第322話 内科医クマちゃんと健康な患者リオちゃん。「クマちゃ……」「えぇ……」

 現在クマちゃんは、いつもと一味違うリオちゃんを元に戻すため、調査に乗り出している。


 それのせい――。

 ということは、凄い豆のせい――。

 凄い豆を食べて雰囲気が変わったが、イメチェンではない――。


 クマちゃんはハッとした。食べたものでおかしくなったなら、お医者様が必要である。

 うむ。内科医クマちゃんの出番である。



 建物内の騒ぎに気付いた彼らは、もこもこの学友達に店で待つように伝え、聖獣と死神と赤ちゃんから事件のあらましを聞いた。


 壁の無い建物を、爽やかな緑の香りが通り過ぎる。

 もこもこなベッドでは、大きな獣姿の聖獣が体を休めていたが、猫科の生き物の気まぐれに文句をいう者はいない。


 涼やかな声の派手な男は、いつもと少しだけ雰囲気が違うような気がしなくもない金髪に言った。


「この村にはクマちゃんの癒しの力が満ちているから、すぐにもとに戻ると思うのだけれど」


 視線をリオの耳に合わせ、それを教える。


「ほら、クマちゃんの贈り物が輝いているよ。君が飲み込んだものから護ってくれているのではない?」


「俺の子クマちゃんていうんだ……。そのまんまじゃんって言おうと思ったのにめっちゃしっくりくるんだけど」


 だが金髪の男は自身の子であるもこもこに夢中だった。

 お手々の先をくわえてお目目をうるうるさせているもこもこを抱え、撫でまわしている。


「あ~、まぁ一時間もすれば治るだろ……。おかしいのはそれだけか?」


 マスターは難しい顔で顎鬚をさわり、リオを見た。

 普段と変わらんような気もするが、と。

 

「…………」


 ルークは珍しく、『たいして変わんねぇだろ』とは言わなかった。

 大人達には短い時間だったとしても、幼いもこもこにはそうではない。

 いつも隣にいる人間がおかしくなったなら、なおさらだ。


 仲間想いなクライヴが医務室の人間を呼ぶため、彼らに背を向けたときだった。


「クマちゃ、クマちゃ……」

『クマちゃ、おまかせちゃん……』


 もこもこが愛らしい声と猫の赤ちゃんに似た肉球を上げた。

 クマちゃんにお任せちゃんください。新人内科医クマちゃんが診察ちゃんいたします……、と。

 

「いやそれはぜんぜんお任せできない感じ」というチャラそうな男の声に頷くものはいなかった。



 美しいドレスを脱ぎ、白衣の代わりに白地に紺色のネクタイの絵が描かれたよだれかけを着けた内科医に、保護者達は納得の表情で頷いた。


「うーん。とても愛らしいね。この姿を見れば、どんなに頑固な患者でも身を任せたくなるのではないかな」


「医者じゃなくて赤ちゃんじゃん」と言った男の背後に、もこもこ愛の強い死神が迫り、冷酷な美声でささやく。「貴様、口が過ぎるぞ――」


 もこもこのお着替えを手伝った魔王が、子猫系の内科医を抱えたままリオの腕を掴み、ソファへ移動する。


「リオ」


 低く色気のある声が、抵抗する男に命令を下した。「座れ」


「なんだろこの感じ。もうちょっとで思い出しそうな気がする。もう治ったと言っても過言ではないよね」


「大人しくしろ――」


 

 大人しくさせられた患者が、ソファに座る。

 魔王はその膝に、もふ、と内科医を乗せ、子猫に激似な医師の保護者達も、それぞれ席に着いた。


 もこもこした内科医は短いお手々を胸元で交差し、患者に告げた。


「クマちゃ、クマちゃ……」

『ではちゃ、問診ちゃん……』


 それでは問診ちゃんをはじめます……。


「えぇ……」 


「クマちゃ、クマちゃ……」

『お名前ちゃ、リオちゃ……』


 患者ちゃんのお名前はリオちゃんですね……、クマちゃんのことはクマちゃん先生と呼んでくだちゃい……。


 色白のクマちゃん先生は洗練された斜め掛けの耳付き鞄から手帳を取り出し、キノコによく似たペンで何かを書き殴り始めた。


「えぇ……」


「クマちゃ、クマちゃ……」

『患者ちゃ、食べたちゃん……』


 患者ちゃんが食べてしまったのは、固い豆ちゃんですね……。どのくらい固いちゃんですか……。


 クマちゃん先生は手帳にお顔を近付け、大きな丸を描いた。


「あ、さっき転がってたやつでしょ。アレ完全に乾いてたじゃん。そのまま食うやついなくね?」


「クマちゃ……!」


 クマちゃん先生は世紀の大発見をしてしまった内科医のように、彼が食べてしまった物の名前を叫んだ。


『豆の化石ちゃん……!』

 

