第276話 まったりと過ごす午後のひととき。仕事へ戻れないマスター。宣伝するもこもこ。
素敵なアヒルさんに乗り、素敵なポーズで格好良く素敵なブレスレットを見せ、まちゅたーがクマちゃんを褒めやすいようにしていると、お外から大好きな彼の声が聞こえてきた。
◇
リオは黄色いアヒルから手を放し、外へ目を向けた。
「あれ、リーダー達早くね?」
「…………」
ルーク達の声を聞いたマスターは渋い表情で顎鬚をさわった。
だが『お前ら仕事はどうした』とは聞けない。
もこもこが愛らしいからと本来の目的を忘れていた自分が言えることではない。
「クマちゃ……! クマちゃ……!」
ふよふよ、とアヒルに乗ったままルークのもとへ行こうとするもこもこの後を追う。
一生懸命『ルークちゃ……! ルークちゃ……!』と彼を呼び少しずつ前に進んでいるが、猫のような手が乗り物から離れてしまっている。
落ちてしまったら大変だ。
一歩半で追いついたマスターは、もこもこがキュオーと泣き出す前にスピードの出ないそれから降ろし、優しくなでた。
彼らにとっては数メートルの距離でも、子猫のように小さくて足も遅いもこもこには果てしなく遠く感じられるのだろう。
◇
瞬間移動のようにルークのところへ連れてきてもらったクマちゃんは、大好きな彼に精一杯手を伸ばした。
彼はいつものように少しだけ目を細め、クマちゃんを大きな手で包んでくれた。
ずっと会いたかったです、と彼の指にお鼻をくっつける。
無口な彼はクマちゃんの頬を指の背で優しくなで、『待たせて悪かった』と伝えてくれた。
離れ離れになっていたあいだにあったたくさんの出来事をお話ししようとすると、彼がクマちゃんの左手を少し持ち上げた。
ルークの親指がチャリ、とブレスレットの鎖にふれる。
クマちゃんはハッとした。
彼はすぐにおしゃれになったクマちゃんに気が付いてくれたらしい。
感動したクマちゃんはお話をするまえに、大好きです、と大きな愛を彼に伝えた。
◇
店内に――クマちゃ~ん、クマちゃ~ん――ともこもこがルークに甘える鳴き声が響いている。
リオはもこもこが生み出したクシャっとした紙を順番に重ね、端によけた。
ルーク達はすぐに正解に辿り着いてしまうだろう。
マスターには自力で当ててもらわねばならない。
「とても愛らしいね」ともこもこに優しい目を向け彼らの横を通り過ぎたウィルは、カウンター席に座り、その場に適した言葉を告げた。
「冷たい飲み物が欲しいのだけれど」
「えぇ……」
カウンター内に立つ金髪は肯定的ではない声を出した。
仲間に飲み物を作るのが面倒なわけではない。
この派手な男は、店内にいる全員が天に召されそうなほど光っていることに何も思わないのか。
リオはさきほど自分がマスターの顔を見て『めっちゃ光っててウケる』と、店内の異常を何とも思っていない人間のような態度をとったことを棚に上げた。
「…………」
彼は黙ったままスッと冷たいスイカジュースを出した。
これが好きでたまらないのではなく、すぐに出せるものがこれだけだったからだ。
カウンターの下に置かれた『ひんやりする箱』には、何故かスイカジュースの瓶がたくさん並んでいた。
冷えたグラスから、カウンターに雫が落ちる。
南国の鳥のような男は「ありがとう。村長らしい飲み物だね」と悪気の無い褒め言葉を彼に贈った。
「それを言われた俺が喜ぶと思ったら大間違いだから」
「同じものをひとつ――」
死神のような男が派手な男の隣に座り、赤地にスイカの種が描かれたシャツを着た村長に注文を入れた。
カウンターの上で、黒革の手袋に包まれた手がぶるぶると震えている。
席に辿り着くまでのあいだに、何か尊いものを目撃してしまったらしい。
「…………」
輝きのなか、大繫盛のレストランで、村長はグラスになみなみと爽やかなジュースを注いだ。
◇
壁のない店に、爽やかな風が通り抜ける。
鉢植えではなく、直に床から生えている植物から緑の香りが広がった。
数分前より光が薄れ、相手の顔が見やすくなった店内に、見た目よりも大雑把な男の涼やかな声が響いた。
「……まるで神話に出てくるようなつるぎだね。神々への贈り物のようだけれど、すべてクマちゃんが作った作品なのかな。君の耳元で輝いているのは、同じ素材で作られた物?」
「ジュース飲む前に聞いて欲しかったんだけど」
「まさか――肉球で――」
「え、覗いてたわけじゃないよね」
彼らが棚に飾られた鍛冶職人クマちゃんの作品を眺めていると、もこもこを抱えたルークが戻ってきた。
顔を顰めているマスターも一緒だ。
カウンター席に着いた美麗な魔王が、リオに感情の無い目を向け、合図を送るように視線を流す。
その先には、赤い液体の入ったグラスがあった。
「せめて口で言って欲しいんだけど」
リオは彼の前にあふれる寸前までジュースを注いだグラスを置いた。
入れすぎたのはわざとではない。
