第295話 幸せな試食会。「クマちゃ……」仲良しなみんなともこもこの気持ち。「うめぇー」繫盛間違いなしのレストラン。

 現在クマちゃんはお客様をおもてなしつつ、試食セットがのったトレイを受け取った方々にお飲み物を入れている。



 もこもこの声を聞いてすぐ、冒険者達はさりげなく隣の冒険者を押しのけ、視線で揉め、手で『お先に俺が』を示し、納得できかねる提案にハッと笑いながら『お断りします』の表情をしたあたりで、ティーカップクマちゃんを持った男の「騒いだやつの分ねーから」に首肯し、『そんな馬鹿なやついるわけないじゃないですか』の顔で、静かに整列した。



 輝く風船に照らされた派手なカウンターには、丸くて大きなガラスのポットが置かれていた。

 中身はただの水なのか、色が付いているようには見えない。


 フタもガラスのクマちゃんなそれの隣に、透き通る水色に細かな模様が刻まれた、美しいガラスのティーカップが、男の、もこもこカップを持っていないほうの手で、コト、と並べられた。


 肉球のついた鍋掴みがはめられた、白魚よりも白いもこもこのお手々がスッとそれを指し、『クマちゃんはあちらに移ります』と彼に伝える。


「いやそれ客用……まぁいいや」


 リオは愛くるしいもこもこを、陶器のティーカップから客用の美しいティーカップへと移した。

 子猫のような生き物がすべての入れ物に肉球を突っ込むのを、阻止できる人間はいない。


 カウンターに並んでいる客達は、自分達の近くへ来てくれたもこもこを凝視し、騒がず、静かに熱い想いを語る。


「ああぁ……かわいい……可愛すぎる……」

「ちっちゃいクマちゃんが綺麗なティーカップに……」


「よく見ろ……あのカップにも小さなクマちゃんの模様が入っている……」

「な……んだと……」


「はぁ……はぁ……」

「もこもこしてる……可愛い……クマちゃん……」


 

 木製クマちゃんトレイに二つの小皿、ガラスの丸いツボ、スプーンやナイフ、フォークが置かれ、受け取った客は「すご……! 全部クマちゃんだ……!」と、もこもこ実演販売士オススメ商品の素晴らしさに感激し、声を上げた。


 一つ目のお皿には二種類のクッキーがのせられていた。


 可愛いクマちゃんそっくりな白いチョコレートに覆われた、クマちゃんクッキー。

 お目目とお鼻は焦げ茶色のチョコレートだ。


 仲良しな彼の顔に似ている可愛いクッキーは、何故か髪の部分が金色に輝いている。

 薄く焼かれた二枚のクッキーの間には、黒っぽいチョコレートが挟まれていた。


『全部クマちゃん』を約八十五パーセントクマちゃんにしてしまう危険な存在である。


 二つ目のお皿は、いつでも出来立てが楽しめる、ふわふわパンケーキ。

 キツネ色に焼かれた表面に、濃い色の焼き目で描かれているのは、可愛いクマちゃんの似顔絵だ。

 湯気の立つケーキの横には、クマちゃん型のバターと、ガラス製の小さな水差しが添えられ、中に艶のある琥珀色のシロップが入っている。


 木製のフォークとナイフの持ち手には、可愛らしい肉球が描かれていた。


 とろりとしたプリンの入った、丸い小さなガラスのツボ。

 可愛いクマちゃんの絵柄付き。

 ガラス製スプーンの持ち手の先が、クマちゃんのお顔の形になっている。


 最初に受け取った幸運な冒険者を囲み、トレイを覗き込んでいる人々も『か、かわいい……!』『食器まで可愛いなんて……!』『早く俺も……!』とそわそわしていた。


「クマちゃ、クマちゃ……」

『おきゃくちゃ、こちらちゃん……』


 試食品を受け取ったお客ちゃんは、クマちゃんのほうへ来てくだちゃい。こちらでお飲み物をお渡しするちゃん……、と販売士の愛らしい声が聞こえた。


 子猫のようなもこもこが、美しいティーカップの中で両手をあげている。

 カウンターの周りにいる冒険者、ギルド職員達が、その可愛らしさに『か、かわいい……!』と悶えた。


「くぁぁ……! 可愛い……! 今すぐ行きます!」


 もこもこに声を掛けられた冒険者は、まるで攻撃でもくらったかのように片手で顔を押さえ、指と指のあいだからカッ! と見開いた眼で、可愛らしいティーカップクマちゃんを見た。


