第287話 絶品すぎるもこもこピヂャ。優しいもこもこと優しい彼ら。
リオちゃんにトマトちゃんを買って下さいとお願いしたクマちゃんは、ハッと気が付いた。
あれは困っているお顔ちゃん……のような気がする。
大変だ。きっとリオちゃんは、お小遣いちゃんを使い切ってしまったのだ。
うむ。こういうときはクマちゃんがさりげなく、こっそりとお立て替えちゃんをすれば良いのではないだろうか。
◇
リオが『えぇ……』という気持ちでもこもこを見ていると、もこもこはハッと動きを止め、頷き、小さな声で「クマちゃ……」と言った。
『リオちゃ、だいじょぶちゃん……』と。
もこもこは少しだけもじもじしてから、抱っこをねだるように彼のほうへお手々を伸ばした。
リオは赤ちゃんクマちゃんに『失った男』だと思われているとも知らず、
「クマちゃん可愛いねー。ほらおいでー」
ともこもこを両手で抱き上げ、ふわふわの頭に鼻先をくっつけた。
彼が嫌そうな顔をしたせいで、大事な我が子に遠慮させてしまったらしい。
クマちゃんはそんなことを気にする必要はないのに。
もこもこが『欲しいちゃん……』と言うなら野菜でもお菓子でも家でも、なんでも買ってあげよう。
リオはそっと、もこもこを抱き締めた。
だが彼の大事なもこもこは、彼の決意を知らない。
子猫っぽいお手々を使い、リオの服の隙間から金属のようなものをねじ込もうとしている。
「待って待って待って。俺の服の中になんか仕舞おうとすんのやめて欲しいんだけど」
リオは自身の上着の金具にカチャカチャとぶつけられている何かを取り、それを見た。
視線の先にあるのは、可愛いクマちゃんの絵が描かれた金貨だった。
「え、まさか……」
我が子はまだ赤ん坊だというのに、『これでおやちゃいを買ってくだちゃい……』と自身のお金――、マスターがもこもこにあげたお小遣いを渡してきたのだろうか。
驚いたリオがもこもこを見ると、もこもこは小さな声で「クマちゃ……、クマちゃ……」といいながら、両手の肉球でキュム、とお目目を隠していた。
『クマちゃ……、知らないちゃ……、ちがうちゃん……』
クマちゃんは何も知りまちぇん……、そのお金ちゃんはクマちゃんのものではありまちぇん……、と。
リオは意味を理解する前に胸に痛みを感じた。
可愛すぎる……、と。
「クマちゃんめちゃくちゃかわ……」
『めちゃくちゃ可愛い!』と彼がもう一度もこもこを抱き締めようとしたとき。
ジャラ! なのかガッ! なのか分からない音がして、店から一人の気配が消えた。
「何いまの音」
大切な我が子をかばうように抱え、死神がいたはずのカウンター席を見る。
金貨の詰まった袋。
こぼれた金貨。
破られた紙。
謎の殴り書きを視線でなぞる。
――トマト代――。
マスターはまた「あいつも大変だな……気持ちはわかるが」と呟いていた。
「どうしてクマちゃんはこんなに愛くるしいのだろう……。リオ、急いだほうがいいのではない?」
南国の鳥は悩まし気な顔で、お目目を隠しているもこもこを見つめ、もこもこを抱えているリオに警告した。
リオはウィルの言葉に潜む鋭いかぎ爪を感じ取った。
急がないなら野菜を買い占め、自分がもこもこに贈ってしまうぞ、という脅しだろう。
もこもこを静かに見守っている魔王も、なんなら死神の心配をしているマスターも同じことを考えているに違いない。
「これはクマちゃんのだから鞄にしまっておこうねー」
リオはもこもこの小さな鞄に可愛いクマちゃん金貨を戻しつつ「えーと、これどうやって買う感じ?」と尋ねた。
素直なもこもこはお目目を隠していた子猫のようなお手々をスッと外し「クマちゃ、クマちゃ……」と説明してくれた。
『お代金ちゃ、入れるちゃん……』と。
リオは「へー。ヤバいねぇ」と頷いた。
掲示板にお金を入れれば、彼らが納品したがっている商品を買い取れるらしい。
