第299話 順調な、もこもこテストプレイ。愛くるしいもこもこ沼。「クマちゃ……」「俺も欲しいんだけど」
一生懸命応援していたクマちゃんは、一生懸命がんばったのに最後のひとりになってしまった可哀相な彼に『残念ちゃん賞』をお渡しすることにした。
◇
「……――」
「やべー。マジで負けるかと思ったし。クマちゃん勝ったよー」
「クマちゃ……」
土地を温泉に支配されていた死神は、ついに温泉ではない、立派な建物付きの領地を手に入れたが、特別な人形を手に入れることができなかった。
しかしあちこちの温泉でぱちゃぱちゃするコクマちゃんは、彼を瀕死にさせるほど愛らしく、最後まで幸せそうだった。
リオは小さな家と小さな畑を手に入れ、またしてもコクマちゃんにスコップを持たせてしまったが、自身の掘った温泉からびしゃびしゃな人形を獲得し、なんとか勝利をもぎとった。
最後まで可愛いコクマちゃんを泥にまみれさせていた彼に、優勝した魔王が無感情な眼差しを向けていた。
ウサギさんの着ぐるみ姿のクマちゃんが、ヨチヨチ、ヨチヨチ、とクライヴへ近付いてゆく。
「クマちゃ……、クマちゃ……」
彼の前に到着したもこもこは、独り言をつぶやきながら鞄をごそごそし、取り出したものを彼に「クマちゃ……」と掲げた。
「……――」
愛らしさに苦しみ震える、黒革に包まれた彼の手が、紙束を受け取った。
彼の片手よりもやや大きな紙を埋める、幼い子供が書いた文字を、冷たい眼差しがなぞる。
「無料参加券……、五枚――」
もこもこの魔法で作られたそれには、いつもよりも大分小さな、一枚の紙になんとかおさまる大きさの文字で『クマちゃのげーむ むりょう さんか けん ちゃん』と書かれていた。
クマちゃ、の部分が大きいせいで、他の文字の居心地が悪そうだ。
すべての紙に、可愛らしい肉球のハンコが押されている。
彼が呼吸を止め、無料参加券の愛らしさに震えていると、紙の間からハラリ、と小さな紙が落ちた。
「なんか出てきたし」
リオは手を伸ばし、それを読んだ。
「『また……クマちゃ……と……あそんで……くだちゃい』なにこのクソ可愛い紙。俺も欲しいんだけど」
と言った彼に「返せ――」と、吹雪の中で獲物を奪い合う死神のような声が掛けられる。
クソ可愛い紙を返さぬ者には氷の鎌が振り下ろされるだろう。
「クマちゃ……」
風のささやきの『俺も……』に気付かなかったもこもこは、『クマちゃのげーむ』に参加してくれた彼らに『クマちゃんグッズ交換チケット』を渡すため、ヨチヨチ、ヨチヨチ、と優勝したルークのもとへ戻っていった。
リオはルークに抱えられ「クマちゃ」と甘えながらチケットを渡しているもこもこをじっと見た。
たとえ負け続けても、愛らしいもこもこから『また、クマちゃと、遊んでくだちゃい……』とお願いされてしまえば、参加しないわけにはいかない。
もしもやる気がないまま始めたとしても、小さなクマちゃんが悲し気にもこもこもこもこ震える姿を見て、本気にならない人間などいない。
なんとかして、おしゃれが大好きなもこもこに可愛い洋服を与え、空腹でお腹を押さえ、お目目を潤ませるもこもこに、好物の牛乳を飲ませたい。
綺麗好きなもこもこを風呂でぱちゃぱちゃと遊ばせ、居心地の良い場所を求めて寂れた地面をヨチヨチウロウロするもこもこを、綺麗なお家に住まわせ、ふわふわなベッドにそっと寝かせたい。
そして最後に、ひとりぼっちで寂しそうにしているもこもこを、自らの手で優しく抱き締めてやりたい、と願うはずだ。
リオは赤ちゃんクマちゃんの素晴らしいヨチヨチっぷりに「やべー」と慄いた。
参加しないことも、手を抜いて無料参加券を狙うこともできない。
サイコロを振るだけで始められてしまう、いっけんお手軽な遊戯の正体は、一度遊べばもこもこの愛らしさに囚われ、永遠に抜け出すことの叶わぬ危険なもこもこ育成ゲームなのだ。
◇