 愛想のない金髪の助手が「クマちゃんに変な事したらトレイ没収すっから」とかすれ声で警告する。


 冒険者は『そんな馬鹿なことするやついるわけないじゃないですか』の顔をすることも忘れ、怪しい格好のまま、彼のためにお飲み物を入れてくれるらしいもこもこへ近付いた。



 可愛らしいもこもこが可愛らしい猫の手型鍋掴みをはめたお手々で、ぷに、と男の手をさわる。


『ぐぁぁ……! 鍋掴みまでぷにぷにしてる……!』男は叫び出す寸前で、表情を消したリオが自分の首あたりを見ていることに気が付いた。

 あれは、野生動物のような彼が獲物を狩る時の顔。


 叫べば没収される。察知した男がぐっと唇を嚙みしめる。


「クマちゃ、クマちゃ……」

『分かったちゃ、どうぞちゃん……』


 もこもこが猫の手風鍋掴みで、丸いガラスのポットを「クマちゃーん」と叩く。


『にゃー』


 愛くるしい『にゃー』で、透明だったガラスの中身が、赤みを帯びた紅茶の色に変わった。

 ポットの上でキラキラと魔法の星が回転し、成功したことを喜ぶもこもこが「クマちゃーん」と両手を掲げる。


 どんなにもこもこが愛くるしくても、叫ぶことは許されない。


 荒い息の男は目を血走らせたまま、「顔やばすぎでしょ」とお客様のお顔をお批判するリオ様からお客様用のティーカップを受け取ると、もこもこの「クマちゃ……」に従い、「ぐおぉ……」と最後の力を振り絞るように、ポットの前にそれを置いた。



 息も絶え絶えなお客様達が、涙目でトレイを受け取り、もこもこに「クマちゃーん」『にゃー』とお客様のお好みに合わせた最高のお飲み物を入れてもらい、『あぁぁ……!』と胸の高鳴りでどうにかなりそうな体を引きずりながら、自身の席へと戻ってゆく。


 立ったまま食べることになっても販売士の近くにいたい――。

 カウンターの側に立ったまま『はぁ……! 可愛すぎる……!』と悶え、己の荒ぶる魂と戦う者もいるようだ。


 もこもこ販売士の作った菓子を食した人間達が、あちこちで騒いでいる。


『う、うめー!! なんだこれ……! 美味すぎる!』

『ふわって……、ケーキがふわってとけるみたいに口の中で消えた……!』


『え! なにこのプリン……! トロットロで卵と牛乳の優しい味に、底に沈んだソースが絶妙に絡み合う……! 美味しすぎる! でももう無い!』

『私のクッキーも無い! 何で……?!』


『うう……もっと食べたい……! 足りない……!』

『おかしい……いつの間にか皿が空になってやがる……!』


 冒険者とギルド職員達が衝撃的な美味さに驚愕し、一瞬で食べつくしてしまった愚か者な己の膝を拳で殴り、涙を流したころ、見守っていた保護者達が派手なカウンターへ寄ってきた。


