第303話 忙しいもこもこと、忙しいリオ。愛くるしいもこもこの暗号文。「クマちゃ……」「えぇ……」

 現在クマちゃんは、遊びに来てくれた文通相手へお手紙を渡すため、むむむ、と頭を悩ませている。


 せっかく来てくれたのに、文字だけでは味気ないだろうか。

 

 そのとき、クマちゃんはハッと思いついた。

 うむ。絵も描いたほうが素敵だろう。


 ちょっとしたプレゼントも付けると、もっといいかもしれない。



 行列ができるほど客が来てしまったクマちゃんリオちゃんレストランだったが、空いている席がない、というわけでもなかった。


 誰もお帰りにならず、増えるだけの客達。

 彼らがなぜ、それらの席に着かないかというと、空いているのがお兄さんの座っていたテーブル席と、カウンターでもこもこを見守る魔王の後ろの席、特別な人間以外に許されないように見えるカウンター席だったからだ。


 魔王の後ろの席に案内された生徒会役員達は「私の可愛いクマちゃんのご家族のおかた、お邪魔します。永遠に」「会長、その挨拶はちょっと」「静かにしないと大変なことになると思うんすけど」とルークにそっと声を掛けたり、止めたり、視線を向けないように注意したりしつつ、椅子を引いた。



 一応カウンターからは出ているが、もこもこの学友への案内を指先だけで『お前らの席あそこね』と終わらせたリオは、ぼーっとしながらチャ――、チャ――、チャ――と可愛い舌を鳴らしているだけに見えるクマちゃんを抱えたまま、カウンター席でもこもこのお菓子作りの素晴らしさともこもこへの愛を、自慢のクマちゃんペンで手帳に綴っているギルド職員に声を掛けた。


「ギルド職員のひと。そこのお菓子、客んとこ持ってってくんない?」


「なるほど。店長さんは〝この俺の力〟を必要としているんですね。誰よりもクマちゃんの肉球を描くのが上手い俺に任せて下さい。仕事よりも華麗にこなしてみせます」


『そこ』とリオが指さすプリンとパンケーキを見たギルド職員は、尋ねられてもいない情報を漏らしつつ、クマちゃんペンを店長に見せつけるように、ことさらゆっくりと仕舞い、思春期の少年が一度は考えそうな格好いい魔法使いのポーズで、両手を浄化した。


「鬱陶しいんだけど」というリオの言葉は聞こえなかったらしい。


「この可愛いクマちゃんトレイを使えってことですか。お鼻が隠れないようにのせるのは難しいですね」


 かすれた苦情が聞こえなかった彼が、浄化したばかりの指先でクマちゃんトレイのお鼻をつん、とさわってから、やっと菓子を持ち、客席へ向かう。


「天使の地元にはきらきらした美形しかいねぇのか。魔法の使い方も洒落てんな……」


 野性的な美形の副会長が、ギルド職員の何かに影響され、静かに呟く。


 彼は手の平側が自身の顔にくるように腕を持ち上げ、手首よりも下のあたりを、もう片方の手でぐっと掴み、目を閉じた。


「ここからどうやって発動させるか……」


 新たな肉体を手に入れたと思い込んでいる男が、己の中に眠っているかもしれない力を呼び覚まそうとしている。


「副会長、それだと顔が危ないと思います」


 手の平から魔法がでる、とは言い切れないが、杖の次に魔力を集めやすいのは手だ。


 彼がやっているポーズは、学園の教師に見られたら『魔法を使う際、杖と手は人や顔に向けるなと最初に教えただろう!』とお呼び出しをくらってしまうやつである。

 