一度に十枚の『クマちゃんグッズ交換チケット』を獲得した魔王に、リオの『ずるい。ずるすぎる。リーダー一回休みでいいでしょ』という苦情が飛び、彼を抜かしてもう一度始められた『クマちゃのげーむ』では、最初とは違う発見があった。
「なんでリーダーの城そのまま残ってんの。魔王城みたいでこわいんだけど」
「うーん。優勝した彼には、何か特別な役割があるのかもしれないね」
魔王城を警戒しつつ、サイコロ振り、彼らは少しずつ自身のクマちゃんを幸せにしていった。
「やべー。氷の人また温泉集めてる」
「何だ、このカードは。『ぎんの……おかいもの……かーど……』? もしかすると、ルークの集めたもんを買えるカードか?」
マスターがカードを使うと、彼の想像した通り、参加者ではない魔王の台座、宝物庫が光り、そこからいくつかのアイテムが宙に浮いた。
「お、その真ん中のが似合いそうだな」
その言葉で、手元から銀色のカードが消える。
『小さなクマちゃん用の真っ赤な頭巾』が彼のコクマちゃんを飾った。
ルークの城は世界を滅ぼす魔王の居城ではなく、おしゃれなもこもこ用のアイテムが買える『もこもこ取引所』だったらしい。
「うわ、それめっちゃ欲しい」
赤い頭巾を被り、両手を上げて喜ぶ小さなクマちゃんを、森に潜む獣のようにじっと見つめる。
リオのもこもこはまだ靴下をはいただけの、ほぼ裸と変わらないクマちゃんだった。
◇
当然のように優勝したお兄さん、準優勝のゴリラちゃんに「おかしい。不正の匂いがする」と、何でも疑う男が開いた瞳孔を向けた。
妙に可愛らしい建物と部屋ばかりのお兄さんの台座は、城というよりも物凄く部屋数の多い赤ちゃん部屋のようだった。
高位で高貴な御方は赤ん坊の甘やかし方も尋常ではないらしい。
お兄さんにそっくりな人形が、天蓋付き赤ちゃん用ベッドの横で、やんごとなきもこもこを抱え、あやしている。
ゴリラちゃんの台座は、建物よりもふわふわな遊び場が多かった。
もこもこした赤ちゃんがヨチヨチしても安全な、平和でもこもこな領地である。
ゴリラちゃんにそっくりだがもこもこよりも大きな人形は、ふわふわな雲にそっくりの土地に置かれた、ふわふわなベッドに寝転がり、腹の上でもこもこをヨチヨチさせていた。
両手に房飾りを持ったもこもこは「クマちゃ……! クマちゃ……!」と、ふたたび最下位を争う彼らを、死神の命のともしびが燃え尽きるほど愛らしく応援し続けていた。
因みに、今回の最下位は『クマちゃんこのサイコロちょっと壊れてるっぽいんだけど』といった男だった。
イカダで航海に出掛けた彼の小さなクマちゃんは、彼が良い目をだせなかったせいで、ヨチヨチ……、ヨチヨチ……と、どんどんお家から離れ、おとな猫さん達の縄張りから追い出され迷子になった子猫ちゃんのように、お手々をキュ、と握りしめ、お目目をうるうるさせていた。
『クマちゃんごめん! いますぐお家帰ろ!』と言った彼は、可哀相なもこもこをお家へ連れ帰るため、最後に財産のほぼすべてを『ふわふわな気球』に変えた。
◇
「おいクライヴ、大丈夫か……」
優しいマスターは大丈夫には見えない死神へ声を掛けた。
クライヴの格好は、まるで神経を尖らせたまま椅子に座り気絶している暗殺者のようだった。
愛くるしいもこもこの応援、ふさふさの玉飾りを握る、着ぐるみのお手々の丸さに、心臓をひとつきされたらしい。
現在彼らは終わりなき戦いを一時中断し、もこもこの店に来ていた。
もこもこがハッとしたように「クマちゃ……!」と言ったためだ。
別荘と繋がる水の宮殿へ移動し、「あ、マスター! クマちゃんにプリンの注文を……!」「俺もクッキーを箱で……!」とうるさい彼らにマスターが「あ~、あとで紙にでも書いてこい」と雑に答え、そのまま外に出た彼らが入り口付近で光を放つもこもこ魔法陣に乗ると、そこはもう〈クマちゃんのお店〉だった。
「すげー。マジで一瞬じゃん」
リオは椅子に座らず、とんでもないもこもこ魔法陣を見ていた。
