第285話 クマちゃん、盗賊達を改心させる。もこもこ的解決法と癒された彼ら。

 悪い子達から邪悪な雰囲気の玉を『駄目ですよ!』と取り上げたクマちゃんは、現在一生懸命考えている。

 心の美しい盗賊にするための治療をしてあげたいが、どうすればよいのだろうか。

 

 クマちゃんはむむむ、と悩み、ハッと気が付いた。

 この街には樹が少ない。

 心がカサカサしている盗賊ちゃん達に足りないのは、樹と湖と花畑と畑なのではないだろうか。


 うむ。では、街の外で森を探し、彼らが幸せに暮らせる可愛らしい場所を作ってあげよう。

 でもその前に元気のなくなってしまったお頭ちゃんのために、アレの代わりになる赤紫の玉っぽいものを用意した方がいいのかもしれない。



「クマちゃん俺の話聞いてる?」


 リオは可愛らしいもこもこがチャ――、チャ――、チャ――と子猫のような舌を鳴らしている様子を見ながら尋ねた。

 だがわざわざ聞かなくても分かっている。


 絶対に聞いていないだろう。

 もこもこのもこもこした口元を「かわいい……」と睨みつけつつ考える。


 もこもこは悪党を正気に戻したいようだが、たぶんやつらは気が触れたせいで悪党をやっているわけではない。


『あなたは心が汚れているようです。治療が必要ですね』と伝えたとして『でしょうね』と答える盗賊は、ほぼいない。


『馬鹿にしてんのかテメェ!』と怒り狂うのが落ちだ。


「あ~、治療か……。考えたこともなかったが、盗賊共が『二度と盗まない』と自分で誓うなら、それが一番良いだろうな」


「例外が無いわけではないけれど、人間には悪党を見つけたら捕まえるか始末する、という選択肢しかないからね。罪を犯した彼らを、被害者ではない僕たちが勝手に許すわけにはいかないけれど、被害者を増やさないようにするのなら問題はないと思うよ」


「天使のような生き物が決めたことだ。やつらはそういう運命だったのだろう。もしもこの街の人間がこの件に関して何か言ってくるなら俺が謝罪と説明を――」


『治療するちゃん』と彼らへ告げ、愛らしく考えごとをしているもこもこを保護者達が話し合いつつ見守っていると、クマちゃんがハッとしたように動きを止めた。


 癒しのもこもこ冒険ちゃはゆっくりと頷き「クマちゃ……」と彼らに伝えた。


 まずはアレちゃんですね……、と。



「『アレちゃん』て響きがもう不吉だよね」


 リオは目を限界まで細めた。

 これから奴らには〝アレちゃん〟という名の不幸が訪れるだろう。


 もこもこはキュ、と湿ったお鼻を鳴らし、ごそごそとお魚さんの鞄をあさると、紫色っぽいまん丸な玉を出した。

 子猫のような肉球にチョコンとのっているそれから、石鹼とブドウが混ざり合ったような香りが漂っている。


「怪しい……」


 かすれた声の持ち主に視線すら向けず、ルークはもこもこをテーブルにもふ、と降ろした。

 

 もこもこは湿ったお鼻でふんふんふんふん、とそれが良い香りであることを確かめテーブルに置くと、ぬいぐるみのように愛らしく座った。

 後ろ足の肉球も、健康的なピンク色である。


「かわいい……」


 リオが悔しそうに呟く。

 

 もこもこは座ったまま石鹼とブドウの香りがするそれに手を伸ばそうとしたが、ハッとしたように引っ込めた。

 お手々の長さが足りないようだ。


 ルークの長い指先がスッとそれに伸び、もこもこの前へ運ぶ。

 つぶらな瞳を潤ませたもこもこは彼の指先にふんふんふんふん、と湿ったお鼻でお礼を伝え、行動を開始した。



 子猫のようなお手々が、テシテシテシテシ! と素早く玉を叩く。


 肉球がテシテシ! とぶつかるたびに玉がピカ! と光り、大きさを増す。


「クマちゃ……! クマちゃ……!」

『クマちゃん……! がんばって……!』


 灰色猫耳赤ちゃん帽をかぶったもこもこは自分を応援しながら、少しだけ困ったようにお目目を潤ませ、一生懸命玉をテシテシしていた。

 

