第290話 かぶっても安心ちゃん。「足りないんだけど」 色々可愛いもこもこくじ「クマちゃーん」
クマちゃんが大好きなルークと楽しくお話ししながら色々な計画を練っていると、さきほど作ったばかりのクマちゃんグッズ、『お仕事クマちゃん模型ちゃん』を集めているお客様の声が聞こえてきた。
「マスター! それ二つ持ってますよね! ひとつ売って下さい!」
大変だ。まちゅたーは同じ模型を当ててしまったらしい。
このままだと『また同じクマちゃんか……』とがっかりされてしまう。
早く皆ちゃんに『同じ模型ちゃんでもお役に立てます』とお伝えしなくては。
◇
「売るわけあるか。これは仕事部屋と自室用だ」
顔を顰めたマスターは、ギルド職員の願いを渋い声でばっさりと斬り捨てた。
三つでも四つでも売る気はない。
いつでもふれられる位置に置くものと、飾り棚に飾るもの、いくつあっても余るもこもこなどいない。
「仕事部屋にはいませんけどね……」
もこもこトマトジュースのおかげで乱れていた髪がサラリ、となったギルド職員は、流れる髪を耳に掛けつつ、ついでに悪態を吐きつつ、下を向いた。
両替も換金も断られ、もともと大量には持っていなかった銀貨も底をついた。
今すぐ小さな小さなクマちゃんを手に入れたいこの想いを、一体どうすればいいのか。
思いつめた男が、「あ、これ三つ目。村の部屋用にしよー」と機嫌良く言いながら彼からは見えない調理台の上にお宝を並べている店長に狙いを定めたときだった。
魔王に抱えられ幸せそうにしていたクマちゃんが、ヨチヨチ、ヨチヨチ、と隣の席のギルド職員の前へやってきた。
子猫がミィ、と鳴くような愛らしい声が、彼に告げる。
「クマちゃ、クマちゃ……」
『たくちゃ、模型ちゃん……』
その模型ちゃんは、たくちゃんあちゅめると良いことがあります。同じものが二つあっても、がっかりクマちゃんではありません……、と。
愛くるしいもこもこはお腹の前で猫のようなお手々を重ね、お目目をうるうるさせていた。
可愛らしすぎて説明がなかなか頭に入ってこない。
「待って待ってクマちゃんそれどういう意味? つーか全然がっかりしてないし、同じのが六個あっても足りない感じだからね」
ようやく理解したギルド職員が『がっかりクマちゃんなんて思ってません! すべて愛しいクマちゃんです!』ともこもこへの想いを伝える前に、店長リオが口をはさんだ。
「しかもまだ一個も完成してないんだけど」
もこもこした生き物がヨチヨチ、と後ろを向き、カウンター内にいる店長に答えた。
「クマちゃ、クマちゃ……」
『模型ちゃ、レベルアップちゃん……』
同じ種類の模型ちゃんをたくちゃんあちゅめて吸収させると、模型ちゃんがレベルアップして、クマちゃんが動ける時間が長くなります……、と。
もこもこは『たくちゃん』をあらわすように、両手を顔の前に持ち上げ、ピンク色の肉球をリオに見せつけた。
「その格好可愛い……え、マジで? いや今『吸収させる』って聞こえた気がする。吸収させたら俺のクマちゃん減っちゃうよね」
店長は可愛すぎる副店長の説明に喜びかけたが、途中で罠に気付き、クレームをいれた。
『そもそも余ってない』と。
副店長は猫のようなお手々をキュ、と丸め、小さな苦情にも丁寧に対応した。
「クマちゃ、クマちゃ……」
『そのままちゃ、選べるちゃん……』
レベルアップちゃんするか、そのままちゃんにするか、お好きなほうをお選びいただけます……、と。
もしもご満足いただけなかったら返品ちゃん……、と不安になった副店長がもこもこもこもこと震え、お口のまわりをもふっとさせる。
「いやそれ絶対永遠に悩むやつ。ヤバい。ヤバすぎる。もっと集めないと」
『レベルアップちゃん』をさせるためには『これ使っちゃおうかな……いやでも……』と躊躇するくらいの量ではいけない。
『あと十か所くらい別荘が増えてもいける』と自慢できるくらいの量を集めねば。
自室に二個、クマちゃんの別荘、別荘の台所、水の宮殿、村用に三……いや、四、道具入れに一、予備に十……、いや十五……いや二十……。
クマちゃんアイテムが大量にあってもまったく困らない男リオが終わらない計算を始め「いや銀貨足りないんだけど」と、赤ちゃんクマちゃんにはどうすることもできないクレーム混じりの独り言をいう。
