第300話 可愛すぎる副店長からのお誘い。レストランへ吸い込まれていくお客様達。「クマちゃ……」「逃げたほうがいいんじゃね?」
――たいへんちゃん――。クマちゃんはお口をキュ、と嚙みしめた。
クマちゃんのお菓子を求めるお客ちゃんが、広くないほうのお店の中にたくさん集まってしまった。
椅子ちゃんの数がたりない。
早く『団体のお客ちゃんは、こちらちゃんです』と、魔法陣までお連れしなくては。
お客ちゃん達はそれぞれ別のお菓子を食べたがっているようだ。
あまりお待たせちゃんするわけには……、と考えていたクマちゃんは、ハッと思いついた。
『クマちゃのげーむ』で遊びながら待っていてもらえばよいのではないだろうか。
うむ。ドアの向こうにも『クマちゃんクッキー三十個!』『じゃあ俺百』『百はクマちゃんが大変だろ!』『じゃあ七十個』『馬鹿! クマちゃんなんだからひとり九個までに決まってんだろ!』『天才か』と言っている人々がいる。
あとからお店に来た人たちのために『こちらまで移動して、魔法陣ちゃんにお乗りください』という案内を残しておこう。
◇
真っ白な店内。もこもこした店主とよく似た気配の穢れなき空間には、小さなクマちゃんの置物があちこちに飾られ、その奥で、可愛らしいクマちゃん像が、きらきらと光を振りまいている。
中央付近にあったはずの大きな白い釜は、闇色の球体がどこかから持ってきた、酒場のものとそっくりなテーブル席に追いやられたせいで、室内装飾品と化していた。
殺風景だった商品棚には、クマちゃんグッズの見本品と、もこもこ飲料メーカーのお飲み物が陳列されている。
ついさきほどまで、クマちゃんと保護者達が話し合いをまじえつつ、見栄えがするように並べていたからだ。
『クマちゃ』
『これは……危険なのではない?』
『やばいやばい。クマちゃんこれ可愛すぎるからあっちのお店に置こ』
『あ~、気持ちは分かるが、それを言い出したらきりがねぇだろ。ここに警備が必要じゃねぇもんがあると思うか?』
『クマちゃ』
『――――』
『おい、大丈夫か……』
作業の途中、『お仕事クマちゃん模型ちゃん』のひとつ、『凄腕の釣り師』が、お手々の先に水がついてしまった猫ちゃんのような仕草でピピピピピ、とお手々を振り、可愛らしく撒き餌をし、その姿を見てしまった死神の心臓がピピピピピ――、とされる事故が起こった。
棚には、回復用のアイテム、お店に通ったお客様がもれなくもらえるもこもこグッズ、だけでなく、大人気商品であるそれらも並べられたのだ。
だがもこもこした赤ちゃんに過保護なお兄さんが結界を張ってしまったおかげで、盗まれる心配はなくなった。
それどころか、手に取って眺めることも叶わない、関係者、または緊急時以外はふれられぬ仕様になっていた。
見本品はさわらなくても動くらしい。
小さなもこもこが、直径十センチメートルから十五センチメートルほどの模型のなかで、ちょこちょこ、ちょこちょこ、と愛らしく動き回っている。
〈クマちゃんのお店〉に押しかけて来た冒険者、ギルド職員たちが商品棚に飾られた模型に気が付けば、間違いなく『欲しい!!』と騒ぎ出すだろう。
予想したマスターは『こいつらをレストランに……、いや、あっちにも飾ってあるな……』と顔を顰めつつ、『大きなお店ちゃん』に客を連れていきたいらしいもこもこへ視線をやった。
困った顔のもこもこが、ごそごそ、ごそごそ、とニンジンの鞄をさぐっている。
そこから出てきた杖を見て、もこもこのすぐそばにいるリオが尋ねた。
「クマちゃん何すんの?」
村へ帰るのではなかったか。
その杖で何をする気だ。
「クマちゃ……」
もこもこがリオを見上げ、潤んだ瞳で彼を見つめている。
抱っこをねだっているようだ。
「クマちゃん可愛いねー」