 美味しいものを食べるなら、頑張り屋なもこもこと一緒がいいと、客がはけるのを待っていたのだ。


「美味そうな菓子だな」 


 ふっと優しく笑ったマスターが、カップの中で彼を見上げるもこもこの頭をあやすようにくすぐる。


「ほんとうに、とても可愛らしいね。そちらのカップは非売品なのかな」


 シャラ、と悩まし気に口元に手を添えたウィルが見ているのは、もこもこの入った綺麗なカップだ。

 美しさと可愛らしさが融合した素敵なカップと、その中でもこもこしている子猫のようなクマちゃんは、ずっと連れ歩き、数秒おきに撫でたくなるほど愛くるしい。


「売るわけないでしょ」


 もこもこが飲み物を入れるあいだ、怪しい客をけん制し続けていた男の静かな眼差しが、南国の鳥にも向けられる。


 新米ママは大事な我が子を狙う輩に敏感だった。


「クマちゃ、クマちゃ……」

『まちゅた、どうぞちゃん……』


 マスターの手を肉球付き鍋掴みでぷに、としたもこもこは「クマちゃーん」と愛らしい声を響かせ、彼のためのお飲み物を用意した。


 星がくるくると回転するガラスのポットが、綺麗な黒で満たされる。


「コーヒーか。ありがとうな」


 彼が驚いたように礼を言い、もこもこを見ると、可愛らしいもこもこのお鼻の上に皺が寄っていた。


「クマちゃんやっぱコーヒー嫌いなんだ」


 リオはクマちゃんの後頭部から苦々しい何かを感じ取った。


 もこもこが、お顔を洗う猫ちゃんのように、両手の鍋掴みでお鼻のあたりをごしごししている。


「そうか……、白いのが飲むには苦いな。俺の好みのものを入れてくれたんだろ」


 苦笑したマスターはもこもこを抱き上げ、湿ったお鼻の上にできてしまった可愛い皺を、いたわるように撫でた。


 クマちゃんはキュ、と鳴き、彼の指にピト、とお鼻をくっつけた。



 倒れてしまった死神を見たマスターは「こいつもコーヒーでいいぞ」と言った。


 今回の事故は、苦そうなコーヒーにお目目を吊り上げ、ストレスの溜まった獣のようにお顔をごしごしするクマちゃんの可愛らしさに心臓をひとつきされたことによって起こったようだ。



 ウィルのために入れられたのは、バラの花びらが浮かぶ美しい色の紅茶だった。

 紅茶の色に映えるよう、ガラスのティーカップからキラキラと色が抜け、小さなクマちゃんの白い模様が残る。


「花びらの紅茶を飲むのは初めてだよ。素敵な色合いだね。どうもありがとう」


 彼は心優しいもこもこへの愛が詰まった眼差しを向け、そっとクマちゃんを撫でた。


 キュ、と甘えるようにお鼻を鳴らしたもこもこが、最後のお客様である大好きな彼に「クマちゃーん」とお飲み物を入れる。


『にゃー』


 愛らしい声と肉球付き万能調理器で発動した魔法によって、キラキラと星がまたたき、ポットの中身が入れ替わる。


「え、牛乳じゃん」


 リオは魔王に似合わぬそれに驚いた。

 血のように赤いワインではないのか。


「なるほど……。リーダーに好き嫌いというものがあるのか疑問だったのだけれど、クマちゃんの好きなものが好み、ということなのかな」


 ウィルは無口で無表情な魔王ともこもこの絆に感心した。

『食えればなんでもいい』を地で行く男に『うめぇな』と言わせるだけでなく、何かを飲み食いするならもこもこの好きな物がいいと思わせるなど、他の生き物には絶対に不可能だろう。



「クマちゃん俺紅茶ね、って言う前に入ってるこの白っぽい液体なんだろ……」


 仲良しのリオちゃんには彼の欲するものとクマちゃんの好きなものを合わせた特別なお飲み物がオススメされたようだ。

 見たことの無い色合いだ。

 何でも警戒する男があやしい飲み物を警戒する。



 彼ら専用のキラキラ肉球模様付きクッションのある席へ移動した彼らは、ふわふわの敷物の上で車座になった。

  

