第294話 悶える観客と、どこまでも愛らしいもこもこ。色々温かいお料理風景。「クマちゃ……」「やば……」
クマちゃんは格好いい猫ちゃんの気持ちになりながら、素晴らしい万能調理器でどんどんクッキーを完成させていった。
うむ。これさえあればどんなお料理も簡単である。
◇
観客達の荒い息に気付かぬ実演販売士は、お手々に猫の手風鍋掴みをはめたまま「クマちゃ、クマちゃ……」と次の指示を出した。
『ルーレットちゃ、回すちゃん……』と。
リオは「えぇ……」といいつつ左斜め後方へ手を伸ばし、サッとそれを回した。
『それ外したほうがいいんじゃね』ともこもこのお手々から鍋掴みを外したいが、そんなことをすれば暴動が起きかねない。
――キュオー――。
ふたたび愛らしい音声が流れ、魔道具から魔法の花火が滝のように流れ落ち、ピピピピピピ! と派手な音が鳴った。
『――クマちゃーん――』と止まったそれに映るクマちゃんの描いた絵は、パンケーキのように見えた。
観客達が『パンケーキ! かわいい!』と声をあげ、もこもこが「クマちゃ、クマちゃ……」と説明を始める。
『ふわふわちゃ、パンケーキちゃん』
次はふわふわパンケーキちゃんですね。こちらも、絞り袋と万能調理器ちゃんがあれば、簡単にちゅくれます。絞り袋ちゃんは、クマちゃんの高性能な魔道具ちゃんが用意ちてくれます……、と。
シュッ!
カウンターの上、リオの右手付近に可愛い絞り袋が出現した。
『しぼってちゃーん』と言われた気がする。
「…………」
逆らわない助手が静かに袋を持ち、「え、これどこに絞るの」と聞くと、実演販売士専用の低い調理台の上に、リオの手よりやや大きい、ままごとの道具のようなフライパンが『――キュオー――』と発光クマちゃん風船からフワリと降ってきた。
「あ、これね」とリオがそれの上に絞り袋を移動し、やはりヨチヨチしながらフライパンにも湿った鼻先を突っ込む、もこもこのもこもこに、あやうくタネを絞りかける。
「いやクマちゃんそこにいたら頭にかかっちゃうから」
既視感を覚える台詞だ。
リオは「なんかさっきも言った気がする……」ともこもこをちょっとだけずらし、「クマちゃん可愛いねー」と左手であやしつつ、素早く右手でタネを絞った。
ピカ! と輝いたクリーム状のそれが、綺麗な円形に広がる。
ハッとした実演販売士は「クマちゃ、クマちゃ……」と愛らしい声で説明してくれた。
『フライパンちゃ、にゃーちゃん……』
このように、タネちゃんがフライパンちゃんの上でまるくなったら、あとはクマちゃんが格好良く『にゃー』をするだけです……、と。
観客達が『うぁぁ……かわいい……』『クマちゃんのお手々ちゃん……』とハァハァしている。
「クマちゃーん」
可愛いもこもこは、彼らの期待通り、フライパンに猫ちゃん鍋掴み風魔道具を振り下ろした。
『にゃー』
ぽふん。
可愛い音が鳴り、魔法のフライパンからほわほわと湯気が上がる。
可愛すぎるだけではない、もこもこ製の高性能な魔道具に『にゃー』されたタネは、ふっくらどころかふわっふわに膨らみ、女性の片手にのせられるほどの大きさなのに、高さが七センチメートル以上もある超ふわふわなパンケーキになっていた。
『おお!』『なんと……!』というどよめきと、『クマちゃんかわいいー!』『もっと……! もっと『にゃー』してー!』という悲鳴に近い歓声、『まだだ……まだ死ねない……』という変態の声、荒い息遣い、ドサ――と誰かが倒れる音が聞こえた。
「すげーけど色々やばい」
リオは可愛いもこもこを左手で隠しつつ、右手でパンケーキを小さなお皿に移した。
もこもこが猫の手鍋掴みを着けたまま、彼の手にお手々をかけ、キュキュ、とお鼻を鳴らす。
リオの手の上からもこ、と可愛いお顔を出したクマちゃんの最高に愛らしい瞬間を目撃してしまった誰かが、また一人崩れ落ちた。
「なんかいまドサって聞こえたんだけど」
ふわっふわなそれの天辺に可愛いクマちゃんの形の焼き目が付いているが、『見てこれ可愛くね?』などと言えば、クマちゃんを間近で見たい冒険者達が群がってきそうだ。
『クマちゃん可愛いねー』ともこもこを撫で、和んでいる暇はない。
観客が無事なうちに、クマちゃんが頑張って作ったお菓子を食わせなければ。
リオは愛くるしいもこもこの『にゃー』に膝を突いた悲しき冒険者の『お、俺の分は……食うな……』『お前の分……を、おれに……』と心の穢れを感じる遺言に「あいつら広場の遊具に突っ込んだ方がよくね?」と冷たい感想を述べ、次々と作業を進めて行った。
「クマちゃーん」
『にゃー』
