第288話 新人アルバイタークマちゃんの過剰なおもてなし。決意したギルド職員。
大変だ。お客様である。
そしてあの服は、ギルド職員ちゃんの制服に違いない。
クマちゃんはハッと気付いてしまった。
最近はまちゅたーのお部屋でお仕事をしていないが、クマちゃんも職員ちゃんと同じ職場で働いているのだ。
もしかしたら彼は、新人アルバイタークマちゃんのお仕事ぶりを見に来てくれたのかもしれない。
うむ。早く身だしなみを整え、お茶ちゃんをお出ししなくては。
◇
整った顔立ちのギルド職員は、髪の乱れに気付かぬまま、己に起こった悲劇を語って聞かせた。
中庭にいくと言ったきり戻ってこないマスターを探すため中庭へ行き、水没していることに驚愕したこと。
遠くに島が見えるような――いやそんなはずはない己は疲れているのだ。ここは中庭だ。海ではない――とふらつき、通りかかった冒険者に『クマちゃんに会いたいなら花畑からイチゴの家行って二階ね~』と雑過ぎる情報をもらったこと。
そして『なぜ花畑にこんなに職員がいるんだ……』と言いつつたどりついたイチゴ屋根の家で、おそろしい扉の罠にはまったのだ、と彼は主張した。
「まさか自分が大型モンスターと戦う才能をもっていたなんて、知りたくなかった――」
イチゴ屋根の家(湖畔)からイチゴ屋根の家(森の奥地)へ行ってしまった運の悪さを嘆きつつ、さりげなく自慢話を盛り込むナルシスト気味なギルド職員に、マスターと保護者達が相槌を打つ。
「あ~……、それはすまなかったな。隣の部屋のやつらには詳しく伝えていたはずだが、誰もいなかったのか?」
「へー。あれ、クマちゃんどしたの? お着替え? リーダークマちゃんがお着替えしたいって」
「ああ」
ルークはもこもこを受け取り、ふわり、と撫でた。
クマちゃんがキュ、と彼に甘え、彼が指先でくすぐる。
ギルド職員の話は魔王の気を引けるほど、もこもこしていなかった。
「うーん。どうやら興奮しているせいで周りが見えていないようだね。お兄さん、彼が騒ぎ出す前に目立つものを隠してしまったほうがいいのではない?」
「この場所に来れるのなら、白いのに好意的な人間か――。だがこの村で騒ぎを起こせばどうなるか、先に教えてやるほうが親切だろう――」
ウィルが高位なお兄さんへ相談をもちかけ、見た目以外は優しい死神が、今にも鎌を振り下ろしそうな表情で親切を語る。
「――そうか――」
お兄さんは不思議な美声を響かせると、村の護りを少しだけ強めた。
幼いもこもこの作ったものを隠す必要はない。
一度この地を離れれば、戻る頃には落ち着いているだろう。
「俺がこんなにも辛く苦しい目に遭っていたというのに、マスター、あなたという人は……――!」
自己愛の強めなギルド職員が伝説級のアイテムを身につけた彼らに気付き絶叫し、『死神の親切』で精神力を刈り取られ、人間の時速を知らぬお兄さんの力で初めての国外旅行へ行かされる前に、彼は視線を足元へ移した。
ヨチヨチ……、ヨチヨチ……、ととんでもなく愛らしい何かが近付いてきている。
なぜか首からギルドカードを下げている真っ白な生き物から目が離せない。
お料理も上手だと噂のもこもこらしく、料理人がつけているものを可愛くしたような、赤いタイをしている。
実は猫好きなギルド職員が酒場で大人気のクマちゃんを、初めて至近距離で見てしまった瞬間だった。
「…………」
職員がとにかく可愛らしい生き物を黙って見おろしていると、子猫のような生き物が子猫のような声で話し出した。
「クマちゃ、クマちゃ……」
『いらっちゃ、クマちゃ、です……』
いらっちゃいませ、副店長のクマちゃんです。一名ちゃんですね。お席ちゃんにご案内いたします……、と言っているような気がする。
「お席ちゃん……」
頭に沁み込まない言葉を繰り返すことしかできない。
この生き物になら、少ない休みと少なくはないが使う時間のない給料をすべて捧げてもいい。
「クマちゃ、クマちゃ……」
『あちらちゃ、お席ちゃ……』
お目目のうるうるした子猫なのかクマの赤ちゃんなのか分からない生き物が、『お席は、あちらちゃん、でちゅ……』と一生懸命お話ししながらちょっとだけ右手を持ち上げ、彼をどこかへ案内しようとしている。
肉球だ。小さなお手々に、薄いピンク色の肉球が見える。
ふわふわの真っ白な毛とぷっくりとしたそれは『なんだその可愛らしい手は……!!』と叫びたくなるほど愛らしい。
もこもこした生き物はお手々の先をくわえ、「クマちゃ……」と不安そうに彼を見上げた。
どうしたのだろう。
まさか、この服装では駄目だったのだろうか。
