第306話 可愛らしくなった『ゲストハウチュ』に隠されたもこもこ。「クマちゃ……」「ずるい」

 誰も住んでいない民家の前に到着したクマちゃんは、「クマちゃ……」と深く頷いた。


 クマちゃん達のお家の、少し遠いお隣ちゃんである。


 もっと近いほうが良かったが、仲良しのリオちゃんは「絶対こっち。いやあっちでもいいけど」とどこか遠くを指しているので、クマちゃんには見えない物件よりは、こちらのお家のほうがいいだろう。



 店から出た彼らは、もこもこが最初にお手々を向けたほうではなく、


「いやあっちはちょっとアレだよね。騒音問題とかあるし。あっちの家にしよ」


という男の手で別の方向へもこ……、とずらされたお手々が示すほうの民家へ向かった。


 真っ白な砂の上に敷かれた、古木で作ったような風合いの味のある道を三十秒ほど進んだところに、その家はあった。


 チョロチョロ――と、心地よい水音が響いている。

 家の後方から流れ、高床の土台の下、板の道の向こうへと続いてゆく小川。

 水面がまるで、夜空の星を閉じ込めたように、キラキラと輝いていた。


「景色もいいし、ここでいいでしょ」


 村長は自分達の巣に変態を近付けないため、吊り下げられたたくさんのランプと光の瞬く小川で飾られた美しい家を、泣く泣く手放すことにした。

 

 もこもこの作業部屋にしたらいいのでは。

 そう思うほど綺麗だが、自分達の家のすぐ側、道を挟んだ斜め向かいの家よりは、こちらのほうが距離がある。


 リオはすぐ近くで変態が『私の可愛い……』と呟きながら、もこもこを覗き見ようと柱からはみ出している様子を思い浮かべ、「絶対こっち。いやあっちでもいいけど」遠くに見える東屋を指さした。



 一匹と二人とお兄さんとさりげなく合流した死神は、古木の道と繋がる木製の階段を上がり、家の中に入った。

 壁がないため、外の景色が良く見える。



 むむむ……。インテリアコーディネータークマちゃんは悩ましい表情で、お手々の先をくわえた。


 ゲストハウチュに必要なもの、というのは何なのか。

 そもそも、ゲストハウチュとは、一体なんなのか……。


 難しいことは良くわからないが、とにかく可愛ければいいのだろうか。

 そう考えている途中で、ハッと大事なことを思い出した。


 ここにお泊りするのは、クマちゃんのお友達なのである。

 お友達の会長ちゃんは、よくクマちゃんのことを『可愛い』と言ってくれる。


 ということは、この家を全体的にクマちゃんっぽくすれば、すべてが解決するのではないだろうか。


 うむ。クマちゃんは深く頷き、鞄から杖を取り出した。



 もこもこを抱えたルークがソファに座り、もこもこを撫でたいリオが同じソファで「リーダークマちゃん抱っこさせて」という。


 そして姿を隠していないお兄さんが一人掛けのソファでゆったりと寛ぎ、柱に背をつけ腕を組んでいる死神が、もこもこの帽子についたポンポンともこもこした口元を見比べるように睨みつけていたときだった。


 お口を開けてぼーっとしているだけに見えたもこもこが、ついにもこもこと動き出す。


「あ、クマちゃん何か作んの?」 


 リオはもこもこに声をかけた。

 もしやこのまま寝るのでは……。疑っていたが、行動を開始するらしい。


「クマちゃ、クマちゃ……」


 独り言をいいつつ、もこもこは鞄から出したものを落としてゆく。


 子猫のようなお手々が取り出したものは、そのほとんどがふわふわで真っ白な綿だった。

 長い脚を組み座っている美麗な男のまわりに、小さな綿が散らばる。


 もこもこが魔石を欲している――。 


 死神が閉じていた目を開く。

 彼は音もなくテーブルへ近付くと、黒革に包まれた手で、それを滑らせた。


 小さな黒い湿ったお鼻。その上にキュッと寄せらせた皺。

 猫のようなお手々が、愛用の杖を振る。


 魔石がふわりと浮き上がり、粒子がキラキラと舞う。

 広がった願いの力は、彼らの座っているソファを温かな癒しの光で包んでいった。

 