 子猫のボール遊びのようなそれにうっかり魅入ってしまったお兄さんの力が少しだけゆるみ、もこもこの「クマちゃ!」と癒しの力が微かに漏れた。


 立ち並ぶ店に出入りする客や通行人が「いま子猫の声が……」「日頃の疲れがとれた気がする……」「可愛い……」と辺りを見回している。


「やばいやばい。お兄さん癒されすぎ」


「うーん。可愛らし過ぎてずっと見ていたくなるよ。僕なら結界を維持できないだろうね」


「問題ねぇだろ」


「あ~。少しだけでも通行人には効果があったようだな。子猫の声で癒されたと思ってるらしい。……おい、クライヴ。息をしろ」


「――――」



 もこもこの「クマちゃ!」とテシテシが終わる。

 癒しの力を注がれ大きくなった玉は、内側から美しい輝きを放っていた。



 ルークが手を放し、ふわん、と浮かんだそれが掲示板の中へ吸い込まれてゆく。


 直後、籠城中の人形達の足元に、ふんわりと癒しの力と石鹼とブドウの香りを放つ、薄紫色の玉が転がった。


『あ! お頭! 風呂守る前にコレ守らないと駄目じゃないっすか!』


 といった騒がしい手下人形が、よく確かめもせずに拾ったそれをポイ、と浴槽の中へ放り込まれていたお頭人形のほうへ放る。


 お風呂で遊べる幼児用癒しのバブルバス、ブドウの香り――が動けないお頭人形の側頭部に『ポコーン』とぶつかり、シャワーを止めるのが遅くなったせいでそれなりに溜まっていた湯の中にポチャン、と落ちた。


 湯からポコポコポコポコ……と不吉な吹き出しが出ている。


『なんだ……このブドウみたいな匂いは……』


『お頭! ブドウ持って風呂入るの止めて下さいよ!』


『ブドウなんて買いましたっけー?』


『どうでもいい……狭い……』


 何も知らぬ手下人形達が異変を感じたり、『まさか風呂場でブドウを――』とあらぬ疑いをかけたりしているあいだに、それは起こった。


 浴槽からモコモコモコモコモコ! と癒しのバブル、ブドウの香り――が膨らみ、風呂場を埋め尽くす。


 泡で真っ白になった風呂場のなかで見えているのは、彼らの発言をあらわす吹き出しだけだ。


『お頭ぁ! ブドウ食って泡風呂とかどんだけはしゃいでんすか!』


『前が見えない……! 力が、抜ける……』


『これちょっとヤバいやつなんじゃー……』


『眠い……』



 お頭がはしゃいで大変なことになったらしい風呂場は、着せられた本人が濡れ衣を晴らす前に静寂に包まれた。

 掲示板の中で一か所だけ真っ白になったそこを見つめ、保護者達が話し出す。


「なんだろ。この気持ち」


「うーん。無抵抗な敵にも攻撃の手を緩めない、素晴らしい新人冒険者だね」


「ああ」


「……まぁ、若干盗賊達が気の毒に感じなくもないが……、偽物の玉で油断を誘うのはいい方法だな。凄いぞ」


「一切傷を負わせず、姿を見せることなく戦闘を終わらせるとは……。これが天使の戦いか――」



 癒しの泡で盗賊達をアワアワにしたもこもこが、大好きな彼にくすぐられ「クマちゃ、クマちゃ」と喜んでいる。


 保護者達はうっかり『攻撃』『油断を誘う』『戦闘』と、まるでクマちゃんが盗賊達をひどい目に遭わせたかのように余計なことを口走ったが、もこもこの泡には体に悪い効果などない。


 キュ、と湿ったお鼻を鳴らした新人冒険ちゃは「クマちゃ……」と愛らしい声で彼らへ告げた。


『お外ちゃん……』

 