リオは道具入れから金貨を取り出し、もこもこ依頼掲示板へ近付けた。
癒しの畑で作った癒しの野菜なのだから、銀貨では足りないだろう、と。
――チャリーン――と高い音が響き、右下に『リオちゃんの金貨ちゃん』という文字がでた。
――クマちゃーん――という可愛い音声と共に、カウンター内の通路に野菜の入ったカゴが並ぶ。
おやちゃい買い取るちゃーん――、と。
掲示板に映る盗賊人形達が、神の御業のようなできごとに驚き、騒いでいる。
『まさか、今の声は……!』
『お頭! いまの子猫ちゃんみてぇなのが天使の声っす!』
『野菜の代わりに金貨が……! さすが天使の野菜ですね。いえ……甘えるわけにはいきません。今日中に金貨一枚分の野菜を作りましょう』
『天使ちゃんは凄いですねー。一瞬で野菜が消えましたよー。母猫のリオちゃんさん、ありがとうございますー』
『見守られてるっぽいっすね……。だるいけどなんかお礼したほうが良くないっすか……』
「クマちゃん野菜たくさんだねぇ」
リオは『金貨一枚分の野菜とか一日で使えるわけないでしょ』『まさか……毎日同じ量納品するわけじゃないよね』『盗賊からのお礼とかいらないんだけど』をまとめて心の野菜カゴへ放り込んだ。
やつらはもこもこの癒しの力で心の美しい盗賊になったのだ。
人形姿で頑張っているのだから、温かく見守ってやるべきだ、と。
カゴに入ったたくさんの野菜は少しだけ形がいびつだったが、どれもキラリ、キラリ、と輝いているように見えた。
さすがもこもこ畑産の野菜である。
いずれ彼らの『願う力』が強くなれば、もっと美しくなるのかもしれない。
「クマちゃ、クマちゃ……」
『おやちゃいちゃ、ピヂャちゃん……』
シェフは抱えられたまま、肉球でリオの足元を指した。
これでたっぷりおやちゃいの美味しいピヂャが作れますね……、と。
◇
動きもおっとりしたシェフがヨチヨチしていても、生地は乾燥したりしないらしい。
リオは作りかけのそれを置いたまま、シェフをたっぷりと撫で、肉球の指示に従い、塩とトマトを四角いクマちゃん型魔道具の横へ置いた。
塩とカゴの中身が消え、赤色が美しい、ガラス容器入りのトマトソースと、みずみずしい薄切りのトマトが調理台に現れる。
掲示板のなかでは『カゴが戻ってきましたね』『これはトマトのカゴっすね!』『お前ら! 母猫様が追加のトマトをご所望だ。種をまけ』と終わりなきトマト作りが始まっていたが、保護者達はシェフとシェフの肉球しか見ていなかった。
金髪の調理補助は「クマちゃ……」と彼に肉球を伸ばすもこもこを「クマちゃん可愛いねー」と撫でまわし、肉球の指すものを「えーと、これと、可愛いクマちゃんと……」時に手早く、時にゆっくりと準備していった。
◇
ピヂャ職人が小さなスプーンを握り、「クマちゃ……! クマちゃ……!」と一生懸命ピヂャ生地にトマトソースを塗っている。
「クマちゃんめっちゃ可愛いねー。一か所しか塗れてないけど」
職人は台の上で回転する生地の端にソースを塗り、リオが渡すスプーンに持ち替え、慎重にそれを動かし、知らぬ間に一周してしまっている生地の前で「クマちゃ……!」していた。
戻ってきた死神は完全に目を閉じ、愛らしいシェフの愛らしい行動を見ないようにしていたが、時々何かに苦しむように眉間に皺をよせていた。
調理道具を魔法で「クマちゃ!」し、それに持ち替えたシェフが、ササ、と作業を終わらせる。
白い生地に艶めく赤いソースは、それだけで美しい。
子猫のようなシェフが「クマちゃーん」と具材を示す。
『あれちゃーん』と。
リオは「はいアレちゃんどうぞー」といいつつ「これはどこらへん? ここ? あ、肉球ぷにぷにだねー。ありがとー」とシェフの肉球を素早く揉み、もこもこの希望通りの位置へそれらをのせていった。
