第313話 本日の朝食。イチゴの家には潜んでいなかったホコリ。「クマちゃ……」「マジすげー」

 現在クマちゃんはまちゅたーが困った顔をするほど汚れているという噂があるお部屋を綺麗にするため、力を蓄えている。



 客のいなくなった静かな店内で、五人と一匹とお兄さんとゴリラちゃんは朝食をとっていた。


 もこもこシェフが助手と共に、四角いクマちゃん型魔道具を使い大体一瞬で作った本日のメニューは、トマトたっぷり新鮮お野菜のサラダ、魚介のあっさりスープ、焼き目の美しいステーキ、焼いたお野菜も添えて、こんがり焼いたサクサクバタートースト、健康的なお野菜のジュース、甘くておいしい牛乳、甘くないが美味しい牛乳、忘れられたイチゴをふんだんに使ったシャーベット、お上品なお紅茶、クマちゃんが近付けないコーヒー、みんな大好きクマちゃんリオちゃんクッキー、である。


 朝から豪華すぎるメニューでもまったく問題のないそれらを美味しくいただきながら、細かいことを気にしがちな店長が「飲み物多すぎじゃね?」さりげなくシェフにクレームを入れたが、答えは返って来なかった。


 毎日甘やかされているシェフが、ルークの腕に可愛らしく座り、お口をもちゃ、もちゃ、と動かす。


 洗いたてでふわふわな被毛が汚れぬよう、首元に着けられたよだれかけには、黄色いアヒルさんのお顔が描かれている。


 リオは、何も考えていないような表情で口元まで運んでもらったスープをもちゃもちゃしているもこもこを見やり、鼻の上に皺を寄せ、悔しそうなかすれ声で呟いた。「可愛すぎる……」


 彼がもこもこの顔を見ている時、クライヴは別の場所を見ていた。


 食事中はいつも体の横に下ろされているはずの可愛らしいお手々が、何故か黄色いアヒルさんの顔のあたりで、きゅ……、と握られている。


「……――」


 彼は己の心臓に異常を感じ、苦し気に胸を押さえた。

 もこもこの丸いお手々に、まるで仇を見るような視線を向け「一体、あの中に何を――」言いかけた彼の頭をよぎる、ピンク色のぷにぷに。


 子猫のような生き物がきゅ……、と一生懸命握りしめているものがただの肉球であることに気付いてしまった彼は、激しく感情を揺さぶられ、意識を落とした。


 しかし綺麗に食事を終えていたため、そのことに気付いたのは優しいマスターだけだった。


「おい、大丈夫か……」



 ウィルは視線の先の、水色の頬っ被りとサングラスと手袋を身につけピンク色のハタキを握りしめたまま「クマちゃ……」ルークの腕の中におさまっているもこもこに告げた。


「危ないかもしれないから、イチゴのお家から離れてはいけないよ」


 本当は、赤ちゃんクマちゃんには安全な村でヨチヨチしていて欲しい。

 だが、いつも一生懸命で心優しいもこもこは、森で見つかったおかしな敵と戦う冒険者達が心配なのだろう。


 リオは木製の猫足がついた赤いソファに腰を下ろし、ドアのほうへ視線を向けた。


「いまんとこ変なのはいないっぽいけど」


 心配性な彼は、家の中からでも感じられるほどの大きな気配があれば、もこもこを抱え、ただちに村へ戻るという『美化委員長クマちゃんのお掃除計画、強制終了計画』を立てた。


 食事を終えてすぐ、お兄さんの力で移動した彼らは、現在森の奥地にあるイチゴ屋根の家に来ていた。

『凄腕の剣士』達の姿はみえない。れいの魔道具を持って、森の見回りへ行ったようだ。


 もこもこ製の魔道具を運んだ冒険者もギルド職員もいないのは、マスターが仮眠を命じた者達のなかに紛れていたからだろう。



 クマちゃんは、ソファに座ったルークに顎の下を優しく撫でてもらいながら、うむ、と考えていた。

 まちゅたーがため息を吐くほど大変なことになってしまった『お部屋ホコリまみれ事件』の現場は、なんとイチゴ屋根のお家だったらしい。


 しかし、クマちゃんの美しいお目目には、肉球の施しようがないほど汚れているようにはみえない。


「クマちゃ……」美化委員長が愛くるしい美声で呟き、消えたホコリちゃんの居場所を推理する。

 まだお掃除をしていないのにお部屋が綺麗ちゃん。ということは、家具の下や肉球の届かないところへふわふわと入り込んでしまったということだろう。


 由々しき事態である。


『あいつら……』まちゅたーの低い声が聞こえた。


 うむ。彼も行方をくらませたホコリちゃんに気付いてしまったようだ。

 クマちゃんが頑張って、お怒りちゃんなまちゅたーをいつもの優しいまちゅたーに戻さなくては。

 

