第316話 お仕事中の冒険者達の背後で撮影中のもこもこ姫。「クマちゃ……」「まさに天使じゃねぇか」

 ふたたびリオちゃんに囚われてしまったクマちゃんは、現在『凄腕のけんち』と名乗る冒険者ちゃんとお話し中である。


 うむ。彼に呼ばれるまで知らなかったが、クマちゃんはお姫ちゃんらしい。

 それならば、もっとお上品に振る舞った方がいいだろう。



 クライヴは己の鎌を受け止めたものが愛しのもこもこが作った伝説のつるぎであることに気が付き、「……――」小さく何かを呟くと、すぐに冷気を放つ宝石に魔力を注ぐのを止めた。


「いま『肉球が鳴いている……』って言わなかった?」リオは小さな羽がぱたぱたしている可愛い剣を持ったまま尋ねた。

 が、死神の姿は、すでにない。


 恐ろしくも美しい戦いを目にしてしまった美化委員達は、小声で話しながら、魔王様の張ってくれた結界の中で、己の無事を祈っていた。『ぱたぱたしてるな……』『あれが、伝説の肉球剣……』『氷の鎌が冷たかったんじゃ……』『美化委員長の作品は神々しいな……』


 ルークはリオにもこもこを預けると、マスター達と話し合いをするため、ソファのすぐ後ろにあるバーカウンターへ移動した。


 派手な男がもこもこに声を掛け、席を立つ。「ちょっと行ってくるよ」


「ああ……、なんてふわふわで大きくて可愛らしいお耳なんでしょうか……」


 仕事には関係のないもこもこで報告書を埋めていた、悩ましい表情のギルド職員も「おい、お前もだ!」冷徹なギルドマスターに呼ばれ、嫌々腰を上げる。


 男はまなじりの涙を光らせ、数メートル離れた地へと去って行った。「クマちゃん、店長さん、寂しくても美しい俺のことは探さないでください……」


 リオは素直で純粋なもこもこのお目目を隠した。「クマちゃん見ちゃダメ」


 鬱陶しいギルド職員が『やはり〝この俺〟がいなくて寂しかったのですね……!』と鬱陶しいことを言いながら舞い戻ってきたら大変である。



 さきほどまで見回りをしていた凄腕の剣士は、夜になるまで休むらしい。

 ソファに座ったまま、リオの腕の中にいるもこもこした赤ちゃんに話しかけている。


「そういう格好も悪くねぇが、ドレスでも着させてもらったらどうだ? もこもこ姫のふわふわな毛並みに似合うのは……やっぱりピンクだろうな」


「クマちゃ、クマちゃ……」

『ええちゃ、ピンクちゃん……』


 もこもこ姫は手袋で隠したお肉球をお上品に口元に添え、愛らしく答えた。

 ええ、クマちゃんはピンクちゃんがとても似合いますちゃん……。


 姫のお手々とあんよについているぷにぷにも、ピンク色である。


「クマちゃんに変なあだ名つけんのやめてくんない?」


 リオはもこもこをもこもこもこもこと撫でながら、かすれ気味の声で冷たく言い放った。

 彼の大事な赤ちゃんは影響を受けやすい。話し方のくどい人間はお断りである。


「――ドレスか」


 眠っていなかったらしい高位で高貴なお兄さんが、空気を読まずに人々の頭に美声を響かせる。


 話し合いに参加していた美化委員達が、小声でざわつく。


『お告げが……』


『お告げの内容は……ドレスか』

『マスター、ドレスを注文しに行きたいんですが』


『俺も三着ほど』

『ではわたくしは、百着』


『オレは手縫いなんで一旦帰っていいっすか』


 が、渋い声で叱られていた。「ドレスはあとにしろ!」


 静かに仕事をしているようにしか見えないギルド職員が、静かに新しい紙を置き、静かにクマちゃんペンを動かす。

 紙の中に色とりどりの、仕事には関係のない芸術的な衣装が生み出されてゆく。


 魔王は眉ひとつ動かさず、色気のある低い声で、新鋭デザイナーの作品から優れたドレスを選んだ。


「右下」



 お兄さんがゆったりと視線を動かし、リオの側に闇色の球体を出現させる。