――キュオー――。
うっかり聞いてしまった副店長は湿ったお鼻を鳴らし、魔王のもとへヨチヨチと帰ってしまった。
リオともこもこの会話をしっかりと聞いていた保護者達は、ざわついていた。
仕事中よりも真剣な表情のギルド職員が、お祈りでもするような格好で肘を突き、「こうなったら事務のあいつに頼むしか……」と金貨をまとめて大量の銀貨へ両替するハタ迷惑な計画を立てている。
「そんな……、ではレベルアップをすると模型の中のクマちゃんがずっと愛らしい姿を見せてくれるようになる……ということ?」
「白いのは優しいな……。俺たちが模型を余らせてがっかりしないように色々と考えてくれたんだろ……。まぁ実際は余ってないわけだが……」
「……――」
最高の状態で飾ると誓ったウィルが苦悩し、哀愁を漂わせたマスターが心優しいもこもこの気遣いに苦笑する。
生死を分ける選択を迫られた死神は、表情の消えた死神のような顔をしていた。
彼らはさきほどよりもさらに気合をいれ、もこもこ魔道具が持つ袋のなかへ銀貨を放り込んでいった。
◇
仲良しのリオちゃんからのクレームで傷付いたもこもこの心は、ルークの指先にじゃれたり甘えて指をくわえたりしているうちに癒された。
彼に抱っこしてもらい、店内の中央にある癒しのプールの横、テーブル席へと移動する。
仕事熱心な副店長は、その上をヨチヨチ、ヨチヨチと移動しつつ、もこもこグッズを飾るための場所を作っていた。
小さな黒い湿ったお鼻にキュッと力を入れ、猫のようなお手々で杖を振る。
魔石と素材が光りに包まれ、出来上がったガラス板がふわふわと浮かぶ。
三枚のそれは、木製のテーブルを棚へと変えた。
可愛らしいお手々がもう一度杖を振ると、ガラス棚の中央に、鮮やかな緑が広がった。
透き通った水のなかの森のような飾り棚の完成である。
納得したもこもこは「クマちゃ」と頷いた。
仕事を終えたもこもこは大好きな彼へ両手の肉球を伸ばし、「クマちゃ」と抱っこをねだった。
長い脚を組み、テーブル席の一つに座っている美麗な魔王が、例の魔道具と似たものへ手を伸ばし、それを受け取る。
彼は説明書も見ずに右手だけを使い、器用にそれを組み立てていった。
切れ長の美しい瞳が、完成品の中でちょこちょこと動き回る愛しのもこもこを眺め、微かに目を細める。
キュ、と甘える声を聞き、自身の腕のなかで彼を見上げるもこもこを、擽るようになでた。
大きな手が、もこもこの可愛らしい作品を、ガラスと植物で彩られた棚に、静かに飾る。
もこもこは「クマちゃ」と喜び、次の模型を受け取る彼の手元をのぞきこもうと、両手の肉球にキュム、と力をいれた。
「リーダーそれ俺の仕事だと思うんだよね。交代するからクマちゃんかして」
彼らのもとへスタスタと歩いてきたリオが、ルークの腕のなかにいる可愛いクマちゃんを見ながら『かして』という。
魔王に両替を頼もうと金貨を持ってきた彼の目に映ったのは、つぶらな瞳のもこもこと無神経な男の裏切りだった。
『ひどい! ひどすぎる! 俺も見たい!』をぐっと飲み込む。
そんなことを言って魔王の大事なクマちゃんをキュオーと泣かせたら、動く見本を見る前に『見本のように動かない店長』にされてしまう。
「あとで見りゃいいだろ」
低く色気のある声が、だるそうに響く。
それだけで、無表情な裏切者が『めんどくせぇな』と思っていることが伝わってきた。
『あ、そっかー』などと言うわけがない。『あとで見りゃいい』と言われて『そういう意見もあるよね』と急に心が広くなるわけでもない。
今すぐ見たいから言っているのだ。
リオは悟った。
魔王とは、そもそも人間とは相容れない存在なのだ。
◇
小さな小さなもこもこが、ちいさな調理台でコトコトと牛乳を煮込んでいる。
ちっちゃなお手々がちっちゃなスプーンを持ち、砂糖が入ったガラス瓶からお砂糖をすくう。
小さくて愛らしい生き物は、小さな木べらで一生懸命お鍋をかきまぜ、小さなお玉でぎこちなく瓶に注ぎ、忙しそうに働きながら、小さなお店のなかを、ちょこちょこ、ちょこちょこ、と動き回っていた。
