第311話 「クマちゃ……」美化委員長クマちゃんの、もこもこ情報。真剣に拝聴する彼らと、いぶかるゴーグル。「めっちゃ可愛い……」

 では早速お掃除にいきましょう……。そう言った美化委員長クマちゃんを止めたのは、仲良しのリオちゃんとまちゅたーだった。


 むむむ、美化委員達は行ってもいいが、クマちゃんは『ダメ!』らしい。

 美しいクマちゃんの肉球が汚れることを心配してくれているのだろう。 


 ◇


 満席を超えていた店内からは、数人の美化委員、ギルド職員が消え、少しだけ快適になっていた。

 もこもこ製作所の最新アイテム、『綿ボコリゴゴゴちゃん』も、彼らの手で森の奥地にあるイチゴ屋根の家へと運ばれ、大分数が減った。

 

 リオは首から下げていたゴーグルを外すと、乱れた髪を雑に整え、今度はしっかりとそれをかけながら「クマちゃんは行っちゃダメ。お留守番っつーか、寝る時間だから」といった。


「あ~、そうだな。あとは大人に任せて、お前はゆっくり休め。くだんのホコリについては、明日の朝……、いや、もう今日だな……白いのがそれを覚えていて、魔物がどうなったか気になるようだったら……」


 マスターが顎鬚をなでつつ、もやに包まれた未来をぼやかして語る。


 薄めすぎた酒のようにぼや……とした話をした彼は、その先を語らず、「おい、リオ。お前も止めておけ。白いのが行きたがるだろう」猟銃に似た魔道具を持って立ち上がったやけにゴーグルが似合う金髪を止めた。



 仲良しの彼が噂の現場へ向かおうとしていることを察した赤ちゃんクマちゃんは、可愛らしいお顔にサングラスをかけ、穢れなき肉球を水色の手袋で隠し、ルークの腕の中で待機していた。


 おでかけの準備は万全のようだ。



 子猫の手とそっくりなお手々につけられた先の丸い手袋を見てしまったクライヴが、その丸さに胸をひとつきされ、二丁の銃を持った暗殺者のような格好で、美しい顔を苦し気に歪め、外の闇へと駆けていった。


 彼の冷気にやられた美化委員達が懐へ手を入れる。『今夜は冷えるぜ……』『こんな日は、あれを眺めるに限るな……』

 格好いい表情をつくりつつ、指先に挟んだカードを裏返し、互いのそれがトロフィーを持ったコクマちゃんであることを確かめた彼らは、体ではなく心を温め合った。『天才発見』『お前もな』


「いま誰か『丸すぎる』って言わなかった?」というリオの疑問に答えてくれる者はいない。


 彼は振り返り、もこもこを見た。


 真っ白な子猫のようなもこもこは、まるい頭を水色の頬っ被りでおおい、サングラスをかけ、胸元にピンク色のハタキを抱えていた。

 お着替えを手伝ったのは、長い脚を組み、もこもこを腕にのせて座っている無表情な魔王だろう。


 ふんふんふんふん――。もこもこが、小さな黒い湿ったお鼻を鳴らし、彼を見つめている、気がする。

『クマちゃも、準備ができまちた……』と。


「変なのにめっちゃ可愛い……」彼は悔し気に呟き、どんな服でも完璧に着こなしてしまう恐るべきもこもこに尋ねた。


「なにその格好」


 もこもこはそんな姿でどこに、何をしに行こうというのか。

 酒場も街も、森の樹々すらもざわめきそうな、奇抜なファッションで。

 

 彼は思った。このままでは、変な格好をした赤ちゃんが危険な森へと肉球を踏み入れてしまう。

 新米ママは、新兵器の試し撃ち、または試し吸い、を諦め、どんな場所にもヨチヨチとついてきてしまう最高に愛くるしい我が子に告げた。


「クマちゃん、やっぱ寝よ」



 何も知らない生徒会役員達は、ベッドに仕掛けられたぬいぐるみ、『おねんねクマちゃん』の罠にハマり、眠れぬ夜を過ごしていた。


「会長、それ以上ベッドに近付かないでください」


「でも、あれは私の可愛いクマちゃんが私のために」


「会長ー。これは可愛いクマちゃんの愛の試練っすよ。天使のぬいぐるみを抱っこしたいなら、金の守護者から許可をもらわないと」


 仲良くできない彼らは頬の引っ張り合いを中断し、ベッドに結界を張っていた。


「会長が寝てくれないと寝れないんですけどー」


「ごめんね……、私は少しも眠くないんだ。ところで、この敷物はふわふわだね。目を閉じて、しっかりたんのうするといいよ」


「俺たちが寝てる隙に結界を解く気ですね……。分かりました。見張りを続けます」


 お揃いのパジャマを着た男達は、ふわふわの敷物に仲良く寝転がり、ガラスの天井に広がる植物と、木漏れ日のようなやわらかな光を見つめながら、戦いを続行すると誓った。



 彼の言葉を聞いたクマちゃんは、うむ、と頷いた。


 リオちゃんは突然ねむたくなってしまったらしい。夜だからだろう。

 

