第238話 朝食の準備は桟橋で。「クマちゃ……」
毎日幸せなクマちゃんは、現在幸せが釣れそうな釣り竿を握っている。
うむ。なんだか凄そうな釣り竿である。
◇
南国風になってしまった酒場の中庭。
ただの四角い空間だったはずの場所には、何故か海と島がある。
真っ白な砂浜では、スイカっぽい帽子とスカーフ姿でおもちゃのような釣り竿を握っている可愛い生き物が、釣りをせずヨチヨチと歩いていた。
「クマちゃ……、クマちゃ……、クマちゃ……、クマちゃ……」
『釣りちゃ……、幸せちゃ……、釣りちゃ……、幸せちゃ……』
早速釣りを始めようとしたもこもこを止めたのはルークだった。
彼は小さなもこもこが安全に過ごせるよう、よろず屋のようになんでも持っているお兄さんと話し合っていた。
スイカちゃんなクマちゃんは砂浜をヨチヨチウロウロしたあと、小さな黒い湿った鼻の上に皺を寄せた。
毎日幸せなクマちゃんの幸福度、九。
――ゼロから十までの十一段階である。
「どしたのクマちゃん」
ぼーっとした顔で砂浜に座り、愛らしいクマちゃんを眺めていたリオが尋ねる。
肉球で砂を踏む感触が気に入らないのだろうか。
「はいクマちゃんあんよ綺麗にしましょうねー」
リオは砂の上からスイカちゃんを抱き上げた。
「はい次こっち」ふわふわの布と魔法の水で子猫のような小さな足を洗う。
もこもこしたスイカは鼻の上に皺を寄せたまま、釣り竿を持っていないほうの肉球をストレスの溜まった猫のように齧っている。
「クマちゃんこの海本物?」
リオは湿った鼻の上の皺ができた部分を指先で撫でつつ尋ねた。
クマちゃんは口元からスッと肉球を外し、真剣に見えなくもない表情で答えた。
「クマちゃ……」
『ほんものちゃん……』
ええ、このクマちゃんは本物でしょうね……、という意味のようだ。
「そっかぁ……」
リオは釣り竿を持った赤ちゃんクマちゃんの言葉に『そっかぁ……』と頷いた。
『偽もこか本もこか』など聞いていない。
こんな生き物の偽物がいたら森の街が大変なことになってしまう。
それで海は本物なのか。
いや、聞いても無駄だ。
もこもことは人間の話を聞かない生き物なのだろう。
もこもこを仰向けに抱っこしたリオがもこもこしたスイカちゃんと見つめ合っていると、つぶらなお目目ともこもこしたお口がハッとしたように開いた。
スイカちゃんはもこもこもこもこと震えている。
「クマちゃ……」
『お腹ちゃん……』
クマちゃんはお腹が空いてしまったようですが、この空腹感は本物でしょうか……? という意味のようだ。
「普通に本物でしょ」
新米ママは腕の中で「クマちゃ……」『リオちゃ……』と今度はリオの存在を疑い出したもこもこを
「リオちゃんもめっちゃ本物ですよー。ヤバいですねー」と撫でながら立ち上がった。
我が子は腹が減ったらしい。
急いで魚を釣らなければ。
◇
もこもこが「クマちゃ……、クマちゃ……」と愛らしく〈クマちゃんの砂〉をまくのを手伝い、長い桟橋を作った彼ら。
手伝い方は小さくて愛らしい肉球にひとつまみの砂を渡す、という非常に単純で重要な作業だ。
ルークがお兄さんから受け取ったクマちゃん専用アイテムは、可愛いお魚さんの形をした鞄だった。
それを持っていれば海でも安全らしい。
「クマちゃん可愛いねー」
もこもこを抱っこしているリオは、お魚さん型鞄に湿った鼻をくっつけ一生懸命ふんふんしているクマちゃんを撫でた。
可愛い。
新しい鞄が、というより新しい鞄の匂いを嗅ぐ猫のようなクマちゃんが可愛い。
「クマちゃんの持ち物はいつも愛らしいね。とても素敵だと思うよ」