と言いつつ、もふ……と、もこもこの体を包み、抱き上げる。
そしてそのまま、魔法陣前へ移動した。
うるさい冒険者達を残して帰ろうとしたリオを「クマちゃ……」と止めたのはもこもこだった。
気付いてはいたが、杖で何かをするつもりらしい。
彼は「えぇ……」といいつつ、もこもこを床に降ろした。
愛らしいもこもこが「クマちゃ、クマちゃ……」と彼に説明をする。
クマちゃんはお客ちゃんの案内ちゃんを残そうと思います……、と。
「クマちゃんえらいねぇ」
リオは冒険者達など放っておいても勝手に村までくるに違いない、と思ったが、もこもこにはそれを伝えなかった。
彼のもこもこはほんとうに心優しくてヨチヨチしていて可愛らしい。
手ごわい魂とやりあい深手を負った死神のような男が、もこもこの足元に魔石を置く。
おっとりしたもこもこは非常にあせっているらしく、いつもよりもほんの少し早い動きで「クマちゃ……!」と杖を振った。
お鼻の上の皺が少なかったような――。
細かいことを気にする男は細かすぎることを気にしつつ、もこもこの周りで光った床を見た。
魔法陣の前に、走っている格好のまま倒れた人のふちを、ピンク色のチョークでなぞったような線が引かれている。
手のあたりには、走ったまま倒れた人間が全力疾走をしながら書いたようなメモが落ちていた。
『のれ』と。
「クマちゃん時間かけて大丈夫だから、もっと可愛い感じにしよ」
リオは事件を感じる何かから目をそらし、もこもこにやり直しを要求した。
『店に来た人間はこちらへ進んでここに乗れ』という意味なのかもしれないが、見ていると『かわいくない……』と心がざわつく。
一部の保護者達から「細けぇな」「うーん。分かりやすいと思うのだけれど」と、彼への反対意見が飛んで来たが、細かい男リオは決して折れなかった。
◇
やり直された『お客ちゃんへの案内』は、店の入り口から続く、輝く肉球の足跡をたどってゆくと、魔法陣から『クマちゃーん』――のるちゃーん――と音声案内が聞こえてくるという、最高に愛らしいものだった。
「めっちゃ完璧。可愛すぎる」
「クマちゃ……」
リオは彼のわがままに応えてくれた素晴らしい魔法使いを抱き上げ、もこもこもこもこと撫でた。
可愛すぎる魔法使いは、ふんふん、ふんふん、と彼の手に濡れたお鼻をつけ、湿ったお返しをしてくれた。
「あ~、白いのの作品が見たいなら、魔法陣に乗れ。騒ぐなよ」
マスターは、入り口で押し合いながらクマちゃんグッズに血走った眼を向けている冒険者、ギルド職員達に、視線で魔法陣を示した。
◇
可愛い案内に導かれたお客様達は、一瞬で、古木で作ったような道、レストラン前にやってきた。
彼らの足元から、ふわり、と青白い光が舞い、空へと昇る。
『可愛いー!!』『す、すげー!』と叫ぶことを禁じられた彼らは、互いの想いを伝えるべく、隣に立つ人間の肩や二の腕を拳で殴った。
冒険者ルールがあるため、『俺はもうだめだ……』と相手の元気がなくなるほど強い拳を放ったり、『殴ったな。絶対にゆるさない』と心の狭さをさらけだして乱闘になることはない。
過去に何かがあったのか、『ひ弱なギルド職員の腕と肩に、陽気な挨拶をしてはいけない』という決まりもあるので、二の腕を押さえて『やめてください……』と呟くギルド職員も出なかった。
村に来るだけで大騒ぎな客達に、ルークに抱えられている副店長から「クマちゃ、クマちゃ……」と愛らしい声が掛けられた。
クマちゃんは、頑張ってお菓子ちゃんをちゅくるので、クマちゃんがちゅくったげーむで楽しく遊びながら、待っていてください……、と。
『クマちゃんがちゅくったげーむ』の危険性を知っている男が「ヤバい。もこもこ罠じゃん。お前ら逃げたほうがいいんじゃね?」とかすれ声を上げた。