「え、なにこれすげー美味い。牛乳入りの紅茶?」


 最近美味いものばかりを食している美食家リオの舌が、飲み物のなかで主張するもこもこ牛乳を捉える。

 この白っぽさと甘味は、奴に違いない。


「こちらの紅茶もとても美味しいよ。本当に花びらの香りがするね。こんなに美しい紅茶を飲んだのは、僕が初めてだと思うよ」


 宝飾店の店主などに教えれば喜ばれるかもしれないが、もこもこの入れてくれたこの紅茶ほど美味しくはできないだろう。

 華やかで美しい、人々を感動させる紅茶だ。


「これは……」


 マスターはたったいま初めて、自身の好みにぴたりと当てはまるコーヒーを飲んだことに気が付いた。

 酸味が少なく苦みの強い、それでいてコクのある素晴らしい味わいだ。


 魔王のような男に抱えられたもこもこへ視線をやると、ちょうどこちらを見ていたらしく、お目目をキリッと吊り上げ、湿ったお鼻の上に深い皺を寄せていた。


 思わず声を出して笑いそうになり、彼は誤魔化すように口を押さえた。

 もう一度礼をいいたいが、このカップを持っているあいだは近付かないほうがいいだろう。


「めっちゃうめー。このふわふわしたケーキやべぇ。なんかもふってしてる。しかも口のなかでふわって崩れる感じ」


 熱々のケーキの上でとけたバターが染み込んだ、ふわふわなパンケーキは感動するほど美味い。

 リオは数口で無くなったそれに「あ、シロップかけんの忘れた」と二種類の味を楽しむ計画が、自身の手で崩されたことに気付いた。


「こちらのプリンも、甘さとほろ苦さが混じり合って本当に美味しいよ。もしかすると、好みによってソースの味が変わるのかな」


 ウィルは不思議で思いやりのあふれる癒しの菓子を作ってくれたもこもこへ「クマちゃんらしい素敵なお菓子だね」と優しい笑顔を向けた。

 仲良し試食セットには、仲良しな皆を幸せにしたいクマちゃんの真心がたっぷり詰まっていた。


 魔王が小さく切ったケーキをもこもこのもこもこしたお口に入れ、自身の口に大きなそれを放り込む。

 愛らしい生き物が、彼の腕に座り、もちゃ、もちゃ、と可愛いお口を動かしている。


「うめぇな」


 彼が低く色気のある声で褒めると、鍋掴みを外した子猫のようなお手々が、サッともこもこした口元に当てられた。

「クマちゃ……」とつぶらな瞳をうるませ、感激しているらしい。


 クマちゃんは美味しいものを大好きな仲間達と仲良く一緒に味わう幸せに、胸がいっぱいになった。


 純粋な赤ちゃんクマちゃんは、みんなで『おいしいね』と言い合えることがとても幸福なことだと解っているのだ。


「――――」


 目を覚ました死神が静かに試食セットに手をつけ、あまりの美味さに雪を降らしている。

 マスター好みのコーヒーは、彼の舌にも合ったようだ。


「まさか……」


 もこもこへの愛が強すぎる彼は、とんでもない事実に気付いてしまった。

 彼のケーキに描かれているクマちゃんが、お顔の横に両手を上げ、肉球を見せつけている。


 それは今回の試食セットのなかで一つだけの、当たりクマちゃんだった。


 シロップ入りの小さなガラスの水差しは、よく見ると、底が肉球の形にプクっと膨らんでいた。


「食わないならケーキちょーだい」


 このまま取っておきたい――。苦し気にケーキを見つめる男に、欲深き美食家の声が掛けられる。


『貴様――。その手に持っているのはなんだ』


 死神は美食家が自分の分を食い切り、手持ちのシロップを掛けるブツを探していることを察した。

 

 意外と優しいクライヴは『貴様にやるケーキなどない。シロップを持って去れ』と冷たい言葉を投げつけたりせずに、いつのまにか消えていたクッキーの皿に、ケーキから削り落とした側面を少しだけのせてやった。


「薄い……」


 クライヴからマスター、マスターから美食家へ渡ったそぎ切りパンケーキに、美食家が持つ最後の美食材、琥珀色のシロップがトロ、と掛けられた。

 

「美味いけどほぼシロップ」


 美食家がシロップも美味であると告げ、聞き耳を立てていた自己愛の強めなギルド職員が『かけるものがない……でも美味いなら飲もう』と静かに決意したところで、もこもこが「クマちゃ……」と言った。


『お風呂ちゃん……』と。



 たくさん働いたもこもこは、お風呂に入りたくなったらしい。



「――これを」


 ひそかにゴリラちゃんの分も半分食していたお兄さんが、ルークに抱えられていたもこもこの前に闇色の球体を出した。


 真っ白な敷物に、ころり、と色鮮やかな何かが複数転がる。


「なにこれ。子供のおもちゃ?」


 気になったリオは、そのなかの一つを手にとった。

 ツルツルした素材の人形のようだ。


 薄い緑色のこれは、カエルだろうか。


「クマちゃ」


 ルークの手からもふ、と降ろされたもこもこが、初めて見る物を警戒する子猫のように、ヨチヨチ、ヨチヨチ、と近付き、ちょん、と肉球でさわり「クマちゃ……」と戻ってゆく。


「ビビりすぎでしょ」


 リオは小さな桶に小さなおもちゃを二つ入れ、もこもこの肉球に渡してやった。



 桶に入れられたそれらを見たクマちゃんは、ハッとした。

 これは、カエルさんとウサギさん。


 色が鮮やかで、とても可愛い。

 

 これはもしかすると、真っ白なクマちゃんのケーキだけでなく、緑やピンクの可愛い動物さんケーキも並べよ――、というお告げなのでは。



 真剣な表情で桶にお顔を突っ込むもこもこのもこもこ耳には、「――風呂で遊べ」というお兄さんの不思議な美声と、「クマちゃん顔に桶のあとついちゃうよ」というかすれ声は届いていなかった。

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