第308話 「クマちゃ……」しっとりと芸術的な夜。「お呼びですね」「鬱陶しいんだけど」

 たくさんのファンに囲まれてしまったスーパーモデルクマちゃんは、現在物陰に潜み、乱れた呼吸を整えつつ、周囲のようすを窺っている。


 うむ。外はまだざわついているようだ。お洒落なクマちゃんの最新ファッションが気になるらしい。



 もこもこのオムツズボン姿は、怒りでツノを生やしていたマスターの心を静めるほどの威力を持っていた。


「……クソガキが戻ってきたら何をやってたのか訊こうと思ったんだが、白いのが可愛すぎてそれどころじゃなくなったな……。どうしたんだ、そのオ…………、いや、なんでもない。気にするな」


 マスターは動揺を隠し切れず、危うく禁断の『オ』から始まる三文字を言いかけ、ギリギリで踏みとどまった。

 伝説の鎧よりも気になるそれが視界に入らぬよう、片手で目元を隠し、こめかみを揉む。


 今のところ、リオの腕からカウンターに降り、何故か小さな黒板の裏にきっちり半分隠れているオムツクマちゃんには気付かれていないようだ。


 どこかから『け、けしからん……! な、なんだあの格好は……! 足が丸出しではないか……!』という、若い娘のスカート丈に目を剝くおやじのような台詞を吐く、青年の声が聞こえた。

 愛らし過ぎるもこもこのせいで、気が動転しているらしい。


「ちょっとお前らクマちゃん見過ぎ。こっから近付いたやつオアシスにぶん投げるから」


 リオはカウンターに並ぶ椅子の前に立つと、もこもこを一目見ようと集まり『オアシスに投げられてもいい……! 見たい』『私も……!』『ちょっとだけでいいんで……!』と騒いでいる輩へ冷たい目を向けた。


「そんな……! 私の可愛いクマちゃんのご家族のお方は、私の可愛いクマちゃんを見ることすら許さないと言うのですか……! あんなに可愛らしいオ」


 と生徒会長が禁呪を放とうとした瞬間。


 パァン!


 同じ制服を着た目つきの悪い男が、魔法で破裂音を鳴らしつつ、彼の頬を手の平でぐりぐりした。

 それは意外と仲間思いな彼らしく、少しも痛みを与えず、血流だけをよくする絶妙な力加減だった。


 殴られていない生徒会長の頬が、健康的に色付いてゆく。


「会長ー。いま天使の羽衣に変な名前つけようとしましたよね。危ないんで黙っててくださーい」


 副会長の手で失言を止められた生徒会長は、頬が歪んでいるせいで喋りにくそうにしながら、長いまつ毛を伏せ、悲し気に「ぼべんべ……」と謝罪した。


 顎鬚を生やした渋い男が、腕を組み、片眉をひそめ、妙な噂話を耳にした酒場のマスターのような顔で「まさか……『ごめんね』か?」と至極どうでもいい謎を解く。


「副会長がやらなかったら、俺が会長の口にハンカチを詰めるところでした。気を付けないとまた死にますよ」


「いや殺しはしないけど。つーかまたって何」


 リオは面倒そうに首の横に手を当て、顔を顰めた。


 変人の相手をするのは疲れる。『天使の羽衣』というのは、もしかしなくても、あのオムツそっくりなズボンのことか。

 仲間を殴らないのは良い心がけだが、やつらはリオのことをなんだと思っているのか。 


「あ~、白いのは、なんで看板の横に……いや、看板の裏に隠れてるんだ?」


 マスターは視線をカウンターに向け、黒板風看板から半分出ているもこもこに尋ねた。


 もこもこは衝撃を受けた子猫のようなお顔でつぶらなお目目をひらき、いまにも『クマちゃ……!』と悲鳴をあげそうなほど、もこもこのお口をあけた。


「おや。マスターが見つけてしまったせいで、クマちゃんはとても驚いたようだね。でも、他の人間には気付かれていないから、不安に思う必要はないよ」


 カウンター席でもこもこを見守っていたルークと話していたウィルが、秘密基地を暴かれた子猫のように震えているクマちゃんを優しくなだめ、周囲で聞いていた者達に少々無理のある要求をした。『気付いていないふりをしろ』


