第323話 仲良しなクマちゃんとリオちゃん。いつでも一緒な一人と一匹。

 クマちゃんは俊足を活かし、彼のもとへと駆けた。

 

 大変だ……! 急がなければ置いて行かれてしまう……!



 色気のある声が、怠そうに告げた。


「やめとけ」


 ルークはそれだけ言うと、リオの手からもこもこを奪い取った。

 ふわり、ふわりと優しく動く大きな手が、美しきクマちゃん先生の乱れた被毛を整えてゆく。


「クマちゃ……」

『やめちゃん……』


 艶の増したクマちゃん先生が、大好きな彼の言葉を子猫によく似た高い声で繰り返す。


 やめとけ……と。


「うーん。僕も止めておいたほうが良いと思うよ。君は多分村から……」


 涼やかな美声が、不吉な言葉を紡ぎかけ、途中で止めた。


「そこで切るほうが良くないと思うんだよね。村からなんなの。そこで苦笑すんの腹立つんだけど。言うなら最後まで」


 かすれ声が派手な男の生き方に口を挟み、すべてを吐き出す前に


「悪いのは、お前の頭を……した俺だ。子は預かる。好きにしろ――」


悲し気な死神が冷たく突き放すように、意外と優しいことを言った。


「聞こえないように言うのも止めて欲しいんだけど。めっちゃ気になるじゃん。え、氷の人俺の頭に何したの」

 

「あ~、そうだな……。ほぼ治ってる、というより、はなからどこも悪くないと思うが……。気になるなら試してみろ。まぁ、無理だと思うが」


 渋い声の男はもこもこの伝説の武器、装飾品、聖獣を凌駕していそうな癒しの力に護られている男を見ながら顎鬚をなでた。「……まぁ、無理だと思うが」


 細かい男は「いま無理って二回言ったでしょ」細かいことを気にしつつ、不満そうに目を細めた。


「どこも悪くないけど……『じゃあ試してみよー』っていう気にはならないよね。この雰囲気だと」



 結局試してみることになった男が、ソファから立ち上がる。


「いやでも魔力減らしたいんだよね」


 すると、クマちゃん先生が寂しそうな声を出した。「クマちゃ……」


『リオちゃ……』


 銀髪の美麗な男が、自身の指にひっかかっている子猫のようなお手々をス――、と上にあげた。


 クマちゃん先生の手が、『リオちゃん行かないで……』の形になる。


「やばい俺の子めっちゃ可愛い……ごめんクマちゃん、ちょっとだけ待っててすぐ帰ってくるから」


 愛くるしいもこもこの姿に釘付けなリオの目には、無表情な魔王の大きな手も、一人掛けのもこもこソファで苦しむ死神の姿も入らない。――おい、大丈夫か――。


「すぐだから……!」断腸の思いで顔を背け、どこからでも出入りできる部屋の入り口へ向かう。


「クマちゃ……!」

『リオちゃ……!』


 我が子が愛くるしい声で、リオを呼んでいる。

 切なさが胸を締め付ける。予定を中止するか……しかし魔力が……。


「ごめんねクマちゃん……! めっちゃすぐ戻ってくるから……!」


 彼は立ち止まり、振り返ってしまいそうな己の身体に鞭を打った。

 クマちゃん先生のお目目を見たら負けてしまう……!


 

 きゅ。柔らかな肉球が、もどかしそうにルークの指を握る。

 魔王の腕の中のクマちゃんは、大好きな彼に可愛いお手々で意思を伝えた。


『クマちゃも……、クマちゃも……!』


 過保護な魔王様はすぐにもこもこの願いを叶えた。

 優しい手がクマちゃん先生に衣装を着け、頬をくすぐる。待ってろ――と。



 なんとか動き出したリオが、入り口へ近付く。


 ふたたび立ち止まった金髪は、視界に入る景色を眺め、どうでもいい感想を述べた。


「オアシス発見。いやオアシスって響きがもうヤバいよね。俺の村どこにあんの。つーか『俺の村』。ウッカリ言っちゃったけど『俺の村』ってなんだろ。あれでも見覚えある気がしてきたんだけど俺の村」


