第310話 美化委員長クマちゃんからの大切なおはなし。「クマちゃ……」「寝ぼけてるみたいだから」
彼の格好良い瞳に見つめられたクマちゃんは、ハッと理解した。
今からお店でお掃除のお話し合いちゃんをするらしい。
クマちゃんはうむ、と頷いた。
美化委員会のみなちゃんは夜型なのだろう。
◇
店に到着したマスターの最初の仕事は、サイコロを片付けることだった。
「マスター……! それだけは……! それだけは持って行かないでください……!」
「振ってません! 指のあいだからこぼれただけです!」
「はやく隠せ! サイコロ狩りだ!」
「ぜったいあとで迎えにいくからね……! ちっちゃいクマちゃん……!」
ジャラ……――。硬い物がぶつかる音が鳴る。
規律を正し終えた議長はカウンターに『会議に不要な正六面体』を置くと、洒落た椅子の背もたれを片手で掴み、ガタ、と向きを変えた。
もふ……。
テーブル席を見渡し座った彼の手に、ふわふわで生温かい何かが渡される。
「ん?」
うっかり受け取ってしまった議長は視線を落とし、己が自然な動作で左腕にのせたそれを見た。
すると、愛くるしいもこもこが、お休み中の子猫のように仰向けに寝転がり、お手々を胸元でキュ、と折り曲げたまま、つぶらな瞳で彼を見つめていた。
ルークが彼に渡した寝起きの寝巻きクマちゃんである。
魔王のような男は何を考えているのか、いつも通り表情を変えず、長い脚を組み、隣の椅子に座っている。
「…………」
返す気にもならないそれのあまりの可愛らしさに、マスターは無言のまま、指の背でもこもこの頬を撫でた。
もこもこした生き物が、小さな肉球で彼の指を掴まえ、濡れた鼻先をくっつけてくる。
吊り上がっていた彼の目が、この世で一番愛おしいものを見つけたと誰が見てもわかるほど、柔らかく細まった。
議長が会議にもこもこを持ち込んでいる。
持ち込んだうえに撫でている彼に『マ、マ、マスター……』動揺と批判の声が、小さくあがった。
本物のもこもこの持ち込み、連れ込み、抱え込み、おたわむれは許されるのか。
自分達のちっちゃいもこもこは奪ったくせに……! という恨み節をぶつけないのは、返してもらえなくなったら困るからである。
「クマちゃ、クマちゃ……」
『クマちゃ、美化委員ちゃん……』
しかし、ざわめきが広がる前に、愛くるしいもこもこの子猫のような声が聞こえた。
美化委員のみなちゃんこんばんは、美化委員長のクマちゃんです……。
「マスタークマちゃん寝ぼけてるみたいだからこっちかして」
カウンター席、議長の隣に座ったリオが、美化委員長を寝かしつけようと目論み、手を伸ばす。
もこもこした赤ちゃんはおやすみの時間だ。おくるみで包み、優しく撫でればすぐにお目目を瞑るだろう。
「おいやめろ、このままでいい。……どうした白いの。何かあったか?」
マスターはリオの手を払い、目覚めてしまった美化委員長の話を聞くことにした。
綿ボコリのような敵を倒せたのは、もこもこが作った飲み物のおかげに違いない。
特別な力で異変を察知したもこもこから、なにか重要な話があるのだろう。
マスターの腕でもこもこもこもこと身を起こし、ぬいぐるみのように座った美化委員長が、愛らしい声でいった。
「クマちゃ……」
ホコリちゃんは切っちゃダメちゃん……。
今日づけで美化委員に任命されたのかもしれない者達が、さきほどギルド職員から聞いたばかりの、『凄腕の剣士』の話を思い浮かべ、ハッと息をのんだ。
『まさか、この寝起きの子猫ちゃんのようなもこもこは、見聞きせずともすべてを理解しているのか……』
「……あ~、斬るとどうなるんだ?」
『ついさっき、剣で突き刺して倒したらしいが……』そう考えつつ、マスターはそれを訊いた。
もこもこした赤ちゃんは、両手の肉球をじっと見つめてからお顔を上げ、しっかりと頷き、答えた。
「クマちゃ……」
『ふたつになるちゃん……』
ひとつのホコリを半分に切ったら、ふたつになる。クマちゃんは簡単な計算なら出来てしまうのである。