『く、クマちゃんはどこにいるのかなー?』

『白い毛の一本も見当たらねぇ……』


『ここには可愛くない生き物しかいないようだな』

『お前、まさか、俺のことも可愛くないと思っているのか……!』


『あいつ……自分のことを可愛いとでも思っていたのか……!』

『なんて図々しい……。もこもこしてない癖に……!』


 冒険者達は己の僅かな演技力をふりしぼり、美麗だが実は恐ろしい鳥の期待に応えた。


 彼らのおかげでクマちゃんは安心したようだ。

 もこもこのお口を閉じ、看板に半分隠れたまま「クマちゃ……」と呟いている。


 見つかってないちゃんみたいですね……。


「そこで手帳になんか書きなぐってるギルド職員の人。それじゃなくてちゃんとしたやつにクマちゃん描いて欲しいんだけど」


 リオは、カウンターに近付かせてもらえず片頬を赤く染めたまま『わたスのかわいいクマちゃム……』と哀愁を漂わせている生徒会長を放置し、絵が上手いらしいギルド職員へ視線をやった。


「お呼びですね。クマちゃんの肉球だけでなくクマちゃんの可愛い『おみあち』を描くのも世界一上手くなってしまった〝この俺〟を凄く頼りにしている店長さん」


 自己愛が強めのギルド職員が、自慢のクマちゃんペンと手帳を懐にしまう。


 と思いきや、たった今しまったばかりのペンをゆっくりと見せつけるように取り出しながらリオの手前まで歩き、両腕を自身の肩と腰にまわし、己を抱き締めるような格好のまま、両手を浄化した。


「鬱陶しいんだけど」という店長の苦情は受け付けないらしい。


「クマちゃんの絵を描くのかい? それはとても素敵な考えだね。せっかくだから、衣装にふさわしい背景を用意したいのだけれど」


「あ~、そうだな。座ってるだけだと白いのが退屈だろうし、遊び道具もあったほうがいいだろ」


「ねぇお兄さん、ふわふわの椅子か寝床が欲しいのだけれど……」ウィルはカウンター席に座り姿を隠しているよろず屋お兄さんに相談を持ちかけ、マスターは魔王に声をかけた。「ルーク。何か持ってないか」


 満身創痍の死神が、カウンター席からゆっくりと立ち上がる。

 制御できない氷の魔力でピシリ、ピシリと床を凍らせながら、苦し気に胸を押さえ、知らずに踏んだ冒険者達を三人ほど巻き込み、『あれ、ここに水……ガァーッ!』『あ、ほんと……ダァーッ!』『うるさいぞお前……ラァーッ!』愛するもこもこに捧げる花を探すため、外へ出て行った。


 が、すぐに気付いた周囲の冒険者達のおかげで、床はすぐに元の状態に戻り、怪我人もでなかった。


「あいつら騒ぎすぎだろ」

「元気だな。魔法得意なやつ、ここの氷とかしといて」


 そうして何事もなく、絵画モデルの準備は整えられた。



 淡い水色の、ふんわりした丸い寝床。そのまわりを花畑のように囲う、白い花。

 艶やかに流れるリボンを踏む、先の丸い足。


 寝床よりももこもこした存在が、しなやかで華奢なお手々を伸ばし、ぷっくりとしたピンク色が、くるりと巻かれた紙のついた何かをとり、色白のお顔へ運ぶ。


 もこもこしたお口はお上品にそれをくわえると、そっと息を吹き込んだ。


 ――ピーピョロロロロ――。


 丸まっていた三本の紙が、蛇のように広がった。



「普通にうるさいんだけど」


 芸術を解さない男が、モデルの小道具に苦情を出す。

 可愛いが、うるさいと。


 絵画モデルはふわふわな猫ベッドによく似た、クマちゃん専用ベッドの中央で、新しいおもちゃに夢中な幼児のように、ピーピョロロロ……、とうるさい笛から伸びる紙を広げたり戻したりしている。