「じゃあ一応説明するけど、これ大人用の遊びだから、お前らは一日一回までね」


 忙しい店長リオは、妙な格好で「我が呼び声に応えよ」と言い始めた副会長を放置し、「サイコロ振って、やべーコマを育てるだけなんだけど」と雑過ぎる説明を始めた。


「『コマを見ても騒いではいけない』っつールール破ったら、会長クン達の席は店の外にある東屋になるから」


 いまのところ、厳しいルールを破り、お外の東屋でコクマちゃんを育てる人間は出ていないが、騒がしいのが好きではない魔王の真後ろに座っている学園生達には、しっかりと告げておかねばなるまい。


「分かりました。『とにかく静かに』……これが、私の可愛いクマちゃんと過ごすための、最初の試練なんですね」


 儚げな美形会長は小さな声で甘くささやき、ゆっくりとうなずいた。


「そこまで小さい声じゃなくていいんだけど」というリオの言葉は、「私の……」と誰にも聞こえないほど小声で愛をささやく男には届かなかったようだ。


「妙な熱気が渦巻いているのに、まったくうるさくないのは、そういうルールがあったからなんですね……、気を付けます」


 真面目そうな会計は、まばたきをしないまま、クマちゃんのもこもこのお口が時々チャ――、チャ――と動くようすをじっと、とにかくしつこく見つめ、普通の人間のような答えを返した。

 巻き毛の猫のような髪質の彼は、なぜか見覚えのある丸太を抱き締めている。


「くっ……、まだ愛が足りねぇのか……。天使から離されるわけにはいかないんで、たとえ『コマ』が危険なモンでも耐えてみせますよ」


 苦し気な声をだした副会長は、覚醒できないまま決戦へと赴く選ばれし魔法使いのような表情でわらい、制服のタイをゆるめた。



「変なの連れてきたら責任もって最後まで面倒見て欲しいんだけど」


 リオは『変なのを連れてきた男』に視線をむけつつ、テーブルに、変な学園生達用の魔石を置いた。

 もこもこはお友達からお金を取ったりしないだろうが、この遊戯の景品は超高級品なのだ。無料にするよりこちらのほうがいいだろう。



 カウンターに置かれていたもこもこカジノテーブルと、光るカエル人形が強く輝き、彼らのテーブルから魔石が消える。


「…………」


 騒げない会長達が静かに待っていると、彼らの目の前、手の届く位置に、とんでもないものが現れた。


「私の……!」


「美ク……!」  


「天……!」


 悲しげな表情でお手々をくわえる小さなヨチヨチクマちゃんを見てしまった生徒会役員達は、一発退場をくらいそうな大声をだしかけ、ぎりぎりで、自身の口にバッ! と手を当てた。


 小さな小さなクマちゃんが、『クマちゃんは困っていまちゅ……』という雰囲気で、彼らを見上げている。


 可愛すぎる……! これを見て叫べないなど、なんと過酷な試練だろうか……!


 リオは、口を強く押さえたまま涙を零し体を震わせている彼らを見て、何事もなかったかのように説明を続けた。

 コマのクマちゃんも愛くるしいのは、生きとし生けるものが呼吸をするのと同じくらい自然なことなのだ。


 過酷なゲームはまだ始まってすらいない。


「これがコマっつーか、ちっちゃいクマちゃんね。んじゃ会長クンサイコロ振ってみて」


「わた……の……」


 儚げな美形会長は、雑過ぎる店長の説明を聞き、涙を拭う暇もなくサイコロを振った。


 彼に当たったのは、彼らの生命を脅かしかねない、赤ちゃんクマちゃん用の小さな小さな哺乳瓶だった。



 リオはカウンターに戻り、警戒心の強い獣王のような眼差しで、縄張りを荒らしはしないが歓迎したいと思うほど何もしないわけでもない変態会長達を見ていた。



 実はときどき美しくない揉め事を起こす生徒会役員達は、一振り目のサイコロで、さっそく揉めていた。


 議題は、哺乳瓶をくわえる赤ちゃんクマちゃんを至近距離で見たいので、会長の台座をテーブルの中央に置きましょう、というものだった。

 聞いただけで揉めることが分かる議題である。


 店長は、美しくない会議に参加するほど暇ではなかった。


『分かんないことあったら呼んで。あっちの氷の人と、派手な鳥みたいな人と、酒場のマスターと、さっき菓子運びに行ってあっちでペン自慢してる人でもいいけど』


 彼にそう言われてから少しのあいだ、小声で揉めつつ相手の提案に首を振っていた彼らだったが、決着がついたらしい。

 