彼らは小さな小さなもこもこが、ちっちゃなお手々に牛乳の入った瓶を持ち、ゆっくりと棚のほうへ移動する健気なようすを眺めながら、湧き上がる想い言葉にした。
「ヤベー。可愛すぎる。一本しか運べてないし。これ絶対集めるの難しいやつの最大レベルでしょ」
「うーん。永遠に見ていられるほど愛くるしいね。寝る前に眺めたら、そのまま朝になってしまうかもしれない」
「確かに危険だな……。見本をみたせいで余計に欲しくなったんだが……。おいクライヴ、大丈夫か」
「――――」
「凄い……可愛いクマちゃんがずっと動いてる……」
ルークともこもこのいるテーブル席までやってきた彼らは、くるりと回せる飾り棚を自分達のほうへ向け、非売品の模型を穴が開くほど見つめていた。
見れば少しは満足できるかと思ったのだ。
だが結局自分のもこもこが欲しくなっただけだった。
「くっ! 俺やっぱり酒場で両替してきます! ……その前にクマちゃんグッズ買いたいんですけど……」
ギルド職員は『一式』という言葉を口に出せなかった。
あのような素晴らしい商品をすべて買うには、手持ちの金貨だけでは到底たりないだろう。
副店長なもこもこが「クマちゃ、クマちゃ……」と飾り棚の浮くテーブルを肉球で示す。
『カゴちゃ、くじちゃん……』
お帰りちゃんですね……では、こちらのカゴちゃんから『クマちゃんくじ』を引いてください……、と。
飾り棚を囲む保護者達が『クマちゃんくじ』に反応する。
「『クマちゃんくじ』ってなんだろ……。店から一歩出るだけで引けんのかな」
「リオ。可愛いクマちゃんを騙すようなことを考えてはいけないよ。……帰る、というのは酒場へ行く、という認識でいいのかな」
「おいクソガキ、白いのを困らせるようなことをするな。……まぁ、気になる気持ちはわかる」
「……マ……く……だと――」
彼らがギルド職員ともこもこを凝視していると、飾り棚の一番下、木製テーブルの上に並んでいた白いもこもこグッズの中から、クシャっとした紙のたくさん入ったカゴがススス、と出てきた。
もこもこした副店長が、ヨチヨチ、とカゴへ近寄り、その中へ身を乗り出す。
体を半分カゴの中に突っ込んだもこもこは、両手の肉球でクシャクシャの紙をわしゃわしゃ、と猫が砂をかくようにかきまわした。
「すげー可愛い。カゴごと欲しい」
「うーん。とても一生懸命かきまわしているね。なぜクマちゃんはあんなに愛らしいのだろう」
副店長はふんふん、ふんふん、ふんふんふんふんとやや興奮気味に『クマちゃんくじ』をわしゃわしゃし、そのままお客様へ「クマちゃ……」と声を掛けた。
『引いてくだちゃい……』と。
「…………」
愛くるしいカゴ入り副店長に心臓をわしゃわしゃされてしまったギルド職員は、うっかりもこもこへ手を伸ばし、それを見ていた店長に「うちの副店長引いたら出禁にすっから」と厳重注意された。
「すみません……ちょっと意識が飛んでたみたいで。出禁は止めて下さい」
そんなことをされたら、毎日店の入り口からもこもこを眺める切ない日々が始まってしまう。
ギルド職員はサラサラになった髪をサッと払い、美しくなったことをわざとらしく自慢すると、もこもこの上半身とお手々が入っているカゴの中へ、スッと指先を入れた。
「『クマちゃんくじ』を誰よりも先に引きます!!」
「微妙に腹立つんだけど」
リオは時々自慢を挟んでくる男に『なんて鬱陶しい客だ』という視線を向けた。
鬱陶しい客がもこもこ入りのカゴから、クシャっと畳まれた小さな紙を一枚引く。
「クマちゃーん」
愛らしい副店長は愛らしい声で彼にお知らせした。
『二等ちゃーん』と。
開かなくても等級が分かるらしい。
「二等!! ありがとうございます。さすが俺ですね」
「いや中身分かんないじゃん。クマちゃんそのくじ何が貰えんの?」
リオは自慢げな客へイガグリを投げつけるように嫌味を飛ばし、半分カゴに入ったままの副店長に優しく尋ねた。
可愛い『クマちゃんくじ』を引きたいのは皆同じだ。
自慢は許されない。
「クマちゃ、クマちゃ……」
『景品ちゃ、こちらちゃん……』
もこもこは肉球で『クマちゃんくじ』をわしゃわしゃと探り、ムキュ、と掴むとそれを取り出した。
景品一覧の紙までカゴの中でクシャっとしていたらしい。