 では、街のお外で素敵な森を探しましょう……、と。



 水の街近辺。王都へ続くであろう舗装された道からはずれ、おおよそ数キロメートル離れた場所。

 闇色の球体で運ばれた彼らの目の前には、『これは何だと思いますか?』『森だね』以外の感想が特に思いつかない、森らしい森があった。


「クマちゃん森見たいならお家帰ろ。たぶんあいつらあと一時間以内に捕まると思うし」


「うーん。こちらの森は少し魅力が足りないようだね。クマちゃんの力を感じられないせいなのかな」


「かもな」


「樹はそんなに大きくなさそうだな。白いのが気に入るようなもんはなさそうだが……」


「なるほど……。森には違いないが純粋な生き物の気配はしない。あの森が特別なのか――」


 ここが悪い、というほど何かを感じるわけではない。

 しかし森で暮らす彼らのお気に召す森では無かった。


 展望台や猫顔のクマ太陽、もこもこ温泉郷、イチゴ屋根のお家など、あちこちに愛しのもこもこを感じられる素敵な森を知ってしまった彼らの森審査は厳しい。



 ルークの腕の中のもこもこは「クマちゃ……」と子猫のようなお手々の先をくわえた。

 気のせいだろうか。なんだかジメっとしている気がする。

 

 クマちゃんはハッとした。

 森がジメっとしているということは、キノコがたくさんあるのでは。

 可愛らしいキノコでお家を作ったら、とても可愛らしいはずだ。

  

 

 もこもこ冒険ちゃが「クマちゃ……」と可愛いお手々で森を指す。


 湖ちゃんを目指しましょう……、と。


「えぇ……」という声が響く中、もこもこを抱えたルークが先へ進み、彼らもあとを追った。



 ジメッとした森の入り口からさらにジメッとした方向へ移動した彼らは、もこもこが「クマちゃ……」と納得するような湖を発見した。


「沼じゃね?」


「クマちゃ!」


 なんとなく良くないものを含むリオの言葉をもこもこが『湖ちゃん!』と訂正する。


 もこもこが杖を取り出し、クライヴが魔石を並べ、可愛らしいお手々が「クマちゃ、クマちゃ」と癒しの魔法をかけてゆく。


 キラキラと癒しの光に包まれた場所から、景色が次々と変わっていった。


 輝きを増した湖。

 色とりどりの愛らしい花畑。

 ドアのついた巨大なキノコ。


 何も植えられていない畑。

 あちこちに建てられた看板。


 空からは優しい光が降り注いでいる。

 

