第307話 まったりと模様替えをしていた彼らに走った衝撃。スーパーモデルに届いた着替え。「クマちゃ……」「これはヤバすぎる」

 お店ではなく自分達のお家に戻ってきたクマちゃんは、現在、リオちゃんに頼まれ、素敵なポーズをとっていた。


 うむ。スーパーモデルのお仕事はとても大変である。



 模様替えを始める前、リオは巨大な円形ベッドを眺めながら、「……これは最後でいいや」といった。

 

 どう見ても邪魔で問題しかないベッドだが、これの代わりに成人男性用のベッドを六個並べる、となれば、空間が足りず、斜め向かいの家まで使うことになる。


 ということは、もしもいい場所をとることができなければ、毎晩ルークの腕のなかで寝ているもこもこと、さらに距離があく、ということだ。


「お兄さん、これどうにかしたいんだけど」


 リオは、家に戻ってそうそうにベッドの空いている空間に横たわり、みぞおちのあたりで手を組んでいる高位で高貴な彼に、『これ』と、絶対に座れないソファを指さした。



「クマちゃん次こっちであれやって。足ちょっとだけ横に出すやつ」


 リオがお願いすると、クマちゃんは「クマちゃ……」と可愛らしく腰にお手々を当て、短くて可愛いもこもこあんよをス、と横に出した。


「クマちゃん可愛いねー」


 と言いつつ、イチゴ風のランプのひとつに〈クマちゃんの砂〉を振りかける。

 それだけで、彼の願った通り、もこもこそっくりなランプが一瞬で出来上がった。


 壁際から降ろされたソファもリオの希望通り、もこもこ仕様だ。


 ルークは愛しのもこもこに良く似たソファで脚を組み、怠そうに座っていた。

 美麗な男が時々瞬きをする。

 長すぎる生に飽いた魔王のような眼差しが向けられているのは、騒がしい金髪のお手伝いをしている可愛いクマちゃんだ。


 愛するもこもこをひたすら見守る彼は、闇に潜む魔物を統べる王――ではなく、魔力が異常に多い、人外と見紛うほどの美青年である。


 偉大な魔法使いクマちゃんのお力でやや大きくなった家。

 少し端に寄せられた、円形祭壇風魔法陣ベッド。

 家の外を囲うクマちゃん燭台。


 もこもこなクマちゃんソファ。

 もこもこな敷物。

 ベッドから降ろされた、リオのテーブル。


 あちこちに飾られたクマちゃんランプ。

 スーパーモデルの短い美あんよに心臓をひとつきされ、柱に腕をつく死神。


 模様替えは順調のようだ。


「あ、カーテンもつけたほうが良くね?」


 リオは自分達の店をそろそろツノが生えそうな渋い男に任せてきたことも忘れ、スーパーモデルを抱き上げると、幸せそうに言った。「あー、めっちゃもこもこ」



「わかった。このベッド赤いからいかがわしいんじゃね?」


 何も分かっていない男はそう言うと、光沢のある赤いシーツに〈クマちゃんの砂〉をかけた。


 彼に抱かれたもこもこが彼の真似をして、「クマちゃ……」と肉球から砂を落とす。


 真っ赤なシーツの上を艶やかに流れる、高位で高貴なお兄さんの御髪。


 に落ちるクマちゃんの砂。

「ヤバイヤバイ」


 高位なお方の髪が〈クマちゃんの砂〉でキラキラと輝き、「ヤバイヤバイヤバイ」彼の寝ているいかがわしいベッドが、ふわふわの真っ白な毛皮におおわれた。


 お兄さんの美しい黒髪は、艶が増しただけで、おかしなことにはならなかったようだ。


「やべーお兄さんの髪までもこもこになるかと思った。めっちゃ冷や汗出たし」


 リオは本当にそうなったら相当問題がありそうな発言をしながら、犯人を見おろした。

 