◇
焼く前から美しいそれは彼がじっくりと眺める前にススス、と窯の近くへ飛んで行ってしまった。
具材がのせられた生地が、空中でふわふわと待機している。
シェフが緊張したようすで「クマちゃ……」と呟いた。
『いちょいちょちゃん……』
いよいよですね……、と。
嚙んでしまったシェフ。
何かを感じたカウンター席の男は天罰を食らった死神のように苦しみ、やや離れた席から「おい、大丈夫か……」と声が掛けられる。
「そっかぁ。クマちゃん可愛いねー」
リオがもこもこの頭を指先でこしょこしょすると、シェフは湿ったお鼻で「クマちゃ……」とお返しをしただけで、すぐに窯のほうを指した。
「クマちゃ……」
ピヂャ職人専用のアレのところへ、クマちゃんを連れて行ってくだちゃい……、と。
『まさかこれ?』『クマちゃ』『あぶないって』『クマちゃ』『いやクマちゃん全身に毛生えてるし……』――キュオー――『えぇ……』――と若干揉めたが、もこもこにはルークの結界とリオのブレスレット、高位な存在の護りがある。
全身が白い毛に覆われているピヂャ職人は、窯の横にちょこん、と設置されている小さな椅子に座り、焼き上がりを待つことになった。
◇
職人が「クマちゃ……」と頷き、どんなに燃え盛っていても安全な魔法の窯に、そばで待機していた生地を入れる。
ヨチヨチ……、もこもこもこ……、と椅子に座った直後に降りてすぐに窯を覗き込み「クマちゃ……」と心配そうにしているピヂャ職人は『なぜそんなに可愛いのか――』心がギュッとなるほど愛らしい。
「可愛すぎて苦しんでしまう君の気持が分かるよ」
「――――」
「白いのはしっぽも可愛いな。あの椅子は、結局座らないのか……」
気になる動きだ。目がそらせない。
そわそわしているのだろうか。職人は窯の入り口付近をカリカリしながら「――クマちゃーん――」と子猫のような歌声を響かせた。
『おいしくなるちゃーん』と。
もこもこはお手々を止め、窯にくっついたまま「クマちゃーん」と言った。
焼けたちゃーん、と。
「え、めっちゃ早い。すっげぇ良い匂い」
リオはすぐに窯の側からもこもこを抱き上げた。
熱くないと分かっていても心臓に悪い。
もこもこは「クマちゃ、クマちゃ……」と彼らにお願いをした。
『ピヂャちゃ、盗賊ちゃん……』
クマちゃんは一番最初に焼き上がったこちらを、盗賊ちゃん達に贈りたいと思っています……、と。
「クマちゃん優しいねー。いいんじゃね? あいつらそういう喜び知らないだろうし」
「とてもいい考えだと思うよ。きっと、クマちゃんの想いが伝わるのではないかな」
「ああ」
「あ~、そうだな……。感動しすぎて泣くかもしれんが、いいと思うぞ。本当にお前は心優しくて可愛い……。クライヴ、お前が泣いてどうする」
「――――」
保護者達は優しい眼差しでもこもこの想いに応え、頷いた。
心が浄化された盗賊人形達は、始めて自分達の手で野菜を収穫したとき、涙を流すほど喜んでいた。
その野菜で料理を作って貰えたのだと知ったら、どれほど感動するだろう。
いまの彼らほど、この贈り物にふさわしい者はいないはずだ。
もこもこはキュ、と嬉しそうに湿ったお鼻を鳴らし、彼らのもとへ焼きたての料理を送った。
優しい仲間達のために、早く次のピヂャちゃんを焼かなくては。
「クマちゃんさっきと同じでいい?」
「クマちゃ」
一人と一匹は皆に見守られながら、仲良く次の生地の準備を始めた。
◇
「ん? なんだ、この美味そうな香りは……」
「あ! お頭! これ天使ちゃんからのお手紙つきっすよ!」
「読んでみます……『盗賊ちゃん……たちが……作った、おやちゃいの……ピ……ヂャちゃんです。仲良く……食べてくだ……ちゃい』」
「天使が俺たちのために作ってくれたんですかー? 泣けるんですけどー」