「めっちゃクシャクシャなんだけど……」
リオは可愛いお手々からクシャっとした紙を受け取り、それを広げた。
クシャクシャの紙にはつたない文字で、景品の詳細が書かれていた。
特等ちゃん。お好きなクマちゃんグッズ三個と、お好きな模型一個。
一等ちゃん。お好きなクマちゃんグッズ三個。
二等ちゃん。お好きなクマちゃんグッズ二個。
三等ちゃん。お好きなクマちゃんグッズ一個。
「え、まさかクマちゃんグッズってタダでもらえんの?! 凄すぎじゃね? つーか特等がやばい」
リオはお店に通うだけで貰えるとんでもない豪華景品に驚愕した。
こんなに愛らしく品質の高いものを無料で配るなど、あこぎな商売をしている森の街の雑貨屋には大打撃である。
特等に目がくらんでいる男は、運の悪い人間は一日に一個しかクマちゃんグッズを入手できないという恐ろしい罠に気付かない。
「俺にも見せてください。えーと二等は……お好きなクマちゃんグッズ二個!!」
全財産をもこもこグッズにつぎ込もうとしていた男が目を見開き叫ぶ。
可愛らしい雑貨屋に入ったことはないが、こんなに高品質な商品が無料で貰えるはずがない。
愛くるしいもこもことふれあい、素晴らしい効果付きの手料理でもてなされ、世界一素晴らしい模型を集められ、そのうえ豪華景品を無料で!
感動したギルド職員はまだくじをわしゃわしゃしている副店長にそっと手を差し出し、握手を求めた。
「このお店はすべてが最高ですね……。できれば誰にも教えたくないですが、こんなに凄い店のことを黙ってるとあとでボコボコにされそうなので、二人くらいに宣伝しておきます」
もこもこした副店長はハッとしたようにわしゃわしゃを止め、子猫のようなお手々をちょこん、と彼の指先にのせた。
「可愛い!! 可愛すぎる!」
感極まったギルド職員はもこもこの手の甲を、親指でスリスリスリスリとしつこく撫でまくった。
「クマちゃんこっちおいで。変な人にボサボサにされちゃうから」
リオはもこもこをスリスリから助け出し、いつものように抱き上げた。
ついでにくじをサッと引くのも忘れない。
もこもこが「クマちゃーん」と愛らしい声を響かせる。
『三等ちゃーん』と。
「クマちゃん可愛いねー。一個かぁ。やっぱカップに入ったクマちゃんかなー。……これさっきなかったやつじゃん! ヤベーめっちゃ迷うんだけど」
リオは白い陶器のカップに入ったクマちゃんと木製カップに入ったクマちゃんを見比べた。
どちらも別の良さがあり、最高に愛らしい。
「じゃあ俺は…………コレと……コレにします」
ギルド職員はじっくりと悩んだ末、小さなもこもこが抱き着いているペンと、小さなティーカップのふちから中をのぞきこむ可愛いクマちゃんに決めた。
仕事中に常につかえるアイテムと、本日の思い出『トマトジュースが頭にかかりそうなクマちゃん』の姿に似ているものだ。
「うーん。今すぐ引きたいところだけれど、もう少し模型を集めてからにしようかな」
「まぁ、そうだな。特等が当たるかもしれんからな」
「…………」
ウィルとマスターとクライヴは、うっかり特等が出た時のことを考え、先に模型の蒐集をすることにした。
『クマちゃんくじ』は遊びではない。
きちんと計画を立て、すべてのクマちゃんを然るべき場所にお迎えしなくてはならない。
◇
現在彼らは、レストランから出てすぐ、古木で作ったような板の道に立っている。
お客様をお見送りする、などという洒落た気遣いのためではない。
愛らしいもこもこが「クマちゃ……」と言ったからだ。
もこもこはお客様がお店に来やすいように道を繋げたいらしい。
お兄ちゃんに運んでもらえる自分達と違い、酒場の彼らは大変そうである、と気付いたようだ。
別荘と宮殿の飾りつけもしたいちゃん、ともこもこは主張していた。
「クマちゃ、クマちゃ……!」
『クマちゃ、がんばって……!』
彼らの視線の先では、子猫のようなもこもこが掛け声をかけながら、クライヴが道に置いた魔石を肉球でテシ! テシ! と叩いている。
「子猫ちゃんみたいなクマちゃんが魔石で遊んでる……! 可愛い!」
「めっちゃ可愛いし猫っぽいけど遊びじゃねーから」
ギルド職員はもこもこにがっちりと心を掴まれ、『一瞬で両替してすぐに戻って来よう』と決意した。
