第304話 「クマちゃ……」「ヤバ……」いつでも仲良しな一人と一匹。熱中しすぎて揉める生徒会役員達。

 リオちゃんの非情な言葉をきいたクマちゃんは、体をもこもこもこもこと震わせた。


 髪を痛めないお帽子ちゃん。お部屋で快適にすごせるおスリッパちゃん。

 とても素敵なそれらは、この世に必要ないらしい。


 素直なクマちゃんがお手々の先をくわえ、考える。

 普通に見限られてしまったそれらを諦めて、この世とクマちゃんに必要なおバスローブちゃんと、格好いいおワイングラスちゃんを作ろう――。


 しかしもこもこはハッとした。

 すぐに諦めたら、お帽子ちゃん達が可哀相ちゃん……。


 きゅむ――。心優しいもこもこが肉球を握りしめ、決意する。

 頑張ってリオちゃんを説得してみるちゃん……、と。



『普通にいらなくね?』


 彼がそう言うと、もこもこはつぶらな瞳を潤ませ、お口を開けたまま、もこもこもこもこと震えてしまった。

『ごめんクマちゃんそこまでいらなくもなかったかも』

 隠しきれぬ本心をチラチラ滲ませながら、リオが謝罪をしようとしたときだった。



 カラーン――。

 軽い音が響き、クマちゃんのお手々から杖が転がる。

 もこもこは悲しなお顔で、ごそごそと鞄をあさった。


 ふわふわの着ぐるみお手々が、布の切れ端と、フワフワした綿を取り出してゆく。

 魔王に出してもらった魔石。

 拾ってもらった杖。


 準備を整えたもこもこは、湿ったお鼻の上にキュッ、と皺を寄せた。


 黒猫さんの格好をしたクマちゃんが、猫にそっくりなお手々で杖を振る。

 

 癒しの光と共に完成した、特別なアイテム。

 見てしまったリオは、思わず「ヤバ……」と呟いた。


 いつの間にか着ぐるみを脱ぎ捨て、真っ白なクマちゃんに戻っていた――が、問題はそこではない。

 

 丸くて可愛い頭。

 たらりと垂れた三角形。先に丸いついたポンポン。

 白と水色のシマシマお帽子が、もこもこの頭にすっぽりとはまっている。


 足元に目をやると、白猫ちゃんにそっくりな短いあんよに、もこっとしたものが。


 それは、白くてもこもこの斜め掛けクマちゃん鞄とお揃いの、最高に可愛いもこもこスリッパだった。

 つま先の部分には、つぶらなお目目と黒いお鼻。

 足の甲を隠す甲表は、ふわふわなお耳つきだ。


 もこもこ耐性の低い死神では到底耐えられまい。

 子猫の足にピッタリな大きさのそれを見ただけで、呼吸を止めるだろう。


「可愛すぎる……」悔し気に呟く。


 なんてことだ。

 彼が必要ないと思っていた、室内専用アイテム。

 それは、クマちゃんにかぶらせ、はかせるだけで、とんでもなく愛らしいもこもこを飾る、必須アイテムへと進化してしまったらしい。


 これを見て『いらなくね?』と言える人間など、この世に存在しない。


 もこもこに価値観を変えられた店長は、『寝るときにかぶるやつ』をかぶった子猫のようなクマちゃんに、すっかり視線を奪われていた。

 店内が帰らない人間達でごちゃごちゃしてきたことなど、まるで気にならない。


「クマちゃ……」

『リオちゃ……』


 クマちゃんは彼の名を呼んだ。


 激しく寝返りをうっても髪を痛めないお帽子――。

 歩くともこもこして気持ちのいい素敵なおスリッパ――。


 家猫のようなもこもこのお部屋暮らしをちょっぴり豊かにするアイテム――。


 それらを世界から排除する動きをみせるリオを、説得するために。

 


 だが、彼はもこもこから『クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ……』と脳に伝わりにくい何かを聞かされる前に、考えを改めていた。


「ごめんクマちゃん……、俺が間違ってたかも。帽子とスリッパ、すげー似合ってる」

 

 後悔したリオが、「クマちゃん以外には必要ないけど」余計な発言をはさみつつ、謝罪する。


 命知らずな生徒会役員達が、魔王の後ろの席でふたたび揉め始めている。

 だが、両手を上げ、肉球を見せてくれるもこもこの仕草が可愛らしすぎて、まったく気にならない。


 いまだけは、危険な粗品、『宿泊券』が奴らの手に渡らぬよう妨害してやろうという不純な考えも浮かばなかった。


「クマちゃ……」


 もこもこは、人の思想を『クマちゃ……』するほど愛らしい部屋着姿で、深く頷いた。


 彼を止めることができて、安心したようだ。

 余計な一言は聞こえなかったらしい。


 姿を隠しているお兄さんへ、魔王が視線を向ける。

 もこもこのお洋服を注文するためだ。


 冒険者の彼らは非常時に備え服を着て寝るが、ふわふわでもこもこな赤ちゃんには可愛い寝巻が必要である。


 高位なよろず屋お兄さんは彼らに姿を見せぬまま、ゆったりと頷いた。

 一時間もすれば、赤ちゃんクマちゃん用のパジャマが完成するだろう。


 