◇
小さくて可愛い、丸いガラスのツボ――クマちゃんの絵柄付き――に入ったプリンも完成し、ルーレットに最後の一品が映し出される。
幼い子供が描いたようなそれは、カップとポットに見えた。
「紅茶?」
リオはもこもこの飲めそうなものを挙げた。
甘いものが大好きな赤ちゃんクマちゃんにコーヒーは無理だろう。
「クマちゃ、クマちゃ……」
『クマちゃ、お飲み物ちゃん……』
最後は、クマちゃんのちゅくった魔道具ちゃんで美味しいお飲み物を入れましょう。クマちゃんは今から、美味しいお飲み物の気持ちを深く理解するため、準備をしようと思います……。
子猫がミィ、と鳴くような愛らしい声が響き、観客達が『声がぁ……声が子猫ちゃぁん……』ともだえ苦しむ。
彼らはもこもこの愛くるしさにやられ、説明が頭に入っていなかった。
もこもこの説明をしっかりと聞いていたリオが、抱っこしていたもこもこをカウンターにそっと降ろし、尋ねる。
「いや飲み物の気持ちってなに」
そんなものを知ろうと思ったことがない。
飲み物に気持ちなどあるのか。
『飲み物飲み物っていうけどさー。そもそも俺飲まれたいと思ってないんだよね。せめて液体とか流動物って呼んでくれる?』
リオは心の飲み物から苦情を感じ取った。
実演販売士が「クマちゃ……」と頷くと、クマちゃん専用背の低い調理台が『クマちゃーん』という音声と共に消え、その場所に小さな魔法陣が出現した。
もこもこがヨチヨチ、ヨチヨチ、とその上へ進み、ふたたび『クマちゃーん』が響く。
そこからキラキラと癒しの光が広がり、可愛い鍋掴みを装着したクマちゃんは、まばゆい輝きに包まれた。
一体何の魔法だ――。
リオが警戒しながらその場所を睨みつけると、そこに立っていたはずのクマちゃんは、なんと、ティーカップにすっぽりと入り込み、つぶらな瞳をうるませ、お手々をカップのふちにのせ「クマちゃ……」と彼を見上げていた。
『リオちゃ……』と。
「やば……」
リオは思わず口元を押さえた。
真っ白でもこもこな被毛、黒くてキラキラなお目目、赤ちゃんみたいなよだれかけ、猫のお手々そっくりな鍋掴み、つるりとした質感のティーカップ。
それは、可愛いものをすべてティーカップの中にもふ――と詰め込んだ、奇跡の瞬間と言っても過言ではないほど可愛らしく、愛おしいもこもこの姿だった。
あまりの愛くるしさに胸が苦しくなる。
持ち去り、人目につかないように隠してしまいたい。
観客達が『ぎゃー!!』『ティーカップクマちゃん!!』『し……しぬ……!』と大騒ぎしている。
感激して泣いている者もいるようだ。
最前列にいた死神は当然のように床に倒れ、横に立っていたマスターは、当然のように彼のそばにかがみ、顔にかかっていた雪を払った。
『気持ちはわかるが……』と。
『クマちゃんが……クマちゃんが……可愛すぎるよぅ……』
『きゃぁぁ……! か……かわいいぃぃ……!』
『こんなに胸が高鳴ったこと、いままでなかった……。高鳴るっていうか……もう滝つぼの音みたいになってる……』
『医務室行きなよ……。でも……私もやばい……』
『はぁっ……! はぁっ……! そのティーカップ売って下さい……!』
『ば、馬鹿かお前……! 思っても口に出すな……!』
ティーカップクマちゃんがカップの居心地を確かめるようにもこもこしながら、「クマちゃ、クマちゃ……」と言った。
『クマちゃ、わかったちゃん……』と。
「そっかぁ……。よかったねぇ……」
リオはそっとティーカップを持ち上げ、もこもこの頬をくすぐった。
可愛らしすぎて『クマちゃん、カップに入っちゃダメでしょ!』と叱る気にもならない。
『リオさんずるいっすよ!』『私にも! 私にもそのカップを持たせて……!』『一回だけ……いや十回だけでいいから……!』とあちこちから叫び声が上がっているが、仲良しな一人と一匹を止められるものはいなかった。
『分かったちゃん』らしいもこもこがリオの手を濡れたお鼻で「クマちゃ……」と湿らせ、彼が「クマちゃんお鼻冷たい。可愛い。あー幸せ」と無意識に観客を煽り、『い、いいなぁー!!』と一部の人間を悔し泣きさせる。
ときめきで満身創痍な観客達が『ク、クマちゃぁん……』と目に涙を浮かべていると、カップの中のクマちゃんが、「クマちゃ、クマちゃ……」と言った。
『用意ちゃ、できたちゃん……』
すべての用意が整いまちた。それではさっそく『仲良し試食セットちゃん』の試食を始めましょう……、と。
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