もこもこのとんでもない力を知っているリオが『子猫の遊びとはわけが違う』と否定する。
ピンク色の肉球で捏ねられてしまった魔石が癒しの力で姿を変え、インクのように広がり、青白く光る魔法陣へと変化した。
中央に可愛いクマちゃんの絵が描かれたそれから、キラキラと光の粒が舞う。
「え!! すご!!」
「素晴らしい魔法陣だね……。近くにいるだけで、こちらの魔力へ呼びかけてくるような、不思議な感覚にとらわれるよ」
「クマちゃんやべー。めっちゃぞわぞわする」
「これは凄いな……。力の弱い奴だと酔うんじゃねぇか?」
「天使の肉球のなせる業か――」
ギルド職員が目を剝き、保護者達がもこもこの力の凄さを称賛していると、ルークがそちらに近付き、魔法陣の前にいるもこもこを優しく抱き上げた。
彼に撫でられて嬉しいもこもこが「クマちゃ、クマちゃ」と喜んでいる。
「白いの。この魔法陣は、どこに繋がったんだ?」
マスターはルークの指先におでこを擦り付けているもこもこに尋ねた。
ギルドの責任者として、一応尋ねたほうがいいだろう。
もこもこが愛らしい声で「クマちゃ、クマちゃ……、クマちゃ、クマちゃ……」と答える。
水の宮殿ちゃん前と、クマちゃんのお店ちゃんと、酒場ちゃんと、二階ちゃんと、まちゅたのお部屋ちゃんです……、と。
「待て待て待て待て。色々おかしいだろ。なんでひとつの魔法陣がそんなにあちこちに繋がるんだ。俺の部屋ってのは、まさか、俺の仕事部屋のことか?」
マスターは取り乱している。
『まちゅたのお部屋ちゃん』は誰でも一瞬で出入りできる楽しい遊び場ではない。
「クマちゃんマジですげぇ。肉球魔法ヤバすぎじゃね? マスター一瞬で村これるじゃん」
「うーん。古代の魔法陣でも、クマちゃんの魔法陣ほどの力は持っていなかったかもしれないね。……複数の場所に移動できることは、研究者たちには教えないほうがいいのではない?」
「あの、俺聞いちゃったんですけど……」
「話せば始末される――。記憶から抹消しろ――」
もこもこの肉球が生み出した凄まじい魔法陣に、彼らが驚き、知ってしまったギルド職員は警告される。
この場所にはもこもこに災いを運ぶ人間を遠くへ飛ばせる高位な存在と、物理的に遠くへ飛ばせる魔王がいるのだ。
意外と優しいクライヴは命を刈り取ったりはしないが、死神からの警告を無視した場合、大変な目に遭わされるのは間違いないだろう。
◇
いつでも大活躍で愛らしいもこもこが肉球で「クマちゃ……」と問題の魔法陣を指す。
『宮殿ちゃ……』と。
もこもこに甘すぎる大雑把な魔王は凄肉球の魔法使いをふわりと撫で、スタスタと躊躇なく魔法陣へ乗ると、きらめきと共に消えてしまった。
もこもこの居るところならどこへでも行く死神が、あとに続く。
「早い。ためらいがなさすぎる。『行くぞ』くらい言って欲しい」
「クマちゃんが宮殿と言ったのだから、魔法陣に乗れば水の宮殿に着くのではない?」
細かい男がもういない男への苦情を言っている間に、自由な鳥はシャラ、と涼やかな音を立て、彼の横を通り過ぎていった。
魔法陣を抜けた彼らが到着した場所は、もこもこの『クマちゃ……』通り、水のもこもこ宮殿のすぐ側だった。
透き通った幻想的な蝶が舞う花畑は、いつ見ても美しい。
ふわ、と漂う青を視線でたどると、足元から光の粉が舞っていた。
「なんであの村には人に見せられねぇもんが次から次へと……」
「マスターが何を言っているのか、さっぱり分かりません。美しい俺の耳に変なことを吹き込むのはやめてください」
「クマちゃんなかにいるっぽい。マスターそっから部屋もどって魔法陣に書類積み上げたらいいんじゃね?」
リオは消されることを恐れるギルド職員の『自称美しい耳』を気にせず、もこもこ事情を優先した。
お兄さんと過ごす彼らが一瞬で出たり消えたりするのはいつものことだ。
もこもこが大好きな冒険者達は一々詮索しないだろう。
「そうするか……」
マスターが顎鬚をなで、悩むような表情をすると、建物の中から女性冒険者達の歓声が聞こえてきた。
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