一部の高級な店には一般の人間が知らない細かな決まりがあると聞いたことがある。
着替えは持ち歩いていない。
脱ぐか、マスターから借りるか――。
「ちょっとそこの職員のひと。クマちゃん抱っこしてあげてほしいんだけど」
実はさっきからもこもこのそばにいたリオは、もこもこを凝視したまま動かない職員に声をかけた。
もこもこ副店長はこの客を席に案内したいらしい。
案内される客が副店長を抱っこするのは当然だろう。
高級店の店長リオが一般の人間も常連客兼関係者も知らなかった『当然の決まり』を作る。
「い、いいんですか……?! では……、早速……」
ギルド職員は愛想を森に捨ててきたような店長の客をもてなさない態度に怒ることなく、『まだ金も払っていないのにこんなサービスを受けられるなんて……』と驚き、緊張したようすで床に片膝を突いた。
店長の腰でパタパタしている伝説級アイテムには気付かなかったようだ。
職員が両手でもこもこの体をそっと包み込む。
温かい……。ふわふわでなめらかな被毛が、日差しを浴びているかのように淡く光っている。
ギルドカードにそっくりな何かが首から下げられていることなど、まるで気にならない。
「クマちゃ……」
『あっちちゃん……』
もこもこした赤ちゃんは子猫がミィ、と鳴くような声を出し、さきほどと同じようにどこかを指した。
目を離したくないが、そちらを向いてみた。
噂でしか聞いたことのない、黒髪で、黒い、ゆったりとした露出の多い服をまとった、高位な存在が見える。
肉球があの御方を指しているように見えたが、気のせいだろう。
自分ごときが近付いていい存在ではない。
あまりじっと見ては失礼になる――。
彼が目を伏せると、自身の手のなかから愛らしい声が聞こえた。
「クマちゃ……」
『相席ちゃん……』
ひとりは寂しいと思うので、相席ちゃんがいいですね……、と。
「――――」
ギルド職員の心臓が止まった。
知人から言われたなら『馬鹿か!!』と叫んでいたかもしれない。
危険度で例えると、寂しいからと国王の膝に座るくらい血迷った判断である。
もこもこした赤ちゃんは、寂しさの埋め方が矮小な人間とは違うようだ。
さりげなく他の席を頼み、それでも駄目なら床が好きだと伝えよう。
自己愛は強めだが、あまり大雑把ではない男が口をひらこうとしたときだった。
「クマちゃん、カウンターのがいいんじゃね?」
店長リオがもこもこに声を掛けた。
髪が乱れたギルド職員の席はどこでもいいが、何かを出すならそちらのほうが近い。
もこもこと離れたくない店長は客ではなく己の都合を優先し、もこもこは「クマちゃ……」と素直に頷いた。
◇
「お客さんは中央に座るといいのではない?」
客を端にすると、もこもこの愛らしい仕草が見えにくい。
涼やかな声の鳥はシャラ、と装飾品の音を鳴らし、優雅な仕草でクライヴの隣へ移った。
こちらも完全に自分達の都合である。
「……ありがとうございます……」
もこもこを抱えたギルド職員は、魔王と死神に挟まれる恐ろしい席に静かに座った。
南国のような雰囲気の店なのに、何故か左半身が寒い。
「クマちゃ、クマちゃ……」
『お飲み物ちゃ、選ぶちゃん……』
では、この中からお好きなお飲み物を選んでくだちゃい……、と小さな店員が愛らしい声で話し出す。
可愛い肉球が握っているのは、クシャっとしてビリッとした紙だ。
「かわっ……! ――ありがとうございます」
子猫のお手々のようなそれがキュム、と紙を握っていることに興奮しかけた男は、左頬に感じる雪で冷静になった。
あまり騒いでは、魂ごと凍らされてしまう。
「まさかこれは……手書き……。絶対に解読してみせる――」
職員はつぶらな瞳の副店長の期待に応えるため、独り言を呟きながらビリッとしたそれを受け取った。
「あま……くて……おいしい……ぎゅう、にゅう……スイカ……ジュース……イチゴ……ぎゅうにゅう……しん……せん……トマト……ジュース……。じゃあ、トマトジュースをください」
美容に良さそうな飲み物だ。
ギルド職員は迷わずそれを選んだ。
「クマちゃ……」
『かちこまりましちゃ……』
かしこまりました。クマちゃんがいますぐ作るので、少々お待ちください……、と言われた気がした。
もこもこした生き物が、彼の手を先の丸い爪でカリカリしている。
「かわっ……! いえ、なんでもありません」
ふわふわの毛と肉球とつるりとした爪の感触に『可愛い!!』と絶叫したくなったが、彼は我慢をした。
上司と話す時より礼儀正しい男に、マスターが苦い顔をしている。
ずっと抱いていたいが、そんなことをすれば店に出入りできなくなってしまう。