「……冷める前に食わないと天使が悲しむんじゃないっすか」
彼らは汚れた手をごしごしと服でこすり、切り分けられた料理を一切れずつ手に取った。
あつあつのそれから、とろりと真っ白なチーズが伸びる。
無言で口に運んだ料理は、驚くほど美味しいはずなのに、彼らは零れる涙のせいでほとんど味が分からなかった。
もしも、天使が真心をこめて彼らのために作ってくれたこの料理を、悪い人間に盗まれてしまったら、胸をかきむしられるほど苦しいおもいをするだろう。
自分達は絶対にしてはならないことをしてしまったのだと、ようやく理解できた気がした。
◇
可愛らしいピヂャ職人とリオが素早く作業をし、同時に焼き上げた四枚のそれは、あつあつのまま皿にのせられ、それぞれのテーブルにふた皿ずつ置かれた。
「あつ! ……うま!! クマちゃんこの料理マジでやばい。危険な味がする。酒場で乱闘が起きそうな予感」
「うーん。これは……、たしかに危険かもしれない。酸味のあるソース、爽やかなトマトと、牛乳の香りがするチーズが絡み合って……ひとりで五枚くらい食べられるのではないかな、と思ってしまう美味しさだね」
「もっといけんだろ」
ルークはウィルの言葉に色気のある声で返すと、もこもこ用に小さく切ったそれをスプーンにのせ、もこもこの口へ運んだ。
もこもこはもちゃ、もちゃ、とお上品に料理を味わっている。
ハッとしたように動きを止め、子猫のような右手で虚空をかく。
――非常に美味しいらしい。
「確かに、凄い料理だな。これを酒場で出したら大変なことになる。厨房の奴らまで押しかけてきそうだ」
「肉球のない奴が作っても、この味は出せないだろう――」
クライヴは鋭い目つきでもこもこの右手を確認し、すぐに自身のテーブルへ視線を戻した。
氷のような瞳が、皿のかげに置かれていた袋を発見する。
彼はスッと手を伸ばし、中からカードを取り出した。
それは、もこもこの左腕にリボンのブレスレットが輝く、猫のようなお手々だけが写った最高にお上品な一枚だった。
背景はこの店のカウンターのようだ。
死神は険しい表情のまま、服の胸元をおさえた。
震える手でカードを袋に戻し、丁寧に道具入れへ仕舞う。
高位で高貴なお兄さんは、素晴らしい料理にゆったりと頷き、ゴリラちゃんをテーブルへ呼び寄せた。
宙に浮いた料理がふた切れ、ぬいぐるみの口の間に現れた闇色の球体へ、音も無く吸い込まれていく。
「…………」
マスターは哀愁を漂わせ、ふ、とわらった。
高位な彼に『やめろ』と言える者などいない。
あっという間になくなってしまった料理に、もこもこが愛らしく「クマちゃ、クマちゃ……」と言った。
『ピヂャちゃ、べつの味ちゃん……』と。
「マジで? 色んなのあんの? ヤバすぎる……。んじゃ一緒に作ろー。まだ食うよね?」
リオはもこもこをルークから預かり、立ち上がると、仲間達に尋ねた。
皆に当たり前だろ、という視線を向けられ、もこもこを抱えた彼は早速カウンターへ戻った。
たっぷり野菜とベーコン。
卵がのったもの。
シェフのオススメ。
仲良しな一人と一匹は様々な種類のピヂャを焼き上げ、仲間達にふるまい、また焼き上げ――と、仲良く楽しく作業をした。
時々掲示板を眺め、ピヂャ争奪戦に負け号泣している野菜の生産者にも新作を送り、と忙しく働いていたクマちゃんとリオのお店に、ひとりのお客さんがやってきた。
「マスター……。まさか、一人だけクマちゃんが作った美味いもん食ってたわけじゃないですよね……」
ギルド職員の制服を着た、長めの髪が若干乱れている男は、まるでとんでもない裏切者をみつけてしまったギルド職員のような顔で、美味そうな匂いの店でくつろいでいるマスターを見た。
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