 だが『たぶんここらへんちゃん……』と闇雲にハタキをパタパタしても、ホコリちゃんに逃げられ、事件は解決しない。


 美化委員長は大好きな彼のお手々をそっとカリカリし、合図を送った。


 クマちゃんのアレをくだちゃい……、と。


◇ 


 キュ……。小さな黒い湿ったお鼻の上に皺を寄せたクマちゃんが、肉球のついたお手々で真っ白な杖を振る。


 テーブルに並べられた素材と魔石がフワリと浮き上がり、強い癒しの光を放つ。

 キラキラと輝いたそれらが光の粒にかわり、ふたたび形作られてゆく。


 そうして完成した魔道具は、クマちゃんのお顔型の可愛らしい何かが大小合わせて八個、最初から光っていたが今はそれよりも光っている、お風呂用のおもちゃ、小さなアヒルさんが一個、だった。



 サングラスを外した美化委員長が、ヨチヨチ、ヨチヨチ、とテーブルの上で魔道具の確認をしている。


「クマちゃん可愛いねー」そのようすを眺めていたリオは、八つある可愛い白の一つへ手を伸ばした。


「何だろコレ」


 見てもさわっても分からない。

 分かるのは、可愛いクマちゃんのお顔の形をしたツルリとした何か、ということだけだ。


「クマちゃ、クマちゃ……」

『ここちゃ、押すちゃん……』


 ヨチヨチしていた美化委員長が、彼の疑問に答えるべくあんよを止め、もこもこ用らしい小さな魔道具を、水色の手袋におおわれた子猫のようなお手々にのせ、『ここちゃ』と、クマちゃんのお鼻にそっくりなボタンを押した。


『クマちゃーん』――ココちゃーん――。


 音声が可愛らしく流れると同時に、何故か死神が胸を押さえ、片膝を突く。


 何でも疑う男は一瞬、目をすがめた。まさかあの鼻から何かが――。

 だが、魔道具の側に浮かんだ映像を見て、すぐに考えを改めた。


 小さくて見えにくいもこもこ用の映像には、イチゴの家らしき絵と、その中のクマちゃん、花畑の絵、おそらく樹、ではないかと予想される棒が生えた二等辺三角形、そして、大きさの違う、トゲトゲした丸が複数表示されていた。


 今度こそ『まさか――』と驚いたリオが、すぐに自身の持つ魔道具の可愛い鼻を押す。


『クマちゃーん』――ココちゃーん――。


「やべー……、これ敵の位置じゃね?」


 可愛らしいそれは、なんと隠れている敵を発見し、位置情報まで視覚化してしまうとんでもない魔道具だったらしい。


 犯人の持ち物に小型の魔道具を仕込み、その位置を表示させる、というものなら酒場にもある。

 が、何も持たない敵を探知し続けるなど、よその街の暮らしまで人形劇にしてくれる掲示板と言い、この魔道具と言い、もこもこの作る物はいったいどうなっているのか。


 ゴーグルをしている三頭身くらいの金髪が、頭上に吹き出しを表示した。『もうちょっと北東じゃね?』

 現在地から一番近い敵の位置まで教えてくれる、親切すぎる仕様である。


「これは……、僕たちも敵の気配を探ることはできるけれど、クマちゃんの魔道具なら誰がどこを担当するのか、映像を確認しながらつぶさに話し合うことができるね。これならマスターも指示を出しやすいのではない?」


 ウィルは国や悪い人間が欲しがりそうな『自身の狙う敵の居場所をボタン一つでいつでも簡単に視認できる超高性能小型魔道具』の危険性にはふれず、清く正しい使い方を提案した。

 毎日忙しいマスターの仕事が減るね、と。



 マスターの頭に、一瞬にして増えたギルドマスターの仕事が過ぎる。『持ち出し禁止にするか……、いや、使わんと白いのが悲しむだろう。ならあいつとあいつに管理を……』


 だが、それよりも小さな魔道具を持ったまま彼を見上げ『まちゅた、嬉しい?』と不安そうにしているもこもこの、彼を想う気持ちが嬉しかった。


「ありがとうな、白いの。お前は本当に優しくて愛らしい」


 彼はそう言って、可愛らしいもこもこを抱き上げ、指の背で頬を撫でた。


 もこもこが「クマちゃ、クマちゃ」と喜んでいる。

 彼はふ、と嬉しそうに笑みを零し、小さくて頑張り屋で健気な、とにかく愛らしいもこもこに、しみじみと言った。


「可愛いな」



「クマちゃんの魔道具マジすげーっつーかやべー。あ、ここにいんのあいつらじゃん」

「クマちゃ……」

「うーん。一番近い敵でも、ここから百メートル以上は離れているようだね」


「ああ」

「クマちゃ……」

「あ~、一度呼び戻すか……」


「では、俺が、行こう――」

「氷の人なんか弱ってね?」

「クマちゃ……」


 彼らがそう話していたときだった。


「睡眠時間が足りなくても美しい俺がマスターの仕事を手伝いに来ました。ああ……! 店長さんの目が『本当は可愛いクマちゃんに会いに来たんじゃねーの』と俺を責める……! 正解してもこのクマちゃんペンはあげられません……!」


 二階と繋がる魔法陣から、一輪のバラを捧げ持つ舞台俳優のようにクマちゃんペンを捧げ持つ、美形のギルド職員が出てきた。


「鬱陶しいんだけど」という苦情は受け付けていないようだ。

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