第193話 悩みが増えていくリオちゃん。リポータークマちゃんと、始まってしまった撮影。
テーブルの上に置かれた黄色いヘルメットの前に立ち、リオを見上げるクマちゃん。
愛らしいもこもこが、猫のようなお手々をもこもこのお口にくわえ、じっと何かを待っている。
可愛い。しかし何かが引っかかる。
「え、もしかして俺がやる感じ?」
新米ママリオちゃんは悟った。
先程もこもこが言った『準備、するちゃん――』
それはつまり、クマちゃんの準備をリオちゃんがするちゃん、ということなのだろう。
彼は「えぇ……」と言いつつ、小さな頭にヘルメットをのせ、もこもこした顎の下でおもちゃのようなベルトを締めた。
小さい。やりにくい。
黄色いヘルメットを被った真っ白なもこもこがゆっくりと頷き、「クマちゃ……」と次の場所へ移動する。
もこもこがいるのは黒いリボンの前だ。よく見ると、端の形が少し変わっている。
「ネクタイっぽい。つーかめちゃくちゃちっちゃいんだけど」
リオは『普通のリボンで良くね?』と言おうと視線を上げ、もこもこのつぶらな瞳を見てしまった。
黒くてまん丸のお目目がきらきらと輝いている。
格好良くネクタイを結んでもらえると期待しているのが分かった。
――裏切れない。
断ることを「えぇ……」と諦めた新米ママリオちゃん。
「はいクマちゃん後ろ向いてー」
目を細めたリオは鼻の上に皺を寄せ「難易度やべーんだけど」と言いつつ、細くて小さすぎるそれを結んだ。
◇
ヘルメットと黒いネクタイを装備したクマちゃんは、「小さいネクタイマジやべー……」と妙に疲れているリオに「クマちゃ、クマちゃ」と愛らしく話しかけた。
『リオちゃ、おそろい』と。
リオちゃんも素敵なクマちゃんとおそろいの格好をしましょう、という意味のようだ。
甘えっこなクマちゃんは仲良しなリオちゃんと何でも一緒が良いらしい。
「いやクマちゃん気ぃ使ってくれなくていいから。俺このままで全然大丈夫だから」
新米ママは愛らしい我が子の提案をシュッ――と素早く却下した。
おそろいが良いとねだるクマちゃんは非常に可愛い。しかしそのお願いを聞くことは出来ない。
リオちゃんはヘルメットもネクタイも、全く着用したい気分ではない。
お断りされてしまったクマちゃんがつぶらな瞳と口を大きく開き、衝撃を受けたもこもこのように立ち尽くしている。
「えぇ……」
もこもこの激しい悲しみに当惑するリオ。激し過ぎる。悲しみすぎではないのか。
いつも幼いもこもこを見守っている高貴で人外なお兄さんは、高級もこもこ籠ソファに仰向けで寝そべり、みぞおちの辺りで両手の指を組んでいる。
もこもこの悲しみを察知してしまった、空気を読むのが少々苦手なお兄さん。
幼いもこもこの過保護な庇護者が、赤ちゃんなクマちゃんを無暗に甘やかそうとしている。
テーブルの上に現れ消える、闇色の球体。
過保護で親切で空気を読まない闇は、どこかの金髪に丁度いい大きさの、白いシャツと黒いズボン、黒い靴、黒いネクタイを残していった。
「えぇ……」
どこかの金髪から嫌そうなかすれ声が零れる。
『いらないんだけど』が今にも口から飛び出しそうだ。
愛しの我が子は口を開けたまま瞳を潤ませ、もこもこもこもこと震えている。
もこもこを泣かせたくないリオは顔を歪め「もー……マジで絶対似合わないやつじゃん」とかすれ気味の声で呟き、テーブルへ手を伸ばした。
◇
癖のある金髪を少しだけ後ろへ流した男が、片手でネクタイを緩めた。
男は思った。
(誰にも会いたくない)
おそろいが嬉しいらしいもこもこが、両手の肉球を愛らしく打ち合わせ「クマちゃ」と喜んでいる。
可愛い。こんな格好じゃなければもっと可愛いと思える気がする。
「クマちゃん、これからどうすんの?」
子猫のようなもこもこを抱っこした彼は、腕のなかのもこもこに尋ねた。
あまり聞きたくはないが、この格好を誰かに見られる前に、クマちゃんの手伝いを終わらせなければ。