「クマちゃ……」高位な御方の御髪もこもこ未遂事件の犯人が、つぶらな瞳で彼を見上げる。


 犯行に使われた肉球で、どこかを指している。

 たった今もこもこになったばかりのベッド。

 そちらに降りたいらしい。


「クマちゃん可愛いねー」


 新米ママは『お兄さんに砂かけちゃ駄目でしょ!』と叱ることを諦め、我が子をもふ、とご希望の場所に置いた。


 砂を見た猫というのは、それに肉球を突っ込み、引っ搔き回さずにはいられない生き物なのだ。

 叱っても無駄である。


 クマちゃんがふわふわになったベッドの上を、少し困った表情で、ヨチ……ヨチ……、ヨチ……ヨチ……、と生まれて間もない子猫のように歩いている。

 その姿は、何とか息を吹き返した死神の息の根を止めるほど愛くるしい。


 艶の増してしまったお兄さんの御髪の上を、ヨチ……ヨチ……ヨチ……ヨチ……と、もこもこした何かが通る。


「クマちゃんそこ踏んじゃ駄目なとこかもー」


「クマちゃ……」ぼんやりした注意を聞いたもこもこは『踏んじゃ駄目』なそれにのったまま、コロン、と仰向けになった。


 クマちゃんは踏んでません、のポーズである。


「めっちゃ可愛い……」


 リオはもこもこした赤ちゃんの後ろ足の肉球を見ながら、すんでのところで犯人を逃してしまった探偵のような、悔し気な声を出した。


 そのとき、獣に髪を踏まれたことなどなさそうな高貴なお兄さんが、何も気にしていない様子で、可愛がっているもこもこを呼んだ。


「――クマ――」


 不思議な美声が彼らの頭の中に響き、もこもこの横に闇色の球体がふわり、と現れる。


 中から出てきたのは、小さなもこもこ用の、たくさんのお着替えだった。


 さきほどルークの注文した、クマちゃんの寝巻が完成したようだ。


 怠惰な魔王のような男が、ソファから立ち上がる。

 視線で彼に感謝を伝え、お兄さんの横でコロンと転がったままのもこもこを、優しく抱き上げた。



「なになに。うわ、すげーちっちゃいのにちゃんと服の形してるし。お兄さんやべー」


 リオは色々と『ヤベー』店のことも忘れ『やべー』と喜び、もこもこの新しい衣装に目を輝かせた。


 氷を纏いし死神が、『すげーちっちゃい』らしい服に興味を示し、死の淵から甦る。

 

 シマシマお帽子と、お揃いのシャツ。

 ――を着させる前に、ルークがはかせたもこもこ用のズボン。


 目撃者達はまるで、女神との邂逅を果たしてしまった冒険者のように、息をのんだ。


 それは、子猫がシマシマ模様のオムツをはかされてしまったようにしか見えない、胸も呼吸も苦しくなるほど愛らしい姿だった。



 もこもこベッドに座った魔王が、長い指先でもこもこのズボンを整え、お揃いのシャツへと手を伸ばす。


「いやいやいや。リーダーそのシャツ着せんのちょっと待って。さきに映像……、いやこれはもう絵画に残したほうがいいやつでしょ」

 

 リオは爆発物よりも危険な愛くるしさで死神の心臓にドカンとトドメを刺したオムツクマちゃんを、魔王の手からサッと奪い取った。


 もこもこは何も考えていないような、つぶらな瞳を彼に向け「クマちゃ……」とリオを見上げている。


 彼の腕に仰向けで寝転がり、もこもこのお口をチャ、チャ、と動かしているもこもこを観察する。

 ズボンがオムツに見える原因は、すぐに分かった。

 

 可愛いあんよを隠すはずの、ズボンの股下が短すぎるのだ。

 短いというよりも、ない。


 伸縮する布地のクシャ、と皺が寄った穴から、真っ白なクマちゃんのもこもこあんよが可愛らしく伸びている。


 この服を縫ったお兄さんの関係者、おそらく部下は、もこもこの脚の付け根から足首までの布を、『この長さなら無くてもいいかもしれないですね……』とハサミでチョキンとやってしまったに違いない。