『ちょうど一杯分かも……』と瓶を傾けていったら、思ったよりも量が多かったのだ。
細かいことを気にしない魔王は道具入れから何かを取り出し、細かい男の前に置くと、自然な動作でグラスを呷った。
零すことへの不安などはないらしい。
細かい男の前に置かれたのは、彼の機嫌が一瞬で良くなるアイテムだった。
可愛らしいそれは、赤ちゃんが飲み物を飲むときに使いそうな形をしている。
リオはもこもこ用の哺乳瓶を握り「クマちゃんちょっと待っててねー」とルークの腕の中で彼に甘えている愛らしい我が子に告げた。
腕を組み「七十三……」と唸っているマスターにもこもこのブレスレットを見せつけるのは後で良いだろう。
◇
「クマちゃん可愛い……お目目ちょっとだけ細くなってる……」
最近感動しやすい新米ママは、我が子が愛らしい表情で哺乳瓶を吸っている姿に癒されていた。
なんて可愛いのだろう。
もこもこがもっと、とねだるように子猫のような肉球を動かしている。
この哺乳瓶さえあれば、無神経な仲間達の言動も、そこに在るだけで悪を滅してしまいそうな背後の剣も、まるで気にならない。
「本当に愛らしいね。リオが感極まってしまう気持ちがよくわかるよ」
「ああ」
「たまには戦闘へ行かせた方がいいかと思ったが……」
「――――」
仲間達はジュースを片手に、いつでも幸せそうな一人と一匹を見守っていた。
◇
「クマちゃんの作るものは本当に素晴らしいね。神聖な力が空を切り裂くように伸びているのが見えて、心が震えたよ」
さきほど外で見た光景を思い出した男は、涼やかな声でもこもこに告げた。
「…………」
クライヴも同意するように頷いている。
リオはウィルへ胡散臭い鳥を見るような視線を向けた。
仲間を疑う目だ。
ウィルから『素晴らしい』と褒められたクマちゃんはハッと思い出した。
クマちゃんはやらなければならないことがあるのだ。
しかし、あと何回褒められればいいのか忘れてしまった。
残念だが、まちゅたーにはあとで最初からやり直してもらおう。
ウィルちゃんはリオちゃんのお店の商品に興味があるようだ。
だが、仲良しの彼はカウンターの中からウィルちゃんを見つめたまま、何も言わない。
うむ。声がかすれて『ウィルちゃんにオススメの商品を仕入れましたよ』と言えず、困っているのかもしれない。
クマちゃんへの指名依頼が多いリオちゃんがお困りということは、これもクマちゃんへの依頼だろう。
うむ。宣伝の上手なクマちゃんにぴったりなお仕事である。
クマちゃんは肉球でルークの腕をキュム、と押し、クマちゃんは頑張ります、と彼に伝えた。
もこもこした生き物がヨチ、とカウンターに降り立ち、ヨチヨチとウィルの前まで歩いてきた。
「クマちゃ、クマちゃ……」
『ウィルちゃ、オススメちゃ……』
もこもこは彼を見上げ、ウィルちゃんにオススメの商品があります……、と愛らしく何かの宣伝をしている。
ピンク色の肉球を見せてくれているのはサービスだろうか。
「おや。とても愛らしい店員さんだね。商品を見る前に、なんでも買ってあげたくなってしまうよ」
ウィルはもこもこした店員へ優しい眼差しを向け、赤ちゃんのためにならない発言をした。
「聞いてから買え」
低く色気のある声が、ウィルへ告げる。
「それ聞いたら絶対買わないと駄目なやつ」
リオは戦慄した。
彼は『こいつの話を聞いてから判断しろ』と言っているのではない。
『こいつの話を聞け。そして買え』と言っているのだ。
可愛いクマちゃんの話を聞かない者には制裁があるに違いない。
話を聞かなくても金さえ払えばどうにかなる裏通りの店よりもやっかいだ。
リオが魔王と手を組んだもこもこへ「めっちゃヤバい店じゃん……」という視線を送っていると、もこもこの前に闇色の球体が現れ、何かを置いて行った。
それは、冒険ちゃクマちゃんが『武器屋リオちゃん』のために作った素敵な商品のひとつ、幻のように揺らめく青い羽飾りのついた腕輪だった。
ふわり、ふわり、と青と水色が揺らぎ、見る者を惹きつける。
ウィルが魅入られたように腕輪へ視線を送っていると、子猫のように愛らしい声が、彼の鼓膜を揺らした。
「クマちゃ、クマちゃ……」
『リオちゃ、お店ちゃ……』
こちらはリオちゃんのお店でイチオシの腕輪ちゃんです、南国の海のように素敵な髪色のウィルちゃんにぴったりな商品だと思います……、と。
もこもこはヨチヨチ、と腕輪の真ん中へ入り、もこもこもこ、と座り込んだ。
猫のようなお手々を掲げ、シャララ、とリボンのブレスレットを鳴らしている。
彼の真似をしているつもりらしい。
「…………」
ウィルは長いまつ毛をゆっくりと動かし、もこもこへそっと手を伸ばすと、腕の中へ隠すように抱き締めた。
「では、腕輪とこの子を貰うことにするよ」
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