第293話 「クマちゃーん」もこもこ実演販売士の可愛すぎる実演。やられた観客達。「ヤバいヤバい」
うむ。あとはリオちゃんがギュッ、とした生地をクマちゃんが『にゃー』するだけである。
◇
リオは癒しの光に照らされた輝く絞り袋を見て「光りすぎだよね」と小さな声でささやいた。
台座にのせられたそれは、上が丸くて下が細い、雫を逆さまにしたような形になっており、クリーム状の生地が入った袋の部分に可愛いクマちゃんが描かれていた。
顔の上には耳もついていてとても可愛らしい。が、やはり演出が派手だった。
助手が目立たぬように静かに実演販売士を撫でまわし、販売士が「クマちゃ、クマちゃ……」と愛らしく説明を続ける。
『リオちゃ、ギュ、ちゃん……』
あとはこの絞り袋ちゃんをリオちゃんがギュ、として、クマちゃんが格好良く『にゃー』をすれば、なかよちチョコクッキーちゃんの完成です……、と。
「格好いい『にゃー』ってなに」
助手は思わず口をはさんだ。
リオの心の赤絨毯で、シュッとした黒猫が振り向きざまに『ニャア――』と鳴き、長い尻尾を軽く揺らして、足音も立てずに去って行った。
『あばよ――』と。
リオはもこもこを両手で掴み、自身の前に掲げてみた。
はたしてこのもこもこは格好いいもこもこだろうか、と。
「クマちゃ」
販売士が両手の肉球を彼へと伸ばし、抱っこをねだる。
「可愛い」
リオはもこもこがとんでもなく愛らしいことを再確認し、いつも通りもふ……、と優しく抱き締めた。
格好いい黒猫のように格好良くはないが、白くてもこもこしていてふわふわで、お目目がまん丸で潤んでいて、お耳が大き目でふわふわしていて、肉球がピンク色でその周りの細かい毛もふわふわで、小さなお鼻が黒くて湿っていて――、とにかく可愛らしい。
「あークマちゃんめっちゃ可愛い……」助手が実演販売士の頭をこしょこしょし、販売士が「クマちゃ、クマちゃ」と喜ぶ。
絞り袋ではなくもこもこをギュ、としたリオを見た観客達が『なかよし……』と深く頷き、なかよちチョコクッキーの仲良し度が、またひとつ上がった。
◇
「えーと、これを『ギュ』って絞ればいいんだっけ」
元の形に戻ったもこもこ専用調理台の上に置かれた、浄化したまな板の上で、リオは絞り袋を構えた。
リオと台のあいだ、カウンターの上で作業を見守る販売士が、もこもこの身を乗り出し、まな板に覆いかぶさるようにふんふんふんふんしている。
「いやクマちゃんそこいたら頭に生地のっちゃうから」という彼の言葉を耳に入れる余裕はないようだ。
このままではもこもこの後頭部に生地がニュ、となってしまう。
彼は絞り袋を横に置き「クマちゃんちょっとだけ待っててねー」ともこもこの位置をもふっとずらした。
だが彼が絞り袋を持った瞬間には、もうヨチヨチとそこへ近付き、両手の肉球をまな板にかけ、ふんふんを再開していた。
ずらしかたが甘かったようだ。
リオはどんな作業にも絶対に参加する猫のようなクマちゃんを退けることを諦め「そっかぁ……。クマちゃん可愛いねー」といった。
丸い後頭部とその上のお耳が可愛らしすぎて、『邪魔なんだけど』とは言えそうにない。
リオはもこもこがヨチヨチしてくる前にギュ、ギュ、ギュ、と素早く、販売士の肉球が届かないところ、両端、販売士から遠い場所に生地を絞り出した。
ニュ、ニュ、ニュ、と出てきたそれは、ピカ! と輝き、丸くて平らな、如何にもクッキーという形に変わった。
「すげー。めっちゃ丸い。しかも肉球じゃん」
綺麗な円形の真ん中に、可愛い肉球の模様が描かれている。
クマちゃんの肉球だろうか。
「このあとにあの型使うかんじ?」
押すだけで焼き上がる型を使った時は、平らに伸ばした生地に直接魔道具を押し付けていた。
先に丸くしたほうが、抜かれたあとの生地が余らなくていいということだろうか。