 そこからファサ、ファサ、と落ちてきたものは、当然もこもこ用のドレスだった。


「…………」


 リオはえぇ……という気持ちと『いやお兄さん今そういう感じのアレじゃないから』という言葉を飲み込み、礼を言った。

「お兄さんありがとー」


 存在がくどい男の言う通りにするのは癪だが、もこもこがつぶらな瞳で彼を見上げているのだ。


「クマちゃ……」

『ドレチュちゃん……』


 期待を裏切るわけにはいかない。


「おっと、日頃の行いが良いせいか、俺の願いが届いちまったみてぇだな」


 フッと格好良さげな表情で笑うくどい男には視線を向けず、もこもこを可愛がり、ドレスを選ぶ。「クマちゃん可愛いねー」


 リオが一番気になったのはヒラヒラのレースがついたピンク色の豪華なよだれかけだったが、もこもこは遠慮がちに、「クマちゃ……」肉球で別のひらひらを指している。そちらを着せてやったほうが喜ぶだろう。


「やべーめっちゃ可愛い。……これなんだっけ。同じ色っぽいから巻いとく?」 



「マスター、少しだけ席を外すよ」


 もこもこの腹にヘッドドレスが巻かれたことを察した南国の鳥が、美しい笑顔を浮かべ、彼らのいるソファ、もこもこ姫のドレスルームへやってきた。


 綺麗な指先が可愛らしい腹巻きを解き、お花とレースで飾られた装飾品を、もこもこの頭にフワリとのせる。


「ほら、こちらのほうが可愛いのではない?」


「クマちゃ、クマちゃ……」

『ウィルちゃ、ありちゃ、ございまちゅ……』 


 もこもこした赤ちゃんは、顎下の紐を結んでくれている彼の手に小さな肉球をぷに、と添え、愛らしい声でお上品に感謝を伝えた。


「うーん。連れ去ってしまいたくなるね」


「目が怖いんだけど」


 

 世界一愛くるしいもこもこは、高位で高貴なお兄さんが用意したヒラヒラでキラキラなドレスを身にまとい、テーブルの上を、ヨチヨチ、ヨチヨチ、と前へ進んだ。


「クマちゃ……」


 両手の肉球でスカートの端をきゅ、と持ち上げ、ポーズをとっている。


 真っ白に輝く被毛、ピンク色のバラの花と白に近いレースのヘッドドレス、顎下に結ばれた、ピンク色のリボン。

 薄く色付いた花びらのようなドレスを着たもこもこは、まるでぬいぐるみのお姫様のようだった。


「まさに天使じゃねぇか。いや……、傾国のもこもこ姫ってやつだな」


「クマちゃんマジ可愛い。可愛すぎる」


 リオは凄腕の剣士の「いや、国だけじゃねぇ、これだけ可愛いけりゃ酒場も、神の城も傾く。おっと、もこもこ姫の愛らしさで大地が傾いて来たぜ」くどい話を無視し、道具入れから取り出した魔道具で撮影を開始した。


 スーパーモデルなもこもこ姫が体の前でお手々を揃え、お上品なポーズをとる。「クマちゃ……」


「やばい。やばすぎる。クマちゃんちょっとコレ持ってみて」


 撮影技師リオは、高位で高貴なお兄さんがくれた衣装の中にあったレースのリボンで束ねられた薔薇の花を、もこもこの肉球に手渡した。


「クマちゃ……」ドレスを着たもこもこ姫が、胸元で抱えたピンク色の花束にもこもこした顔をつっこみ、ふんふん……ふんふんふんふんふん、と匂いをかぐ。


「やべー。めっちゃふんふんしてんじゃん……。クマちゃん可愛いねー」


 

 背後で聞こえる撮影技師の声が気になって仕方がない美化委員達が、声と手を上げる。


「あの、マスター。めっちゃふんふんしてるらしいんで、見に行ってもいいですか」

「俺もドレスを着たクマちゃん見たいです!」


「気になりすぎて集中できません!」

「このままだと森の街が傾きます!」


「休憩にしましょう!」


 マスターは渋い声で、彼らの願いを斬り捨てた。


「まだ三十分も働いてない癖に何が休憩だ! 馬鹿なことを言うな!」



 その頃、戦いに疲れ、限界を迎えた生徒会役員達は、三人仲良く腕を組んだまま、もこもこした敷物の上で死んだように眠っていた。

 

