第277話 少々騒がしい彼らと忙しそうなマスター。何事もなかったように紹介される商品。
素敵な腕輪の紹介をしていたら、なんと素敵なクマちゃんまで購入されてしまった。
大変だ。
クマちゃん売買である。
◇
「ダメダメ駄目! その子ちょっともこもこしてるけど俺の子だから!」
「――――」
「おいクライヴ、店の中で武器を出すな。金貨も止めろ。動揺しすぎだ」
新米ママが親権を主張し、死神が武器と金貨を取り出し、マスターは彼をなだめた。
店内が吹雪き、白いタイルに散らばった金貨が白銀で塗りつぶされてゆく。
ルークは普段の無表情と違い、微かに目を細め、笑っていた。
すべての生き物を魅了する魔王のような男は無言のまま、隣に座る男へと視線を流した。
聞こえるはずのない声が、妖艶に彼に問う。
『できると思うか?』と。
「うーん。冗談……ではなかったけれど、止めた方がよさそうだね。本当に残念だけれど……」
ウィルはいつも浮かべている優し気な笑みを悲し気なそれに変え、腕の中に隠していたもこもこをそっと覗き込んだ。
愛くるしいこの子を驚かせてしまっただろうか。
光が射しこんだことに気が付いたもこもこが、彼の手に子猫のような両手を掛け「クマちゃ、クマちゃ……」とお話ししだした。
『ウィルちゃ、クマちゃん……』
買ってしまったウィルちゃんに、クマちゃん売買されてしまったクマちゃんから大事なお願いがあります……、と。
「おや……。なにかな? どんな願いでも聞いてあげるよ」
死神と魔王から狙われている派手な鳥は、いつの間にか『クマちゃん売買』が成立していたらしいもこもこを、揃えた指先で優しく撫でた。
世界一愛らしいこの子を一時でも手に入れられるのならば、本気で襲い掛かって来そうな男と強めのコツンで済ませてくれそうな男と戦うのも吝かではない。
新米ママが「え、なにその人身売買みたいな……。いや俺の店クマちゃん売買とかやってないから!」と潔白を叫んでいる。
「クライヴ、リオはやってないと言ってるだろ。捕縛は止めてやれ」
少々ごたごたしている店内にもこもこの子猫のような声が「クマちゃ、クマちゃ……」と響いた。
『仲良しちゃ、リオちゃん……』
クマちゃんと仲良しなリオちゃんも一緒に買ってください。きっとクマちゃんが買われてしまって寂しがっていると思います……、と。
「うーん。クマちゃんのお友達なら仕方がないね……」
「いやいやクマちゃんその解決方法おかしいからね。『寂しくなくなったね』とかほざいてる場合じゃない問題起こってるでしょ。あと『仕方がないね……』って迷惑そうな感じめっちゃ腹立つ」
「俺がお前らごと買えば解決だろ」
「そんなわけあるか! ルーク、前から言おうと思ってたが、お前は大雑把すぎる。白いのの教育に良くない」
マスターはクマちゃんとリオを買ったウィルを買ってもこもこを解放し、仲間を黙らせようとしている魔王へ苦言を投げた。
意外と仲間想いな男が本当にやるとは思っていない。
だがクソガキ共の妙な会話のせいで純粋なもこもこがおかしなことを覚えてしまったらどうするつもりなのか。
カチャ、という音が鳴り、剣が鞘へと納められる。
クライヴはウィルの手からルークの手にもこもこが移されたのを見届け、席へと戻った。
彼の前に現れた闇色の球体が、雪にまみれていた金貨を置いてゆく。
男は高位な存在へ目礼を送り、丁寧にそれを仕舞った。
『クマちゃん売買』と『人身売買』はマスターに阻止された。
もこもこした店員がふたたびカウンターにヨチ、と降り立つ。
◇
いたるところにもこもこ像と植物が飾られた、壁のない南国のバーのようなレストラン。
店の中央では癒しの力を放つプールが、美しく水色に輝いていた。
艶のある木製カウンター。その上で、もこもこした店員が両手の肉球を一生懸命、猫かきのように動かしている。
踊りの練習をしながら商品の到着を待っているらしい。
「クマちゃんめっちゃ可愛い……。さっきクマちゃんに売られかけた気がするけど……」
「本当に愛らしいね。リオ、クマちゃんの思いやりをそんな風に捉えてはいけないよ」
「売られてねぇだろ」
細かいことを言う男を無神経な男が斬り捨てた。
本当に買うわけねぇだろ、と。
もこもこの命も彼らの命も本人達のものだ。売買されるようなものではない。
闇色の球体が運んできたのは、繊細な装飾が施された白銀のナイフだった。
持ち手の部分に填め込まれた透明な宝石から放出される魔力で、全体が輝きに覆われている。
刃の部分に氷の結晶が文様のように浮かび上がり、とけるように消え、また新たな結晶が浮かび上がる。
瞬きする間に姿を変える美麗な芸術品に、彼らは言葉もなく魅入った。
もこもこした店員がヨチヨチしながら移動し、そっと宝石にふれ「クマちゃ……」とお手々を戻した。
『ちゅめたい……』らしい。
店員は湿ったお鼻の上に皺を寄せ、肉球を齧っている。
「え、可愛い。クマちゃん肉球大丈夫?」
「リオ。気持ちはわかるけれど、言う順番がおかしいのではない?」
――おい、クライヴ大丈夫か――。
ざわつく仲間達に気付かぬ店員は、子猫がミィ、と鳴くような声で「クマちゃ、クマちゃ……」と商品の紹介をした。
『クライヴちゃ、ぴったりちゃん……』
こちらはリオちゃんのお店でイチオシのナイフちゃんです。氷の結晶が似合うクライヴちゃんにぴったりの商品ですね。果物を冷やしながら切れるのも素敵だと思います……、と。
店員はヨチヨチ、とクライヴの前まで移動し、スッとピンク色の肉球を見せた。
どうぞ、のポーズである。
「…………」
もこもこの想いに気が付いたクライヴは、胸が締め付けられたように苦しくなった。
リオちゃんのお店で、と説明している商品は、彼のために作られたものにしか見えなかった。
心優しいもこもこは、初めから彼に渡すつもりでこのナイフを作ったのだろう。
「……感謝する。お前に俺の持つすべてを渡そう」
クライヴは全財産をもこもこした店員につぎ込むことにした。
黒革の手袋をはめた彼の手が、そっとピンク色の肉球を握る。
もこもこした店員は「クマちゃ……」と頷いた。
『すべちゃん……』と。
「破産じゃん。マスターあれ止めたほうがよくね?」
「……普段は真面目な癖に、どうしてあいつは白いののことになるとおかしくなるんだ……」
確かに、有り金をはたいても一人の人間が買えるような品物ではないが……、とマスターは疲れたように目元を隠した。
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