 ひと仕事を終えた魔法使いは「クマちゃ……」と杖を仕舞い、肉球をペロペロした。 


 保護者達が看板を見ると、子供が描いたような絵と共に『お魚ちゃん』『憩いの場ちゃん』『キノコのお家ちゃん』『お畑ちゃん』とつたない文字が書かれていた。


「可愛いねー。ここもクマちゃんの別荘にする感じ?」


 新米ママは作るものまで可愛らしい我が子へ優しい眼差しを向けた。


 もこもこした生き物は、持ち運び用に小さくした掲示板を子猫のようなお手々でカリカリしていた。


『クマちゃん何してんの?』と彼が聞く前に、ドサ……、と妙な音が響く。


「なに、今の音」  


「おいおいおい、なんだこれは……」


「うーん。とても見覚えがあるね」


 振り向いた彼らの目に入ったのは、花畑の手前に落とされた五体の人形だった。

 一体だけ服を着ていない。


「え、なんで人形になってんのこいつら。……まさか」


『さっきの泡で……』とリオはすべてを口に出す前に理解した。


 実は初めから人形でした――、なんてことは絶対にない。

 可愛くないことをしていた盗賊達は、あの泡で身も心も可愛くされてしまったのだ。


 人形達がヨロヨロと起き上がり、あたりを見回す。


「どこっすかここ! 天国っすか!」


「さきほどまで宿屋にいたはずでは……」  


「綺麗な場所ですねー。それよりあんたらなんで人形みたいになってんですかー?」


「鏡見てからいいなよ……。でも前の顔よりましだと思う……」


 人形達は『確かに……』と頷いている。

 可愛らしくなったことに満足しているらしい。


「お頭まつ毛長すぎでウケるんですけどー」「確かに……」とお花畑の前でお頭人形を囲む彼らの耳に、子猫のような歌声が聞こえてきた。


 愛らしい声が奏でる可愛らしい歌が、人形達のカサカサだった心に沁み込んでゆく。


『――クマちゃーん――』


 悪いことはしちゃだめちゃーん。


『――クマちゃーん――』


 お金は自分の肉球で稼ぐちゃーん。


『――クマちゃーん――』


 欲しい物はお兄ちゃんから買うちゃーん。


『――クマちゃーん――』


 おやちゃいの買い取りはリオちゃーん。


『――クマちゃーん――』

 

 お畑仕事頑張ってちゃーん、と。



 心まで可愛くなった盗賊人形達は、シンガーソングライターの新曲『強制労働』に感動し、涙を流した。

『いや俺あいつらが作った野菜とかいらないんだけど』というかすれた苦情に気付くものはいない。


「天使が……俺たちに改心する機会を与えてくれたんだ!」


「生まれて初めて『癒し』というものを感じた……。天使が悲しまないように、頑張って働こう……」


「天使はクマちゃんっていう名前の子猫ちゃんみたいですねー。リオちゃんっていう名前の、母猫? に野菜を買ってもらって、今まで盗んだ金を返しましょー」


「天使が作ったキノコの家か……。だるいけど種さがしてくる……」



 ジメッとしていた森の一部に、可愛らしくなった人形達の可愛らしい強制労働所が誕生した。

 手下のひとりがお頭人形のからだにそっと、あわだらけの枕カバーをかける。


「クマちゃ、クマちゃ……」

『泡ちゃん、解決ちゃん……』


 もこもこは両手の肉球を胸元で交差させ、ゆっくりと頷いた。

 綺麗な泡ですべてが解決したようですね……、と。


「盗賊どころか人間やめさせたよね」


「あ~、まぁ本人達は満足してるらしいぞ。もともと可愛いのが好きなんだろ」


「そうだね。癒しの力で望まぬ姿になることはないと思うよ。戻りたいと願えば、癒しの効果ですぐに戻れるだろうし」


「ああ」


「人間に戻れば捕まる。貴族から盗んだのであれば、ただでは済むまい。望んで戻るとしても、罪を償うためだろう――」


 

 保護者達がそれぞれの感想を述べているあいだに、もこもこは彼らのために色々なものを作ったようだ。

 意外と過保護なお兄さんが側で協力していたらしい。


『困った時はこちらちゃん』と書かれたピカピカの玉。


『おやつちゃん』という紙が貼られた、パンや果物、木の実、チョコレートなどが入ったカゴ。


『お着替えちゃん』という紙が貼られた、服の入ったカゴ。


『おもちゃちゃん』という紙が貼られた、トランプ、水鉄砲、おもちゃの釣り竿などが入った箱。


 キノコの家の前に置かれたそれらに気付いた人形達が、サササ、と近付き「優しい! 今まで生きてきてこんなに優しくされたことねぇ!」「ほんとそれー」「ありがとう。天使」と涙目で頷いている。


「クマちゃん優しいねー。あいつらおもちゃ掲げて喜んでるよ」


「なんというか、あれだな。人形姿しか見てないせいか、初めからああいう生き物だったように感じるな」


「僕たちは犯行現場を見ていないからね」


『盗み以外の罪は……』と思ったウィルはさりげなくルークを見たが、いつもと同じ、感情の薄い視線を返されただけだった。

 そんなやつらに近付けさせるわけねぇだろ、ということらしい。


 

 リオが「んじゃ帰ろっか」といい、もこもこが「クマちゃ……」と、幽霊探しとこん棒販売が終わっていない旨を伝える。

 しかしルークが「先にメシだろ」と言ったため、彼らは一度村へ帰ることになった。


 盗賊人形達は引き続き掲示板で見守ればいいだろう、と。

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