「なんて可愛い赤ちゃ……、いえ、絵画モデルでしょうか。感動で手が震えます」


 ギルド職員はカウンター席の近くに用意されたテーブル席に座り、目の前で騒音を出し続けている絵画モデルをじっと見つめた。


 輝く被毛と濡れたお鼻の表現が、とくに難しそうだ。

 だが今回のポイントは、やはり帽子とお揃いのシマシマオムツだろう。


「これお兄さんがくれた『布はってあるやつ』ね。何枚描いてもいいっつーかたくさん描いて」


 リオは様々な大きさの、よろず屋お兄さんが無料でくれたキャンバスを、テーブルの隅と椅子に積み上げた。

『これを可愛いもこもこで埋めろ』と。


 画家のために空けられたもうひとつのテーブルの上にも、大きなキャンバスが置かれている。

 丸い天板からはみ出しているそちらは、お兄さんが自分のところへ送るためのものらしい。


 因みに『布はってあるやつ』とは、名前を覚えるのが苦手な森の街の人間がつけた、キャンバスの呼び名である。


「何枚でも……。ありがとうございます。マスターには『今日までお世話になりました』と伝えておいてください」


「マスター。ギルド職員の人仕事辞めるらしいよ」


「駄目に決まってるだろ!」


「ひどすぎる。可愛いクマちゃんだけが俺の癒しだ……。」画家への転向を阻止されたギルド職員が、サラサラの髪を耳にかけつつ絵画モデルに声をかける。


「あの、クマちゃん、お鼻をよく見たいので、少しだけ笛を……。そうですか。大丈夫です。目に焼き付いているので」


 そうして彼は、筆ではなく、自慢のクマちゃんペンをとった。



 一時間後、一枚目の絵を見たリオは「えぇ……」と唸った。


「すげーけどおかしくね? そのペンまじでどうなってんの?」


 クマちゃんペンだけで描かれたとは思えないほど、素晴らしい絵だ。


 油絵とも水彩画ともつかないそれからは、独特の匂いがしない。

 困ったようなうるうるお目目も、おもちゃを握るもこもこのお手々も、全身のもこもこも、シマシマの帽子も、可愛らしすぎて死神の心臓を止めたオムツも、まるで本物のように見える。


 ギルド職員の作品には、ふわふわで真っ白な子猫のような赤ちゃんクマちゃんの魅力が、存分に描かれていた。


「自分の才能が怖い……」男が二枚目のキャンバスにクマちゃんペンを走らせながらいう。


「でも、この素晴らしいクマちゃんペンがなければ、ここまでの作品は描けません。さすがはクマちゃんペン。描けないものなど存在しない。まさに俺のために存在する、俺のためにクマちゃんが作ってくれた、クマちゃんペン……」


 そして自慢のペンを掲げ、自分ごと光の魔法でカッ! と照らした。


「鬱陶しいんだけど」


「なるほど……絵心のある人間が持てば、望むものが描けるのか。確かにすごいペンだな。だが、こいつの絵が上手いのも本当だろう」


「たった一時間で描いた作品には、とても見えないよ。思わず抱き締めたくなるほど愛らしく、本物そっくりなクマちゃんだね」


「ああ」


「絵のなかで、被毛が輝いている――」


 鬱陶しいギルド職員の描いた絵は、保護者達も納得の出来だった。


 生徒会役員達は口々に感想を述べ、赤ちゃんクマちゃんの芸術的な私生活に慄いていた。


「私の可愛いクマちゃんが、絵のモデルをしながら天使の笛を吹いてる……」

「さすがは神の国っすね……」

「そんな……猫ちゃんみたいな美クマちゃんは、楽器の演奏まで……」


 ようやく笛を手放した絵画モデルは、愛らしい歌声を響かせ、それを告げた。


「――クマちゃーん――」

『――クマちゃん寝るちゃーん――』

 

「ああ。お前はもう寝る時間だな。偉いぞ」


 過保護なマスターがいつもよりもやや早い時間に眠るらしいもこもこを褒め上げる。


「マスターは仕事はあるだろうから、僕が彼らを案内するよ」


 ウィルはそう言って、もこもこの学友達を見た。


 テーブル席の生徒会役員達は、コクマちゃんと絵画モデルの愛くるしさを嚙みしめながら揉めていた。


「その草かしてください」

「それはできないんだ……ごめんね……」

「会長ー。クマちゃんに『心がせまいちゃん……』って嫌われますよ」


 煌びやかで大雑把な南国の鳥は、彼らの揉め事など意に介さず、涼やかな声でさえずった。


「クマちゃんが君たちに部屋を用意してくれたみたいだから、ついておいで」



 寝ると宣言したクマちゃんだったが、お店の中を見回してハッとなった。

 お店がお客ちゃんでいっぱいである。


 このお店の営業時間は、いったい何時までなのだろうか。

 しかし、『クマちゃのげーむ』を楽しんでくれているお客ちゃん達に、『時間ちゃんです』というのは可哀相だ。


 遊んでいる最中に突然そんなことを言われたら、悲しくて『延長ちゃんでお願いします』と泣いてしまうだろう。


「クマちゃ……」大好きなルークの腕のなかに入りながら、むむむ、と悩んでいた時だった。


 もこもこの頭のなかに、禁断の言葉が過ぎる。

 

 ――二十四時間営業――。


 なるほど。これならば、お好きな時間まで遊べるだろう。

 クマちゃんはうむ、と頷いた。

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