 三センチ……、いや二センチメートルくらいならあってもなくても……、と考えたくなる気持ちは分かる。

 が、それが無くなったらズボンではない。


「ヤバい。これはヤバすぎる……」


 リオは大変な可愛らしさを手に入れてしまった究極の赤ちゃんを、震える手でそっと抱き締めた。


 早く『誰よりもクマちゃんの肉球を描くのが上手い』と自称するギルド職員に、この姿を描かせなくては。


◇ 


 この世に究極の赤ちゃんクマちゃんが誕生してしまったことを知らぬ彼らは、混雑する店内で、時に怒り、時に戦い、時に揉め、時に引っこ抜き、と忙しく過ごしていた。


「まだ三分も経ってないだろうが! 入ってくるな!」


 マスターは相変わらず、聞き分けのない冒険者達を追い出すのに手を焼いていた。



「私の……、私の可愛い小さなクマちゃんのもとに、私の人形が……!」


「クソ……! 先を越されちまったか……!」


「小さな美クマちゃん……。今からあの会長をどうにかするので、少し待っててください」


 生徒会役員達の勝負は、最後までしつこく愛を注ぎ続けた生徒会長の勝利で終わったようだ。


 会計は癒しの丸太を撫で、自身の小さなもこもこに誓った。

 有頂天になっている男を、すぐに仕留めてくると――。


 副会長と手を組んだ会計が、有頂天男を椅子ごと外に運び出す計画を立てていたとき。

 派手な神鳥のような守護者が、シャラシャラと美しい音を響かせ、彼らのもとへと舞い降りた。


「おや、君たちはまだクマちゃんのお菓子を食べていなかったのかい? 運んできてあげるから、少しだけ待っていて。……僕が戻ってくるまでに仲直りをしなければ、どうなるか分かっているね?」


「私の可愛いクマちゃんのご家族のお方。ありがとうございます。私達はいつでも仲良しです」


「会長のアゴにクチ描いてずっと笑ってる人みたいにしてやろうとか、思ってないっす」


「はい。喧嘩なんて一度もしたことありません」


 彼らはクマちゃんクッキーとパンケーキとプリンがそれぞれ一つずつしかなかったせいで揉めていたことなど、まるでなかったかのように、姿勢を正し、堂々と噓を吐いた。


「そう。さすがはクマちゃんのお友達だね」


 見た目と違って些細なことを気にしない男が、ふ、と微かに好戦的な笑みを零す。

 シャラ――。

 綺麗な音を残すと、絶品お菓子を受け取るため、四角い魔道具のほうへ戻っていった。



「これが私の可愛いクマちゃんの肉球の甘味……。なぜだろう、食べた記憶がないのに、クッキーがない……」


「会長ー。気持ち悪いことばっか言ってると、そのうち本気で金色の守護者にぶっとばされますよ。でもまじでクッキーどこいったんですかね」


「俺は見ました。会長達がもくもくとクッキーを食べている姿を」


 いつでも出来立てで最高に美味い菓子に感動していた彼らの耳に、『俺のクマちゃんのカードだ……!』という、誰かの抑えきれない叫びが届いた。


「クマちゃんのカード……? この袋は……」


 会計は自身のトレイの上、皿の陰に置かれていた袋を発見し、中身を取り出した。

 カードが一枚――。


 なんとそこには、彼が大切に育てあげたコクマちゃんが、つぶらな瞳を潤ませ、銀色のトロフィーを抱えている姿が写されていた。


 会計は歓声をあげかけた口元を押さえ、さきほど彼が切り分けたお菓子に舌鼓を打っている、愛しのコクマちゃんを見た。



「……優勝させてやれなかった俺にまで、こんなプレゼントをくれんのか……。さすがは天使だぜ……」


 副会長は涙を隠すように、片手で顔をおおった。


「おかしい。私の可愛い小さなクマちゃんのカードがない……」


 会長は何故か自分だけ手に入らなかった、彼の小さなクマちゃんのカードを探すため、副会長達の皿まで裏返そうとした。


 揉め事のはじまりである。


「止めて下さい。会長は自分の運命を受け入れるべきです」


「会長ー。人の食いかけの皿裏返すなって学園で教わらなかったんですかー」



「なんだあのけしからん若者達は」


 見慣れぬ服装の若人が、互いの頬を引っ張り合っている。

 が、それよりも


「服が乱れているではないか」


服装の乱れが気になってしまった桃色の美青年、頑固おやじが、彼らのシャツ、タイ、上着を整えるため、そちらに足を向けたときだった。


 入り口の方から、有名な歌姫を目撃してしまった熱狂的なファンの悲鳴のような声が聞こえてきた。


『あ、あれは……!』


『まさか……お』

『馬鹿寝巻に決まってんだろ……!』

『すまん……お寝巻だな……!』


『可愛い……! 可愛すぎて死んじゃう……!』

『なにあれ可愛すぎる……!』

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