第181話 もこもこのお菓子が必要な人間とは。「クマちゃ――」

 呪いのおくるみ人形クマちゃんのようなことを言いだしたもこもこ。

『メッ!』と叱るような視線を向ける、新米ママリオちゃん。

 呪いのおくるみは何も考えていないようなつぶらな瞳で彼を見つめ、チャ、チャ、と愛らしく舌を鳴らしている。


 柔らかな木漏れ日が降り注ぐ午後、森の街の平和な噴水広場に、サァ――、とまるでクマの呪いを浄化するような風が吹いた。


 リオがもこもこしたおくるみちゃんに尋ねる。


「急にどしたのクマちゃん」


 死んじゃ駄目なのは分かったが、そもそも誰も死にかけていない。

 皆でお菓子を食べながら言うようなことでもない。


 新米ママリオちゃんは『今度は何を言い出したんだこのクマは』という目を向けようとしたが、我が子の愛らしさに負け、もこもこ動いている可愛い口元へ視線をずらした。

 もこもこしたおくるみクマちゃんが「クマちゃ、クマちゃ」と幼く愛らしい声でお話ししている。


『みんなちゃ、お菓子ちゃ』と。


 街の皆はお腹が空いて倒れそうなので、クマちゃんの美味しいお菓子を食べて元気になって貰いたいです、という意味のようだ。


 この時間に広場にいるのは、昼食を済ませまったりしている人間が多い。

 大きな噴水広場を囲む飲食店から出てきたばかりの彼らは、ベンチに座って休んだり、散歩をしながら露天を眺めたり、酒を飲んだり――しながらチラチラと横目で可愛いもこもこを見ている。

 いつもは陽気な音楽を奏でている演奏家達は、突然噴水の側に現れたテーブル席、美麗な男達、クマちゃん、という『何故』が湧き上がり巻き毛の猫の毛のように渦巻くあれこれに『え?』と手を止め、三回ほど『え?!』と言ったあと、ひたすら小さくて可愛すぎるもこもこを『可愛い……』と眺めている。


 可愛いおくるみクマちゃんの言葉を聞き「えぇ……」とやや肯定的ではない声を出したリオは――そんな者はいないと知りつつ――一応、空腹で倒れそうな人間を探すため、視線を巡らせた。


 新米ママリオちゃんが心優しい我が子に『空腹の人間はいない。心配無用』という思いをこめ、つぶらな瞳を見つめ、頷くと、もこもこが真剣な表情で「クマちゃ――」と呟き、頷いた。


『急ぐちゃ――』と。


 急ぎましょう――、という意味だ。


 かすれた声の新米ママは「えぇ……」と言いつつ、我が子に合わせ真面目な表情で頷き返した。



 再びトレイの上に戻ったクマちゃんを「はいクマちゃん可愛いですねー」と整え直すリオ。


 空腹の人間を探すことを諦めた彼は『満腹でもお菓子は食べられる』と気持ちを切り替えた。

 しかし『クマちゃんのお菓子を食べたい人はこちらへ』という内容で人を集めると、愛らしいクマちゃんへ熱い視線を送っている人間が全員来てしまう。

 昨日クマちゃんに贈り物をくれた人間、という条件では厳しいだろうか。


 彼はもこもこをあやしながらチラ、とウィルへ視線を送った。

『多すぎない感じで人集めて欲しいんだけど……』と。 

 優し気に微笑んでいる男は一瞬リオと視線を合わせ、スッとどこかを見た。

 獲物を発見した鳥のようだ。


「うーん。あそこの彼はとても顔色が悪いね。僕が連れてくるよ」


 自由な鳥のような男はシャラ、と涼し気な音と共に立ち上がると、ふらりと『顔色が悪い』男のもとへ行ってしまった。

 

「なるほど――」


 自身の目つきや雰囲気が人々を怖がらせていることを知らない死神のような男が、「顔色か――」と冷たい美声を響かせ、広場の端で森の街に現れた恐ろしい死神を観察している色白の人間のところへ向かった。


 彼らの近くで話を聞いていた女性二人が『顔色?』『……もしかして、顔色が悪いとクマちゃんのお菓子が買えるの? ……何故?』『ね、私達貧血っぽいよね。どちらかというと顔色悪めじゃない?』『たしかに……あそこでお酒飲んでるおじさま達よりは顔色悪いかも……』と、こそこそというほど小さくはない声で話し合っている。


 つい抱きたくなってしまうおくるみクマちゃんを無意識に抱っこしてしまったリオは思った。

 比べる相手はそれでいいのか。

 それに彼は『体調不良の人間を厳選しろ』とは言っていない。

 まさかウィル達は『倒れそうな』人間を集めるつもりだろうか。

 ――不安だ。

 一見穏やかそうなウィルは問題ないかもしれないが、死神は大丈夫なのか。

 元気な人間の顔色まで悪くしてしまうのでは。

 

「あの~。私達貧血気味なので、クマちゃんのお菓子を買いに来ました」


 愛らしいもこもこだけでなく仲間達と街の人間まで心配する真面目なリオと、彼に抱っこされた可愛いおくるみクマちゃんのもとへ、最初のお客様がやってきた。 

 先程酔っ払いのおじさまの顔色と飲んでいない自分達の顔色を比べていた彼女達だ。

 ――同じテーブルにルークがいるが、無表情で美麗な魔王のような彼に近付く者はいない。感情が読めない彼の視線を全く気にせず『クマちゃ』と甘えられるのは、白くてもこもこした生き物だけだろう。


 リオは「クマちゃ……」と愛らしい声で彼を誘惑するもこもこから視線を上げた。

 彼女達の顔色は――普通である。


 顔色審査員リオが頷き、


「ちょっと待ってて。――クマちゃん、この子達クマちゃんが作ったお菓子が欲しいんだって」


顔色は普通だがクマちゃんのお菓子が食べたい彼女達に待つように伝え、「どうする?」と腕の中のもこもこに尋ねた。

 

 愛らしいおくるみクマちゃんが「クマちゃ、クマちゃ……」と一生懸命リオにお返事している。


『クマちゃの、お菓子ちゃ、どうぞ』と。


 愛らしい声と姿にやられてしまった彼女達は両手で口元を押さえ「どうしよう……可愛すぎる……」「可愛い……可愛すぎてどきどきする……」と瞳を潤ませている。


「クマちゃんお金取る気ないっぽい。はい、ケーキとスプーン」


 リオが彼女達にもこもこしたお菓子を渡していると、ウィルが顔色の悪い男達を連れてこちらへ戻って来たのが見えた。

 少し離れた場所には死神と死にそうな人間達がいる。

 

「えぇ…………」


 顔色審査員の口から嫌なものを見たときの金髪のようなかすれ声が響いた。

 動揺を隠せない彼の片腕に抱えられている可愛いおくるみクマちゃんが、幼く愛らしい声で「クマちゃ、クマちゃ」と言った。


『リオちゃ、大変ちゃ……』と。


 リオちゃん、大変です、という意味のようだ。


 新米ママリオちゃんは悟りを開いたような優しい眼差しでおくるみを見つめ、ゆっくりと頷いた。

『あれは何ですか? あれは何ですか? もしや私のおもちゃですか?』と常時忙しい子猫のような赤ちゃんクマちゃんを育てるのは、確かに大変である。

 あとで我が子の丸くて可愛い頭をまふっとくわえ、疲れをとることにしよう。

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