『な、なんてことだ……!』
『やっちまった……!』
『斬ったら増える……! 確かにそうだ……!』
『普通のモンスターとは違うってことか……! 魔力に還るだけだと思ってたぜ……!』
「ほんとにぃ?」というかすれ声は、あちこちで上がる声にかき消された。
「うーん、やっかいな敵だね。クマちゃんに教えてもらわなければ、大変なことになってしまうところだったよ」
「ああ」
「よもやそのような敵が現れるとは――」
「それを知らせるために、わざわざ起きてくれたのか……。すまないな、白いの……」
マスターは幼きもこもこが大事な睡眠時間を削ってまで彼らを助けようとしてくれたことに、深く感謝した。
あとのことは、大人である自分達がどうにかするべきだ――。
早く赤ん坊を寝床に戻さねば。
彼はもこもこをリオに預けようとしたが、無知な行動により事態が悪化する可能性を考え、それを尋ねることにした。
「……あ~、そうだな、もし知っていたらでいいんだが、増やさず倒す方法はあるのか?」
顎鬚に手を添え、難しい顔でもこもこを見る。
もこもこした美化委員長が真剣な、愛くるしい表情で答えた。
「クマちゃ……」
吸うといいちゃん……――。
美化委員達は驚愕し、思わず口元を押さえた。
『まさか……』
妙な表情で口を押えている彼らを見たマスターが、馬鹿者共を叱る。
「おい、何を考えてる。そんなわけあるか」
「まったく……」マスターは嫌そうな顔をしたあと、お口をあけてぼーっとしているように見えるが秘策について考えているのかもしれないもこもこに、質問をした。
「それは、特別な道具が必要ってことか?」
森の街の人間でも作れる物なのか。
『特別な道具』についてしっかりと考えていた美化委員長は、室内の美を保つためにはかかせないアイテムの名を告げた。
「クマちゃ、クマちゃ……」
ホコリには掃除機ちゃんですね……、と。
◇
温かみのあるランプの光に照らされた、艶めく天板。
書類が片付けられたカウンターには、たったいまもこもこ製作所の社長であるクマちゃんが作ったばかりの秘密兵器が並べられていた。
「クマちゃ……」
その上のひとつにのった美化委員長が、クマちゃん型のボタンを肉球でムニ、と押す。
キュオー――。
円板型の魔道具から可愛い音声が上がり、何かを吸い上げるような音が聞こえた。
ブオー……――。
魔道具が音を立てながらテーブル席のほうに向かって前進すると、その上にのったクマちゃんも歌声を響かせ、円盤で運ばれていった。
「クマちゃーん」
『おそうじちゃーん』
『おお……』美化委員達はどよめきながら、空中を進むもこもこへ拍手を贈った。
『これが新たなる脅威を殲滅する兵器か……』
自己愛が強めのギルド職員が、右手に持ったクマちゃんペンを左肩付近、左手に持った手帳を右肩付近に当てる。
彼は長いまつ毛を伏せると、妙に良い声で囁きつつ両手を浄化した。「俺を呼ぶ店長さんの声が聞こえる気がする……」
「可愛い……! 敵をお掃除する兵器……、そこにお座りするクマちゃんは、まるでうっかり動く魔道具に乗ってしまった子猫ちゃんにしか見えない……! 『おみあち』の肉球も美しいです……! 店長さんが〝この俺〟に描いて欲しいところはここですね……!」
小さくはない声でもこもこを褒めたたえ、素早く『おみあち』を描く。
店長リオが声を掛けたが、彼の耳には届かなかった。「呼んでないんだけど」
「クマちゃん可愛いねー」リオは空飛ぶもこもこを褒め、座ったまま振り返り、カウンターに置かれた魔道具のひとつを手に取った。
横にあるゴーグルも、一応首にかけてみる。
「あっちのはどっからどうみても掃除用だけど、コレ結構武器っぽくね?」
ふんふん、ふんふん――。
もこもこが湿ったお鼻を鳴らし、愛らしい声で歌う。「クマちゃーん」『ホコリちゃんはどこですか?』