 朝型ちゃん……。考えている途中で、ハッと気付く。

 暗いところでお掃除をしても、肉球が隅々まで届かないのではないだろうか。


『よーし、これでピッカピカになりましたね』と頑張った美化委員のみなちゃんが、朝になって『お部屋の真ん中しか綺麗になってない……! やり直しだ……!』ともう一度お掃除をすることになったら、大変お気の毒ちゃんである。



「クマちゃ、クマちゃ……」

『暗いちゃ、ダメちゃん……』


 やはり、暗いのはダメちゃんですね……。


 怪しげな格好の美化委員長が、お掃除の極意を語る。

 明るいほうがピカピカにできるちゃん……。



 聞こえてしまった美化委員達は、まるで謎の頬っ被りから啓示を受けた人間のように身を震わせた。


『まさか……、やつらは暗闇で力を増すのか……?!』

『そうか……! 凄腕の剣士がやつを倒したときも〝月明かり〟がホコリを照らしてたんだ……!』


『すげぇ……さすがは全知全もこの美化委員長様だぜ……』


 そう言って、水色頬っ被り様を祭り上げている。


「ほんとにぃ?」というかすれ声は、もこもこへの賛美でかき消された。


「弱点は癒しの力と光か……、なるほどな」


 マスターは難しい表情で腕を組み、床に敷かれている白いタイルを見つめた。


「それならば、夜の討伐は控えたほうが良いかもしれないね」


「かもな」


「クマちゃ……」

『かもちゃん……』

 

 さりげなく会話に参加する赤ちゃんクマちゃんに、カウンターに近いテーブル席でもこもこの手袋と議事録をかいていたギルド職員が、静かに叫んだ。


「ああ……! 可愛すぎて胸が苦しい……! 店長さんが〝この俺〟に『いまのも記録しといて』とささやくのも当然ですね……!」


 何かを受信したらしい男は顔を上に向け、片手で隠し、隙間から零れた涙を魔法で光らせながら、小声で繰り返した。『店長さんが、この俺に……』


「ささやいてないんだけど」という店長の苦情は、可愛いクマちゃんを記録する彼には届かなかった。



「あ~、お前たちは戻っていい。早く白いのを寝かせてやってくれ」


 もこもこからもたらされた情報により、夜の討伐はなくなったが、ギルドマスターの彼には仕事が残っていた。


 可愛いもこもこを抱え、おやすみの挨拶をする。


「心配するな、すぐに終わる」


 そう言って苦笑し……転がる何かを見てしまったらしい。


 マスターはルークの腕にもこもこを戻すと、規律を正しに行ってしまった。「遊ぶ前に手伝え!」

 

 リオがもこもこに「んじゃ帰ろー」と言い終わる瞬間には、彼らの姿は店の中から消えていた。



『お兄さんやる前にやるって言って欲しいんだけど』


 もやもやと湧き出る不満を心の扉へ仕舞い、高位で高貴な彼に礼をいう。「お兄さんありがとー」


 だがお兄さんはもう、巨大な円形ベッドに横になっていた。

 高位で高貴な彼も、もこもこでふわふわなベッドを気に入ってくれたようだ。 


 ちょうど店に戻ったところを闇色の球体に拾われたクライヴが、テーブルの上にゴト、と猟銃型吸引魔道具を置く。


 シャラ――。派手な男の装飾品が、美しい音を立てた。


 ウィルはベッドに腰かけ、涼やかな声で言った。


「では、僕たちも寝ようか」



 明かりの落とされた室内に、可愛らしい寝言が響いた。「クマちゃ……」


『ふわふわちゃん……』


 なんでも疑う男が呟く。「あやしい……」


 だがそれについてい考える前に、もこもこの寝言の数十倍は怪しい生徒会役員達のいる家から、強い魔力を感じた。


 嫌そうな顔をした彼は思った。『馬鹿すぎる……』


 仰向けで眠る子猫のようなもこもこを視界におさめる。

 リオは目元を緩め、普段よりもずっと優しい声で「おやすみ、クマちゃん」と言った。

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