 生徒会役員達は、寝る場所のことなどまったく考えられないほど『クマちゃのげーむ』に熱中していた。


 サイコロを振る。

 愛らしい仕草に動揺する。

 揉める。


 これの繰り返しである。


 会長のコクマちゃんは、非常にお上品な生活を送っていた。

 薔薇の花畑で遊び、薔薇の花びらを浮かべた温泉でぱちゃぱちゃと身を清め、哺乳瓶で喉を潤す。

 ヨチヨチしすぎて疲れると、白いお屋敷のふわふわベッドで眠る。

 台座三つ、が彼の領地のすべてだ。


 副会長のコクマちゃんは、美しい滝と複数の温泉、三つのお屋敷、たくさんの衣装を持つ資産家だった。

 おしゃれが大好きなもこもこで、お着替えをしたくなると彼をじっと見つめてくれる甘えっこだ。


 会計のコクマちゃんは、王宮と呼ぶに相応しい豪華な建物で、まるでお姫様のように暮らしていた。

 そのうえ『クマちゃん専用ブラシセット』を入手したおかげで、誰よりも美しい被毛をもっている。

 艶のある白によく映える、水色のよだれかけが会計のイチオシ衣装である。


 ひとつ前の議題『そのブラシ貸して』は揉めたまま保留。

 生徒会長が当てたアイテム、ピンク色の『凄い草』を皆で使いましょう、というのが現在の議題だ。


 彼の前に現れたカードの説明によると、『もこもこの手元付近で振り、仲良く一緒に遊ぶ』というのが、それの正しい使い方らしい。

 小さなクマちゃんだけでなく、使用した者にまで幸福が訪れそうな、『その草貸して』が始まりそうなアイテムである。


 幸せな生徒会長が、猫が好きそうな草を振る。

 彼のコクマちゃんがテシテシテシ! と小さな肉球でそれを叩く。

 そして、会長の両隣に座っていた時々共産主義な者達が、幸せな男の肩を叩いた。


 揉め事のはじまりである。


 静かにしなければならない彼らは、手の動きでそれを伝えた。


 会計が人差し指で『凄い草』をさし、その指で、自身の顔をさす。


『俺にも――、貸してください』


 副会長が人差し指で『凄い草』をさし、親指で自身の胸元をさす。


『俺も――、使います』


 他人の主義に口出しはしないが『凄い草』は貸したくない生徒会長は、申し訳なさそうな表情で、無音の言葉を紡いだ。


『――――』


 読唇術の使い手ではないが理解してしまった彼ら。

 燃えやすい火種。

 ぼ……、と煽った『俺だけ幸せになってごめんね……』


 仲良くできないまま並んで座っていた彼らが仲良くできないまま腕を組み、生徒会長の両腕を拘束する。


 見た目は儚げな美形が繊細そうな容姿に似合わぬ攻撃をくりだそうとしたところに現れたのは、天使を抱えた金髪の守護者だった。


 金髪の守護者はかすれ気味の――少し高めの綺麗な声を響かせ、何故か腕を組んでいる彼らに尋ねた。


「何やってんのお前ら」



 心優しく愛らしいもこもこの『クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ……』


 子猫の寝言のような説得。

 彼の手を湿らせるお鼻。

 一生懸命見せてくる肉球。


 クマちゃんの愛くるしさに負けたリオは不本意そうな顔で、もこもこ宿泊券の使用を認めた。『……じゃあ今日だけ』


 村にはまだ誰も住んでいない民家がたくさんある。

 布市場からクッションを持ってきてやれば、十分寝られるだろう。


 頃合いが悪くカウンターに菓子を取りに来た死神は、おやすみ前の子猫なクマちゃんと、クマちゃんスリッパに心臓をひとつきされ、この店を去った。

 村のどこかにはいるはずだ。


 そうして仲良くお菓子作りを再開し、ゲームが終わって暇になっているであろうもこもこの学友達にそれらを届けようと、カウンターから出てきたところで、自身のコクマちゃんを幸せにするためなら手段を選ばない人間達の美しくない姿を目撃してしまったのだ。