 カチャ……。


『俺の村』を連呼する村長の背後で、微かな音が鳴った。


 キュオー……。


 ふんふん、ふんふん……。


「クマちゃ……、クマちゃ……!」

『リオちゃ……、リオちゃ……!』


 幼いもこもこが湿ったお鼻をふんふん鳴らし、泣いている。


 リオは思わず振り返り、もう一度もこもこへ告げた。


「ごめんクマちゃん! 二分で帰ってくるから……!」


 彼は見てしまった。


 キュオ……キュオ……。

 悲しそうにお鼻を鳴らし、ヨチ……ヨチ……! ヨチ……ヨチ……! と一生懸命彼を追いかけようとする我が子を。


 ふわふわな片耳に、小さな片手鍋を引っ掛け、子猫のようなお手々に、小さなおもちゃの剣をきゅ……、と握っている。


 子猫にそっくりな弱々しい体で、危険な森へ行く彼と、共に戦おうとしているのだ――。


「クマちゃ……!」

『クマちゃも……!』


 クマちゃも行きまちゅ……!


 いつもより舌っ足らずな声。『置いて行かないで』と願う我が子のお目目から、ポロポロと雫がこぼれる。


 リオは己の身体に異常が起こったのを感じた。

 胸が強く締め付けられる。息が苦しい。何故だか目が熱い。


 彼は自身の頬を濡らすものに気付かぬまま、健気で愛おしい我が子のそばに跪き、愛情を伝えるように、もふ――と優しく抱きしめた。


「クマちゃんごめん俺が悪かったから一緒にお家で遊ぼ……!」 

 


 風通しのいい室内。

 木製テーブルを囲って配置された、もこもこで座り心地のいいソファ――で行われる、静かな会議。


 大人の都合で赤子を泣かせてしまった彼らはおおいに反省していた。


 森の街の人間はじっとしていることを好まぬ人間が多い。

 冒険者なら猶更だ。

 体を動かしたいというリオを軟禁するわけにもいかず、強く止めなかったせいで、もこもこのお鼻がキュオーと鳴ってしまった。


「クマちゃんを悲しませるくらいなら、リオを気絶させたほうが良かったかもしれないね……」


「ああ」


「おい、白いのに聞こえたらどうする。赤ん坊の教育に良くないだろうが」


「……俺が責任を取る――」


 死神は決意した。次に同じことがあれば、己の手で、奴の意識を刈り取ろうと。



 しかし、ちょっとしたことですぐに泣いてしまうとまことしやかに噂されている赤ちゃんは、すでに過去を忘れ、毎日幸せなクマちゃんに戻っていた。


 もこもこした敷物の上。

 仰向けで寝転がるリオの腹に、もこもこした生き物が、同じく仰向けで寝転がっている。


 ガラスの天井を覆う蔦植物。その隙間から、木漏れ日のように降り注ぐ柔らかな光を見つめ、リオは愛しい我が子に声を掛けた。


「クマちゃん可愛いねー」


「クマちゃ……」


 いつでも仲良しな一人と一匹は、のんびり仲良く、癒しの光を浴びていた。



 クマちゃんリオちゃんレストラン、カウンター手前のテーブル席。


「トーストに可愛らしい焼き目が……! これは私の可愛いクマちゃんが私のために籠めてくれた、愛……!」


「会長ー。肉球の模様なら俺のにも入ってまーす。天使の料理美味すぎっすよね。普通に聖獣様だけ帰ったらいいと思うんすけど」


「す、凄い……! ステーキソースの深い味わい。爽やかな酸味。この香りはまさか……オレンジ……?」

 

 生徒会役員の彼らは、座っただけで用意された素晴らしい朝食に舌鼓を打っていた。

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