美化委員長を運ぶ円盤は、一般家庭では使わないが、大きな店なら持っているかもしれない、お高いと噂の床掃除用魔道具にそっくりだった。
あれに乗ったまま移動する猫を見たことがある。
鬱陶しいギルド職員が言っているのは、それのことだろう。
しかしリオが片手で持ち上げたものは、どちらかというと猟銃に似ていた。
シャラ――、聞きなれた綺麗な音が鼓膜をゆらし、彼の前に影ができる。
「これならば、森の中でも使えそうだね」
そういった男の右手にも、リオの持つそれよりもやや細身のものが握られていた。
「それ持って近付くのやめてほしいんだけど」
狂暴な鳥に撃たれそうで怖い、とは思わないが、銃に似たものを持っている派手な男は人の側によるべきではない。
いまにも硝煙のにおいが漂ってきそうだ。
「猟銃のような形をしているから、これで敵を『吸う』というのは、とても不思議に思えるよ」
彼の嫌そうな顔を気にしない大雑把な男は、銃口に似た部分に左手を添え、なんの躊躇いもなく、引き金を引いた。
ブオー……――。
「えぇ……」
リオは思った。この鳥の心臓は、もこもこの被毛に包まれているに違いない。
「クマちゃーん」
『陸地を目指すちゃーん』
ふんふん――湿ったお鼻を鳴らし、お歌を歌う美化委員長クマちゃんが、ブオー……と音を立てながら、銃を持つ暗殺者の前を横切る。
ヒィー――。美化委員達の口から、か細い音が鳴った。
『可愛い美化委員長がお掃除されてしまう……!』
だが彼らの心配をよそに、すれ違いざまに斃されたのは、銃に似た魔道具を持つもこもこ好きの暗殺者だった。
似合い過ぎる魔道具を持ったまま下を向き、標的が現れるのを待っているように見える彼は意識を失っていた。
『クマちゃーん』に心臓をひとつきされ、息を止めたようだ。
「おいクライヴ、大丈夫か……」
心優しいマスターが、男の肩にそっと手を置いた。
ブオー……。空気を吸い込む音が響く。
キュオー。
「クマちゃーん」
『クマちゃん降りるちゃーん』
「上手ぇな」
低く色気のある声が、シンガーソングライターの美しくも物悲しい鼻歌、『遠ざかる大地』を称賛し、魔法でフワリともこもこを降ろした。
「クマちゃんもしかして降りれなく」――言ってはいけないことを言いかけたかすれ声の男の肩を、派手な男が持つ魔道具が吸い込む。
ブオー……。
「普通にやめて欲しいんだけど……」
吸い込まれた部分がヒヤッとするだけだが、非常に不快である。
「おや、ごめんね。なぜか急に魔道具で君を吸いたくなってしまって」
「クマちゃ……」もこもこがルークの腕の中で彼に甘えている。
マスターは幼い子供に内職をさせている父親のような言葉をかけた。
「いつもお前にばかり苦労をかけてすまないな……」
哀愁を漂わせる彼に気付いたクマちゃんが、ハッとお顔を上げ、肉球を伸ばす。
「クマちゃ……」
『まちゅた、抱っこ……』
「なんだ、慰めてくれるのか……。お前は本当に愛らしくて優しいな」
ルークからもこもこを受け取ったマスターは、落ち込んだ人間にニャー……と甘える子猫のように「クマちゃ……」と、彼の手にぴたりとお顔をくっつけるもこもこを愛おし気に撫でた。
『美化委員長……』美化委員達が切ない声を上げ、もこもこを独り占めする彼に怨念を飛ばす。
『美化委員長は我々の美化委員長ですよ……』
すると、心優しい美化委員長はマスターの腕の中から、彼らのために魔道具の使い方を説明してくれた。
「クマちゃ、クマちゃ……」
『ホコリちゃ、ゴゴゴちゃ、キラキラちゃん……』
こちらの魔道具ちゃんをホコリちゃんの近くでゴゴゴ……、とするだけで、キラキラちゃんでふわふわちゃんになります……。
「キラキラはなんとなくわかるけど『ふわふわ』は怪しくね?」
何でも疑う男の言葉は、『おお……! それは簡単ですね……!』という美化委員達のどよめきで、ふわふわ……とかき消されてしまった。
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