「言い過ぎでしょ。それ研究室とかに置いてあるやつじゃん」


 驚愕してキノコのペンを落としてしまったクマちゃん先生は、すぐに落ち着きを取り戻し、所見を述べた。


「クマちゃ、クマちゃ……」

 

 消化不良ちゃんですね、いそいで手術しましょう……、と。


「いや俺の体のことはもうほっといていいから。なんならこの豆と共に生きていくし」


 患者は只者ではない医師の治療を拒んだ。


 クマちゃん先生は思い切りが良すぎる。

 とんでもなく愛らしいが、このまま身を任せるのは危険である。 



 ソファに座ったばかりだった患者は、ふたたび魔王に腕をつかまれ、もこもこした敷物に戻されていた。


 低く色気のある声が、彼に命令を下す。


「寝ろ」


「えぇ……」


 心の底から吐き出した彼の声に耳を貸さぬ死神が、黒革に包まれた手で、患者の肩をぐいと押した。


「えぇ……」


 

 もこもこした敷物に横になったリオの顔付近に、色白の医師がヨチヨチ、ヨチヨチ、と近付いて来る。

 患者はクマちゃん先生の可愛いお手々に視線を向け、それを尋ねた。


「なんでお玉持ってんの?」


 色白のクマちゃん先生が、患者の質問に答える。


「クマちゃ、クマちゃ……」


 これで豆の化石を掬いましょう……。


 彼は素早く飛び起き、クマちゃん先生に言った。


「それ絶対『口にお玉ハマって取れなくなった人』になるやつじゃん! 分かった。別の方法考えよ」



 患者の意思を尊重するクマちゃん先生は、テーブルに戻り、診断書を書いていた。


 子猫の手によく似たそれでキノコのペンを握り、体を大きく動かす。


 リオは可愛らしすぎる先生の動きをじっと見ながら、何故か四枚もあるそれを少しずつ読み上げていった。


「しんだん……しよいも……たれまめ……かせきひ……ろいぐい……」


『診断書、胃もたれ、豆化石、拾い食い』


「もはや悪口じゃね?」


 リオは限界まで目を細め、もこもこを叱ろうとしたが、愛くるしすぎて『メッ!』とは言えなかった。


 クマちゃん先生は初診の患者のために診察券を作ってくれるらしい。

 鞄をごそごそと探り、あれこれ取り出すと、猫のようなお手々で紙に判子を押し始めた。


 しんさちゅけん。

 お名前。リオちゃん。

 猫ちゃん。オス。

 

 むに、むに、と一生懸命お手々を動かすクマちゃん先生を、彼らは幸せな気持ちで見守った。

「俺一応人間だよね?」というかすれ声にこたえる者はない。


「つーか俺の子可愛すぎなんだけど。いま何か思い出しそうだったけど正直こっちのが気になるよね」


「うーん。本当に愛らしいね。僕もどこか診てもらおうかな」


「どこも悪くねぇだろ」


 ルークが視線を流し、派手な男を見る。


『こいつに心配させんな』という意味だろう。ウィルは残念そうに苦笑した。



「クマちゃんありがとー! すっげぇ可愛いじゃん!」


 クマちゃん先生に手作りの『しんさちゅけん』を貰った男は、笑顔で感謝を伝え、もこもこの頭にもふ、と鼻先を埋めた。


「俺の子可愛すぎる……。めっちゃもこもこしてる……めっちゃもこもこ……」


「クマちゃ……」


 ソファでまったりと寛ぎながらもこもことリオの様子を見ていた彼らが、気付いたことを話し合う。


「うーん。ほとんどいつもの状態と変わらないように見えるね。でも、聖獣の化石のせいで、魔力が少し増えているのではない?」


「ああ」


「あ~、白いのが消化不良というなら、自分の魔力に変換するには時間が必要ってことだろうな……」


「奴の身が無事なのは伝説の耳飾りのおかげだろう。聖獣の力を数百年間ため込んだ化石など、人の手に余るものだ――」



「クマちゃん可愛いねー」


 もこもこの頭に頬をくっつけ幸せを嚙みしめていたリオは、何かを思いついたように「あ」と言った。


「消化不良と関係あんのか分かんないんだけど、なんか魔力余ってる感じするんだよね」


「クマちゃ……」


 両手でリオに抱えられたクマちゃん先生が頷いている。


「それに運動不足っつーか。ちょっと体動かしたいっつーか」


「クマちゃ……」


 クマちゃん先生は両手の肉球を交互に動かし、猫かきをしている。


「ちょっと森行って敵倒してくるから、俺の子見ててくんない?」


「クマちゃ……!」


 クマちゃん先生は両手の肉球をサッとお口に当て、遺憾の意を表した。

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