第239話 もこもこシェフの高級料理。ほとばしる愛。
お腹が空いて大変なクマちゃんは、現在美味しいお魚を調理する準備をしている。
うむ。これで焼けばとても美味しくなるのではないだろうか。
しかしまだお魚は釣れていないようだ。
クマちゃんも皆のお手伝いをしよう。
◇
立派な応接セットが並べられた、妙に幅の広い桟橋。
そろそろ朝食をとって仕事へ向かわねばならないはずの彼らは、朝食用の魚を釣るため釣り竿を握っていた。
ザザ――。
心地よい波の音と共に、幼く愛らしい「クマちゃ……」という声が響いた。
『お手伝いちゃ……』
お困りのようですね。クマちゃんが皆さんのお手伝いいたします……、という意味のようだ。
可愛い我が子の子猫のような声を聞いた新米ママが、バッと振り向く。
テーブルの上には焼き網の載せられた四角い陶器製の魔道具とまな板が置かれている。
その横に立っているのは、おもちゃの包丁と杖を持ったクマちゃんだ。
もこもこシェフはお魚を焼く準備をして待っていてくれたらしい。
なんと手際の良い赤ちゃんクマちゃんだろうか。
「いや大丈夫だから」
『クマちゃんは可愛く座っててくれればいいから』リオが視線で想いを伝える。
『ほんとに大丈夫だから――』
「クマちゃ……」可愛いクマちゃんは包丁と杖を持ったまま答えた。
『リオちゃ……』
リオちゃん遠慮しないでください……という意味のようだ。
――いやぜんぜん遠慮とかじゃないから。ほんとに座って待ってていいから――
リオは願いをこめ、優しいクマちゃんの究極のなで肩にふれた。
「クマちゃ……」
すべてを理解した――という雰囲気で深く頷いたなで肩のクマちゃんは、鼻の上に皺を寄せ『クマちゃ……』と杖を振った。
輝いた杖と輝いているクマちゃんから癒しの魔力が広がってゆく。
彼らの持っている釣り竿が、キラキラと煌めく。
「おや、この釣り竿は――」
南国の派手な鳥のような男が釣り竿を見つめ、何かに気付いたように呟き
「ありがとうクマちゃん。これがあれば素晴らしい魚が釣れると思うよ」
もこもこに感謝を伝える。
これは昨日クマちゃんが作っていた『とても素敵な釣り竿』だろう。
「めっちゃひかってる……」
癒しの光を警戒するリオ。
「この光は……――」
心の荒んでいたクライヴは癒しの力で癒され、村長暗殺計画を中止した。
癒しのもこもこと仲の良い金髪を氷塊のついた釣り竿で殴ろうとするなど、自分はなんと恐ろしいことを考えていたのか――。
「先に何か食べててもいいんだぞ。お前の好きな牛乳はどうだ?」
マスターがもこもこを心配する。
甘くない牛乳なら食事前に飲んでも問題ないだろう。
クマちゃんは『牛乳』と聞いた瞬間キュッ! と湿ったお鼻を鳴らしたが、誘惑に負けることはなかった。
もこもこした生き物は『朝食はお魚ちゃん』と決めてしまっているようだ。
皆の釣り竿を強化したクマちゃんはハッと気が付いた。
包丁をまな板に置き、鞄から素材を取り出す。
お魚のお料理はとても難しいのだ。
上手に出来るように調理用の魔道具を作っておこう。
クマちゃんは小さな黒い湿った鼻にキュッと力を入れると、願いをこめて杖を振った。
◇
もこもこシェフがテーブルの上でせっせと調理用魔道具を作っていたとき。
『癒しの力で光る釣り竿』へ敵を見張るような視線を向けていたリオの釣り糸がピンと引かれた。
「あ」魚かも――と彼が言う前にザバッ! と海からホタテ貝が三枚飛んで来た。
「いやおかしいでしょ」
まだ引っ張っていない。魚でもない。
これは釣りではない。糸が引かれ、それを引くのが釣りの楽しいところではないのか――。
リオが己の想像する釣りを心の中で楽しんでいるあいだ、ホタテ貝は彼の顔の前で静かに待機していた。
「クマちゃ!」
『貝ちゃん!』
シェフが叫ぶ。
その声に反応したように、ホタテ貝三枚はもこもこの用意した魔道具の上へススス――と移動した。