ヘルメットとネクタイを装備したクマちゃんが、幼く愛らしい声で「クマちゃ、クマちゃ」と言った。
『撮影ちゃん、現場ちゃん』と。
撮影をするために現場へ向かいましょう、という意味のようだ。
「え、このままどっか行く気? 無理無理む――」
愛らしいもこもことお揃いのネクタイを締めた男は、断っている途中でその場から消えた。
クマちゃんと、クマちゃんが作った謎の魔道具と共に。
◇
「――危なっ」
もこもこを護るように抱えたリオは咄嗟に膝を突く。椅子に座っている時に移動するのはやめて欲しい。
目の前でゆったりと腕を組んでいるお兄さんが犯人だろう。
判っていても責められないのが憎い。
「あれクマちゃんの噴水じゃね?」
視線の先にあるのは先程クマちゃんが作ったばかりの噴水だ。
お断りしている途中で強制的に移動させられた場所は、天才ガーデンデザイナーが最後にデザインした民家の庭らしい。
腕の中のもこもこが幼く愛らしい声で「クマちゃ……」とお話ししている。
『現場ちゃん……』と。
現場はこの先ですね……、という意味のようだ。
「つーか何? 現場って」
もこもこの計画を知らないリオが、腕の中のクマちゃんに尋ねた。
忙しいらしいもこもこは返事をしない。子猫のようなお手々で先程作った魔道具を確認している。
ピンク色の肉球が握っているのは、縦長の黒い玉から伸びる金属の棒だ。
クマちゃんの愛らしい声が「――クマちゃ、クマちゃ――」とやや大きく周囲に響いた。
『――マイクちゃん、テストちゃん――』と。
マイクのテスト中です――、という意味のようだ。
「うわビビった。え、何その魔道具。マジで何すんの」
何を手伝わされているのか知らない金髪は「不安すぎる……」とかすれた声で呟き、無表情でもこもこの指示に従う。
愛らしい肉球が「――クマちゃ――」と指す方へ、一人と一匹とお兄さんが歩いてゆく。
民家から離れ、森へ入った彼ら。
街側の森に敵はいないが、楽しそうな雰囲気でもない。ただの森だ。赤ちゃんのクマちゃんが楽しめるようなものは何もない。
背の高い樹々があちこちに生えている。彼らの仕事場と違い、樹と樹が離れているおかげで比較的明るく見えた。
「お散歩するなら湖のほうが良いと思うんだけど」
白いシャツにネクタイ姿の男が、黄色いヘルメットを被ったもこもこに『自分達の楽しい巣へ帰ろう』と誘いを掛ける。
真面目なのは服装だけかと思いきや、中身も真面目な金髪の話を聞かないもこもこが「――クマちゃ、クマちゃ――」と愛らしい声で急にお話を始めた。
『――こちら、現場の、クマちゃんです――』と。
魔道具を通した子猫のような声が、森の中に響く。
ヘルメットを被ったリポータークマちゃんが、現場から何かをお伝えしようとしている。
クマちゃんテレビの撮影が、ついに始まってしまったのだ。
ゆったりと腕を組み、彼らの方を向いているが見てはいないお兄さんの前に、もこもこが作ったもう一つの魔道具が浮いている。
高貴なお兄さんは撮影班らしい。
クマちゃん像が持っている横長の何かに、真面目な恰好をした一人と一匹が映っている。
黒い横長の端で点灯する赤いランプが、動画録画中であることをしっかりと示していた。
「何かめっちゃ嫌な感じするんだけど」
撮影されていることを知らない撮影アシスタントリオ。
真面目過ぎる格好で外見のチャラさが中和された金髪。彼はいつの間にか、現地を取材するもこもこを抱っこして歩く、という大事な仕事を流れるように引き受けてしまっていた。
顔を顰めた金髪は魔道具の方を向き、妙に真剣な表情で「――クマちゃ――」とお話ししているリポータークマちゃんを抱えている。
もこもこした何かに巻き込まれている彼は考えていた。
嫌な予感がする、と。
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