「ああ」
「白いのが森の街でいちばん洒落てるだろうな」
「世界で一番の間違いだろう」
古木で作られたように見えるが実は砂製の怪しい桟橋を、釣り竿を持った彼らが進んで行く。
手すりのない橋は危険だが、とても景色がいい。
エメラルドを溶かしこんだような水色の海が、どこまでも続いている。
まだ浅い場所らしく、透き通った海水のなかに真っ白な砂浜が広がり、白色や薄いピンク色の貝殻が煌めいているのが見えた。
リオは先端に近い場所で立ち止まった。
昨夜作った釣り竿を持ち、餌を付けずに釣り針を沈めると片腕で抱えていたクマちゃんが「クマちゃ……」と言った。
『おまかせちゃ……』
クマちゃんにおまかせください……、という意味のようだ。
「えー」
リオは失礼な返事をしつつ、もこもこを桟橋へ降ろした。
可愛いスイカちゃんがお魚っぽい鞄をごそごそと漁り、中からおままごとに使うようなあれこれを取り出す。
――釣り竿を手放さないせいで動きにくそうだ。
「クマちゃ……クマちゃ……」
子猫がミィ、ミィ、と鳴くような愛らしい声をかけ、もこもこが砂を振りまく。
キラキラと輝いたおもちゃは、すぐに大きくなった。
大きくなったそれのせいで桟橋から海へボチャボチャボチャボチャ――と追放された品々は、闇色の球体が回収した。
「落ちてる落ちてる」
状況を説明するだけのリオ。
大きくなったそれは応接室にありそうな立派なソファとテーブルのセットだった。
「でかくね?」
思いやりの精神も声もかすれた男が桟橋いっぱいに並べられた応接セットに難癖をつける。
「邪魔じゃね?」村長はとどめを刺した。
完全に息の根を止められたもこもこが、つぶらな瞳に涙を溜め、もこもこもこもこと震えた。
カシャン――。
ピンク色の肉球から玩具の釣り竿が滑り落ちる。
「クマちゃ……」
『辞職ちゃ……』
クマちゃんは責任をとって辞職するちゃん……という意味のようだ。
「ごめんクマちゃんぜんぜん邪魔じゃない! 今すぐ座るから!」
『俺の馬鹿!』村長は心の応接セットに拳を打ち付けた。
「クマちゃ……」
もう生き返れない副村長は悲し気に口元をもふっとさせ、肉球を握りしめている。
毎日幸せなクマちゃんの幸福度、八。
「せまっ……」
無理やりソファに座る村長。
テーブルと座面の距離に問題がある。
「…………」
凍った釣り竿を持った死神は、これで村長を暗殺しようと決意した。
「なんでお前はいつも余計なことばかり言うんだ……」
マスターはリオを見ずに魚釣りをしている。
アホな村長よりも大事な副村長の空腹をどうにかするほうが大事だ。
「村長は命が惜しくないようだね」
南国の恐ろしい鳥はシャラ――と腕輪の綺麗な音を鳴らし、一人掛けのソファで釣り竿を磨いている。
「この海に魔物はいるのかな」美しい瞳が餌になりそうな村長を射抜いた。
「いるだろ」
低く色気のある声が、狭いところに座り「せまいっていうかもうはさまってるよね俺」と言っている村長を脅す。
ルークは桟橋で『さんばしに じゃまなものをおいた クマちゃんは ふくそんちょうを じしょくします』と書いている副村長を抱き上げ「あいつはほっとけ」と慰めた。
◇
ほどよく並べ直された応接セットで釣りをする彼ら。
問題の狭さは桟橋のほうを広げることで解決した。
それぞれ横向きに座り、魚がかかるのを待つ。
中央のテーブルではもこもこシェフが忙しそうに、ヨチヨチもこもこと食事の準備をしていた。
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