まな板そっくりの魔道具と、その上のホタテ貝がピカ! と光る。
「…………」
リオの視線の先には、身を一度外され、ふたたび貝にのせられたホタテ貝が。
下ごしらえが終わったようだ。
「すごいけど……」
リオの心の貝ヒモが複雑にねじれる。
あれもこれも本当に素晴らしい魔道具だ。
凄いとは思う。だけど――。
「すげぇな」
魔王のような男がシェフを褒め、追加のホタテ貝二十枚を渡す。
「クマちゃ……!」
『貝ちゃん……!』
感動したシェフが両手の肉球をもこもこの口元に当てると、下ごしらえの終わったリオの貝が焼き網の上へふわふわと移動し、空いた場所にルークのホタテ貝が己の貝を投げ出した。
綺麗に開かれたホタテ貝が、シェフの用意した焼き網へ次々と移動してゆく。
置き切れないものはまな板のような魔道具の上で縦に積み上がり、己が焼き網へと運ばれるときを静かに待っているようだ。
「えぇ……」
「お前は本当に凄いな。……この魔道具を見たら厨房の連中が泣き出すかもしれんな」
マスターは赤ちゃんクマちゃんの凄まじい能力に感嘆した。
もこもこシェフは良い匂いのしてきたホタテ貝を見つめ、お手々の先をくわえている。
『厨房の連中』が本当にもこもこシェフの調理用魔道具を見てしまえば、おそらく泣くどころではすまない。
「この釣り竿はとても面白いね。カニもたくさん釣れたよ」
ウィルがシェフに「ほら」と大きなカニを見せる。
「クマちゃ……!」
『カニちゃん……!』
シェフはカニも好きなようだ。
小さな黒い湿ったお鼻がキュ! と鳴っている。
「素晴らしい――」
死神のような男が冷たい声を響かせ、凍ったエビ類の山を桟橋に置いた。
焼き網も魔道具もテーブルもホタテ貝で埋まっている。
あれらを食べきるまでは何も載せられないだろう。
◇
「やばい。美味すぎる。これほんとに焼いただけ? クマちゃんなんかした?」
リオは細くて持ち手の長いフォークに焼き上がったホタテを刺し、シェフに尋ねた。
天才シェフはルークの膝に座り、お口をもちゃもちゃ動かしながら焼き網を見守っている。
「クマちゃ……」
『愛情ちゃん……』
焼き網から愛情が噴き出ているからです……という意味のようだ。
もこもこシェフは両手の肉球をそっと胸元で交差した。
キュ、と愛を抱えているようだ。
可愛いお鼻からキュ、と高い音が聞こえた。
「――――」
とんでもなく愛らしいもこもこの仕草に死神の意識が遠のく。
黒革に包まれた手から貝殻が零れ落ちた。
「…………」
面倒見のいいマスターが、彼の落とした貝殻をテーブルの下の貝置き場へ捨てた。
「焼き網の愛情ってなに」
気になったリオがホタテ貝を退け、焼き網を上から覗き込む。
――焼き網の下に置かれた四角い器の中で、見覚えのある真っ赤な宝石が炭と共に焼かれ、ゆらゆらと美しい光を放っている。
「ヤバイ。これはかなりヤバい。……これ砂から出てきたやつじゃね?」
『クマ』『焼きホタテ』『クマに焼かれ宝石』リオは戦慄した。
クマの赤ちゃんは海産物と一緒に巨大な宝石も焼いてしまったらしい。
宝石が肉球被害にあった原因は何だ。やはり赤いせいか。
料理人ならなんでも焼いていいわけではない。
これは事件ではないのか。
焼きホタテのお値段が大変なことになってしまった。
原価率はどうなっているのか。一皿金貨数百枚を超えているのでは。
こんな料理を出していたらシェフの店がつぶれてしまう。
村長は心の会議室でひとりホタテ会議を開いている。
「めっちゃメラメラしてんじゃん……」
リオがクマちゃんにメラメラされている宝石を見ながら高すぎるホタテを口に運ぶ。
「うますぎる……」
「細けぇな」
色気のある声が器の小さい村長の心を切り裂く。
もこもこへの暴言を絶対に許さない魔王は、シェフの小さなお口に小さく割いた焼きホタテを入れた。
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