『可愛いー!!』と叫べないお客様達は「はい。楽しく遊んで待ってます」「いつまでも待ちます」「ゲームちゅくったんでちゅかー。凄いでちゅねー」「ありがとうございます。よろしくお願いします」と静かに頷いた。
◇
お菓子作りの前に、ゲームちゃんの説明をするちゃん……、と言ってくれた心優しいもこもこは、黒猫の着ぐるみ姿だった。
「うわ、可愛すぎる……。しかもそれクマちゃんの鞄じゃん」
リオは魔王が選んだもこもこのお洋服を悔しそうに見た。
お客様をもてなしたいもこもこの気持ちを汲み取ったのだろう。
首元の赤いリボンは幅広で、中央に宝石のブローチと、そこから鈴が下げられ、まるでどこかへお出掛けする、高貴でお嬢様な猫ちゃんのようだ。
スーパーモデルはヨチヨチ、ヨチヨチ、と照明で艶めく舞台、カウンターで短い美あんよを動かしている。
チリン、チリン、と首元の鈴が鳴る。
ヨチ、と立ち止まったもこもこは、腰に「クマちゃ……」と格好良くお手々を当てると、スッと右足を横に出し、モデルらしくポーズを取った。
真っ黒な着ぐるみの体に斜めに掛けられている鞄は、真っ白で、もこもこで、黒いお目目と黒いお鼻が愛らしい、クマちゃんのお顔になっていた。
「うーん。ここまで愛らしいと、うっかり連れ帰ろうとする馬鹿がでるかもしれないね……」
「ルークが抱いてれば問題はないはずだが……おい、クライヴ。大丈夫か」
「……――」
「可愛すぎて涙が出ます……! ちょっとだけ……、ちょっとだけ抱っこさせてください……!」
早速馬鹿なギルド職員が手をのばしかけ、「あ、それ以上動いたらコレで気絶させるから」と金髪の店長から警告が飛ぶ。
店長は手には木製の、可愛いが人に向けてはいけいない棒、『クマちゃんの手』が握られていた。
◇
可愛すぎる黒猫ちゃん姿で「クマちゃ、クマちゃ……、クマちゃ、クマちゃ……」と一生懸命説明をするクマちゃんに、客達が『かわいいぃぃ』『声も子猫ちゃん……!』『抱っこしたい……!』と心の声が飛び出さぬよう口を押えている。
『目の前のもこもこが可愛すぎて、説明が頭に入ってこない』という顔でもこもこを見つめている彼らを、「だろうな……」とマスターは苦笑しつつ眺めた。
もこもことリオが菓子を作っているあいだは、自分達が説明をすればいいだろう。
マスターが派手な男へ視線を向けると、彼も同じことを考えていたらしく「難しいゲームではないけれど、進行役がいないと、コマを受け取るだけで大騒ぎしそうだね」と頷いた。
途中で増えた客は、現在三つのテーブル席に四人ずつ座り、いつのまにか十二人になっていた。
もこもこ沼を知る男は、棒を持ったまま腕を組み、目を限界まで細めた。
「ヤベー。連続もこもこ事件じゃん」
彼には見えていた。
明日になっても酒場に戻らぬ冒険者達。
それを探し、ここへ辿り着いた者達も、可愛らしいもこもこに『クマちゃ……』と肉球を見せられ、サイコロを振り始める――。
非常にもこもこで、もこもこレストランから抜け出せなくなる、冒険者達の輝かしくはない未来が。
もこもこした副店長は可愛らしい説明を終えると、コマちゃんをお配りするちゃん……、と言った。
黒猫さんなもこもこが「クマちゃ……」と両手を上げる。
客の目が、着ぐるみにも付いている可愛い肉球へ『肉球……』と向けられた。
その瞬間、テーブルに置かれていた参加費が消え、ついに、彼らの心と人生をもこもこにする白き駒が配られてしまった。
コマのクマちゃん、『コクマちゃん』と彼らの、運命の出会いである。
騒いではいけない、と言われていた客達は、どう頑張っても抑えきれなかった魂の叫び声を上げた。
『かわいいー!!』
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