 なんと彼らは三人しかいないのに、まだ一度目のゲームをしていたらしい。

 最初のサイコロを振ってから、優に三十分以上は経っているというのに。


「クマちゃん、こいつらにアレ渡すの嫌なんだけど」


「クマちゃ、クマちゃ……」

『会長ちゃ、お手紙ちゃん……』


 子猫のような愛らしい声。

 もこもこが、店長の物凄く嫌そうな表情に気付かず彼を呼ぶ。


 クマちゃんは会長ちゃんに、お手紙ちゃんを持ってきたちゃん……、と。


 両手の肉球には、クシャクシャに折りたたまれた『そしなちゃん』が握られていた。


「私の可愛いクマちゃん……! 私の小さなクマちゃんに注いだ愛が届いたんだね……! さぁ、私の胸に飛び込んでおいで……!」


「やべぇなんだその格好可愛すぎだろ……! いまからおねんねする子猫ちゃんかよ畜生……!」


「ま……まさか……、ナイトキャップをかぶってくれる子猫なんて、この世に実在するわけが……!」


 会長が小さな小さな声で愛を叫び、それをかき消すように副会長が小声で荒ぶる感想を漏らし、会計は妄想以外に起こり得ぬ衝撃映像を見てしまった会計のように声を震わせた。



 だがお帽子に隠されたクマちゃんの可愛いお耳には、彼らのごちゃごちゃした小声は届かなかった。


「クマちゃ……」


 肉球でキュム、と掴んだクシャクシャを差し出す。


 その恰好のまま動きを止めたもこもこのお口が、『ニャー……』『……ァーアー』鳴きやんだと思ったところでじわじわと鳴き声を大きくしていく猫ちゃんのように、少しずつ開いてきた。


 リオがもこもこのおでこのあたりを指先でくすぐっているせいだ。

 この必殺技さえあれば、素直なもこもこが間違って変態の胸に飛び込むことはない。


「これは……! 優勝の景品? ありがとう。私の小さなクマちゃんが一番素敵な生活を送ってるってことだね」


「会長ー。天使の言葉を曲解しないでくださーい」


「美クマちゃんが持ってるのは手紙ですよね。天罰と俺たちの魔法にやられますよ」


 勝っていない生徒会長が小声で勝どきを上げ、元気いっぱいな敵将達が気の早い自信家を槍でチクチクする。


「クマちゃんちょっと待って、そっち見たらこいつら大変なことになっちゃうから、先にこっち渡そ」


 リオは『大変なことになっちゃう券』を持ったもこもこを抱えたまま、振り返った。

 背後のカウンターに用意していた『クマちゃんクッキー』『クマちゃんプリン』『クマちゃんパンケーキ』がのったトレイを取りに戻る。


 魔王の手元にあるクマちゃん画伯の作品――、を渡すのは後でいい。

 どうせ明日の朝までいるのだ。


 可愛いお菓子がそれぞれ一つずつしかのっていないのは、悪気があるわけではなかった。

 幼い子供ならともかく、青年と変わらぬほど育ち切っている彼らが、菓子で喧嘩などするはずがない。

 そう考えるのは普通のことである。


 一人ひとつであれば、もしも腹がいっぱいでも食えるだろう。


 それは、意外と真面目で細かいことを気にする店長らしい気遣いだった。



 悪意なき店長が、しょっちゅう火種をボーボーさせる彼らに声をかける。


「これクマちゃんが作った絶品お菓子。ここ置いとくから」


 カタ――。置かれる燃料。


 立ち去るリオ。


 揉め事のはじまりである。


「私の可愛いクマちゃんが作った、絶品のお菓子? ……それは私と私の小さなクマちゃんのために存在するお菓子?」


「会長ー。絶品の菓子を独り占めしようとする悪人に、天使が言ってますよ。『清めの旅に出るちゃん……』って」


「そんな……、では、穢れた会長の心が美しくなるまで、俺が小さなクマちゃんを育てておきます。可愛すぎる手作りお菓子も、みんなで少しずつ大事に食べるんで、安心してください」



 燃料にさわる前からボーボーしていた彼らは燃料のそばで益々ボーボーした。


 しかし、相手の顔に跡が付くほど頬を引っ張ったり、椅子ごとひっくり返して恥ずかしい目にあわせるなどの美しくない争いを始める直前、それに気付く。 


 台座の上のちっちゃなクマちゃんが、悲し気なお顔で、彼らを見ている――。


 生徒会長達は瞬時に心を入れ替えた。


「待たせてごめんね、私の可愛い小さなクマちゃん。すぐに勝つから、そしたら一緒にお菓子を食べよう」


「そんな顔すんなよ……。心配しなくたって俺が一番になるに決まってんだろ。可愛いのどに勝利の美菓子が詰まらねぇように、哺乳瓶も当ててやるからな」


「宮殿と輝く被毛を見るだけで、美し過ぎる俺の美クマちゃんが優勝するのが分かりますね。最後にもう一度ブラシセットを使って、王冠を戴く準備をしておきましょう」

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