 リオがもこもこを撫でながら見つめていると、会計と副会長は自身の台座を持って静かに立ち上がり、椅子をずらし、円形のテーブルの片側に集まった。

 会長の台座を中央に置くのではなく、自分達が寄っていく方向で話をまとめたようだ。


「えぇ……」


 サイコロを振ればそれぞれの領地である台座が増えていく、と伝えなかった彼が悪いのだろうか。


 リオの頭に、中央の会長の領地が狭いままゲームが終了するのでは、という考えが過ぎったが、気付かなかったことにした。


 もこもこの幸せは土地の広さで決まるわけではない。

 だが、彼のもこもこが不幸にならないように、一応見張っておこう。


 菓子の下ごしらえをしつつ、店内の小もこもこの幸せも護る、非常に忙しい男が絞り袋へ手を伸ばすと、もこもこが「クマちゃ……」と言った。


 準備するちゃん……、と。



 愛くるしいもこもこは、彼の手を離れ、魔王のもとへ行ってしまった。


 リオはカウンターの上をヨチヨチ、ヨチヨチ、と歩くもこもこを「クマちゃんめっちゃ可愛い……」と寂しげに見守っていた。

 調理台の上には、もこもこが『にゃー』をするだけで完成するお菓子が並べられている。


 意外と真面目な男は、突然もこもこに『クマちゃ……』と任された店長の仕事も真面目にこなしていた。


 ルークが姿を隠しているお兄さんへ視線を流し、彼のもとにあらわれた闇色の球体へ、無造作に手を入れた。


 艶のあるカウンターに、真っ白な紙が一枚置かれ、その横に、足りなくなった時のために、紙の束が置かれた。

 彼の大きな手がもう一度闇に消え、もこもこの望みを叶える何かを取り出す。


 紙の上に開いて置かれた長方形の箱に入っていたのは、子猫なもこもこ用のクレヨンだった。


 リオとルークが見守っていると、「クマちゃ、クマちゃ……」と彼にお礼をいったもこもこが、可愛い肉球にクレヨンを持ち、お絵描きを始めた。


 真剣なお顔をしているつもりらしい。お口のまわりがもふっと膨らんでいる。


「可愛い。全身が黒いもこもこ猫ちゃんなのにお顔だけ真っ白なとことか、めっちゃお顔のとこコショコショしたくなる」


 リオは可愛い子猫ちゃんをもこもこもこもこするいじめっこのようなことを言いつつ、本当にやってしまわぬよう腕を組んだ。



 もこもこのもこもこお絵描きは順調のようだ。

 最初に描かれたのは、おそらく会長達だろう、と思しき、三頭身くらいの人間達だった。


「クマちゃんお絵描き上手だねー」


 新米ママは優し気な眼差しで、我が子を褒めた。


 もこもこが「クマちゃ……、クマちゃ……」とお手々とお口を同時に動かしている。


 クマちゃ、おじょうダネェ……、と。


「そっかぁ。おじょうなんだぁ」


 もこもこは何をしゃべっていても可愛い。そう思いつつ、リオは適当な相槌を打った。


 彼は愛情深いママのような表情で、もこもこを見守った。

 会長達の絵に、様々なものが描き込まれてゆく。


 あの白と黒の何かは、おそらくサイコロだろう。

 会長達の手から、茶色の棒が伸びているのが気になる。


 不思議に思っていると、もこもこはそこから「クマちゃ……、クマちゃ……」と、細い線を引き、その先に、水色のクレヨンで、海に住んでいる生き物の胴体のようなものと、ヒレのようなものを描いた。