「リーダーと綿ってなんか違和感ある……」


 細かいことを気にしていた男は、自身の斜め前方で光ったものへ視線を投げた。


 赤い張地の木製猫足つきソファがない。

 入れ替わるように置かれていたのは、思わず撫でまわしたくなるような、真っ白な毛皮のもこもこソファだった。


 背凭れの部分につけられたもこもこのお耳。

 並べられた肉球クッション。

 可愛らしいクマちゃんクッション。


 もこもこグッズ蒐集家の目がキラリ、と光る。


「うわ、めっちゃ可愛いじゃん……! クマちゃんこれ俺らのとこ持ってこ」


 見た目だけでなく、座り心地も最高なこれらは、自分達の住処にこそ相応しい。

 壁際に重ねられ、謎の祭壇のようになってしまったあちらの部屋のソファとは、雲泥の差である。


 リオはもこもこなソファの毛並みを確かめるように、手の平で座面を撫でた。


「クマちゃんくらい……いや、こっちのほうが毛が長い……」


 日々もこもこを撫でまくっているもこもこ専門家は真剣な表情で、指先、指の間を通りぬける毛の長さをはかった。


 専門家曰く、ソファのほうがフサっとしているらしい。


 可愛いお顔付のクマちゃんクッションは――。

 もこもこ専門家は魔王の隣から、斜め前の誰も座っていないソファへと移動し、それを抱えた。

 

「めっちゃもこもこしてる。クマちゃんくらい……、いや、こっちのほうが中身がもふってしてる……」


 専門家の言葉を聞いた死神は、猫のお手々のようなクッションへ、まるで強敵を見るように、険し過ぎる視線を向けた。

 

 ――そちらはどうなのか、と。


「こっちの毛はクマちゃんのお手々の毛……より短い……」 

  

 専門家は猫のお手々クッションの裏側、肉球がないほうへ手の平を這わせ、ゆっくりと頷いた。


 彼らが素晴らしいもこもこクマちゃんソファとクッションの『クマちゃん度』を調べているあいだに、もこもこは部屋のあちこちに魔法をかけていった。


「クマちゃ……」



「ずるい。部屋中クマちゃんじゃん」


 リオはおやすみ前の子猫のようなクマちゃんと室内を見比べた。


 うっかり思い出してしまった、自分達の円形祭壇風魔法陣ベッド。

 彼はいかにも悔しそうな顔で、ほぼすべてがクマちゃん風アイテムに変わった『もこもこゲストハウチュ』を羨んだ。


 相変わらず壁はない。

 が、柱のあいだに向こうが透けるほど薄い、美しいカーテンが掛けられていた。

 ゆったりと結ばれた両脇で、小さなクマちゃんのぬいぐるみが、カーテンをキュ、と押さえている。


 インテリアコーディネーターは作業の途中、学園の廊下が薄暗いことを思い出したらしい。


 暗いお部屋がお好みちゃん――そう解釈したクマちゃんの気遣いである。


 これも巣に持ち帰った方がいいだろう。

 蒐集家は小さなぬいぐるみを見ながら頷いた。


 床にはもこもこした敷物が敷かれ、寝転がるだけでも気持ちよさそうだ。

 大きな円形に二つの小さな丸をくっつけたような形の、よく見なければ気付かない、さりげないクマちゃんアイテムである。


 テーブル、カウンター、飾り棚。

 上にはそれぞれクマちゃんのランプが飾られている。

 こちらはお座りしたり、何かに手をかけたり、さまざまなポーズを取っているクマちゃんの白っぽい人形を、そのまま光らせたような作りだ。


 成人男性が三人寝ても余裕のありそうな大きなベッド。

 三つ並んで置かれている、クマちゃん枕。

 それは真っ白な無地で、クマちゃんのお顔の形になっていた。

 

「なんかここだけもこっとしてね?」


 手触りの良さそうな毛布をもこ……とめくる。


 リオは驚愕した。

 そこではなんと、可愛らしいクマちゃんのぬいぐるみが、おねんねしていたのだ。

 