絞り出された生地にヨチヨチ! と近付く獣を捕まえ尋ねると、ハッとしたように動きを止めたもこもこが、ごそごそ、と斜め掛けの鞄をあさりだした。
猫のようなお手々の動きが止まり、キュ、と可愛い音が聞こえた。
湿ったお鼻が鳴った音だ。目的のブツを発見したらしい。
もこもこ実演販売士の子猫のような声が、観客達に説明をはじめる。
「クマちゃ、クマちゃ……」
『仕上げちゃ、万能調理器ちゃん……』
お料理の仕上げちゃんといえば、やはり万能調理器ちゃんですね……。これさえあれば、少し地味なお菓子ちゃんも、凄く可愛らちくなるちゃんです……、と。
販売士が『万能調理器』を装着したお手々を、「クマチャーン」と格好良く掲げた。
観客達が『おおっ!』とどよめく。
『キャー!!』『かわいいー!!』と上がった悲鳴と歓声は、女性の冒険者とギルド職員達だ。
クマちゃんの猫のようなお手々にはめられていたのは、なんと、もこもこで肉球のついた、猫の手そっくりな鍋掴みだった。
真っ白で可愛い子猫なお手々が、大きな猫ちゃんのお手々で覆われている。
「うわ……! クソ可愛い……!」
リオの口調が思わず乱れる。
保護者達から何かが飛んでくるかと身構えたが、彼らも口元を押さえ、可愛いお手々に『猫ちゃん鍋掴み』をはめたとんでもなく愛くるしいもこもこを凝視していた。
死神が、雪原に埋もれた美麗な氷像のように倒れている。
マスターは遭難者を見つけたギルドマスターのように、鍋掴みで心臓をひとつきされた男を助け起こし「死ぬなよ」と、渋い声をかけた。
「クマちゃ、クマちゃ……」
『これちゃ、格好いいちゃん……』
クマちゃんが格好いい万能調理器で、この生地を格好よく『にゃー』します……。
可愛らしさで人々を震撼させた販売士が、大きな猫の手をはめたまま、ヨチヨチ! と生地へ近付いた。
クマちゃんが『格好いい万能調理器』と呼んでいる『猫の手風鍋掴み型魔道具』が、肉球模様の入った丸い生地に「クマちゃーん」と振り下ろされる。
『にゃー』と。
「ヤバい。可愛すぎる。もうクマちゃん以外見えない。心臓がドコドコしてる。……つーかクマちゃん、みんなクッキーどころじゃなくなってるから」
今なら伝説の武器を見せびらかしても『す、すごいような気がする……! けど今は何も考えられない……!』となるに違いない。
『あああ……! クマちゃん可愛いよぅ……!』
『胸が、胸がいたい……!』
『くそっ! 視界がにじんで良く見えねぇ……!』
『はぁ……! はぁ……! ぐあぁぁ……苦しい……!』
『クマちゃんなの?! 猫ちゃんなの?!』
『まだ食べていないというのに……! ここで死ぬわけには……!』
冒険者もギルド職員も、胸や顔を押さえて大変な事になっていた。
両手の隙間から充血した目を向け、もこもこを見ている者もいる。
助け起こされた死神は、こんどは心臓を『にゃー』にひとつきされ、もういちど雪原へと戻って行った。
マスターは次々に襲い来る難題と向き合うギルドマスターのように、冷静に除雪作業を始めた。
格好いい己に酔いしれているもこもこが「クマちゃーん」『にゃー』「クマちゃーん」『にゃー』と、両手にはめた猫の手風鍋掴み型魔道具で、クッキーを交互にニャーニャーしてゆく。
「なんか動悸がやばい。俺も倒れるかも」
もこもこ耐性の高い男は「ヤバいヤバい」と呟きつつも、手早く作業を進めた。
可愛すぎて目を離したくないが、一緒にお菓子作りをしたいといったもこもこを裏切るわけにはいかない。
カウンターの上に重ねられていた小さな皿に、もこもこがニャーニャーした可愛らしいクッキーを二種類ずつ取り分ける。
そしてカウンターの上に設置されている、もこもこ専用の背の低い調理台のまな板へ、どんどん生地を絞り出していった。
「クマちゃーん」
『にゃー』
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