 魚だ。ということは、あの棒は釣り竿か。

 

「クマちゃん、会長クン達はもうすぐ帰るんじゃないかなー。釣りはしないと思うなー」 


 という彼のかすれた助言にお耳を貸すもこもこなど、この店には存在しない。


 真剣になりすぎてちょっとだけ舌の先が見えている可愛いもこもこは、着ぐるみちゃんのお手々を上手に使い、紙の中に素晴らしい世界を築き上げていった。


 会長達の頭に、三角形の先に丸い玉が付いた帽子が描き込まれた。

 どこかの子供が就寝時にかぶっているのを見たことがある、気がする。


 森の街では『寝るときにかぶるやつ』と呼ばれているものだ。

 だがほとんどの人間はかぶらない。その名称が正しいとは言い難い。


 紙の空いているところを埋めるように描かれた長方形は、もしかして、枕だろうか。


「クマちゃん、会長クン達は学園に帰るから枕はいらないんじゃないかなー」


 という助言も、着ぐるみに隠されたもこもこのお耳を通りすぎ、店内のさざめきに消えていった。


 完成したもこもこ世界の出来栄えに満足したらしいもこもこが、「クマちゃ……」と次の作業に移る。


 魔王は「うめぇな」といつものように、色気のある低い声で、もこもこの絵を褒めた。


 もこもこは黒猫ちゃんのお手々で黒のクレヨンを握り、彼が準備をしてくれるのを待っている。


 彼はもこもこの前へ、まっさらな紙を置いた。


「クマちゃ……」


 緊張した声で呟いたもこもこが、体を大きく動かし、丁寧に文字を書き入れる。



「そ……し……な……ち……」


 リオは限界まで目を細め、もこもこの文字を解読した。

 一枚目は『そしなち』だ。


 二枚目を目で追い、声に出して読む。


「や……ん……。えーと、そしなちやん……『粗品ちゃん』?」


 無事、もこもこ暗号文を解いたリオは「粗品……?」と繰り返した。


 いまだかつて、もこもこが作った品が粗末なものだったことなどない。

 だが、今日のもこもこは魔法を使わないらしい。


 着ぐるみに包まれたお手々は、珍しく、新しい紙でなく『そしなち』の裏に何かを書き始めた。


 リオはもこもこした暗号の続きを読み上げた。


「し……ゆ……く……は」


 一枚目、『そしなち』の裏は『しゆくは』らしい。暗号はまだ謎に包まれている。

 おそらく二枚目、『やん』の裏に、すべてを解き明かす秘文が記されるに違いない。


 彼は目を細めたまま、最後の暗号を声にのせた。


「く……け……ん……」


 ――しゆくはくけん――。しゅくはくけん。宿泊券。彼の頭のなかで、芸術的な文字があるべき形へと戻り、正解が『クマちゃ……』、と姿を現した。


 なんと、もこもこはお友達のために、禁断の宿泊券を作ってしまったらしい。


「えぇ……」


 リオは開けてはいけない箱を開いてしまった人間のような声を出した。


 学園生は日付が変わる前に家に帰さねばならない。

 どうにかして赤ちゃんクマちゃんに『クマちゃん、お友達とのお泊りはまた今度ね』と教えなければ。


 愛くるしいもこもこは、「クマちゃ、クマちゃ……」と独り言を呟きつつ、杖を取り出した。


 お帽子ちゃん……、お帽子ちゃん……、すりっぱちゃん……すりっぱちゃん……、と。


「待って待ってクマちゃん、それまだ作らなくていいいから。っつーかずっと作らなくていいし、普通にいらなくね?」


 リオはもこもこの愛らしい声から聞き取った、人間の両端をどうこうする計画を止めた。


 帽子などなくても寝られるし、なんなら邪魔だ。靴を脱いで歩きたいなら浄化して勝手に歩けばいい。

 森の街のお泊りと、お上品なもこもこの考える『お泊り』は違うのだろうか。

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