 ぬいぐるみクマちゃんは、おやすみ中の子猫のように、胸の前で手首をおりまげ、可愛らしくキュ、とお目目を閉じている。


「可愛すぎる……。一個しかないのが罠っぽい……」


 これは、揉めやすい生徒会役員達をとことん揉めさせる罠に違いない。


 勝利を手にした誰かが抱いて寝られたとしても、途中で奪われ、ふたたび、否、幾度も争うことになる。絶対にだ。


「……――」


 何者かの苦し気な呼吸が、背後から聞こえた。

 おねんねクマちゃん……、否、添い寝クマちゃんの罠は死神にも効いているらしい。


 リオはぬいぐるみの折り曲げられたお手々の下に、毛布をもこ……、と挟んだ。

 人間のように毛布をかぶって眠る、子猫のようなクマちゃんの完成である。


「クソ可愛い」


 こちらも自分達の巣に持ち帰るべきアイテムだ。


 何者かの苦し気な呼吸が止まった。

 死神をもたおす愛くるしさ、ということだろう。


 可愛いクマちゃんグッズを学園の変態達に渡したくない――。


 リオはおねんね中のぬいぐるみを抱き上げようとした。

 が、魔王の腕の中でふんふん、ふんふん、ふんふん、と『ゲストハウチュ』の最終確認をしていたクマちゃんが「クマちゃ……」といったため、それはかなわなかった。



 お部屋をたくさんのクマちゃんグッズで飾ったクマちゃんは、彼らがお部屋で快適に過ごせるように、着心地の良い部屋着と、スリッパちゃんを用意しておくことにした。


「クマちゃ、クマちゃ……」

『お部屋着ちゃ、おスリッパちゃん……』


 ルークの腕の中、クマちゃんが鞄をごそごそと探る。

 生徒会役員達用のベッドに勝手に寝転がり、添い寝クマちゃん人形を抱えているリオは、もこもこに声をかけた。


「クマちゃんあいつら大変なことになっちゃうから、もうこれぐらいでいいんじゃね?」


 この部屋に泊まれるというだけで、十分幸せだろう。

 可愛らしいクマちゃんスリッパなど、彼らには過ぎたるものだ。


 だが心優しいもこもこは、鞄から取り出したあれこれで、すでにそれらを作ってしまっていた。


 もこもこな敷物に、もこもこしている物と、もこもこしていない何かが置かれている。

 

「何それ」


 リオはそのまま寝てしまいたくなるようなふわふわベッドから起き上がった。

 敷物の上を裸足で歩き「ヤバい、ふわふわすぎる。これも持って帰ろ」といいつつ、紺色の、男物の長袖シャツらしきものを広げる。


 背中側の首元のあたりに白い肉球が描かれている。

 もこもこが作った服とは思えない、可愛らしいが男でも着られそうな服だ。

 お揃いの生地で作られたズボンも、普通のものに見えた。


 上着を裏返し、表を見てみる。


「うわ……。めっちゃ可愛い……」


 その服の胸ポケットにはなんと、小さなクマちゃんのぬいぐるみが入っていた。

 

 猫のようなお手々が、ポケットのふちをきゅ、と掴んでいる。


 なんという愛らしさだ。

 ポケットにクマちゃんなど、変態を興奮させる材料でしかない。

 リオは思わず鼻の上に皺を寄せた。


 流れ弾に当たった死神が、ついに膝を突く。

 彼の最後の言葉、『ポケットさえあれば――』が非常に気になるが、本人に訊いても口を割らないだろう。 


「クマちゃ、クマちゃ……」

『ぬいぐるみちゃ、一個ちゃん……』


 ぬいぐるみちゃんは、いらない人もいるちゃんかもしれないので、一個だけちゃんです……。


 もこもこした赤ちゃんは恥ずかしそうに、それを告げた。


「クマちゃんやばいことするねぇ」


 リオの口から『クマちゃん可愛いねー』が出て行く前に、飛び出さずにはいられなかった言葉が『可愛いねー』を突き飛ばし、駆け抜けていった。


 もこもこスリッパは――三人分ある。

 目視したリオが頷く。

 罠に気付くのを遅らせる仕掛けだ。間違いない。


「戻るか」


 低く色気のある声が、罠の設置を終えたもこもこに尋ねる。


「んじゃ店戻る前にあっちの家寄らない? 俺らのとこもクマちゃんぽい感じにしたいんだけど」


 店長はマスターを裏切り、巣の模様替えを優先した。

 願いを叶える砂を使えば、自分達でもできるはずだ。


 よろず屋お兄さんならすべての家具をこちらからあちらへ移してくれそうだが、そんなことをすればもこもこがキュオーと泣いてしまうだろう。

 だが、この可愛らしいクマちゃん家具を見た後で、魔王の作った祭壇など見たくない。


 一人掛けのもこもこソファでまったりと寛いでいた高位で高貴なお兄さんが、長いまつ毛をゆるりと持ち上げ、彼らへ視線を向ける。


 察知したリオが自身のブーツを小脇に抱え――次の瞬間には、もこもこを抱いた魔王も、ふわふわな敷物に伏す死神も、『お部屋の模様替えをする』という超重要案件のために、闇の中へと消えていった。


 

 彼らの帰りを待つマスターは額に青筋を浮かべたまま、「マスター! あとちょっとだけ待ってください! もう一回やったら、勝てるはずなんです……!」とのたまう冒険者を叱り飛ばしていた。


「次で勝てるならあとでもいいだろうが! お前も外だ!」

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