で片付くだろう。



 幸せで胸がいっぱいの新米ママは、究極の赤ちゃんに哺乳瓶で牛乳をあげていた。


「クマちゃん美味しい? 可愛いねー」


 魔力など、もうどうでもいい。

 お目目を細め、チュ、チュ……と牛乳を飲むもこもこを眺めているだけで、時間がとけてゆく。



 もこもこが肉球を動かし、もっとくだちゃい……、をする。 

 究極の赤ちゃんは、専用のグラスで喉を潤しつつ考えた。

 

 うむ。とても美味しい。

 幸せである。


 何かが一味違うリオちゃんも、ほとんど元に戻ったようだ。


 そしてむむむ、と分析してみる。


 食べたものは魔力に変わる――。

 固すぎるものを嚙まずに飲み込むと大変なことになる――。


 大変な事になったリオちゃんは、増えた魔力が大変なことになっている――。

 リオちゃんは豆からたくさん出ている神聖な魔力はお好みではない――。

 

 うむ。クマちゃんは頷いた。


 難しいことはよく分からない。


 一生懸命考えて分かったのは、聖獣ちゃんがくれた『足が速くなるかもしれない豆』は固すぎるということだけだ。


『なんか微妙にもやもやするんだよね……』となるのも、フォークにささらない豆のせいである。

 やはり、落ちている固い豆も、いにしえの豆も、化石になった豆も、拾って食べてはいけないのだ。


 クマちゃんは足が速くなる前に調子が悪くなった男を見上げた。

 うむ。

 クマちゃんが頑張ってリオちゃんの魔力を減らしてあげよう。


 学びを得たクマちゃんは、彼にそっと肉球を見せた。

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