第240話 海の幸祭りな朝食。忍び寄る再婚。
現在クマちゃんはみんなが釣ってくれた海の幸をこげないように見守ったり、美味しくいただいたりしているところである。
うむ。とても良いお味なのではないだろうか。
◇
仕事前から優雅に釣りをし、炭火と謎の宝石で焼き上げた海産物を食べる五人と一匹とお兄さん。
撮影班のゴリラちゃんはお兄さんが噴水広場へ飛ばした。
桟橋にはザザ――、と波の音が響いている。
透き通った水色に黄緑色の宝石を溶かしこんだような、美しい海だけが視界に広がる空間。
とれたての貝や甲殻類が焼かれる香ばしくて美味しそうな香りが、仕事への情熱をザザザザザァとそいでゆく。
もこもこシェフのまな板にしかみえない調理用魔道具にのせられたカニは、あとは焼いて刺して食べるだけ、という形まで部位別に下ごしらえされた。
焼く前から美味しそうだったそれは殻ごと焼かれ、最高の匂いを放っている。
火バサミでつかんだそれを、ヤシの実っぽい色合いだが素材は〈クマちゃんの砂〉な皿へのせる。
リオが細長いフォークで身を刺すと、ぷりぷりした白と赤の身が殻から綺麗に剝がれた。
「すげー」
リオは宝石の価値を気にするのをやめた。
焼きガニの前でそんなことを考えるのは、焼かれてしまったカニに失礼だ。
もこもこシェフとカニに『ありがとうクマちゃんとカニ――』と感謝を捧げつつ、それを口に入れた。
「…………ヤバい。美味すぎる」
リオが真剣な表情で焼きガニの感想を伝える。
「クマちゃんの魔道具はどんなものでも下ごしらえが出来てしまうみたいだね。食べやすいのも凄く魅力的だと思うよ」
繊細なように見えて意外と大雑把なウィルは、フォークで刺すだけでプルリと身が外れる完璧な下ごしらえに感動していた。
まな板のような魔道具にのせるだけ、というのも手間がかからなくて良い。
そのうえ自力でのせなくてもクマちゃんの釣り竿で釣れたものが自動でそこへ送られている。
釣り糸が海に入っているだけですべての用意が終わり、あとは食べるだけなのだ。
もしも酒場の厨房の人間にこの現場を見られれば、忙し過ぎて休暇も貰えない自身の境遇を嘆き『じゃあ一生カニだけ食べてればいいじゃん! 痛風になったら療養食もお見舞いも快気祝いも回復食も全部カニにしてやるんだから!』とこちらを見ながら素早いカニのように走り去ってしまうだろう。
彼がもこもこを見ると、もこもこシェフは魔王のような男が食べているカニみそに挑戦しているようだ。
ルークが甲羅ごと焼いたカニみそに白い身を少しだけつけ、もこもこシェフの口元へ運ぶ。
ふんふんふんふんふんふん――嗅ぎすぎなシェフが口を開け、チャ――、チャ――、チャ――とカニみそつき焼きガニを味わう。
愛らしいスイカ帽を被ったもこもこが、ハッとしたようにお目目をひらいた。
もこもこしたお口から子猫のような声が聞こえる。
「クマちゃ……」
『おとなちゃん……』
これはとても大人っぽいお味のおカニみそですね……という意味のようだ。
シェフはもこもこした口元に、お上品な仕草で肉球をそえている。「クマちゃんいま『おカニみそ』って言わなかった?」細かい村長。
「…………」
『もっと食うか』視線だけで魔王が尋ね、つぶらな瞳のシェフが「……クマちゃ……」と妙な間をあけ頷く。
美味しいのかそうでもないのかよくわからない『……クマちゃ……』だ。
シェフでも判断が難しいおカニみそなのかもしれない。
シェフは先程よりも激しくふんふんふんふんふんふん、ふんふんふんふんふんふん――とミソを乾かす勢いで香りを確かめている。
「クマちゃんには早いんじゃね?」
焼いたカニみそとカニの身を食べ『……ヤバい。いまおれが食ったカニみそ多分世界一のやつ』と心の中でひとりカニみそ会議を始めた村長。
「おい、余計なことを言うな」
いまだに仕事と再婚どころか再会すらできていないマスターが渋い表情で、普段から大体余計なことを言っている生まれつき失礼な村長を叱る。
彼は焼きカニみそを食べながら酒を飲んでいた。
赤ちゃんのクマちゃんに『あなたはまだ子供ですよ』と伝えるなど、とんでもない重罪だ。
やってしまった人間は酒場でも森の街でも、闇色の球体の刑に処せられる。
「――――」
ゆったりと白ワインの入ったグラスを傾ける高位で高貴な雰囲気のお兄さんは「やべぇ世界一こっちだったかも……」と新カニみそ会議で忙しい村長を静かに見張っていた。
「…………」
いつの間にか目覚めていたクライヴはシェフのもちゃもちゃ動く口元に視線が釘付けだ。
もこもこしたお口がもちゃもちゃ……、もちゃ……もちゃもちゃもちゃ――と何かを確かめるように動いたり止まったりしている。
何故か呼吸が荒くなり、手が震える。