 副会長のパジャマの中で首にかけられている袋が何度か光ったが、気付く者はいなかった。



 もこもこしたお姫様が寂しげに肉球を伸ばし、どちらかというと悪役に見える王子様に抱っこをねだる。


「クマちゃ……」

『るーくちゃ……』


『似合ってんな』彼は言葉の代わりに微かに目を細め、腕の中のもこもこの頬を、指の背でそっと撫でた。


 キュオー……、幼いを通り越して赤ちゃんなもこもこ姫が、湿ったお鼻を鳴らす。


 行かないでくだちゃい……。

 クマちゃんはつぶらな瞳を潤ませ、彼の指をくわえた。


 もこもこにだけ甘い男は、少しだけ考えるように長いまつ毛を伏せ、低く色気のある声で応えた。


「やめるか」



「おい、とっとと行ってこい」


 渋い声が、愛し合う者達を引き裂く。 


「マスターめっちゃ切れてんじゃん。クマちゃんこっちおいで。リーダー仕事だから」


 リオは傾国、傾冒険者ギルドのもこもこ姫をもふ、とつかみ、赤ちゃんクマちゃんが鳴きだす前に、おでこを指でもしょもしょした。「クマちゃん可愛いねー」



『前が……、前が見えない……!』

『ねむ……』

『馬鹿やろう! 寝たら死ぬぞ!』


 何故か部屋の一部が猛吹雪に見舞われ叫び声が上がっていたが、幸い怪我人は出なかった。



 悪役じみた王子様達が森へ出かけ、究極の美もこもこ姫を囚えた金の悪魔が、可愛いおでこから指を離す。


 もこもこは子猫のようなお手々でサッと口元を隠し、愛らしい声で言った。


「クマちゃ、クマちゃ……」

『クマちゃ、罠ちゃ……』


 クマちゃんはひれちゅな罠にハマってしまったのですね……。


「卑劣な罠か、確かにそうだな。待ってろ、今助けてやる」


 真剣な表情で剣を抜いた面倒臭い男へ、リオは物凄く嫌そうに顔を顰め、本音を返した。「いや面倒臭いんだけど」



「白いのは本当に可愛いな。ドレス姿も良く似合う」


 除雪作業と救助活動を終え、魔道具を持ってソファに座ったマスターが、リオが抱えているとんでもなく愛くるしいもこもこを驚いたように見つめ、ふ、と優しく笑う。


「クマちゃ……」


 もこもこはお上品にお礼をいい、恥ずかしそうにお手々を頬に当てた。


「クマちゃんが照れてる。ヤバい。めっちゃ可愛い」


 リオは表情を消して頷き、ソファの周りで穴があくほどもこもこを見ている輩から護るように、もこもこのお顔を手で隠すと、マスターの手元へ視線を向けた。


「そろそろじゃね?」

  


 シャラ――。葉擦れの音に紛れ、装飾品が鳴る。

 ウィルは彼らの後ろをふよふよと付いてくるアヒルさんを見上げ、一度だけ手を振った。

 

 視線を前に戻し、ルークが銃型の魔道具を向けている敵を観察する。


「おや、なんとなく先程の個体とは形が違うような気がするね」


 大きなホコリ、というよりも、靄に包まれた動物のような――。首を傾げ、雑過ぎる決断を下す。

 まぁ撃ってみれば判るだろう。


 危険があるならルークはそれを向けないはずだ。

 シャラ――。いつものように腕を持ち上げ、装飾品に魔力を籠めた。


「獣か――」クライヴが冷たい声で呟き、武器を構える。

 死神が持つに相応しい、美しい大鎌の表面に、うっすらと文様が浮かび上がった。



 魔王は映像を見ているマスターが『ん? ただの丸じゃねぇな。四つ足か?』難しい顔で顎鬚をさわっているあいだに、すでに引き金を引いていた。



「えぇ……」


 細かいことを気にする男はもこもこを撫でつつ心の声を漏らしたが、その声が最強の冒険者へ届くことはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る