職員はもこもこをさりげなく撫でまわしてから、カウンターにもふ、と降ろした。
もこもこが、子猫のようなお手々で鞄をごそごそしている。
取り出したのは透き通った宝石のようだ。
この世の物とは思えないほど美しい。
しかしこの世の生き物のなかで一番愛くるしい謎のもこもこへ、視線が勝手に移動する。
力の入った肉球から、目が離せない。
「これを――」
「凍らせるのやめてほしいんだけど」
死神と店長の会話も耳に入らなかった。
ギルド最強の、魔王と言われても信じるであろう男が隣に座っていることよりも、もこもこした生き物の小さなお鼻の上の皺が気になってしかたがない。
「かわいい……」
癒しの光が眩しくても、目を閉じたくない。
「目つき怪しいんだけど」
リオは嫌そうな顔で客を見た。
「うーん。クマちゃんは愛らしいからね。仕方がないと思うよ」
「あ~、普段は落ち着いた奴なんだが……。ギルド職員には可愛いのが好きな奴が多いからな……」
マスターは顎鬚をさわりつつ、リオに警戒されている部下を擁護した。
完成した魔道具は、ガラスのティーポットを縦長にして膨らませたような、丸みのある可愛らしい形だった。
その上にクマちゃんのような丸い蓋がのっている。
お顔とお耳が付いていて、猫のようなお手々が、本体のポットを押さえていた。
もこもこの指示に従ったリオが、ヘタを取ったトマトをまるごと魔道具に入れてゆく。
準備が整うと可愛らしいもこもこがヨチヨチ、と本体に近寄り、両手の爪でカリカリ、カリカリ、と引っかきながら「――クマちゃーん――」と愛くるしい歌声を響かせた。
『りこぴーん』と。
「かわいい……!! くっ! 吹雪が……!」
ギルド職員は寒さに負けず、特等席を守った。
聴くもののどこかに少しだけ効く新曲『不老不死呪文りこぴん』を歌い終えたシンガーソングライターは、お客様に丁寧にお辞儀をした。
子猫のようなお手々をお腹の前で重ねている。
「か……い……」
愛くるしさの波状攻撃と吹雪で息も絶え絶えなギルド職員は、姿勢を正し、素晴らしい美声を聴かせてくれたシンガーソングライターへ情熱的な拍手を贈った
仕事が終わったら花束を買いに行かねば。
この店は何時まで営業しているのだろうか。
「僕たちは幸せ者だね……。世界一愛らしい歌手の可愛らしい歌声を、毎日聴かせてもらえるのだから」
「ああ」
「ほんとうに良い声だ。ずっと聴いていたくなるな」
「素晴らしい――」
「『りこぴん』が何なのか分かんないんだけど」という店長の話にのってくれる者は、当然誰もいなかった。
◇
おもてなしに全力を注ぐ新人アルバイターは、注ぎ口の下にあるグラスに頭を突っ込み、ふんふんふんふんしていた。
一生懸命背伸びをしているらしく、可愛いあんよがぷるぷるしている。
ギルド職員の男は「あぶない! 可愛い頭にトマトジュースが――! 可愛い! 最高すぎる!」と溢れ出る想いを抑えきれず、小声で叫んだ。
死神は長いまつ毛をふせたが、情報を遮断できなかった。
想像力を搔き立てる解説のせいだ。
「顔こえー」
「リオ、失礼なことを言ってはいけないよ」
客の前で作られたジュースが、もこもこの肉球で「クマちゃ……! クマちゃ……!」と客の手元まで運ばれた。
しかし実際にグラスを押しているのはリオだった。
「クマちゃんそこ乗ったら落ちちゃうんじゃないかなー」
もこもこは彼の手の甲に乗り、一緒に押しているつもりらしい。
「飲む前から美味い。毎日通います――」
顔は整っているが髪が整っていないギルド職員は悟りをひらいたように、静かに頷いた。
マスターは間違っていなかった。
彼がこの店にいるのなら、仲間達から仕事を奪ってでも、自分が書類を運ぼう。
新人アルバイタークマちゃんは、「美味すぎる――! まさか……、体の疲れが――いや、それだけじゃない!」と忙しそうなお客様を見つめ、うむ、と頷いた。
ギルド職員なお客ちゃんは、毎日お店に通ってくれるらしい。
『多分びように良いトマトジュース』を気に入ってくれたのだろう。
クマちゃんはハッと思いついた。
常連さんといえば『口コミちゃん』である。
彼が帰る時に『クマちゃんグッズ』を渡したら、それをみた他の職員ちゃんたちが『それはどこのお店で売っているのですか?』と聞いてくれるかもしれない。
毎日持ち帰ってもらうなら、色々な商品があったほうがいいだろう。
おしゃれで格好いいウィルちゃんに『どんなものがいいと思いますか?』と相談してみよう。
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