硬い殻に覆われたエビがガガガガ――と振動しながらまな板型調理用魔道具のうえに運ばれていった。
◇
焼いただけで最高に美味い海の幸を堪能し、まったりと海を見つめる彼らへ子猫のようなシェフから「クマちゃ……」と声がかかった。
『温泉ちゃ……』
釣りで汗をかいてしまいましたね。みんなで露天風呂へ行きませんか? という意味のようだ。
「いや全然汗かく要素なかったでしょ。引っ張る前に飛んで――」
村長は危険を察知し黙った。
お兄さんの闇色の球体と、なかに美しい貝殻が煌めく芸術品のような氷塊が彼を狙っている。
お断りされてしまいそうな空気を察した赤ちゃんクマちゃんが「クマちゃ……」と両手の肉球でお目目を隠した。
クマちゃんはだいじょうぶです……と、仲良しなリオちゃんに断られても泣かずに我慢するつもりらしい。
「――あいつは穢れている。問題ない」
悲しみを隠そうとするスイカちゃんに心臓を締め付けられた死神が告げた。
『あれは風呂へ行くべき穢れた村長である。おまえは間違っていない』と。
「俺ぜんぜん汚れてないんだけど!」
己は美しい村長であると主張する若干煤けた村長。
焼き網を覗き込んだ時に煙を浴びたようだ。
「あ~、そうだな……じゃあみんなで行くか……」
村長の穢れはどうでもいいがもこもこを悲しませるわけにはいかない。
マスターは酒を飲み干し立ち上がった。
◇
美しい砂浜から徒歩数分でオアシスへ戻った彼ら。
仕事の時間ギリギリまで、優雅に海風と緑の香りを楽しむ。
藁ぶき屋根つきもこもこ天空露天風呂。
ブドウ棚のように木漏れ日が降り注ぐ植物の天井。
サァ――と流れる浄化の雨。
「さっき入ったばっかなんだけど……」
泡に混じる灰色に気付かぬ村長と
「良かったね。穢れは消えたようだよ」
対応が雑な南国の鳥。
「クマちゃ、クマちゃ……」
幼く愛らしい声は大好きなルークと一生懸命お話ししているようだ。
パチャパチャと輝く水面を肉球で叩く愛らしいもこもこを見つめ心を癒される彼ら。
「素晴らしい――」
「森の奥を調べる必要はあるのかな? 皆をここへ連れてきたらいいのではない?」
「いいたいことは分かるが……」
「リーダー俺もクマちゃん抱っこしたい」
「…………」
◇
癒しの食事と癒しの湯、癒しのもこもこに癒された彼らに、悲しい別れのときがきた。
南国風民家の床から魔法陣に乗り、イチゴ屋根の家と同じ、ドアだらけの二階へ到着する。
「そうか……ここから出るのか……」
すでに疲れているマスター。
「クマちゃん、僕たちはすぐに戻ってくるからあまり悲しまないようにね」
綺麗な顔で悲し気な表情をするウィルが、もこもこの小さな肉球と握手をした。
「昼前には戻る」
クライヴが勝手に帰宅時間を決め、ルークが抱えるもこもこを「クマちゃ……」と喜ばせる。
交渉が成立した一人と一匹がそっと握手を交わす。
肉球を離した死神はじっと黒革に包まれた手袋を見つめ「小さい……」愛らしい存在の子猫感を確かめた。
「全部同じに見えるんだが、どれが酒場のドアだ……?」
「それだろ」
マスターが難しい表情で顎鬚をさわり、もこもこを村長に託した魔王が雑に答える。
――クマちゃーん――クマちゃーん――クマちゃーん――クマちゃーん――クマちゃーん――クマちゃーん……――。
クマちゃんが大騒ぎしている。
世界の滅亡が近付いているかのような騒ぎかただ。
大好きな彼から離され、悲しみが爆発してしまったのだろう。
たくさんのドアが並ぶ空間に広がる、無数の『クマちゃーん』
「クマちゃんそんなに鳴いたらのど痛い痛いしますよー。リオちゃんのお耳もヤバイヤバイですよー」
子猫のようなもこもこを撫でまくり宥めようとするリオ。
――クマちゃーん――クマちゃーん――クマちゃーん――クマちゃーん――クマちゃーん……――。
止まらぬ『クマちゃーん』
「リーダー早く行って!」
新米ママリオちゃんは可愛いがうるさすぎる我が子を抱え込み、彼らに背を向けた。
――クマちゃーん――クマちゃーん――あ~。水分補給を忘れるなよ……――クマちゃーん――クマちゃーん――……。
マスターは耳を刺す『クマちゃーん』に紛れ大事なことを告げると、彼らと共に去っていった。
仕事との再婚のお時間である。
「ほらクマちゃんお客さんに釣りの仕方教えてあげたらいいんじゃね? 焼きかたとか」
リオは『クマちゃーん』に負けず魔法陣へ乗り、一階へと戻った。
二階へ行かず円形祭壇風魔法陣ベッドで待っていたお兄さんは『クマちゃーん』被害に遭わなかったようだ。
村長からお仕事を託された元副村長はもこもこのお口を斜めに開けている。
「なにその顔。可愛いんだけど」
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