別荘から外、隣の展望台一階、魔法のドア、クマちゃんの店裏、クマちゃんのお店、という移動経路でも、人間の彼らなら数分で行き来できる。
だがこの魔法陣は立入禁止区画の最奥、マスターの仕事部屋まで通じているのだ。
さきほど彼の手伝いに行った時も、あまりの楽さに『やべー』と驚愕したばかりだ。
もこもこが冒険者達の時間を吸い取る準備は万全である。
今まで彼らが移動に使っていた時間は、すべて『クマちゃのげーむ』に注がれるだろう。
「クマちゃ、クマちゃ……」
『クマちゃ、並べるちゃん……』
クマちゃんは、棚ちゃんに商品を並べようと思います……。
ウサギの格好をしたもこもこは、子猫のような声で『お店ちゃんでするお仕事』について語った。
◇
真っ白な店内に「クマちゃーん」『にゃー』「クマちゃーん」『にゃー』と愛くるし過ぎる声が響いている。
「やべー。また心臓ドコドコしてる」
助手のリオはもこもこシェフが小さな鍋に『猫ちゃんのお手々型鍋掴み』を振り下ろすたび、危険なもこもこの攻撃をくらったかのように顔を顰めた。
「リオ、手が止まってしまっているよ」
ウィルは輝く瓶に注がれた〈甘くておいしい牛乳・改〉を真っ白な棚に並べつつ、お玉を持ったまま動かない男へ視線を投げた。
もこもこの可愛らしさで胸が苦しいのは皆同じだ。
手の動きどころか心臓も止まっていそうな男は、大事なもこもこの手伝いをするため、無理やり体を動かし、自身の拳で胸のあたりを強く殴った。
「……あ~、これぐらいあれば十分だろ。ありがとうな、白いの」
マスターは死神が冷たくて動かない死神になる前に作業を終わらせようと、頑張り屋で愛らしいもこもこへ優しい声を掛けた。
働き者なもこもこが『クマちゃ……』とマスターにお返事をしようとしたときだった。
――チリン――。
店のドアが涼やかな音を立てて開き、悲し気な顔をした冒険者達が入ってくる。
「プ、プリンを……! プリンを下さい……!」
「紙に書いてきました! マスター、受け取ってください……!」
「ふわふわパンケーキの大きいやつが食べたいです……!!」
酒場のマスターのようなギルドマスターの指示に従った彼らは、『紙にでも書いてこい』と言い残して消えたマスターを探して、徘徊していたらしい。
目撃証言が無かったせいで夜の森まで行った者もいる、と彼らは語り「これは、あいつらの分です……」と、まるで遺言を伝えるかのように『クマちゃんクッキー』『クマちゃんプリン』『美味しいクマちゃんセット』『クマちゃん』と書いた紙を渡してきた。
「……誰か、連れ戻してこい」
紙を受け取ったマスターは、こめかみを揉みつつ、彼らに指示を出した。
今頃森を駆けている馬鹿共は腕に自信のある奴らだろうが、放置するわけにもいかない。
「クマちゃ、クマちゃ……」
『大変ちゃ、お客様ちゃん……』
大変でちゅ。お客様がたくちゃん来てちまいました。大きなお店ちゃんに戻りまちょう……、ともこもこが愛らしい声を出す。
慌てているせいか、いつもよりもつたないもこもこの言葉を聞いたリオが「はぁー! かわいい。そのもこもこした頭ちょっとだけかじっていい?」といい、目だけ笑っていない美しい鳥が、彼の肩をぐっと掴んだ。
肉球鍋掴みをはめたままの可愛いお手々で、もこもこしたお口をおさえている副店長に、見てしまった冒険者たちは「ぐあぁぁ! や、やられた……!」「んなぁ! か、かんわぁいいっぺぇよぉ!!」「お前さては『訛りがきつすぎる村』の出身だな……!」と色々な意味で驚き、声を上げる。
魔王の静かな瞳が、もこもこの客を増やしそうな彼らをとらえた。
「おい、お前ら、さっさとそのドアを閉めろ」
マスターは目元を隠したまま、ドアを開け放し騒いでいる彼らへ片手を払うように動かし、『閉めろ』と合図を送った。
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